外伝 ポンコツ侍女候補、カリストの初陣 01節
「聞いてない!!」
その日、伊達幕府木星首都コロニー敷島のスラム街にほど近い下町で、後に『神速』の名で称される少女の声が響き渡った。
宇宙世紀0272年1月22日
人類がその生存圏を木星まで伸ばしてから、既に1世紀以上の年月が経っていた。その木星は、現在の人類がその統治の基盤とする、『新地球連邦政府』に属する『日本協和国』と、『木星方面新地球連軍』が概ね半分ずつの人口を有する領土を保持していた。後者は小国が集まってできた連合国家であったが、後者は日本協和国に属する『伊達幕府』が一国支配し、木星圏の居住用スペース・コロニーの約半数と、衛星カリスト、エウロパ、イオの3つを領有しているのである。人口はおよそ4億1000万人と、人類の生存圏の中では巨大な大国として、その存在を誇っていた。
「王族の侍女候補に応募ってどういうことよ!」
そう親を怒鳴り付けるのは、カリスト・ハンターという名の少女である。年のころはまだ14歳ほどだが、肉つきが良いことと白人の血が混じっているだけあって、他の大和民族の血が濃い者達よりかは同年代の中では大人びて見えるのであった。この貧民街においては容姿も目立つほどに優れており、青みを帯びた長い黒髪、茶色と言うには赤い瞳、やや白い肌の美少女である。ただ、彼女のその姿は大和民族の多いこの日本協和国においてはやや異端気味であり、加えて優れた容姿へのやっかみもあって、学校では『外国人』などと呼ばれていじめられていた。もっとも彼女の気の強さはそんな程度でへこたれるものではなく、成績は常に首位、喧嘩を売られたらバットを振り回して対抗するような性格である。そんな彼女は今、親に激怒しているのであった……。
「お前が王族の侍女になれたら、こんなところから離れてまともに生活出来るんだぞ!しかもすごいぞ!選考に残るだけで50万円もの給付金がもらえるときた!たくさん酒が飲める!」
「こんなところに住まなきゃならないのは、父さんがお酒飲み過ぎなだけでしょ!しっかり働いてよ!」
「だが断る!」
カリストが言うように、伊達幕府はそれなりに国は豊かであり、一般的な家庭に生まれて才能があり努力をすれば、それなりに生活を安定させることはできる。たとえ伊達幕府の外では衣食住にさえ欠くような貧民が多く、戦乱の中で多くの人々が死に絶えていると言ってもだ。もっとも、戦災孤児や不運に見舞われたもの、才能もなく努力もしないものなどは、貧民街やスラムに暮らさざるを得ないのである。
「まぁまぁ。でもお前が侍女になれたら、お前自身もこんなところからでていけるじゃない。なんてったって、侍女を募集しているのは富豪のイシガヤ家よ。」
カリストの母がそういう。イシガヤ家とは、伊達幕府においても最大の財力を有する王家である。現在の先代が暗殺された上に現在の当主もまだ若いため、政治的な表舞台に現れることは少ないのだが、その力は隠然としていながらも強大なものであったのだ。木星の民が日本協和国に属しているのも、このイシガヤ家が領地を経済支配していたことに由来するのである。
「いや、まってよ母さん!よりにもよってイシガヤ家なの!?家臣や侍女がお手討ちになったって噂の、恐怖の王族じゃない!?」
「そうだったかしら……?」
「そうなの!まって!しかもイシガヤ家って言ったらタカノブ様しか王族居ないじゃない!」
タカノブ・イシガヤは現在18歳。その直系親族は既に無く、唯一親族扱いを受けて居るクスノキ家は、5代は前にイシガヤ家当主が愛人に産ませた子供を祖とする家であった。戦乱の中で親族を失い、暗殺をされ、そういった平和とは程遠い世界に過ごしてきたのが、現在のイシガヤ家当主なのである。
「タカノブ様ならお前より4歳年上だから、妾にしてもらえたらラッキーだな!」
彼女の父が嬉しそうに声を上げる。彼は自慢の……、自慢なのかは不明だが、自分の娘の容姿や能力には一目を置いている。王族の妾になってもおかしくはないほどに、である。だが、カリスト本人にとってみればそんなことは望んでいないのだ。
「嫌よ!タカノブ様は背が低くて陰湿そうで、生理的に受け付けないから!!私はもっと年上でダンディな感じが良いの!もしくはもっとこう、心に闇をもったようなイケメン!」
