外伝 ポンコツ侍女候補、カリストの初陣 02節
二日後
侍女候補達はそれぞれが役割を与えられ、分担して屋敷の掃除などを行っているが、本日カリストの仕事は、ソラネと一緒に書類作業である。何故かと言えば…………、カリストには家事能力が壊滅的に無く、料理の練習ではレシピ通り作っているはずなのにまずいものが完成し、掃除の練習では付近に置かれていた小物を破壊してしまったからであった。……それは選定試験の時点である程度わかっていた事ではあったのだが、それにしても壊滅的だったため、戦力外通告の上、ソラネの手伝いをすることになったのである。
「カリストさんは……、家事が全くできない割に、事務処理速度は抜群に早いですね。計算も正確で、作業効率も抜群です。帳簿処理は私の何倍も速いじゃないですか……」
カリストの作業に対して、驚愕の言葉を漏らすのはソラネである。ソラネは一般人の域を出ないがそれでも頭は良い方で、事務方の仕事はかなり早い方である。
「私計算はめっちゃ得意なんですよね。空間把握も割と自信があります!」
「じゃあ、カリストさんは地図とかも見るの得意なんですか?」
「地図も大丈夫です!女の子は苦手な子が多いっていうけど、私は全然大丈夫ですね。男の人よりも道に迷ったりしないですよ。」
失敗続きであったカリストは、ようやく力を発揮できる仕事をあてがってもらえて、幾らか鼻高々に述べる。
「しかし、侍女にはあまり必要ない能力ですよね。なんで応募してきたのですか?タカノブ様の……」
「側室になりたいとかは一切ないです!むしろ勘弁してください。」
「では何故?」
ソラネが問うのも尤もな事で、応募に使われたカリストの履歴書には、当たり障りのない内容とやる気に満ちた言葉が書かれていたのである。その割に、こうして会ってみると一切そんな様子はなく、なんなら侍女そのものになりたくはない、という雰囲気が出ているのである。
「…………親が勝手に応募しました。」
「あぁ……。」
ソラネがわかったという風に頷く。
「イシガヤ家の侍女になれたらお給料は安泰ですからね……。短期の務めでも年金が結構良いって聞きますし。ウチ、貧民街にあるんですけど、お父さんがお酒飲んでちゃんと働かなくて、家計が火の車で。まぁ、売られたようなもんですかね?」
カリストが自嘲気味にそう言う。
「でもまだカリストさんはマシな方ですよ。私は本当に捨てられたので、親が誰かすらわかりませんし。」
「えぇ…………」
「御屋形様に助けて頂きましたけど、実際ここで重用していただいて衣食住に不安ありませんから、幸運なほうですけどね。」
ソラネがそう言うように、幕府であればともかく世界中で戦争が起きている現状、衣食住が満足に保証されない人々は数えきれないほどに多い。
「じゃあタカノブ様は噂の割には良い人なんですか?」
カリストが問うのは、イシガヤの世間的な評価が悪いためである。家臣を手討ちにしたなどの話も事欠かない、冷酷な人物だ、という評もあるのだ。
「…………良い人では、無い、と、思いますが。」
が、問われたソラネはそう目を逸らしながら応えるため、カリストは内心震えるのであった。
「ここに居ったか。」
彼女達が雑談をしながら書類仕事をしているところ、背後から老爺の声がかけられる。
「これはモガミ長老、ごきげんよう。」
それに対してソラネが慌てて席を立ち、彼に頭を下げる。
「そちらのお嬢さんは……、カリストといったな?」
「は、はいっ!」
カリストも幾らか出遅れ気味に、慌てて頭を下げる。彼に対するソラネの態度から考えれば、相当に格の高い人物だからである。
「そなたは、そこのソラネ以上に女神補正が高かったな。今晩タカノブの閨で待つが良い。」
が、掛けられた言葉は彼女にとって驚愕のものであった。
「えっ、タカノブ様のお部屋にですか……」
「そうだ。21時頃夕飯等を終えてタカノブ様がお戻りになるはずだ。お前はその前に部屋でお待ちするように。ソラネ、お前も邪魔をするな。」
