第07章 地球方面軍司令代行の選択 01節
星海新聞
宇宙世紀0279年4月18日
新地球連邦東南アジア連合フィリピン方面総統ハーディサイト中将率いる軍団と、新地球連邦政府所属日本協和国伊達幕府軍元帥伊達大佐率いる義勇軍が地球衛星軌道周辺にて交戦。ハーディサイト中将は伊達幕府を討伐し、地球圏において屈指の勢力圏を築くと多くの軍事関係者からは見られていたが、本日の会戦にて戦死したと噂されている。また、伊達幕府執権の石谷王も重傷。今後のミリタリーバランスが注目される。
「シルバー大佐、戦勝おめでとうございます。」
司令室でそのように祝いの言葉を述べるのは、伊達幕府宇宙軍師団総長のラスター大尉である。どちらかというと事務屋向きの彼が師団総長の大任を務めているのは、猛将型の伊達幕府軍人たちの中では最も理知的な分類に入り、諸将の抑え役としての実績が多かったためである。先の会戦ではその軍権をシルバー大佐に委ね、現在ではその幕僚の1人として働いている所であった。
「うむ。しかし喜んでもいられませんね。地球方面宇宙軍の戦力は激減。私も木星に戻って戦力を整える必要があるでしょう。と、なれば、この宇宙軍を誰に任せるかが最も重要なところです。ラスター大尉、流石に貴方ではこの戦局で生き延びられるとは思えませんし。」
「申し訳ありません。」
シルバーの辛辣な物言いにラスターは謝るが、シルバーも悪意があって言っているわけではない。伊達幕府の勢力が激減し木星に撤退するような状況の中、僅かな戦力で宇宙軍を維持するというのは、はっきりいって無理と言っても過言ではない程難易度の高い任務であったからだ。シルバーも、それが許されるのであれば自分自身で采配を執りたいレベルの問題であった。
「ラスター大尉には大尉の分と言う物がありますから、謝る必要などありません。最低でも中佐クラス、叶う事なら1国の元帥クラスの力量が必要とされる問題ですからね。」
それもこれも、微妙な軍事バランスの中で、政治的判断も謀略外交も必要になるからである。
「ところでシルバー大佐、戦後処理はどうなさいますか?」
「戦後処理はクラウンとセレーナに任せました。大将が自らやるほどの仕事は少ないでしょう。しかし、雑務は部下達がやってくれるといっても、重要な決断は私がしないとなりませんが。」
戦後処理は戦死者名簿の作成、保証額の算出、兵力の補充、指揮系の復旧など、基本的には事務仕事である。クラウン中佐に任せられているのは特に財務面の諸処理や諸国との折衝であり、セレーナ少佐に任せられているのは兵力の補充などに関する軍事力の復旧作業であった。このあたりは彼らの配下武将の特性に拠る所が多い。クラウンの配下には政治経済系の文官が多めに配置されており、セレーナの配下にはカリスト大尉等の戦場での実務官が多く配置されているためであった。
「そういいながらもだいぶ暇そうですが……」
ラスター大尉がそういうのも無理はない。決裁印を玩びながら書類を眺めるシルバー大佐は、どうみても暇そうである。
「戦闘がありませんとね。」
そう言い放つ彼女は基本的には戦闘狂の将軍であり、事務仕事に興味が無いからである。
「……。」
「ラスター大尉、私は書斎に戻りますので、後の庶務は任せますね。決裁印は置いておきますから、セレーナとクラウンの決裁印が捺してあるものには全部私の決裁印を捺してておいてください。それ以外はまとめて横に置いておくように。」
「……了解いたしました。」
人の才能と言うものには色々なものがあるが、ラスター大尉が得意なのは事務仕事であるから、こういう場合には重宝されるのであった。
書斎に戻ったシルバーではあるが、別にただ休憩をしたいというわけでは無い。混迷の情勢下の中、誰に地球方面軍を任せるかは重要な要素であった。誰に任せるか決めてしまえば、残っている事務仕事はその者に押し付けてしまえばいいのである。
「クラウンも優秀なのですが……」
