第10章 木星会戦 09節
「後退!?」
シルバー大佐の報を受け、前線でサイクロプス隊を督戦するバーン大尉が部下に怒鳴る。
「バーン大尉、お退きを。」
重ねて後退を催促するのは副官のニッコロ中尉である。
「しかしニッコロ!」
そう簡単に後退できるのか、そう言いたいのであろう。
「縦深に前衛防御交互交代で車懸りの退き陣とします。大尉では采配出来ませんでしょう。陣の後方にて、兵達のお励ましを。」
攻勢に強く、この戦場でも多数の敵を屠っているバーン大尉であるが、撤退戦は不得手である。
「すまんな、ニッコロ中尉。」
バーン大尉は部下に任せることに悔しそうな顔をするが、此処では素直に任せる。得意な者が指揮を執った方が、より多くの兵が生き残る確率が上がるからだ。自身のプライドなど気にしている場合ではない。
「おい、ハラダ少佐!後退が遅いぞ、飲み込まれる!」
撤退を開始したバーン大尉であったが、後退が遅いというよりもまともに後退しようとしないハラダ艦隊を督促するべくそれに乗り付ける。艦橋の外側からであるが。
「バーン大尉か。我らはシルバー様恩顧の将兵である。縦深に布陣し、御大将が体勢を建て直すまで奮戦するのみだ。」
後退の指示は出ているが、しかし確かに彼らが後退しては軍勢の再編成に時間が掛かる。また、後退速度は進軍速度に対して明確に遅いため、イーグルに追い付かれることは必定であったし、かといって反転して速度をだそうにも、もたつけばそのわずかな時間で多くの艦艇が致命打を受けることは明白であった。だからこそ、彼らは留まる、という判断をするのだろう。ハラダの艦隊には多くの伊達家臣が搭乗しているのである。
「ハラダ少佐、御託は分かった!しかしさっさと退きやがれ!」
「断る。」
それでも多少は生き残るものも増えるであろう。バーン大尉は再度撤退を促すが、ハラダ少佐の回答は明確なNOである。
「ちっ!石頭がっ!ニッコロ、お前は死ぬなよ!」
「当然です。」
ニッコロ中尉はそう即答である。
「サタケ、敵のハラダ、なかなかの忠臣であるの。」
粘り強く戦線を維持するハラダ少佐の艦隊を眺め見て、イーグルはそう感嘆する。元々武人として優れ、人望にも厚く統率力のある彼は、幕府軍内でも評価は高い。イーグルはその統治時代に彼を重用することはなかったが、それは彼があまりにも伊達家の忠臣であり、して言うと大局的な判断についてはやや鈍い、そう判断していたからである。だが、こうして敵対してみると思っていたよりも優れた采配であり、その忠義は厄介なものであった。
「さようで。この分では、突破に手間取りそうですな。」
サタケ元少佐もイーグルの意見に賛同する。命を捨てて抗ってくる敵は手ごわい。
「ヘルを。儂の愛機ヘルを出す。自ら兵を率い、突破してくれようぞ。」
それはイーグル・フルーレ専用のサイクロプスである。
「……御意。」
思念誘導式ビーム砲のホーネット6機、ビームサイズ、その高出力故に放熱用のヒートシンクを体中に纏ったまがまがしいフォルム。それでいて線の細さが、凄惨さを増す。ヘル。イーグル専用の機体として勇名を馳せたサイクロプスである。
かくもあるか。
あぁ……
天女とも見紛う美しさ
血塗られた後輪を背に
この宇宙を疾駆する小さな巨人
まるで、業火をものともせず
小さな鬼火を煌めかせ
あぁ・・・
何故かくも美しいのか……
ワルツを舞うような
異形のモノよ……
「バーン大尉!イーグル王専用機ヘルが接近中です!ハラダ艦隊に構っておらず、早く退きを!」
ニッコロ中尉が状況を確認しつつ、バーン大尉の後退を督促する。
「親父はもう王じゃねぇ!」
だが、慌ててイーグルを王呼びするニッコロ中尉もまた、余裕が無いのだろう。智将で知られるニッコロ中尉ですらこうなのだから、配下の動揺はあまりあるだろう。
「もう少しだ、もう少しこらえろ!ハラダ以下を見捨てる気か!?」
「無理です!!早くお退きを!!!」
流石に見捨てるには忍びないと食い下がるバーン大尉に対して、ニッコロ中尉は重ねて後退を督促する。
「たかが老人一人、何がこわい!」
「そうだ、バーン大尉。が、貴官は早く退かれよ。」
「しかしハラダ!」
「頑迷なるご老体が三途の川を渡るには、良い渡し守が必要だろう?それはこのハラダが務めよう。」
