第09章 木星とエウロパ 09節
「タカノブ様……」
CPG社の用意した執務室に居るイシガヤに侍女が声を掛ける。無論、安全のために人選は黒脛巾の一族の者から選ばれている。
「……サタケ元少佐と名乗る方からお電話です。」
「……!」
佐竹義久元伊達幕府宇宙軍少佐は、イーグル・フルーレの腹心であり、多くの戦場で多くの戦功を上げてきた老将である。独立戦争時には登用されていなかったが、その後のイーグル・フルーレの治世にて登用され頭角を現し、今生き残っている元勲の中ではその統率力は突出している。イーグル・フルーレの戦功の半分は、彼が稼いできたと言っても過言では無いほどの人物である。亡きオニワ長老やカタクラ長老などと比べると、伊達家に近くなく経済力も持たなかったために国政への影響力は無かったが、その軍事的才腕は彼らに並んで称されていたほどである。退役して既に10年以上たってはいるが、油断していいような人物ではない。現に、イシガヤに連絡が来ている時点である程度その動向を把握しているという事であり、危険極まりない。
「もしもし……」
「久しいのぉ、イシガヤの御曹司。わしらを朝敵にするとはやるのぉ。」
「…………。」
間違いなく、聞いたことのある声である。騙りではない。
「何、今更驚く事もあるまい。わしとてこれくらいのツテはあるわぃ。」
「……警備を固めろ。」
「はいっ!」
イシガヤが指示を出す。今はやむを得ないとしても拠点の変更も必要だろう。人員も精査する必要がある。それ以外についても彼の部下が逆探知をはじめたり、こちらの位置情報その他を操作する作業を始める。
「……それでサタケ元少佐、何か?」
「ビクビクせんでよい。わしには、おぬしを暗殺するなんぞできんわぃ。」
「…………。」
「いくつか頼みがあるのよ。老いぼれの頼み、聞いてはくれんかのぉ。」
「まず、話を聞こう。」
うかつに了承できるものではない。たとえ今彼自身の命が危ういとしてもである。
「一つ。フルーレの一門で、わしらに付かなかった者のリストを送る。終戦後も、危害を与えんと約束してほしい。」
それらはイシガヤの側でも把握している。バーン・フルーレの代理として、イーグルへの批判声明や蟄居をするように勧めている所だ。若者の一部はイシガヤの集めつつある義勇兵として参加する意思も示しており、彼らの身の安全はイシガヤ家からは保障されている。
「……公に、イーグル・フルーレに味方しない、と、声明を出せばそれを認める。」
「うむ、よかろう。二つ。わしの家族の保護も頼みたい。老いぼれの道連れにするには忍びない。」
「それは困る。」
それについてはイシガヤが即時難色を示す。
「困ると?」
「謀叛人の一族は皆死刑が相場だ。フルーレ家は、当主のバーンをはじめ、幾人かがこちら側で参戦しているが、サタケ元少佐のところは違う。法は……、曲げられませんな。」
幕府の法では、その軍功によって一門の除名嘆願をする権利は認められている。無論国会が許すかどうかは別ではあるが、特筆した加担が認められなければ、悪くても追放程度で済む可能性もあった。しかし、命と替える軍功が無いなら別である。残念ながらサタケ元少佐の親族は少なく、戦闘に参加できるとすれば息子の佐竹倶義大尉位なものだが、彼はイーグルの手勢として働いており、他の親族も行方不明である。
「相変わらず堅物だの。」
「……第78宇宙港は無警戒ですから、早めに逃がす事です。民間シャトルもいくらでも転がっています。また、サタケ殿程ほどの老勲の頼みです。78宇宙港第三区画7番地には、私の可愛い寵姫ソラネのために、脱出用の小型船と10億円程度の金塊を用意しておりますから、略奪しても構いません。パスは『よに逢坂の関はゆるさじ』です。」
ソラネが木星首都に来たことは無いが、いざという時のために彼はいくつかの脱出要素を準備している。この他にも脱出艇はあるが、開示したのは比較的逃げやすい場所にあるもので金塊等の少ないものであった。例えばシルバーなどを逃がすための脱出艇については、こんなレベルのものではない。
「……わかったわい。すまんの、手間をかける。」
脅迫に屈するようなものだが、今は余計な事をするわけにもいかず、作戦のためには自らの命を優先する必要がある。場所がある程度割れてしまっている以上、強襲されないとは限らないからだ。
イシガヤが木星コロニーで工作活動をしている一方、軍総司令のシルバー大佐は幕府軍の再編成を完了し、イーグル・フルーレとの決戦に向けて準備を行っていた。そこに緊急通信が入る。
「シルバー大佐っ!!!」