シルバー大佐はカナンティナント・クラウン中佐についてつらつらと考える。クラウン中佐はカナンティナントの父で火星方面軍軍団長を務めるマーク・クラウン中佐と彼の2名が居るが、一般にクラウン中佐と称される場合にはカナンティナントの方を指している。これは既にマーク中佐が王族当主の席をカナンティナントに譲渡しているため、カナンティナントがクラウン家を代表する人間であるからであった。このクラウン中佐は役職としては伊達幕府軍の副司令を務め、地球圏の主力部隊を統括すると同時に、火星圏、木星圏にもその睨みを利かせている。そんな彼であるが年齢はまだ若く、今年で28歳に過ぎない。だが18歳から戦場に立つ彼の実戦経験は10年とそれなりに長く、サイクロプス隊の指揮もそれなりに執れるし、艦隊運用に関していえば他の軍団長達と比べ守勢よりではあるが大軍であればあるほど優勢で安定した采配を見せる将軍である。特筆する点としては兵站後詰の手腕であり、これはシルバー大佐にも勝る能力で、これらを得意とするセレーナ少佐にも勝る実力を有している。それら1国の大将が務まるほどの軍才に加えて、その政治外交力も卓越しており、幕府軍と幕府政府、朝廷、関係諸国との取次等、一手に担える程の鬼才であった。ただ、その彼を引き立てたのはシルバー大佐ではない。彼の才能を見出し抜擢人事で中佐まで押し上げたのは先の執権イーグル・フルーレである。シルバー大佐とは8歳も歳の離れている彼は、元々はイーグル・フルーレの後継として幕府軍を統べるべく教育されてきている。にも拘らず、そのクラウン中佐に勝る軍才を持つシルバーが、伊達幕府の正統成る支配者として彼を押しのけて総司令に就任したわけであるから、クラウン中佐の忠誠心を期待する事は出来なかった。またさらに加えて言うならば、彼の父であるマーク・クラウン中佐は伊達幕府軍火星方面軍司令を務めている。そして、彼は伊達幕府の経済を握る巨大企業CPGの大株主の1人であり、また名誉取締役でもあり、そこからは莫大な利益が生み出されている。そう考えれば、地球圏、火星圏の軍勢を経済面や政治外交面にも強いクラウン家に預けるというのは、危険と言えば危険と言える問題ではあった。
「ヘルメス少佐もまた捨てがたい。」
続いてヘルメス・バイブル少佐について考える。ヘルメス少佐は準王族バイブル家の出身であり、幕府軍副司令カナンティナント・クラウン中佐の妻である。王族ではその直系の一族が軍務につく義務があるり、バイブル家の場合はヘルメスに女神補正があったため、彼女を女神隊に入れるべく育て、2人の兄は政界と財界に送り込んでいる。そういった家の方針の中、彼女は女神隊に士官として入隊し、その出自、卓越した采配、比類無き智謀からとんとん拍子に出世し、女神隊軍団長になった。その後、シルバーが女神隊軍団長へ配属される都合で、幕府軍士官へと転向し、首都防衛軍軍団長へと配置された。戦歴については武名ほどには多くはないが、なにしろシルバーやセレーナが軍を指揮するようになるまで幕府唯一の女性将軍であったこともあり、『現世の巴御前』として内外に持て囃されている。もちろん、そう言われるだけのパイロット能力、サイクロプス隊指揮能力を兼ね揃えているし、艦隊指揮についても並みの将軍以上には統率が可能である。だがしかし、シルバー大佐にとってみれば彼女を重用する事に懸念が無いわけでは無い。謀略家であるヘルメス少佐の考えはシルバー大佐をもってしてもはっきりとわかるわけでは無く、彼女の行う敵への謀略においては、その諜報網や資金源を把握し切れているわけでは無い。彼女の兄であるアース社社長の資金、あるいはもう一人の兄の政治力が背景にあるため、政治力の乏しいシルバー大佐にとっては理解しがたい部分が多いのである。彼女の戦争指揮の特徴は謀略戦にある。元々バイブル家はイシガヤ家と関係が深く、CPG社の有力株主の1家で、代々CPG社の重役を任される一族である。このため、イシガヤ家とCPG社の私設隠密部隊黒脛巾への指揮権限を有し、諜報活動、扇動工作、破壊活動などを行う事も可能である。軍とは異なる諜報能力を持つ、此の事に一抹の不安を持たざるを得ないのであった。
「だが、セレーナと言う手もある。」
