第09章 木星とエウロパ 02節
現執権のイシガヤが木星に侵入しようとする一方で、先の執権イーグルは伊達幕府軍の諸将に諜略をかけていたが思ったような成果は上がっていなかった。海軍軍団長のクキ少佐や、空軍軍団長のリ少佐は、古馴染みの将ではあったが、堅物で諜略に応じるような将ではなく、またそもそもシルバー大佐のすぐ側にいる以上そうそう内応できるわけが無かった。また、地球に残るカナンティナント中佐やヘルメス少佐は、イーグルに対して好意をいだいてはいるが、この不確かな戦況で旗幟を鮮明にして尻尾を出すほど甘い将校ではない。また、日本において最大の影響力を誇る今上天皇は、大和民族の血を引いておらず朝廷をさほど尊ばないイーグルに、それほどいい感情を持っていないために当てにならない。このため、東国鎮守府将軍のタキ、西国鎮守府将軍のマキタもまた、彼が事前に味方に引き入れることが甚だ困難である。そして最後の頼みの綱は、後ろ盾がなく影響力は少ないとはいえ、もっとも軍才に秀でたセレーナ・スターライト少佐であった。
「セレーナよ、単刀直入に言うぞ?」
彼……、イーグル・フルーレの手元のモニターには、セレーナ少佐が映る。人払いもしており、最も強度の強い暗号秘匿回線であった。
「あら、イーグル様にしては短気ですわね。」
そう茶化すが、イーグル反乱の状況において、少なくとも通信に応じる。彼女にはそれだけの余裕はあるということだ。
「歳を取るとな、短気にもなるわい。セレーナよ、儂につけ。いや......、ついてくれないか?頼む。」
流石に頭を下げはしないが、彼にしては珍しい言い方である。長く幕府を導く執権として、王として振舞ってきた彼は、普段は尊大な態度が目立つ。実際には、そういった自信のある態度が部下たちを安心させるから敢えてやっている、という側面もあるのだが、その彼がこの発言をする事は、普通であれば考えられない事であった。
「まさか……、イーグル様にそこまで頼まれるとは思いませんでしたわ。」
実際、余裕のあるセレーナ少佐と違って、彼には余裕が無い。
「儂の後はセレーナ、主が継いでくれればよい。幸い主は未婚であるし、儂には息子も多い。何人でもやろう。他に男を持ってもかまわん。幕府は、神王マサムネ公からまだ三代。長く執権を務めた儂も大和民族ではない。そちが跡を継いでも不足は無かろう。」
イーグルがそういう。マサムネ公……、シルバーの祖父であるが、CPGの戦力を奪い、地球で独立戦争を行い、そして独立を勝ち取った英雄である。彼はマサムネの下でその親友であった父とともに戦場で活躍し、マサムネ亡き後はその意思を継いで執権として長らく国家を運営してきた。その彼の話であるから、非常に重みのある事である。
「世継ぎには、勇猛なバーン様がいるではありませんか。」
セレーナはそう言う。ある程度は形式的な事だ。
「あれは甘すぎるわい。天下を治める器ではない。」
その認識はセレーナも同じではある。別にバーン・フルーレが無能というわけではない。むしろかなり有能ではあるのだが、人柄が良く、世界を相手に悪辣な手段を取れるような性格ではないのである。
「不肖ながら、バーン様が国主になられましたら、力を尽くしてお支えいたしますわ。」
これはお世辞でも何でもない。彼のその人柄の良さは、仕える分にはむしろ安心できる要素であり、或いは神算鬼謀の補佐役でもいれば、十分に国主は務まると言えるだろう。
「そう言ってくれるは助かる。しかしだ……」
「なにか?」
「天下を見回せば、戦乱のやむ気配はなく、国を見回せば終わらぬ戦に民は辟易しておる。」
「さようですわね。多くの軍人を失い、私のような若輩が将校になる有様ですし。」
もっとも、その戦乱を繰り広げてきたのは彼自身でもあるのだが。
「そうだ、それらについても辟易しておる。しかし、だ。先に国を失ったことで、民は戦いを厭わなくなったろう。これまでは、他国のための戦であったが、今や自らのための戦いとなる。」
実際、彼が執権になってからの戦いは、新地球連邦政府に幕府の自治を認めさせるために武威を示した手伝い戦ばかりである。それはそれで連邦政府による地域紛争解決には役に立ってきた事実はあるのだが、結果として世界はまだ戦乱に包まれたままである。
