第04章 石狩・釧路沖会戦後
伊達幕府の領地である北海道には、幾つかの軍事基地がある。釧路軍港、帯広野営地、石狩軍港、函館軍港、苫小牧基地、旭川宇宙軍基地……と、言うより、伊達幕府における地球領は、あくまで地球圏における足場にしか過ぎない。居住を許可されている者も、一部のアイヌ民族と旅行者、軍関係者、政府関係者のみである。また、首都も仙台にあるが……これもまた日本に所属するためだけの便宜上のものに過ぎない。実質上の首都は、木星コロニー”敷島”にある鎮守府である。
「カリスト大尉、お疲れさまでした。」
石狩より旭川基地に移ったカリスト・ハンター大尉に女性下士官が声をかける。
「クオン曹長も避難民の護衛ご苦労さま。」
名前をクオン・イツクシマといい、階級は女神隊の曹長ではあるが、しばしば総司令シルバー・スター大佐付きの参謀総長や女神隊、遊撃隊の戦術参謀を務める智謀を有した女性である。ただ、戦術指揮においては指揮能力及び人望に優れているわけでは無いため、せいぜいサイクロプス小隊長を務める曹長が彼女の階級となっている。”女神の加護”を大幅に受ける特性を持っており、ガディス・システム搭載のサイクロプスに乗る限りにおいては、幕府内でも屈指のパイロット能力を有してもいる。そして、幕府執権タカノブ・イシガヤの側室であり、また容姿が似ていることから総司令シルバー・スターの影武者を務めてもいる。
「セレーナ少佐ではなく、カリスト大尉がこちらにいらっしゃるという事は、中々悲惨な状況ですね。現在避難シャトルを随時発進させていますが……大尉は地下ドックへお越しください。」
そのクオン曹長はけだるそうにそう申し伝えを行う。あからさまに面倒臭そうである。
「これは……」
そのクオン曹長に案内されてドックにたどり着いたカリスト大尉が絶句する。眼前には巨大戦艦が鎮座しているのである。見るからに推定200メートルは越えており、その2連装主砲は40センチ級もあろうか。
「旧長門級超弩級戦艦『朝凪』と『夕凪』です。老朽艦ですが、整備は万全です。」
「こんなものがまだ有ったの!?」
カリスト大尉が驚くのも無理は無い。旧長門級戦艦は先に石狩湾で沈んだ長門級戦艦長門の前に使用されていた伊達幕府の旗艦級の艦艇であり、既に使用されなくなってから10年近くは経過している。カリスト大尉も子供の頃にテレビで見たのが最後である。
「性能面は現行でも第一線を勤める事が可能です。維持費の問題で長門と入れ替えて廃艦されたものの、イシガヤ家が隠匿していたようです。」
その言い方ではイシガヤの側室であるクオン曹長は知らなかったようである。元々クオン曹長は政治向きの事には興味が無いためやむを得ないことなのかも知れない。
「隠匿っても限度が……」
そうは思いながらもカリスト大尉はそう呟く。こんなに馬鹿でかいものを隠して見せるなど、正気の沙汰とは思えないのだ。そのように愕然としているカリスト大尉を尻目に、興味無さげなクオン曹長が淡々と報告を続ける。
「大尉には夕凪の指揮をして貰えれば幸いです。朝凪はオニワ大尉が指揮をとっています。20分で出撃準備が整います。敵の追撃に備えて避難シャトルの後詰をお願いします。」
「それはそうだけど、シルバー大佐の方はどうなの?生きていて欲しいけど、もしかしたら戦死してるかもしれないし……戦況が。」
「総司令が死んでも、国が無くなるわけではありません。死んでいようと生きていようと、この撤退は遂行しなければなりません。現在、ナイアス・ハーディサイト中将の追撃に備え、シルバー大佐の指示で宇宙軍を再編成中です。もしシルバー大佐がご存命で指揮をとられる場合は当然ながら、もし亡くなられていればカナンティナント・クラウン中佐が、さらにクラウン中佐が亡くなられれば、既に高齢で退役されているカタクラ元少佐が指揮を引き継ぐ予定です。」