モガミがカリストとソラネにそう伝えた直後、カリストにだけ聴こえるレベルの舌打ちが聴こえる。当然それは彼女の隣からのものだ。
「……モガミ様、承りました。カリストさんをタカノブ様のお部屋に通しておきます。」
流石に古老のモガミを前にしては、新参のソラネでは対抗しようがないのだろう。現状で、木星圏のイシガヤ家譜代の実権を握っているのは彼であるし、役職的にも彼の方が上だからだ。
「えっ、私は嫌なんですけど?」
「カリストさん。」
「痛いっ!」
ソラネがカリストの足を踏んでその発言を止める。流石に分が悪いのだ。モガミは好好爺にも見える外見をしているが、本当に好好爺かどうかとは別の話である。一代でこれほどまでに成り上がった人物なのだから、外見に惑わされてはいつの間にか命すら失っていてもおかしくはない。
「わ、わかりました……。ともかくお部屋でお待ちします………」
「それでよい。悪くは扱わぬ、よく務めよ。」
「いやまって、これってそういうことでしょ!?」
モガミが居なくなってから、カリストはソラネにそう詰問する。そう、あまりの興奮にソラネの胸倉を掴んで、ぶんぶんと前後に振り回す状態で、である。
「……そうですね。」
……が、一方のソラネは目を逸らしながら、そう淡白な返事をするのだ。
「そうですね、じゃないのよ!私はタカノブ様は嫌なんですけど!絶対に嫌なんですけど!だってタカノブ様って小さくて陰湿な感じで嫌じゃない!?……クスノキ様なら、うん。」
「うん、って……。今そんな場合ですか?後、タカノブ様は私には優しいので、私は別に良いです。」
「ソラネさん!こんな時に惚気る場合じゃないでしょ!?」
「えぇ…………」
が、ソラネもドン引きするほどに、混乱しているカリストの発言は幾らか支離滅裂なものであった。
「でも!ともかく部屋に行きたくないんだけど、どうにかならないの!?」
今彼女が頼れるのは、目の前のソラネだけである。考えてみればソラネにとってみれば余計な側室候補は邪魔なはずだろうから、カリストにとっては都合がいい。味方にはなってくれやすいはずだろうからだ。
「モガミ長老の命令ですから、流石にお部屋に行かないわけには行かないかと。タカノブ様にお話しようにも、予定が合いそうになくて…………」
イシガヤは若年ではあるが、両親や親族がいないために王族当主である。このため、朝議などに本人が出席する必要があるなど、それなりに多忙である。加えて、王族としての教育や訓練など、あまり自由な時間はないのであった。
「呼び出そう!」
「それはモガミ様に叱られます……」
カリストの提案はソラネが即時却下する。有事であれば確かに呼び出すという手段も取れるのだが、流石にこの内容で呼び出すわけにはいかないのである。
「あのじじい、そんなにやばいの?」
戦々恐々とした表情で彼女がそう聞くのは、先ほど無礼な態度をとったからだろう。モガミ長老はイシガヤ家にとっては非常に重要な有力者ではあるが、世間的にはそれほど名前を知られているわけではない。だからこそミーハーなカリストが知らなくても致し方のない事ではあった。
「今の私ではどうにも……。」
ソラネが怯えながら聞くカリストにそう申し訳なさそうに伝えるが、
「ですが、そうですね………」
全く手が無いわけでもないのであろう。
「何か策が!?」
「それは…………」
「そ、そろそろだよね。」
カリストは不安げにドア付近の壁に耳をつけて外の様子を伺う。そうは言っても防音製の高い壁であるから外の音などろくに聴こえる訳はないのだが。
「女は度胸!」
震える指を隠すかのように拳を握りしめながら、彼女はイシガヤを待つのである。その時間は1分がまるで一時間かの如く、逸る心と焦燥を感じるのだ。
「……っ!」
はたしてどれ程の時間がたったのであろうか?僅かに扉が開き始める。
「南無三!!!」
直後、彼女の掛け声とともに突き出される拳はイシガヤの顎を掠め、かろうじて回避しかけた彼の鼻骨に直撃したのだった。