世間一般でも不人気なイシガヤは、テレビなどへの露出はそれほど多くはないが、それでも王族イシガヤ家当主としてそれなりには知名度がある。割とミーハーなカリストは、それら王族の記事を細かくチェックしていたので良く知ってはいるのである。
「だけど心に闇をもったイケメンとか、お前も大概男を見る眼が無いんじゃないかね?」
「母さんには言われたくない!!」
そんなことを娘に言われながらも、特に気にした様子も無く彼女の父は面白げに笑っている。カリストはそんな父をどういうつもりなのか問いただしたくは思うのだが、目下足元の状況の方が問題でそれどころの心境ではない。
「でももう応募しちゃったから、ダメ元で試験を受けてきなさい。」
だが、そんなカリストの心境はさておいて、彼女の母は再度そう指示する。娘の気持ちがどうであれ、彼女としてはそんなものは無視して娘を侍女にした方がメリットが大きいのだから仕方がない。
「ブッチしたいけど、お手討ちにされたら怖いし……」
受けたところで受かるとは限らないし、それ以前にイシガヤ家の悪名の方が恐ろしい。こうして、彼女は渋々ながらも採用試験を受けることになったのである。
葎生ひて 荒れたる宿の うれたきは かりにも鬼の すだくなりけり
「受かってしまった……」
そう呆然として嘆くのは、イシガヤ家の侍女見習い合格通知を手にしたカリストである。
「やったな!」
「やったわね!」
一方で、彼女の母と父は手を取り合って喜びに沸き立つ。実際それも無理からぬことで、王族の侍女見習いであれば防犯も兼ねてそれなりの高給が支給されるわけであるし、お手付きになれば側室くらいにはなれるかもしれない上に、なれなかったとしてもそれなりの額の恩給が支給される。親としてそれでいいのか?という疑問はあるかもしれないが、旧世紀とは価値観も違うし、金銭メリットが大きいため仕方がないとも言えた。
「いや、まって!受かりたく無かったの!なんで受かったのよ!」
と、カリストは言うが、実のところ彼女らしく真面目に試験自体は受けていた結果である。結果表を見ると、学力はトップクラス、性格は無難なところ、家事技能は失格級なのだが、別項目として女神補正に高い評価がついている。家事力の低さから、普通の侍女の募集であればまず採用されるわけが無いのだが、通知では最上位合格で召還令状までついてきたのである。
「女神補正なんでこんなに高いのよ……」
数値で言えば80%前後。一般的に女神隊などに入隊するのには30%もあれば十分である。女神隊とは幕府政府直下の軍事組織であり朝廷からの命令も受ける、有事には幕府軍にも対抗し得る権威や権限をもつ武力組織である。元々はイシガヤの祖母であるスミレ・ダイドウジ少佐がトップを務めた組織であり、女性比率が非常に高い。この組織の名称については、トップ級のパイロットに与えられるコスモ・ガディス、コスモ・ガディスⅡと呼ばれる高性能機やその量産期ニンフと、それに搭載される戦闘用教育型コンピューター『ガディス・システム』に由来していた。
「なんにせよよかったじゃないか。いつから出仕なんだ?」
「良くないわよ!……本採用されるとしたら終業式後だけど、2月の第一週から1週間の仮出仕しろって書いてある。やばい、すぐ準備しなきゃ!」
カリストは父に言い返すが、日程にはあまり余裕はない。もっとも本採用前であるからそれほど準備は必要ないのかもしれないが、出仕日まで1週間強しかないため何かと忙しいのは確かだ。
宇宙世紀0272年2月1日
木星圏における伊達幕府の首都、スペースコロニー敷島。ここは居住コロニー群の外縁付近に存在しており、国会等の政府主要施設や王族の本邸などが置かれ、また商業地として開発された地域となっている。周辺コロニーとのアクセスは基本的に良好であり、周辺コロニーから通勤してくる者も存在するレベルである。首都でありながら居住コロニー群の中心に置かれていないのは、周辺から不測の攻撃を受けないためである。一方、外敵からは狙われやすい場所にあるため、伊達幕府軍の木星方面軍が警護しているのであった。
「よ、よろしくお願いします!」
立ち居並ぶカリスト他数名の侍女見習い達が、イシガヤ家家臣団を代表するマサノブ・クスノキに挨拶をする。彼はタカノブ・イシガヤの兄貴分であり、遠縁でもあり先祖代々の重臣の家系にある人物である。彼自身はまだ20代前半と若いが、イシガヤが生まれたころから傅役を務めており、信頼できる家臣の少ないイシガヤ家においては、重要な子飼いの将であった。
