第02章 石狩会戦 02節
心はただ穏やかに
この絶望の生い茂る野山を
一歩一歩と踏みしめて行く
我が歩む先には道ができ
人は我が歩んだ後を進むだろう
総ては私が決める
心はただ穏やかに
私は、この道を歩いていくのだ
「既にセレーナ少佐以下、残存艦隊が戦闘に移ったとの事だが。」
石狩方面を指揮する、伊達幕府軍副司令カナンティナント・クラウン中佐が呟く。既に戦端は開かれている。問題は勝てるかどうかではなく、後何分保つか、という事である。ロシア第1艦隊、ロシア第2艦隊相手に、伊達幕府軍の残存艦隊ではあまりにも不利。戦力差は2倍以上だ。まして、先の第1次釧路沖海戦では精鋭の空戦用サイクロプスが存在したが、今はそれすらもない。もはや、一秒でも長く、敵を引き付けるのが任務なのである。
「カナン兄ぃ!女神隊、サイクロプス第2小隊準備オッケーだよ!」
女神隊軍団長セレーナ・スターライト率いる伊達幕府軍残存艦隊が壊滅した後は、石狩に配置した陸戦サイクロプス部隊などの任務である。苫小牧や函館、旭川から脱出する国民を守るには、この石狩で時間を稼がねばならない。
「大人しくしていろ、ヤマブキ・スター曹長。騒がず、伊達の一門として、恥ずかしくない立ち居振る舞いをするのだ。」
クラウン中佐は、先に彼をカナン兄ぃと呼んだ女性下士官を嗜める。彼女は総司令シルバー・スターの妹で、優秀なパイロットである。姉のシルバー大佐のような冷たく整った容姿とは異なり、彼女は山吹色に染めたミディアムの髪に明るい表情をし、陰陽を表すかのような姉妹であった。クラウン中佐としても同じ王族として子供の頃からの付き合いで、ヤマブキからはカナン兄ぃと呼ばれる程度には親しまれている。だが、彼女の厄介な所は、王族にも関わらず行動的過ぎる所だ。
「おねぇちゃんもタカノブも釧路で、私だけ石狩とかずるいよね!」
そういう問題ではない、という気持ちが表情に出るが、クラウン中佐の表情等ヤマブキ曹長にはお構い無しである。
「貴女の姉、シルバー大佐は伊達家の血が絶え難い様に、配慮しているのです。この石狩方面は、釧路方面に比べて圧倒的に生存率が高い。タカノブも貴女がこちらに配属されていると知って安心しているでしょう。」
そう忠告するのは、やはり女神隊に所属する師団長ヤオネ・カンザキ大尉である。
「ヤオネ、でも!そんな所にタカノブも行くんだよ!?お供が正室のねぇさんだけなんでずるいじゃんかー!」
ヤマブキは、現執権タカノブ・イシガヤの側室であり、ヤオネと呼ばれた女性士官も許婚である。最も、古くから政略的に許婚となっていたヤオネとは異なり、ヤマブキは姉のシルバーの輿入れに強引にくっ付いてきた押しかけ女房である。イシガヤの事が好きだったかというと微妙な所で、唯一の肉親であった姉のシルバーと離れたくなかったという方が本当の所であろう。伊達幕府の王族は過去の戦争で戦死、或いは暗殺等で多くが死んでおり、ダテ家直系はシルバーとヤマブキの2人のみしか生き残っていないのである。
「だいたい、後方待機のはずの貴女が、この前線に立つこと自体間違っています。せめてクラウン中佐の仰るように、大人しくしててください。」
ヤオネがそう釘をさす。だが、
「私だってヤオネくらいには戦えるもん!それに、伊達の娘が後ろにいるなんて恥ずかしいことできないから!」
そんな事を聞くヤマブキではなかった。正直、こういう兵は好きに前線に送り込んで戦死でもさせた方が良いが……それが王族でなければ、だ。
「ヤオネ・カンザキ大尉、君の女神隊第1小隊の準備はどうか?」