「えぇ……。確かに兵士達は自らの故郷を取り戻すため、戦争も止む無し、という風潮ですわね。しかし、それにしても、あの戦いでは、不覚を取ったあげく、多くの兵士を黄泉路に送ってしまいました……。」
「主はよくやったわい。寡兵ながらあそこまで踏ん張るは、凡将には出来ぬ業よ。」
第一次釧路沖海戦、第二次釧路沖海戦、石狩湾防衛戦の事である。実際彼女指揮下の軍勢の死傷者は甚大ではあるが、同時に戦闘経過としては、勝利に導くための重要なキーを彼女がになっている。
「そういってくだされば、救われます……」
「だからこそ、主が欲しいのじゃ。天下を見回して主と比べるに足るのは、西欧に覇を唱えつつあるアーサー王のみ。」
「それは過大評価ですわ。」
「今や、儂とて主に及ぶまい……。もう三十年若ければ、儂自ら木星の軍をひっさげて、天下を狙うものを……。歳には勝てぬ……」
彼の治めた時代は今よりももっと世情は混乱しており、群雄割拠の状態とも言えた。そのような外交状況下で幕府の基盤も不安定な所もあり、またイシガヤ家自体も安定していなかったためにCPG戦力の大規模動員も難しく、天下を狙える状況にはなかったのである。現在は彼の手伝い戦の結果もありある程度世情は落ち着いてきたが、彼の年齢の限界であった。既に70歳に手が届く今、世界を相手に戦い覇を競う時間的余裕などあろうはずがない。
「今、幕府には人材が揃っております。急かずとも、天下を目指せますわ。」
セレーナ自身は目指す気など無いのだが、彼に合わせてそう言う。実際、多くの将校は死に絶えているが、それでもなお天下に名だたる将校を有しているのが幕府なのである。深刻な人手不足をどうにかするために、軍事教育に力を入れた結果であった。
「しかしの、指導者が三流過ぎるわい。建国の英雄達に及ぶものはおらぬ。所詮は苦労を知らぬ小僧や小娘じゃ。ギンは、建国の神王マサムネ公の孫じゃというに、受け継いだ才覚は軍才だけ。政略、権謀、覇気のなさ過ぎること。イシガヤの小僧は、貪欲さと腹黒さに欠けるし、カナンティナントは覇気がなさ過ぎる。ファーサルは術を好みすぎるし、バーンは正直過ぎるわい。国を背負うには足りなすぎる。」
軍事指揮官として優れているかは別として、国家の指導者としての適性である。イーグルからすればいずれも品が良過ぎる、という評価なのである。
「しかし、なにも挙兵せずと良いではありませんか。」
セレーナはそう言う。彼女としても、イーグルに挙兵などして欲しいとは思っていないのだ。彼女視点では、シルバー大佐を補佐すればいいだけである。
「イシガヤの小僧とギンに後を任せるのは好ましくない。今のうちに討ち取り、せめてカナンティナントや主に後を譲りたいのじゃ。」
「シルバー様は名将の誉れ高く、イシガヤさんとてそれなりの国主ですが?」
二人とも名君とは言えないが、暗君という事もない。世襲君主という事を考えれば、むしろ十分過ぎる人物とは言えるだろう。イシガヤについては王族の中から執権を選ぶ国民選挙において選出されている事もあって、国民からも一応それなりには評価されてはいるはずである。もっとも、その正妻たるシルバーと抱える財力の影響が、人物評より大きいことは当然であるが。
「主の言うように、ギンは確かに名将だ。兵書に言うように、戦に勝ち続ける事が最善ではない。政治目的を達するために戦うのが戦じゃ。ギンはそこに疎い。イシガヤの小僧はそれを理解しているが、欲が少ない。戦ってモノを得ようとする気が希薄じゃ。これはいかん。」
「なるほど。」
それが軍人や聖人であれば構わないのだろうが、彼らは王族である。
「少なくともカナンティナントや主はそこが違う。カナンティナントにはあの謀略家のヘルメス・バイブルが付いておるし、イシガヤの小僧よりも覇気が無いとは言っても、あれと違って利益にならないことはしない。主も戦ってもその度に、元敵を取り込み勢力を拡大しておる。そういう面では安心じゃ。故にじゃ……、儂に付いてくれないか?付いてくれれば心強い。」
勝ちて強を増す、そういった人物像を彼は求めているのである。
「イーグル様、私は雇われ軍人ですわ。王族の方々と違い、単独での力を持ちません。」
スターライト商会の令嬢と言っても、財力などたかが知れている。王族と比べれば小指で吹き飛ばされる程度でしかない。
「謙遜じゃ。主であれば多くの将がついて来よう。」