「戦略的なものは?」
「それは存じ上げません。」
カリスト大尉はクオン曹長に色々と尋ねるが、クオン曹長はしぶしぶといった様子で対応しているに過ぎない。結局のところカリスト大尉は怯えているのであって、その気を紛らわせるために状況確認をしているだけなのだ。先の石狩海戦では多くの将兵を失い、凄惨な光景を見て、友人であるセレーナ少佐も重傷を負って意識不明なのである。
「それでは私見ですが。シルバー大佐がご健在なら積極案が採られると思います。」
落ち着かせる為にはやむなしといった様子でクオン曹長がカリスト大尉に思案を披露する。本来は戦術参謀である彼女が戦略や政略を語るというのは果たしてどうかというところはあるが、これらはイシガヤやシルバーの語った所であり、必ずしも彼女自身の思案というわけでもない。私見というのは正確なところではないからである。
「これは、シルバー大佐が若く、また軍事に精通しているからです。伊達幕府の資源を背景にして一大攻勢に移ることも不可能ではありません。」
伊達幕府の木星領における資源量や生産量は世界的にみても相当な物である。単独でサイクロプス4000機を越える戦力を有するのは実際伊達幕府くらいなものだ。
「うん、そうかも。」
その内容に、カリスト大尉は希望を見出したのか少し落ち着いた素振りを見せる。
「もしシルバー大佐が亡くなられてカナンティナント・クラウン中佐が総司令に就任されたなら、十数年後の地球復帰を目指し富国強兵と外交戦が展開されると思います。これは、クラウン家が政治経済に精通していると伴に、中佐の慎重な性格のためです。」
「なるほど。確かに、中佐の奥さんはバイブル家のヘルメス少佐だからね。お兄さんにCPG・Earthの社長と、伊達幕府財務大臣の2人が居るから……。納得。」
クラウン中佐も決して軍事能力に劣るわけではないが、石橋を叩いて渡る性格の為であろう。
「カタクラ元少佐が総司令に就任されたなら、富国強兵が優先事項となり地球復帰は未定になると思われます。これは、カタクラ元少佐がご高齢のため年数が経てば第一線指揮が不可能になる可能性が高く、前線指揮を代行する若い指揮官が不足するためです。地球戦経験者でかつ優秀なヘルメス少佐、クキ少佐、リ少佐、セレーナ少佐がその際生きていれば任じられる事も考えられますが、どなたも一長一短です。」
ヘルメス少佐は、サイクロプス戦指揮能力は優れているが、艦隊戦指揮は並よりは巧い程度だ。準王族であり総司令の資格はあるが、全体的に能力が不足している。クキ少佐は、戦闘指揮官としては剛胆で優秀だが、しかし攻撃に性格が偏っている上に、年齢も若いとはいえない。リ少佐は、戦闘指揮官としてやや臆病であり、戦術判断は的確だが戦略判断が甘いし、年齢もクキ少佐と同年代である。セレーナ少佐は、指揮官として欠点は無く総司令足る能力を持っているが、若く、実績が不足している。
「ん、確かにそうかも。わかったわ。クオン曹長ありがとね。私はオニワ大尉のとこ行って来るわ。」
「了解しました。」
カリスト大尉が落ち着くまでは、面倒ながらもイシガヤの名代として夕凪の指揮を執らねば、と嘆息するクオン曹長であるが、
「各員整備いそげ。」
と、一声掛ければイシガヤ家に属する整備兵達が処理をしてくれるものである。それらを紅茶でも飲みながら眺めているのが管理者の役目だ。そう適当に言い訳しながら地球から離れればしばらくは飲めないであろう、インドから取り寄せたダージリンのオータムフラッシュの残りを楽しむばかりであった。
「クオン様、マキタ少将から連絡が!」
それを台無しにするべく、黒脛巾の衛兵がそう声を上げる。
「私?オニワ大尉に繋げばいいでしょ。あの人は準王族当主なんですし。」
「いえ、クオン様にと。」
「わかりました。」