「なんですかそんなに慌てて。ニッコロ中尉、報告を。」
陸軍軍団長補佐のニッコロ・クルス中尉からの緊急連絡である。彼が焦って連絡してくることなど珍しい。通常はシルバー大佐の指揮系直下には居ない彼だが、陸軍軍団長補佐としての連絡の他、本陣の参謀総長を務める事もあるため、連絡可能な直通回線を許可されている。
「イーグル様から緊急放送です!一般映像回線03を開いてください!!」
「征東将軍シルバー・スターならびに執権タカノブ・イシガヤに告げる。タカノブが側室、クオン・イツクシマの両親は預かった。ただちに降伏せねば、これを見せしめに処分する。」
クオン曹長の両親については、イーグル反乱の報の後に数日遅れてソラネが探し出し保護するように黒脛巾やCPG関係先に指示していたのだが、現在に至るまで保護の報告はなかったものである。当時タカノブが意識を失っておりそちらにかかりっきりであったためであったが、この遅れについてはソラネより謝罪があった。シルバー大佐やクオン曹長にしてもその事について意識が回らなかったため、致し方のない事ではあったが……。
「イーグル、そのような野蛮な振る舞いをただちにやめ、早急に人質を解放しなさい。」
動揺しつつもシルバー大佐がそう要求する。同時に、直ちに参謀達を司令室に集めた。シルバー大佐は基本的に政治交渉については疎く、それを自覚しているためである。
「降伏すればすぐ解放しようぞ。」
「それは…………」
降伏出来ないと言えばクオン曹長の両親は殺されるし、降伏すると言えばイーグルに国を譲る事になってしまう。軍司令としては当然ながら拒否するべきところだが、部下の親族を見捨てたとあっては心象が悪い。ましてやクオン曹長はシルバー大佐にとって大事な友人でもある。
「クオン……」
シルバー大佐はクオン曹長を見やる。本心から言えば助けたいが、しかし立場的に助けることはできない。だが毅然としてそう言い切る事もしかねる、そう言った複雑な感情でぐるぐるしている、という所だろうか。
「私には……、判断出来かねます……」
クオン曹長もまた、唇をかみしめながらそう言う。二人とも基本的に思考が似ているのであるから、大体考えることは同じだ。クオン曹長としても両親を助けたい気持ちはあるが、しかし参謀の立場としてはそう述べることは絶対に許されない。むしろ、当事者として一言でも状況を左右させる発言をする事自体、良いとは言えないだろう。
「……シルバー様、ここはお見捨てになることが肝要。お悲しみの表情さえしてくだされば、私が処理致しましょう。」
状況を読んだモガミ中佐はそう進言する。政治面でも優秀な彼は、流石にシルバー大佐達が何で葛藤しているかなど把握できている。その中で悪役を務めるとしたら、彼は適任である。
「……クスノキ、ニッコロ、貴方がたは?」
だが、まだ逡巡のあるシルバー大佐は他の意見も促す。聞いたところで良い解決など無いのにも関わらず、だ。
「モガミ中佐にお任せなさるとよろしい。」
それに対し、人殺しなど慣れているクスノキ中尉は突き放し、
「私も……、同意見です。」
冷静で政治判断力もあるニッコロが控え目に同意する。
「くっ……」
彼女は、戦場で部下に死ねという命令はいつでも下せる。だがこのような状況は慣れていない。しかしそれを部下のモガミ中佐に任せる程無責任でもない。
「要求は……」
飲めない、そう言おうとした矢先、放送がジャックされる。そしてその場で全世界に向けての放送に切り替わる。
「賊徒イーグル・フルーレよ、私が伊達幕府執権石谷太政大臣隆信である。もう一度貴様の要求を聞こう。」
その映像を見たイーグルは、顔をしかめる。イーグルはイシガヤが居ないとこを狙ったわけだが、避けた本人が現れてしまってはイーグルの目的は達成しがたい。シルバー大佐は降伏はしないだろう。しかし動揺させ、或いはその評判を落とす、そう言ったことは可能であったはずだ。イーグルの方は元々冷酷という評価もあるため、人質を多少殺したところで、さほど評価は変わらないため、一方的にシルバー大佐の評判を下げる事ができたはずであった。しかし、である。
「タカノブよ、お前の側室、厳島久遠の両親は預かった。ただちに降伏せねば、これを殺す。」
イーグルはやや失意の瞳をしつつ、再度要求を述べる。イシガヤが出てきたら、彼がどう答えるかなど予想が付くからだ。そしてイーグルが思った通り、間髪を入れずにイシガヤが話し始める。