もう一人の有力な軍団長であるセレーナ・スターライト少佐について思案する。セレーナ少佐はシルバー大佐の友人でもあり、もっとも頼りにしている将軍の1人である。彼女の父母はフィンランド系の移民第一世であり、イシガヤ家に出入りする商家の娘である。大和民族ではないが、生まれも育ちも伊達幕府領であり、父母が伊達幕府の風習への同化に積極的であった事から、言語身振り等は大和民族以上に大和民族である。彼女が登用された経緯には多少曰くがある。まだ10代も前半の頃、イシガヤ家主催での取引商社を集めた懇親会でイシガヤが彼女を見初め、言い寄った事が事の発端であった。その話自体はセレーナ自身が強硬に断り破談になったが、知略と豪胆さを買われイシガヤ家の推薦で幕府参謀候補生として軍学校分校への入校が決まった。分校は幕府有力氏族の子弟やその家人が特に要請を請け入校する士官学校であり、その当時はイシガヤ家家老のオニワ長老と、ダテ家家老のカタクラ長老が教鞭を取っていたのである。このため、オニワ長老からは軍政、カタクラ長老からは戦術を学び、特に伊達幕府軍の幕僚候補として将来を進める事となった。卒業後は伊達幕府軍遊撃隊司令を務めていたカタクラ長老の参謀部付きで軍役につくことになる。この時期、連邦軍の要請で他国への援軍に向かうことがあったが、その戦役で指揮官としての度量を見せ、また女神隊に必要な適正も発見されたことから、女神隊士官に転属しヘルメス少佐の指揮下で艦艇指揮を執る事となった。シルバー大佐が初めて総指揮官として采配を振ったオーストラリア会戦においては、イシガヤの勧めでこの副司令官となり、彼女の采配と度胸によって勝利を納めている。その功績は大きく、若年ながら女神隊軍団長に昇進。以降は伊達幕府軍の遠征軍指揮官として、女神隊・遊撃隊を束ね、イシガヤ、カリスト、ヤオネ、クスノキ、カタクラ、オニワ、サナダなどの若手有力諸将と伴に戦場で勇名を馳せる事となったのである。その軍才は鉄壁将軍、鉄壁の姫将軍と綽名されるに相応しく、野戦築城や防衛戦に長けており、艦隊戦においても幕府軍海軍軍団長クキ少佐にすら賞賛されるほどであった。遠征軍の経験も多く軍政についても優れているが、彼女を地球方面軍指揮官として残すのにもネックが無いわけではない。彼女は王族と親交を持ってはいるが王族ではない。このため幕府の威信を担うには些か身分が軽いという問題があった。また、女神隊指揮官という点もネックではある。女神隊は正式には幕府軍とは言えず、天皇及び国会の直属軍であり、その命令系統は厳密には同じではないのである。場合によっては暴走する幕府軍に対抗する軍という立場が、女神隊であったからだ。
「それと……」
シルバー大佐はクオン・イツクシマ曹長について考える。が、しかし考えるまでも無かった。クオン曹長は民間の出身で、イシガヤの側室である。軍事的には幕僚としての能力が高く、女神隊の参謀として軍役についている。しばしば遊撃隊参謀長、本陣の参謀長を務めるほどで、その戦術判断の鬼才は、シルバー大佐に劣るものではない。しかしながらその階級が示す通り、指揮官としての才能にはそれほど恵まれているわけではない。女神の加護を受けた上でのパイロット能力は高くその戦術判断も優れている事から、サイクロプス小隊の指揮や臨時の軍事指示を行う事もあるが、指揮官としては必要とされる危機的状況での度胸と傲慢さが不足している。一方で特殊な要素があるとすれば、その容姿がシルバー大佐に似ている、という所である。髪型を変えればそう親しくない人間には、まったく見分けが付かないほどであり、幾度か影武者として活動したことすらもある。だがいずれにしても、地球方面軍司令を任せるには力不足であった。
「ヘルメス少佐……ヘルメス姉様相手では、呼びつけると言うわけにも行きませんしね……。」
地球方面軍司令をヘルメス・バイブル少佐に決めたシルバー大佐が呟く。ヘルメス少佐と言えば軍人としては彼女にとっては大先輩にも当たるし、幕府重鎮に女性将軍を多く登用できたのも彼女が道を拓いたから、という面もある。女神隊軍団長として、その後転属して防衛軍軍団長として彼女が活躍していなければ、女神隊軍団長としては後任となったシルバー大佐の昇進も時間がかかった可能性も高く、さらに後任としてセレーナ少佐を配置できなかったことさえ考えられるのだ。防衛軍軍団長となってからは日本国周辺での任務が中心で遠征に出ることはなくなったが、その功績は計り知れない。加えて言えば、王族・準王族の中で、同じ女性としてよく面倒を見てもらった事実すらある。
「では……私の方から出向きましょうか。」
そうシルバー大佐が部屋を出ようとしたところで、一人の女性と出くわすこととなる。