わかったと言うが、顔はあからさまに嫌そうである。彼女は基本的に政治向きの事は詳しくなく興味もなく、関わりたくすらないのであるが、呼ばれてしまったのであれば致し方ない。望んでなったわけではないが、イシガヤの側室としての責務もあるのだ。
「これはイシガヤ婦人、ごきげん麗しく。」
「西国鎮守府であらせられる、槙田右大臣宗次少将閣下のご尊顔拝謁奉りまことに恐縮です。」
槙田宗次は、日本協和国西国鎮守府職と右大臣を務める人物である。連邦政府からは少将に任じられており、主に日本京都以西の統治を行っている王族の1人だ。小柄だが細身で優れた容貌をしている40歳半ばの人物で、政略智謀についてはそれなりに長けている。現状彼の領地がハーディサイト中将からの攻撃を受けているわけではないが、状況確認の為に連絡してきたのであろう。
「イシガヤ婦人、そ……」
「閣下、私は石谷の名乗りを許されていませんので、厳島と。」
「では厳島図書少允久遠殿、貴国の危機に当方は現状未だ支援できずに申し訳ない。石谷関白殿と伊達大納言様によろしくおとりなしを……」
マキタ少将が下手に出るのもやむを得ない所である。イシガヤの側室であるクオンそのものには大した力は無くとも、伊達幕府とイシガヤ家の有する経済力は日本協和国内の経済活動には無くてはならない物なのだ。東国鎮守府を務める王族の多喜左大臣一氏中将などは援軍まではしないでも、直ちに演習と称して主力部隊の展開を行いつつあり、青森と宮城周辺で伊達幕府の民間人と敗残兵受入れの準備を整えつつある。それに比べて、未だに行動しかねている槙田少将の立場は些か悪い。
「承知しました。」
面倒事なのでとりあえずクオン曹長はそう答える。
「ですが、私は政務官ではありません。御二人とも聞き捨てになさるでしょう。」
「ありがたい。しかしながら貴女はイシガヤ王の寵姫であられる。聞き捨てにするなど……。いずれにしても、宜しく御伝えください。貴女に御子がお生まれになった際は……」
「政権に興味はありません。用件はそれだけでしょうか?私も閣下のため、夫とシルバー大佐にその件お伝えいたしますが、そういったことは政務官におっしゃられるのが最適です。」
「そうですか……ですが、なにとぞお願いいたします。」
「善処致します。」
そのようにあしらわれたマキタ少将は、
「戦況に混乱しており、非礼申し上げました。それでは、ごきげんよう。御武運を祈ります。」
そのように社交辞令的な事を残し通信を切る。
「ごきげんよう。私も、閣下の御武運をお祈り申し上げます。」
クオン曹長にしてみればそんな事を言われたところでどうにもならないし、面倒なだけのことに過ぎないのだ。溜息をつきながら冷めてしまった紅茶に手をつけたところ、しょぼくれた様子のカリスト大尉が戻ってきたようである。それをみて再度溜息をつくクオン曹長であった。
「お帰りなさい、カリスト大尉。」
「クオン曹長ただいま〜。浮き足立ってたわ、私。」
「そうですか。」
みればわかるという風にあしらうクオン曹長であるが、普段ならその態度に気がつき多少は非難くらいするであろうカリスト大尉は全く気がつく様子も無い。
「なんかすることある?」
「ありません。」
「ねぇ、私にも紅茶、入れてきてもらえる?」
「ムリです。」
「……ぇ?」
「それについては衛生兵に頼んでください。」
面食らったような顔をするカリスト大尉に、クオン曹長は辛辣な物言いで続ける。確かに戦術参謀であり、また兵站管理事務や小隊指揮を行う彼女の役割では無いというのは正しい。
「……わかったわ。私何してたらいいのかな?」
諦めたようにカリスト大尉がそう言う。あまりに辛辣に扱われたためいくらかは冷静に戻ってきたのだろう。別にクオン曹長はそれを意図して言っているわけではないのだが、人を怒らせる事は割と優秀な彼女であった。