「しかし!」
「くどいぞ、バーン大尉!大尉ごときが少佐の私に戦術的意見など十年早いわ!」
ハラダ少佐のその発言は、あくまでも自分は残り、そしてバーン大尉を撤退させるための言い方である。
「くっ……。全機退却するぞ!ちっくょぉぉぉおおっ!!!!」
普段は礼儀正しく強硬な意見を通さないハラダ少佐にそれほどまでの発言をさせたのであれば、流石にバーン大尉とて見捨てて撤退をせざるを得ない。自身もこんなところで戦死する気はないし、まだイーグルを討ち取っていない以上、戦死するわけにもいかない。同時に、ハラダ少佐は、バーン大尉の部隊の活躍程度ではイーグルの侵攻を防げないと言っているのである。事実ではあるが、それが腹立たしくなくて何というのか。だが、腹立たしいからといって残っても仕方がない。手勢と彼らの撤退に従ってくるハラダ少佐指揮下のサイクロプス隊の一部をまとめて、バーン大尉は撤退するのであった。
「殺すには惜しい男だ。ハラダ少佐よ、儂に降伏せよ。良く取り立てようぞ。」
周辺の艦隊が轟沈していく中、ハラダ少佐の乗艦に深紅の機体が迫る。イーグル・フルーレの愛機、ヘルである。大鎌を艦橋の前に突き出してのその通信は、最終通告だ。
「断る。」
無論そんな回答をすれば殺される以外の選択は無くなるが、ハラダ少佐は毅然としてそう答えるのであった。
「本当に惜しい男よ……」
イーグルがヘルのビームサイズを振るい、ハラダ少佐の艦橋は切り裂かれる。金属粒子のビームに体はズタボロにされ、そして追撃を受けた艦はそこら中から爆発を起こし、虚空に残骸を増やしていく。忠義の先にあるは、ただ、死肉を野辺に曝す事であった。
「シルバー大佐、ハラダ少佐戦死。残存艦隊はなお踏み止まっています。」
ハラダ少佐の旗艦轟沈を受け、通信手がそう伝える。
「ハラダが……。勇士達の奮戦を無駄にするな。カリスト、艦隊の再編は?」
彼女の命令に背きその場に踏みとどまったハラダ少佐に対して思う所はあるが、彼のおかげで残存艦隊の再編成が進んだというのも事実である。
「魚鱗に再布陣完了まで、あと二分。」
カリスト大尉が進捗を告げる。
「編成は?」
「前衛ゴトウ艦隊、続いてリ、クキ艦隊、中衛本陣シルバー艦隊、後衛雑軍クスノキ艦隊です。混戦と予想されますので、サイクロプスの多くは白兵戦装備に変更致しました。」
艦隊の先鋒は宇宙艦隊指揮に慣れているゴトウ少佐を選び、続くのは宇宙艦隊指揮はあまりとったことは無いが空海軍では熟練のリ少佐とクキ少佐を選ぶ。リ少佐とクキ少佐はイーグルの力を良く知っているが、かといって恐れるような指揮官ではない。最後に配置するクスノキ艦隊は、クスノキ中尉自身の艦隊指揮能力も微妙であるため、とりあえず崩れない程度に援護をさせるため、最後衛に配置されている。
「よろしい。バーン大尉は逃げ帰っていますね?彼にサイクロプス隊の先鋒を任せます。」
「お伝えします。」
「そして、次陣として私自身がサイクロプス隊の主兵力を率い、イーグルを討ちます。」
「ちょっ!?」
カリスト大尉が驚きの声を上げる。当然である。総司令足るシルバー大佐自ら出陣するのはリスクが大きい。この何度かの会戦で前線に出ている彼女であっても、運よく生き延びて来たにすぎないのだ。まして相手はイーグル・フルーレという当代屈指のイボルブのパイロットである。シルバー大佐は圧倒的な技量でイボルブのパイロットにすら打ち勝つほどではあるが、年老いたと言え老練のイーグルと比べてどうかといえば、不安でしかない。
「この艦隊はカリストに任せます。先の失態分を取り返しなさい。」
「お待ちください!シルバー大佐自ら御出馬など危険過ぎます!」
流石にカリスト大尉がシルバー大佐を止める。
「ここまできては、総力で当たらねばイーグルを討てるまい。」
「しかし!」
「異論は不要。」
そう言いだしたシルバー大佐は頑迷である。絶対に意見は曲げない為、カリスト大尉はそれに合わせて戦力展開を調整する。シルバー大佐の欠点はこれで、自己の判断能力や戦闘能力に絶対的な自負があるため、戦術参謀を必要としない、という所である。トップダウンで強力な統率を行うことはできるが、果たしてそれが総てにおいて正しいかは難しい所だ。