第10章 木星会戦 01節
「なんか、情勢の変化が急過ぎて疲れちゃった。」
先のイーグルの通信後、シルバー大佐は艦隊の人心を収拾し、編成を再開している。それに伴い一定の配置移動なども実施された結果、艦隊人事の実務担当のカリスト大尉はいくらか疲弊しているのであった。参謀総長の任は解かれたが、依然として重要な参謀の一人として、艦隊運営に関与している。
「カリストー、クスノキー、決戦どうなってるのーっ?」
そんなカリストに問いかけるのはヒビキ中尉である。女神隊を率いる将校として、カリスト大尉の直下に再配備されていた。言動はともかくサイクロプス隊の運用では非常に優秀であり、心強い部下である。
「良くわかんないんだよねぇ。艦長クラスまでは決まってて、訓練も順調なんだけど……」
同窓でもあるため砕けた言葉でカリスト大尉も応じるが、半ば言動が移ったようなものだ。とはいえ、ヒビキ中尉の質問は重要な所である。カリスト大尉やニッコロ中尉が艦隊編成を実施したところ、兵の練度は以外と高く、複雑で緻密な戦術を取らない限りは充分な作戦行動がとれそうだ、という結果であった。士気についても意外に高く、イーグルと戦うというのに恐慌をきたしそうな部隊は発見されなかった。そういった点は安心なのだが、シルバー大佐から未指示の部分に懸念が残る。一部の小艦隊とそれを率いて艦隊備えを作る指揮官が決まっていないのである。具体的には、シルバー大佐、モガミ中佐、クキ少佐、リ少佐、ハラダ少佐、ゴトウ少佐の配置も決まらず、カリスト大尉もまた未配備である。幕府軍は指揮官級だけ最後に配置する事も良くあることで、常設艦隊などはあまり編成されていない為そこまで不自然というわけでもないが、だからといってそうそうたるメンツ全員の配備が決まっていない、というのも判断しかねるとこである。
「御屋形の動き……、正確には木星経済を握るアークザラットの働きで、問題無くイーグルを決戦に引き出せそうだ。警察力を握り、民衆も味方に引き込めている。何時なりと、暴動やデモを起こせる。軍事レベルの蜂起も可能だし、実際にそうするだろう。」
クスノキ中尉が別動隊のイシガヤ少佐の行動について言及する。この艦隊の中では、公式情報に続いて彼の情報の正確性が高い。無論、彼の率いる黒脛巾の報告は、司令部にも回っているわけだが。そして、その報告された内容は、いつもながら驚くべきものである。それだけの事が出来るCPGが、おとなしく伊達幕府に従っている、という事実がである。
「クスノキ中尉、情報ありがとうございます。それにしても……、シルバー大佐とクオン曹長、そしてモガミ中佐が連日作戦会議してるんだけど、他の人ほとんど呼ばれてないんですよね。編成どうなるんだろ。」
なかなか稀な事である。シルバー大佐が勝手に編成を決めることはよくある事だが、それにしては相談役を呼んでいるし、読んだにしては人員が限られ過ぎているのだ。
「カリスト大尉としてはどうなると?」
「順当に考えたら、総大将がシルバー大佐。ハラダ少佐、ゴトウ少佐を中核に添えて、クキ少佐、リ少佐を虎の子として突撃艦隊を任せる感じかな。戦略参謀長がモガミ中佐、戦術参謀長がクオン曹長ってのがセオリーっぽいし。シルバー大佐は防御も得意だけど、指揮下艦隊指揮官の大半は攻撃的な采配だし……。」
シロイシ少佐については装甲艦など足の遅い艦を中心として1個艦隊が編成されており、そちらの担当として既に訓練を実施している。そう考えれば、イーグルの奇襲艦隊などに備えた後備えなり、中核に配置して漸減戦術に使う艦隊としての役割だろうか。
「やはり、そのあたりが妥当だろうか。」
カリスト大尉の想定は、猛攻の得意なイーグルに対して、こちらも攻撃陣形となる。隊司令格の少佐を並べるとそれが一番妥当な配置だからだ。クキ少佐やリ少佐が攻撃特化の采配でなければまた違うのであろうが、ハラダ少佐やゴトウ少佐にしてもどちらかというと攻撃寄りのため、そう展開せざるを得ないだろう。
「ない、ぜったいないよっ!とんないよ、そういう作戦?」
横からヒビキ中尉が口を出す。現場向きの性格のため幕僚適正はないが、彼女もまた学年主席だけはあって賢い事は賢い。
「ん〜、ならヒビキ中尉ならどうするの?」
「うぐっ……。そこまではわっかんないけど、ないんだよ。だって、そんな普通の攻撃陣形じゃイーグルに勝てないもん。」
「そうかな……」
そういうカリスト大尉も、自分の意見に自信はない。
「イーグル強いもん。イーグルが仕掛けてきたら、大艦隊でも壊乱しちゃうよ、その将軍じゃ……」
ヒビキ中尉が指摘する。たとえば実際、勇猛で知られるクキ少佐がイーグルとぶつかったとしても、倍差の戦力であっても一蹴される未来が予見されるのだ。クキ少佐は世界的に見ても優秀な艦隊指揮官なのだが、イーグルやサタケ元少佐はそれ以上なのである。戦場の空気を読み切って、「不意に」とも言えるタイミングで兵を進めてくる神業は、他の誰にもまねができないものだ。
「今更で、しかも話はかわるんですけど、なんでクスノキ中尉はこっちにいるんですか?イシガヤ少佐について木星に潜入するのかと思ってました。」