「艦長席にお座りになっていればよろしいのでは?」
「それだけ?」
「はい。現在艦隊は整備中です。艦が起動するまで指揮官のすることはありません。」
クオン曹長はそう言い捨てる。実際彼女がそうであるように整備兵が整備を完了するまですることなどは無い。
「ねぇ……」
それでもなおカリスト大尉がクオン曹長に尋ねようとする。
「……ソラネはいますか?」
クオン曹長がソラネを呼ぶ。ソラネは表向きイシガヤの侍女長であるが、古くからの側室である。またイシガヤ家の家宰としてGPGへの影響力を有している。
「はい。」
そして、呼ばれて返事をしたのはソラネ・イシガヤと呼ばれる10代の少女である。幼い容貌に似合わずその瞳は鋭く深い色を湛えている。軍事に特化したクオン曹長と異なるとすれば、彼女は軍事に疎い代わりに家政・財務に優れているといったところであろうか。
「カリスト大尉はお疲れのようです。メリッサでも差し上げて。」
メリッサのハーブティーの効能は鎮静作用である。
「カリスト大尉、貴女は冷静では無いようです。司令官は、部下に細事を任せればよろしいでしょう?大尉は艦長席にどっしりと構える。この最悪な状況でこそ、それが重要です。今の大尉を見た兵は、打つ手さえもなく指揮官が焦っていると感じるでしょう。兵を不安にさせてはいけません。」
そう諫言を受けたカリスト大尉は、ハッとしたように態度を改める。取り乱していたとはいえ、彼女は伊達幕府内で知らぬものなど居ない艦隊指揮官なのである。そこまで直言されて判らないものではない。
「そうね。私がどうかしてたわ。」
「セレーナ少佐がご負傷されたそうですし、気持ちは解りますが……そのようにお願いします。」
「えぇ。」
そう答えてカリスト大尉が艦長席に腰を据える。もう動かないぞというつもりなのか、衛兵に座布団を持ってこさせるあたりが彼女らしくはあるが。
「イツクシマ曹長、ヘルメス・バイブル少佐から緊急連絡です。」
さりとて戦況は緊迫が続いている。
「なに?繋ぎなさい。」
通信兵の緊張した声に疑念を抱きつつ、クオン曹長がそう答える。
「石狩方面のヘルメスです。クオン曹長、ヤマブキ曹長が30分ほど前に石狩戦で戦死した。以上。そちらの件は任せます。」
石狩方面でサイクロプス隊を率いて防衛に当たっているヘルメス少佐から、端的にそれだけの連絡がある。先の連絡では敵は撤収したとの事であったが、その中での出来事であろうか。ヤマブキ曹長といえば総司令シルバー・スター大佐の妹であり、タカノブ・イシガヤの所に押しかけてきて側室になった女性だ。無論、同じく側室であるクオン曹長は同じ邸宅に住んでいて、同じく女神隊士でもあり、良く顔を合わせる女性であった。身近な人物の戦死というのは、非常に衝撃である。
「カリスト大尉、悪いお知らせです。」
「クオン曹長、どうかした?」
「王族にして総司令の妹君である、ヤマブキ・スター曹長が戦死なさいました。30分ほど前、カリスト大尉があちらを発ったころですね。」
しかしそんな衝撃など露知らぬかのように、クオン曹長はそう淡々と報告する。重要なのは心境ではなく戦況である。
「えぇっ!!!?敵は退いたのに!?」
それとは対照的に、カリスト大尉が大声をあげて驚く。
「いたっ!!!」
と、同時に、クオン曹長に足を踏まれ、悲鳴とともにうずくまる。
「大尉、兵民の不安を煽ってはなりません。」
「わ、わかったわ。」
涙を堪え……きれずに滴を零しながら、カリスト大尉が急ぎ取り繕う。
「隠した所で兵にも風聞は伝わるはずです。動揺を抑えなければなりません。」
「そ、そうよね?」
「えぇ、そうですね。ではどうぞ。」
「なにこれ?」
そう訊ねるカリスト大尉には、クオン曹長からマイクと原稿が手渡されている。走り書きではあるが、このやり取りの間に文書を作成していたのだから流石である。