クラウン中佐がそう問いかけるが、このヤオネ大尉という将は、特別目立った才能はないが、攻守安定しており使い勝手の良い将である。サイクロプスのパイロットとしては第一線を維持出来るレベルの才能があり、サイクロプス隊指揮官としては数十機のサイクロプスを、バランスよく配備統率できる軍才がある。守らせれば並の将の攻撃を完全に受け流し、攻めさせれば慎重に敵を各個包囲殲滅する。智謀にも優れており、戦術参謀・政略参謀として戦線での軍議でも才能を発揮する。また、準王家オニワ家の血を引く上に、王族イシガヤ家の許婚とあって政界と財界に顔が利く。どの局面にも使いまわせて、いかなる状況にも対応出来る将として、彼女は貴重であった。
「はい、クラウン中佐。我が隊は遠距離火力重視の装備にし、既に待機完了しています。」
「君の隊はヘルメス少佐指揮下防衛軍のサイクロプス隊と並び、主力として期待している。よろしく頼む。」
「了解しました。」
「ヤマブキ曹長の隊には、機を見て突撃を任せる。それまでは大人しくしているように。」
「えー」
一方で、このヤマブキ曹長は、パイロットとしては優秀ではあり、特に攻撃においての突破力は幕府軍の中でも指折りの物だが、反面、防御戦には性格も才覚も不向きであり、この防衛戦ではどこまで役に立つか疑問があった。
滅びの波は
静かにそして唐突に
激流となって押し寄せる
予知も予測も無いままに
人はその命運を
運に託して……
「セレーナ少佐の艦隊が後退を始めたようです!」
石狩平野に陣取るクラウン中佐に、通信兵がそう伝える。
「いよいよか。」
鉄壁スターライトが敗れ、伊達幕府の旗艦である超弩級戦艦長門が沈む。想定の範囲内だがやはり衝撃は大きい。それによってクラウン中佐自身が慌てふためく事は無いが、しかし、である。クラウン中佐が内心忸怩する事は、鉄壁将軍の渾名を持つセレーナ・スターライト少佐が守れないような戦線を自身が守りきれるとは思えない所であり、同時に、幕府のシンボルである長門ほどの信仰は受けられない事であった。無論彼自身の采配はセレーナ少佐に劣るものでは無いどこか、大軍の指揮はむしろ彼の方が優れているし、王族クラウン家の当主であり軍政に優れた彼は国民から愛されているが、だがしかし、である。
「全軍に告げる、粛々と配置につけ。」
敵軍はあまりにも多く、それを迎え撃つ軍は、弓矢尽き、刀は折れ、……既に敗走を開始していた
「第8戦闘機小隊全滅!」
澄み渡る蒼。
「第9サイクロプス小隊壊滅!」
目前に広がる海。
「神威級巡洋艦常盤轟沈!」
噴き上がる水柱……。
「セレーナ少佐、どうします?」
やや青みがかった黒髪の長い女性が、そうセレーナ少佐に報告を続ける。名前をカリスト・ハンターといい、階級は大尉。年齢は20歳とまだ若いが、戦場経験は20回を超えており、伊達幕府に属する指揮官としては戦場経験は多い方である。東洋人にしては少し堀の深めの整った顔をしており、いくらか朱が混じった瞳も印象的ではあるが、彼女は日本人との混血であるためであろう。スレンダーなセレーナ少佐と比較すれば、全体的に女性的で肉感的な印象を受ける小柄な女性である。彼女は主にセレーナ少佐の副官として戦場に立つ事が多く、兵站確保や行軍、教科書的な戦術展開を得意としており、特に指揮をとった場合の進軍速度の速さから”神速”の仇名をもつ良将であった。そんな彼女は、セレーナ少佐とは”ねぇさん”等と呼称するほど親しくしていた。
「慌てても仕方ありませんわ。残存艦は砲台となって友軍を支援致しましょう。」
セレーナ少佐は簡単に言ってのけるが、そのセリフにカリスト大尉を含め多くの将兵の顔が青ざめる。戦艦が固定砲台になるのだから、それはもう、死を宣告されたようなものである。
「カリスト大尉、砲台になるならどこが良いかしら?」
「石狩の軍港に入るのが妥当です。ここなら、石狩湾全体へ攻撃が出来、敵揚陸艇の邪魔にもなります。」
「だ、そうですわ。操舵手、180度回頭!残存艦もわたくしに続け!」
極東に勇名を轟かせた伊達幕府の艦隊ももはや無惨な状態であった。しかしそれでもその勇名に恥じぬように、撃沈という最後の時まで勇戦しなければならないのである。