「やった!?」
「止まれ!」
が、喜びも束の間、彼女に向けられるのは銃口である。
「はわわわっ!」
「……クスノキ、やめろ。殺意はない。」
鼻血を出し左手で鼻を押さえながら、右手でクスノキを制するイシガヤの姿は様にならないのだが、流石に少女の非力な攻撃には踏みとどまれてはいる。
「……とりあえず、話を聞こう。部屋に入れ。クスノキも来い。……鍵は開けておいて構わん。」
彼は自室に備えられた歓談用のテーブルに彼女を促す。シンプルで装飾も少なく高級には見えない代物ではあるが、天板は防弾ガラスで作られており、有事の盾として使うことも出来る逸品である。
「…………なるほど?」
着席後カリストの行動の真意を問いただしたイシガヤであったが、その理由にはうんうんと頷く。
「モガミのせいだったか。すまなかったな。……確かに当家は血縁が少なく、子供が出来るならその方が良い。加えてカリストは女神補正も高く、才能もある方だから、側室なりにして確かに構わない。……しかしだ。」
「しかし?」
「俺の両親が暗殺されたことはもちろん知っているな?無論、俺も狙われていないわけではない。そんなときに俺をよく思わないものを傍において手篭めにして、それで安全と言えるのか?言えまい?」
その言葉にカリストが頷く。実際、今彼女は殺そうとまではしなかったが、彼を拳で殴ったところだからだ。
「このテーブルもそうだが、椅子もそのあたりの絵画の額縁も、ベッドも、総て防弾性能を持ったもので作っている。俺の屋敷に装飾が少ないのは、戦闘時に邪魔になりかねないからだ。置いてあるものも意匠が少ないが、何れも防弾性能を高めるなどしてあって、必ずしも安物を置いているわけではない。意匠が多いとその凹凸で弾が粘って、変な跳弾をする恐れもあるしな。屋敷そのものも対サイクロプス戦でも簡単には失陥しない程度の装甲は施されている。……上層階のガラス面なんぞは些か脆いが。」
自国だからといって、彼ら王族が命を狙われないとは限らない。特にイシガヤのもつ莫大な資金や権力は、国内外で脅威と想われてもいるもので、彼を殺してしまえば、と、思う輩も相当数いるに違いないのである。
「だから安心しろ。嫌がるなら手を出すことなどない。内通されて俺の命が危険に晒されてはこまるからな。」
「ありがとうございます!じゃあ部屋に戻りますね!」
「いや、それはしばらく待て。」
「えぇ……」
出鼻をくじかれたカリストがよろけながら返事を返す。もっとも、それだけ心の余裕は出来た、という事ではあるのだが。
「それはさておき、カリストの女神補正はかなり高い。当家の家臣になるか、軍学校にいって女神隊に入ってはどうか?」
幕府における女神補正の高い人材というのは、かなり重要な要素である。元々適性者が多いわけではなく、軍を監査する女神隊という軍事組織も、常時欠員が多数で運営されているようなところだからだ。
「軍は怖いです!」
「まぁ、それもそうだな。気が向いたら声を掛けろ。推薦はしてやる。」
今日の今日での事であろうからか、流石にイシガヤもそれ以上の勧誘はしない。
「承知しました。」
「話は以上だ。帰って構わん。」
「というわけで無事解放されました!」
「それは良かったです。」
カリストの発言に、ソラネがニコニコとして応える。
「カリストさん、困ったら何でも聴いてくださいね。」
ソラネがご機嫌なのは、当然ながらカリストがイシガヤの愛妾候補から外れたためである。
「ありがとうございます!」
それに対してカリストも礼を述べる。モガミの難が去った後ならば、ソラネが後でイシガヤに手を回してもくれるだろうからだ。つまり、もう彼女の貞操が危機に曝されることはない。
「ところで、翌朝は簡単な調理研修ですから、忘れないようにしてくださいね。カリストさんは料理が苦手なようなので、私の補佐で結構です。」
ソラネはそう優しく伝えるのであった。