「大尉のお仕事です。」
要は、兵達に先に情報を知らせながら、且つ鎮静化させて、士気を更に挙げよと言うことだ。戦争であり、且つ劣勢である以上は、使えるものは死人でも使わざるを得ない。
「こちら女神隊副軍団長、カリスト・ハンター大尉です。諸兵に告げる。作業は継続したまま聞きなさい。親愛なる我等が王族シルバー・スター総司令の妹君にして、執権タカノブ・イシガヤ様の御側室、ヤマブキ・スター曹長が戦死なさいました。」
その放送に一瞬にして周囲がざわめく。数多い戦死者を出してきたのであるから戦死報告はすでに慣れたものではあるが、しかし王族の死は特別である。
「私達はこの戦闘で多くの友人や恋人、そして家族を失いましたが、総司令や執権もまた、私達と同様にその愛する人を亡くしたのです。しかし諸君、これは来るべき日への尊い犠牲なのでしょう。今日この日、我々は敵に敗北する……これは覆す事の出来ない明白な事実です。長きに渡り勇名をこの地球に轟かせた我々伊達幕府の将兵は、今日、この日に敗北したのです。」
そう述べるように、この世界において伊達幕府の勇名を知らぬ者など存在しない。それをしみじみと回顧するものだ。
「我々の祖父母の代から戦いに明け暮れ武名を馳せたこの伊達幕府地球方面軍が、私達の代で壊滅する。この屈辱、胸に刻み付けましょう。恥晒しにも国土を失い、そして愛するべきもの達を失ったこの屈辱を……。」
その勇名に傷をつけたのは、正に彼女達の世代なのだ。
「今はただ、一刻も早くこの北海道の大地から離脱しますが……、私達は、必ず、この大地を取り戻すでしょう。例えそれが何年か先であっても、我々はこれまでの栄光と、そして眠れる死者の魂を迎える為に、必ずこの大地を取り戻さなければならないのです。今上陛下も、総司令も、執権も、そして我々将兵も、そして民衆も、ただ今は臥薪嘗胆の時を過ごす事でしょうが、必ず、国力を蓄え、軍備を増強し、経済を発展させ、来るべき日にこの国土を取り戻すのです!亡くなられたヤマブキ様に恥を晒さぬよう、全力でその役目をこなしなさい!我等が行く先には女神の加護やあらん!」
そしてカリストは放送を切る。艦内はやや静まり返っているが、特に動揺は見られず作業は順調に進んでいるようだ。さしあたっては成功であるといえよう。
「お疲れ様です。」
クオン曹長がおざなりにではあるが労いの声を掛ける。
「私、道化って嫌いだな……。第一、私で務まったの?」
カリストがそういうのも無理は無い。確かに現在生き残っている指揮官級の中は上位には位置しており、一部からはその用兵を神速と評される彼女ではあるが、だからといってカリスマがあるとかそういうわけではない。
「どうでしょう。」
「『どうでしょう』って……。準王族のオニワ大尉のほうが良かったんじゃない?」
「そうとも言えません。オニワ大尉は、準王族という理由だけでカリスマはあります。ですが、カリスト大尉は女神隊副軍団長という特別な存在です。大尉も女神隊の意味の価値をご存知でしょう?」
女神隊は伊達幕府軍の中で最も特殊な存在である。その所属自体が幕府軍は無く、伊達幕府政府直下に付随する軍なのである。平時においては便宜上幕府軍の指揮系に入って居るが、予算会計や人事権は別枠であり、有事となれば幕府軍の命令に従う必要も無い。本来の役割は日本協和国国民の意思を尊重し、且つ、幕府軍の暴走を抑制するための軍事組織であるのだ。それ故に、国民からは伊達幕府軍以上に尊敬される軍であるのだ。
「女神隊の主要構成員は『女神の加護』に由来する、ガディス・システムに選ばれた者のみが隊員となれる特殊な軍です。女神の加護は我々の軍事作戦において、数多くの奇跡とも言える力を示してきた為に、国民から受けるその信仰は篤いと言えましょう。その中でも、カリスト大尉は民間のしかも貧困層出身でありながら、僅かに20歳で女神隊大尉となり、その采配は諸兵から神速と称される指揮官ですから、生まれながらの王族であるオニワ大尉よりは皆さんの共感も得られるでしょう。」