「わかった。幕府執権としては、妻の両親を救うためなどという理由で賊徒に降伏するわけにはいかない。幕府執権は、民の安寧を願い、私を殺しても民に仕えるものである。それは、私の義父母にしてもだ。我々は降伏しない、返答は以上である。なお、軍総司令シルバー・スター大佐に臨時国会の決議をお伝えする。早急に賊徒イーグル・フルーレを討ち、国の治安を回復せしめ、国民の安泰を図りたまえ。既に存じているとは思うが、天皇陛下はイーグル・フルーレを朝敵と為したもうた。意味する所は一つである。以上だ。」
端的にそれだけを述べ、イシガヤは通信を切ってしまう。要は交渉する余地もない、という表明である。その後の通信は遠藤首相と国防大臣が代わり、詳細説明が行われる。
「シルバー・スター、お前の意思は?」
そう要求するイーグルの声が空しく響く。
「……国会の意思に、武官は従わねばなりません。例え国主であっても、国会に従うことが憲法で決められていますから。そしてまた、朝敵に降伏は……、出来ません。」
「そうか……。殺せ!」
数人がイーグル様の指示に割って入る。王族の親族を殺害する、という事である。流石の所業に彼の部下達も抵抗はあるのだ。
「殺せ!一度出した指示を翻せるか!」
人質にしていながら、兵達はそれに戸惑う。王族殺しとなれば当然大逆としてその兵達の親族が殺戮される恐れはあるし、それ以前にイシガヤ家の親族相手である。公然の秘密として、イシガヤに逆らってCPGの権益を握ろうとした彼の家臣団がどうなったかなど、知らない木星人ではない。モニターでイシガヤの姿を見て、それを意識してしまってはやむを得ない所でもある。
「えぇい!儂がやるわ!」
それを察したイーグルが自ら銃を取り……、そして発砲音が響く。二人の人が倒れ、そして血溜まりが床に広がる。
「……っ!!」
クオン曹長は流石に悲鳴こそ上げないが椅子に倒れ掛かり、
「……クオン、ごめんなさい。」
シルバー大佐も立ったまま気丈にモニターを見つめるが、手を椅子に回して倒れないように体を支えている様子が見て取れる。指揮官として人の死には慣れているが、人質を見捨てる、という行為はなかなかあるものではない。いかに人間離れしているといっても、彼女もまだ人間である。ショックが無いわけではないのだ。
「ニッコロ中尉、貴官はクオン曹長を自室に下がらせよ。シルバー大佐、相手は逆賊です。これ以上お話する事もございますまい。処置は私達で行います故、一度ご退室を。クスノキ中尉、貴官はシルバー大佐を護衛して下がれ。」
モガミ中佐がそう指示を下す。如才ないというのはこういう事だろう。実際にはシルバー大佐は精神的にダメージを受けているわけだが、彼の言い繕いはまさに的確であった。そのようにしてうまく退室させる。尤も、政治駆け引きに疎いシルバー大佐が居ても邪魔だ、というだけの厄介払いかもしれないが。
「……クオン、多くは言うまい。言い訳も出来ん事……申し訳ない。」
退室させられたクオン曹長であるが、意識まで失っているわけではなかったこともあり、夫のイシガヤが通信を繋いでいる。間違いなく彼の回答で彼女の両親は死んだ、しかし、それを言い訳できる立場にも無く、言い訳をするわけにもいかない。それが彼の立場であった。そう慰めるしかないのだ。
「……私も軍人ですから、わかっています。」
クオン曹長はベッドに寝ながらそう伝える。冷静に考えて、彼の判断は間違っていない。そして、彼がそう答えることで総大将であるシルバー大佐は兵達の不満などを受けることは無かったし、モガミ中佐等の将校が代わりに悪名を負う事もなかった。政治的責任を取るものとして、執権であるイシガヤが答えることは正しい。
「……俺には親がいないから、お前の気持ちも、全部は理解できない。」
彼の両親は彼が幼い頃に暗殺されている。妻のヤマブキや、義父のようなオニワ長老を失ってはいるのだが、両親と比べれば感覚は違うものだろう。
「それも……、わかっています。両親に対して……、私はいい感情を持ってはいませんでしたが……、目の前で殺されたというのは…………」
クオン曹長はイシガヤに強引に側室にされた経緯がある。両親に手を回されており売られたようなものだったので、彼女と両親との関係は希薄であった。元々画家志望であった彼女は、イシガヤの側室になった事でその未来を閉ざされたわけだが、従軍しない時は自由に絵も描けるし、ある意味では完璧なパトロンである夫も思いのほか悪いものでもなかったので、案外今の状況には満足している。だが、心の底では売られた、という感覚は払拭できなかったのである。だから結婚後全然面会などをしていなかったし、帰省などもしていなかった。だが、それでも目の前で両親が殺されたことは別である。