それについては、セレーナが自分で思っているよりも彼女を評価する将兵は多い。ある程度の求心力はある。
「しかし、大義名分も立ちませんわ。」
「ふむ……」
「女神隊士である私は、国会及び朝廷より任じられた武官でありますから、国会に従わざるをえません。」
「歯痒いことよな。諸国から帝國とあだ名されながら、国会なり朝廷なりに従わざるを得んとは。儂は、その点も改革し王政を敷く。きてはくれぬか?」
「わたくしは王政でも民主制でも共和制でも構いません。しかし……、民に対して忠実であることを誇りにしていますわ。それが伊達幕府軍ではなく、女神隊士の役割ですから。」
含みを残した正当な言い分である。彼女の言うように、女神隊は伊達幕府軍の正式な軍団ではない。あくまで国会や朝廷に従う軍団であって、兵器も幕府軍予算とは別枠である。ただ、実際にはガディス機とシステムを管理しているのはイシガヤ家であって、多くの予算もそこから出ているのであった。が、そのあたりの事は彼女は言及しない。敢えてである。
「……うむ。」
「今、民の意志は国会として纏められます。故に、国会の命であれば、粛々としてイーグル様の膝下に頭を垂れ、その采配に従いましょう。しかしながら、国会の命にあらざれば、たとえ最後の将となっても戦い抜きましょう。それがわたくしの答えですわ。」
「そうか……。付いては来てくれぬ、か。」
「…………。」
それについてセレーナ少佐は言及しない。
「老人の戯言だったの。そういう主だからこそ取り立てたのじゃ。」
「……厚恩賜りながら申し訳ありませんわ。」
そういうのも、彼女を推挙したのはイシガヤではあったのだが、若年ながら大抜擢したのは当時幕府軍元帥であったイーグルだからである。抜擢人事はしばしばある幕府ではあるが、20代で軍団長格になったのは、王族以外ではセレーナ少佐しかいない。この人事にやっかみが無かったわけではないのだが、シルバー、イシガヤ、ヘルメスと言った若手軍団長の他、バーン、カタクラ長老も支持しており、最終的にはイーグルの一声で決定した人事であった。
「よい、今やギンとの決戦に挑み、雌雄を決するのみ。ギンさえおらねば、国会も儂に靡こうもの。」
「さようですわね。クラウン様、バイブル様にしても敢えて逆らう気はありませんでしょうし、実の所、イシガヤさんにしても同じでしょう。」
セレーナ少佐の見立てでは、シルバーが居る限りはイシガヤもシルバーに味方をするだろうが、いなくなれば単独で国会に逆らうとは思えない。基本的には国家に忠実なのである。
「といっても、主とイシガヤ家が手を取れば侮りがたい力になるがの。」
その指摘は正しい。イシガヤ家は単独で独立出来るだけの戦力と経済力を有しているが、足りないのは優れた将校である。元々幕府に危険視されないために将軍としての将器に優れたものをかこってこなかったためだが、セレーナが居れば話は別だ。単独では、イシガヤやアークザラット、オニワ、クスノキなどの家臣団、或いはモガミ中佐やカリスト大尉を仲間に引き入れることに成功したとしても、天下に覇を成すにはやや力不足感は拭えない。だが、彼らをセレーナ少佐が指揮すれば、かなりの戦力になるだろう。
「しかし他に手もございませんわ。」
セレーナはその話は横に置き、そう伝える。過大評価だ、と内心思わなくもないが、やってやれなくもない、と思わなくもない。
「で、あるの。」
無論、老練なイーグルには、そうやって話題を変えたことや彼女の内心もお見通しではある。
「えぇ。」
「よかろう。考えても進まぬわい。セレーナ、凱旋の暁には主を招聘する。待っておれ。」
「はい。国会よりのご下命、お待ちしております。」
彼女は敢えてそう応える。イーグルが凱旋した時には国会を手中に収めている事は確実であるから、あながち間違いではない。
「うむ、しばしさらばじゃ!達者での。」
「イーグル様、ごきげんよう。」
「カリン少尉、録画しましたね?」
セレーナ少佐は部屋に隠れて待機していたカリン少尉に尋ねる。まだ若い女神隊士官で彼女の部下であった。
「ちゃんと録画できている事も確認しました。こちらです。」