「そ……そうかなぁ……」
「多分。」
「多分って……。もう少しこう、御世辞でも良いから考えようよ……」
「そのうち考えます。ともかく、夕凪の準備は整いました。全軍の帰還を待ちましょう。」
クオン曹長がそう促す。それは単にお世辞など面倒なので言わないという意思表示ではあるのだが。
「クオン曹長、それは不要です。」
そのクオン曹長の発言を、後ろから唐突に現れた女性が制止する。
「シルバー大佐!?ご無事で何よりです!」
その姿にカリスト大尉が声を上げるのも無理からぬ話だ。釧路沖でハーディサイトの軍勢と交戦していたはずの総司令シルバー・スター大佐の帰還である。戦闘と脱出の混乱で情報統制が効いていない状況ではあるが、まだ釧路沖の友軍艦艇の帰還など聞いていない。
「驚かせてごめんなさい。通信機が壊れまして、釧路沖からアマテラス単機で来ました。」
「いや……それは驚きです……。」
「アマテラスは速度が出ますからね。釧路沖は後退させた双海級双海を除いて艦艇はほぼ全滅です。タカノブは意識不明ですが、命に別状は無く残存将兵と伴に仙台に退かせました。」
「全滅……」
「ヤマブキの事は後で聞きましょう。クオン曹長、朝凪、夕凪の準備は整っていますね?これらは伊達幕府が接収します。タカノブの正室である私の命令ですから、否は無いはずです。」
シルバーが淡々と述べる。現状においては、妹の死を嘆いている時間など無いのだ。一刻も早く国民の脱出と残存軍の撤退を完了させなければならない。イシガヤの生存について言及したのは、此処にクオン曹長やソラネが居る事もあるが、同時にその正室であることを正当な理由として朝凪、夕凪を掌握する為である。夫の不在中、その権利は妻が行使するというやや乱暴な理屈である。
「承知しました。準備は完了しています。」
「よろしい。決戦に間に合わなかったのが痛手ですが、この弩級戦艦があれば体裁は整えられます。カリスト、貴女は引き続き夕凪艦長役を務めなさい。我々は戦後処理が忙しい。」
「わかりました。」
「クオン、将兵に指示を与えますから、放送の準備とマイクを。」
「承知しました。大佐、マイクです。」
クオン曹長が急ぎ準備を整える。流石に通信兵に言えと言えるものではない。
「親愛なる将兵達に告げる。私は総司令シルバー・スターである。今ほど釧路沖から帰還した所だ。さて、本諸作戦において親類知人を失った諸君の心痛察するに余りあるが、ここは北海道の地を棄て、我々の本拠である木星に向かう事とする。敵の追撃も予想されるため、一旦、宇宙要塞イザナミ・イザナギに寄り、敵の動向を見据えよう。幸いにも、貴官らも知っているように、この戦艦朝凪と夕凪は、かつて伊達幕府の武勇を各国に知らしめた有力な艦艇である。この勇名を辱めないよう、各自努力せよ。夕凪はイザナミ・イザナギに直行するが、朝凪は参謀本部及び石狩からの撤退兵を収容するべくそちらへ向かえ。今後についは、既にすべて考慮済みである。諸君、心配には及ばない。では、3分後に発進するから各員急ぎ準備せよ。以上!」
そういってシルバー大佐はマイクの電源を切る。
「大佐、今後って?」
カリストがそう尋ねるのも無理は無い。伊達幕府の地球方面軍が壊滅した今、今後をどうするかは重要なことだ。
「検討中です。タカノブやクラウンの考えを聞かなければならないですから。」
シルバーがしれと答える。
「考慮済みって……?」
「もちろん考慮済みです。これから検討しなければならないということを。」
このような状況で、そう笑みを浮かべて答えるシルバーであった。