「かっこいい……」
カリストはそう言葉を漏らす。年齢的にダンディかどうかは何とも言えないが、まだ幼さを残す彼女からしてみれば一回り程年齢が違う彼は、相当に大人の男性に見えても仕方ないだろう。また、目鼻立ちは整っている方であるし、石谷家の私設工作部隊をまとめているあたり、心に闇を抱えている、というのも、まさにその通りであった。
「さて、君達にはイシガヤ家の侍女見習いとしてしばらく仕えて貰う。それにあたっては、先ず侍女を纏める侍女長を紹介する。」
クスノキはカリストの視線を感じながらも、害意はないないと判断し、粛々と自分の役割をこなす。彼がここに居るのは家臣筆頭としてだけではなく、要人護衛なども兼ねているのである。そして、その護衛対象こそ、紹介される侍女長である。
「侍女長を務めるソラネ・イシガヤです。若年ではありますが、御当家の家老を賜り、タカノブ様の名代として内務全てを統括しており、家業でもマーズ・ウォーター社の役員として名を連ねさせて頂いております。」
そう述べる少女は、カリストと年齢で大差はないが、その身長はかなり小柄で華奢であり、ニュートラルブラウンに染めた長髪を下の方で束ねており、左目の下に泣き黒子のあって、やや冷たい表情をしているのであった。それでいてこれほどの重職を預かっているのだから、相当な立場であるに違いない。
「卑賎の出ではありますが、タカノブ様より『石ヶ谷』の家名を賜り、特別なご寵愛を頂いておりますので、皆様何か不都合等ございましたら、先ずは私にご相談くださいね。」
優しい気遣いの言葉と対照的に、その冷たい表情はまさにそれを言いたかったためであろう。あわよくば側室にと、甘く考えていた侍女見習い達は、ソラネの言葉に肝を冷やす。ソラネ自身は目鼻立ちは割と整っている方とは言っても、特別に美人というわけでもない。そういった意味では侍女見習い達の方が美人である割合は多いのだが、既にお手付きと思われる上に、強大な権力を握っている侍女長が監視しているぞ、という牽制を受けては致し方のないところだ。だが、別に側室になりたくはないカリストからすればむしろ重畳である。
「差し当たって皆様には、1週間侍女見習いとして職場を体験いただき、こちらとしては皆様の適性を判断した上で、来年度から務めて頂くか判断したいと思っています。なお、学業については家庭教師を付けますので、ご安心ください。」
結局当主であるイシガヤが登場することはなく、そのまま簡単なオリエンテーションが行われる。料理を作る調理場、掃除をする浴場、来客用の応接間など一通りの屋敷の案内に加えて、有事に備えた防空壕まで案内されたのである。
「あのソラネって子怖いね……。」
「私たちと同じくらいの年齢でしょ?それで家老や侍女長ってどういうことなの?」
「タカノブ様って女好きってこと?」
「ヤバイわよ!」
一通りのオリエンテーションが終わった後、休憩室で侍女候補たちがそれぞれ好きなように雑談をし始める。話題の中心は、いきなり牽制をしてきたソラネの事である。中には側室や正室になりたいと考えてきたものも居る中で、彼女たちと同年代程度の者が侍女長として幅を利かせているのである。加えて言えば、彼の家臣はそのような若年者を登用して、まともに機能しているのか?といった疑問である。
「カリストさんはどう思うの?」
「えっ?……クスノキ様がかっこいいと思います!」
が、カリストはそんなことは一切考えておらず、彼女の好みドストライクだったクスノキの事で頭がいっぱいであった。
「えぇ……」
「それは無いわ……」
だが、見た目は比較的整っている方だといっても、暗く酷薄な印象がするクスノキが一般的にモテるかと言ったら、そんなことは全くない。
「いや、そうじゃなくてソラネって侍女長の事とかよ。」
「ソラネ様ですか?」
カリストの発言に周りはドン引きしつつも、一人の少女が彼女に本題を問いかける。
「私は別にタカノブ様とかどうでもいいんですけど、ソラネ様を重用されているのは単純に家臣が足りないのではないでしょうか?先代が暗殺された後、イシガヤ家は弱体してるし、木星でもイーグル様とイシガヤ家はあまり良好な関係ではないから、仕える人は減ってるかと?」
カリストが指摘するように、イシガヤ家には現状で信頼に足りる家臣が不足している。譜代からの登用を増やしているところではあるが、1年や2年で問題が解決するほど簡単な話ではない。