「…………今すぐ駆け付けたいが、それも叶わない。」
「……わかっています。」
戦争中である。自由に移動などできない。
「責めてくれてもかまわない。…………ただ、お前の事は大切に思っている。」
「……わかっています。……責めません。私も貴方と同じで不器用なんです。ちゃんと大切にしてください。」
「勿論だ、わかっている。」
「……タカノブ、貴方は何で私を妻にしたのですか?」
「何度も言っているが、可愛かったからだ。」
「ソラネさんより?」
当時ソラネはイシガヤのお手付きにはなっていたが、側室にはされていない。クオンは彼が木星圏に一時的な遊学に来た際に目に留まって強引に側室に迎えられたわけで、最初の妻である。直近はシルバーとの婚姻の結果公式行事等に出る事は減ったが、クオンとしては嫌々ながらも長らく公務にも同行しているし、妻として正式に図書少允の官位も賜り朝廷行事にも都度参列する。その後ソラネも側室の格をしっかりと与えられたが、官位は与えられていない。
「……ソラネについては、迫ったのは俺ではない。強引に妻に迎えたのはクオンだけだ。」
ソラネの場合は、迫ったのはソラネの方である。孤児でもあったので、酷い環境から救ってくれたイシガヤに対して強い好意を持っていたこともあるし、捨てられたくないという意識もあったのかもしれないが。
「……シルバーさんより?私は、シルバーさんと容姿がそっくりですが。」
というのは、実際に髪色と髪型を合わせると、他人には見分けがつきにくいほどそっくりであるからだ。実際何度か影武者として働いている。
「それについてはギンを妻にするまで気が付かなかったし、そもそもギンの場合は政治的意味合いが強いし、偶然だ。ギンが可愛くて妻にしたわけではない。」
シルバー大佐の場合は、婿候補となる王族やそれに準ずる格の男子を一堂に集めて模擬戦を行い、サバイバル戦で勝ち残った上で、最強クラスのパイロットでもある彼女に勝てたものを夫にする、という無茶な条件で、何故かイシガヤが勝ててしまった事に起因する。これを断る事はできなかったので、カナンティナント中佐やバーン大尉、或いはオニワ大尉、カタクラ大尉、サナダ中尉、クスノキ中尉等も参加していたのだが、その中でイシガヤが勝てたのは偶然である。別にシルバーが手を抜いたというわけでもない。
「……ヤマブキさんより?」
先の石狩会戦で亡くなった山吹についても聞く。
「……あれは押し掛けてきたのだ。断れない。」
というのは、ヤマブキは姉のシルバーが大好きで離れたく無いという理由で、イシガヤ邸に押し掛けてきたからである。伊達家として、と言われてしまえばイシガヤとて断り難い。一応何度か断ったのだが。
「……ヤオネさんより?」
「ヤオネはいずれ正室に迎えるが、元々は政治的都合だ。」
ヤオネについてはソラネとの関係よりも早く、幼少の時期に婚約が結ばれている。わざわざ亡きオニワ長老が、姪を養女に迎えてまでイシガヤ家と関係強化するために結ばれたものである。彼女が早く妻になっていれば別だったのかもしれないが、先のばしている間にソラネの件をはじめとして何人かがイシガヤの妻になってしまったので、彼女が感情的に結婚を先延ばしているのであった。
「妻達は皆可愛いし、大切に思っているが、だからといって、そんな理由で政治的な思惑も実利的な理由もなしに、強引に私から望んで妻に迎えたのは、クオンだけだ。」
彼女がそんなことを聞くのは、家族を失ってよりどころを失った今、確固とした自分の居所が欲しいという潜在的な気持からである。彼女は確かに軍事的にはイシガヤの参謀も務めることもあり役に立っているが、それはあくまで戦争がある時だけである。シルバーの影武者や参謀長の役については、イシガヤには関係ない。他の妻たちは平時でも政治的に経済的に彼を支えているが、彼女は違うのである。だからこそ、その質問が彼女にとって一番大事な事であった。
「わかりました。……通信切りますね。タカノブ、ちゃんと生きて帰ってきてくださいね。」
「…………わかった。」
普段なら善処するとでも返すところを、イシガヤはそう返す。大切な妻が弱っているときに、流石に善処するなどと返すわけにはいかない。彼も戦場に立つ身であるから生きて帰れる保証はないのだが。……彼らは、神にあらざる身で神のように人の命を粗雑に扱い、そしてまた自らの命も盾にする。それに比べれば、このやり取りはまだ気楽なものであったかもしれない。
不知火と 親火の依りの 断ち切れて ただ有明の 海に虚ろふ
後に、厳島久遠の残したとされる和歌であった。