クスノキ中尉はサイクロプス隊指揮官であり、イシガヤの参謀を務めることもあるが、最も重要な要素としてはイシガヤ家の工作部隊黒脛巾頭領としての立場がある。工作員をまとめる立場ではあるが、同時に彼も一流の工作員としての能力を有しており、商業スパイなどよりは、暗殺や破壊活動、戦場での情報工作を得意としている。
「シルバー大佐やクオン曹長、ソラネの護衛のためだ。」
「クスノキ中尉を護衛に?」
「そうだ。」
彼を護衛に回すという事は、イシガヤ少佐が妻を大事に思っている事の証左でもある。カリスト大尉はそう捉えるが、一方でイシガヤ家としてはエウロパの権益を守る事こそが最重要であり、過小評価されているがイシガヤ自身の工作員としての素養からしても、自分の代わりとして分散配置した、と考えた方が本来は自然である。
「クスノキ中尉はイシガヤ少佐の奥さん護衛してるけど、中尉自身は結婚しないんですか?」
後者の考えには思い至らないカリスト大尉は、単純に考えて彼にそう問う。彼女としてはイシガヤ少佐がどうのというよりも、彼の考えは重要な事だ。クスノキ中尉は既に30歳を超えているが、女性に関する噂は一切ない。カリスト大尉がクスノキ中尉にアプローチを掛けているのは周りの人間は割と知っているが、付き合っているという事実はないのである。とはいえ、クスノキ中尉もカリスト大尉に情報を供与するなど便宜を図る事も多いことから、気にかけている、という点では悪くは思ってはいないのであろう。
「それはわからん。第一、結婚した場合、妻は苦労するだろうからな。」
「なんでです?」
「役目上、イシガヤ家の守護を優先せねばならんし……、私の手は血に染まり汚れすぎている。」
黒脛巾の頭領として、どれほどの命に手を掛けたのか、である。イシガヤ家の権限を奪おうとした家臣団を、イシガヤと伴に粛清したのは彼とその手勢である。無論、表立ってはその時くらいしか手ずから粛清をしていないイシガヤに比べて、クスノキはそれ以降も任務として実施しているのである。女子供年寄りと雖も、彼は手にかけてきたのだ。
「血で汚れたら洗えばいいよ♪」
深刻と思われた話題に、横からヒビキ中尉が剛速球をぶん投げる。
「ヒビキ中尉……、血に染まった手は、洗っても臭いがなかなかとれんのだ。よく、そう表現するだろう?」
「せんそーなら仕方ないよ。わたしだって何人か殺しちゃったもんっ!」
ヒビキ中尉のその発言は、お前は何を当然な事を言っているんだ?というレベルで軽い。
「戦争ではない。一方的な殺戮、粛清、そういった事だ。それは、確かに戦争の一面はある。だが、あの狂気は戦争を超えたものだ。」
黒脛巾によって、イシガヤ家に敵対した勢力の一族郎党が粛清されたこともある。女子供年寄りに至るまで、惨殺された事は公然の秘密である。私利私欲に走って行動をする組織ではなく、また政府としても黒脛巾と敵対する事はイシガヤ家並びにGPG、マーズ・ウォーター社と敵対する事と同じであり、下手に手を出せないという実態もあった。
「そういった者の一部は、精神に異常をきたす。いや、ほとんどかもしれないが。その中で、私だけ正気を保てるとは思えん。そういう男が、妻をもてるか?いや……」
自嘲気味にそういう彼はやや悲しそうな表情ではあるのだ。
「かんけい無いよ!すきとかそいうのは、理屈じゃないんだよ。すきならそれでいんだよ!」
「いや、理屈は大事だ、ヒビキ中尉。精神的安定のためにもな。」
実際、ある種トラウマの塊がある彼にしてみれば、普通の女性を妻にしたところで負担であろう。片や工作員として殺人鬼とも言えるような大量殺戮を行い、さらに軍事指揮官として人を殺し続ける彼にとって、そう言ったことに理解を示してくれないような人であれば、精神的に安らぐことは無いだろう。彼は基本的に真面目で優しいのだから、それらの行為を責められることでもあればダメージは大きいし、かといって女性をモノのように扱う人物でもないからだ。
「そんじゃぁ、人をいっぱい殺しまくってる、大量殺人犯のカリストにしちゃえばいいよっ!」
「言い方ぁ!!!」
無論、副軍団長足るカリスト大尉は、その命令で多くの敵味方をの兵達を殺している。1隻沈めればどれほどの人が死ぬか。僅か1隻でも、工作員活動での死者の数を遥かに超えるだろう。
「クスノキがカリスト嫌なら、わたしにする?わたしもいっぱい殺してるよ!」
サイクロプス隊指揮官のヒビキ中尉は木星勤務だったためそれほど実戦経験が多いわけではないが、それでも海賊狩り等でそれなりに指揮を執り撃破してきた実績はある。
「……ヒビキ中尉は手を綺麗に洗ってくださいね。私、いい石鹸知っているんですよ。スターライト商会にお願いして、王族や貴族方も使うような高級石鹸、何年分か差し上げましょうか?シルバー様を筆頭に、イシガヤ家の奥様方が皆さん使ってらっしゃるやつです。」
「…………冗談だよ、カリスト怖い。軍命どころか、目だけで人を殺せそうだよ。人殺しレベルで勝てそうにないので、前言を撤回いたします。」
「言い方ぁ!!!」
カリスト大尉に睨まれて、普段めちゃくちゃな言葉遣いのヒビキ中尉が比較的真面目な発言で返す。すなわち、そういう事だ。ガールズトーク(?)が始まってしまったことを嘆きつつ、クスノキ中尉はやれやれといった感じでその場を離れるのであった。
人はそれぞれ罪を背負って
それは大なり小なり
自らの枷となる