カリン少尉はセレーナ少佐に動画を見せて報告する。イーグルから連絡が来た時点で、こういった話になる事は重々承知の上である。イーグルは焦っているのだ。高齢の彼には時間が無い。充分な後継者も居ない中での挙兵であるから、速戦即決して天下に覇を唱え、後継者を用意しなければ成功とはいえない。聡明なイーグルはそれをよく承知しているから、完全に焦っているのである。だが、一方のセレーナは現状に大きな不満もなく、年齢も若いため焦る必要などどこにもない。ただ、内戦が長引くのは彼女にとっても不都合である。国内は荒れ果て、兵も民も消耗し、外国の侵攻を許さないとは限らない。その中で責任のある立場にいる彼女としては、責任を追及されないとも限らないし、内戦は非常に迷惑な事なのだ。他国との戦争であれば、まだしも国民のために耐えられる。だが、同じ国民同士の戦いなど、醜悪過ぎて見たいものではない。だから彼女は焚きつけたのである。彼女の言うように、シルバーを撃破して国会を掌握すれば、多くの将校は靡くであろう。これは事実である。それを明確に指摘する事で、いくらか不安に思っているイーグルを奮起させ、シルバーとの決戦の覚悟を付けさせる。彼女のしたことはそういうことだ。しかも、保身のために彼女は常に国会に従う、とだけ述べており、イーグルに加担するとは一言も言っていない。
「今のやり取り、しかるべく保存するように。」
その動画は最終的にどちら側が勝つとしても都合がいい。イーグルが負けても、シルバー大佐のために決戦に誘導した上で、しかもイーグルに加担せずに国会に従うと言ったと言えるし、イーグルが勝てばその場では味方できなかったが国会を掌握したイーグルには従うと宣言しているも同然だからである。どちらに対しても良い分は通るものだ。彼女自身の事だけに限らず彼女に問題があれば部下達、或いは国民たちにも被害が及ぶ。慎重であることは重要であった。
「了解しました、セレーナ少佐。」
「国にとっては、どちらが勝とうと、さほどの違いはありませんわ。我々は地球方面軍の分を守れば十分。私自身も伊達幕府武官としての分を守ります。」
結局、ただの内戦である。最終的にどちらが勝っても、主だった指導者はあまり変わりは無いだろう。主な方針こそ変われど、人が概ね同じならどうとでもなる事だ。
「さぁ、我々は各隊を派兵し海賊やゲリラを討ち、降りた軍を中軍に備え進み、広報宣伝によって民心を得るのです。それこそが伊達幕府の益となるでしょう。」
セレーナ少佐の行動指針には一点の曇りも無く、従来方針を貫き通すだけであった。
「やはりセレーナは味方につかなんだ……」
通信室から離れ、自室に戻ったイーグルがそう漏らす。懐刀と言われたモガミ中佐が味方に付かなかったという報を受けた時よりも、遥かに気落ちしている様子であった。
「イーグル様、セレーナ少佐より目下の敵であるギン殿を討つことが大事では?」
腹心であるサタケ元少佐の息子、サタケ大尉がそういう。サタケ元少佐はイーグルに従い多くの戦場で勝利を重ねてきた勇将である。彼の息子であるサタケ大尉は将器としてはいくらか父に劣るが、パイロット適正が高くサイクロプス隊師団長として充分な才能を有していた。だが、配属が木星という事もあって、実戦での教育がしきれていない。また地球圏に配属されたことも無いことから、セレーナ少佐の実力について懐疑的に思っている人物であった。
「面識のない主にはわからんのだ。ギンを討つことは確かに重要じゃ。あれはまさに項羽の如く天下に覇をなし得る勇将であるからの。しかし、セレーナは高祖劉邦の臣下、蕭何と韓信を合わせたような逸材ぞ。あれを得れば戦わずしてギンに勝てるわい。得られぬは惜しいことよ。」
イーグルのセレーナ少佐に対する人物評はほぼ激賞と言っていい。中国史で最高と言われる宰相の蕭何、国士無双と知られる名将韓信を引合いに出して劣らないと言うほどである。流石にそれは過剰ではあるのだが、蕭何的な才能が不足するイーグルからすると、そう言っても惜しくはないほどの人物であった。シルバー大佐に対しても政治面を全く評価していないことを除けば、軍人としての評価は充分高い。
「しかし、たかが一人の将で戦いは決しますまい。」
一人の将軍の違いで、全てが変わったらたまらない。サタケ大尉はそう言いたいのである。
「ギン程度ならばな。じゃが、セレーナともなれば違う。今は太陽のようなギンの影に隠れる月のような存在じゃが、あとでわかる。サタケの息子よ、死に急がず、良く、見ておけよ。」
だが、イーグルが伝えるのは、将の違いで大きく違う、という事であった。