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星光記 ~スターライトメモリー~  作者: 松浦図書助
後編
133/144

第25章 残躯天所赦 02節

同日、夕刻。

 「ケネス殿はこれで隠居だが、羨ましい限りだ。」

 御前を下がり、イシガヤは京都屋敷に待機させていたケネスのもとへ訪問する。ケネスは昨日の時点で天皇を含む高官達と、その隠居に関する事前の話し合いをしていたわけだが、内容が確定したのは今日の会議を待ってからであっため、その報告を待っていたのである。

 「イシガヤ様は、私が羨ましいと?」

 ケネスはそう問う。確かに重責から解放された隠居であって、軟禁という形ではない。とはいえ、敗軍の将としてそれなりに思慮を持った行動は求められるものだ。

 「そうだな。……俺も隠居したい。」

 が、それはわかっているはずのイシガヤはそう答えるのだ。勝者であり、天下をその手にかけているとも言える彼が、である。

 「ケネス殿は分かるかも知れんが、俺も、別に望んで王族になったわけではない。他に親族も居ないから、こうして仕方がなく当主をしているだけだ。」

 イシガヤはそう語る。

 「このように立場のある家に生まれ、親は暗殺され、自らも暗殺に怯え、家臣どもの反乱に怯え、それを討伐し、軍に入っては最前線で命を的に奮戦し、政治においては億を越える人々の生活や幸せを考慮して、たとえ少数を犠牲にしてもより多くの人を助けるために方針を決断する。……この俺がこんなことをしているなど、全くもって意味がわからん。逃げることも出来ないし、進んだところでプレッシャーに押し潰されるだけだ。」

 「なるほど……」

 ケネスは相槌を打つが、実際に彼自身が経験してきたことでもあるし、そしてつらかった事でもある。

 「栄耀栄華を極めたと言っても過言では無い中で、人々は俺を羨み、生まれの幸運を妬む事もあろう。このような小男が、才媛や美姫を侍らせ天下に号令するのだからな。」

 実際、イシガヤの政治な評価はともかく、男性としての評価は芳しくはない。小男で陰鬱、そして恐怖の私設工作部隊を持って、金で物事を解決するような冷血漢、といった評価であるのだ。それでも国民に支持されるのは、クリスタル・ピース・グループやマーズ・ウォーター社を傘下に持ち、木星の経済を下支えしているからに他ならない。もとい、木星の経済を掌握しているからである。つまり君主論に書かれるように、愛されるよりも恐れられる為政者としての評価であった。

 「だが、いつ死ぬかもわからない中で、多くの人の命を背負っているわけだ。あまりにも責任が重くて、なんでこんなことをしているのか、俺には意味なんてわからん。生活に支障がない程度の稼ぎを得て妻子と平穏に暮らせる民草がいれば、絶対にその方が苦しみは少ないし、俺からすれば羨ましい世界だ。だが、俺の立場や生まれではそうはいかん。」

 幾らか冗談めかしつつ自嘲気味にそう言うが、明らかにそれは本心であろう。

 「幕府においては貧困層はそれほど多くはないが、世界的に見れば、毎日飢えずに飯が喰えて、寒さに耐えられる衣服や、雨風に耐えられる住居をもてない人々も多い。世界の全ての人を救済しようなどとは思わないが、少なくとも自国の国民がそうはならないように務めなければならんだろう。結果として、俺は今こうしているわけだが、単に逃げられなかったからこうなっただけだ。」

 イシガヤを含め、この戦乱において幕府王族が果たしてきた責務は重く、大きい。国民の代表として世界に貢献するため、戦争で前線に立ち、そして失った親族は多いのだ。同時に、生まれた時から責任を負わされ、さほど楽しみもない子供時代を過ごし、こうして君主然として振舞うことを要求される。一代で成り上がった英雄ではなく、先祖の地盤を引き継ぎ、そして選択の余地なく、国家の英雄として担ぎ上げられる事を余儀なくされてきたのである。

 「イシガヤ殿も苦しいですな……。自ら英雄となることを望んだ兄は、それでも周りの者達の平穏のために天下に平和をもたらそうと務めては居ましたが……、戦禍は各国に撒き散らしましたな。結局のところ志は達成し得ず、私のように不甲斐ない弟のせいで、その国も失う事となりました。幸いにして、イシガヤ殿のおかげで、国命も、血脈も保つことは叶いましたが……」

 彼のその表現にはお世辞と自嘲を含むが、ケネス自身がそう思っていることではある。

 「ナイアス殿は本当の英雄だったから、高い理想もあったのだ。俺は生まれながらの王族で、英才教育を受けただけの凡人に過ぎんよ。最終的に求めるところは、ナイアス殿と同じになるかもしれないが、それはただの結果だからな。故に、互いに相容れなかった事はあるが、彼の行動自体は批難するような世界情勢ではあるまい。気にする必要はないさ。」

 ナイアス・ハーディサイトの侵攻により多くの国民を失った国家の統治者のセリフとしては疑いたくなうようなものかもしれないが、それは、同じように国を統治してきた者に対する考えであり言葉である。

 「ケネス殿の娘、カリン嬢は木星に連れていって構わん。結婚相手だけは力の無い貴族の子弟か、力のある商家にしておけ。必要なら紹介するが、なるべく当家とは離れている家の方が良かろう。娘の将来は心配せずとも、セレーナ家と仲良くしたい者は多いから、どうとでも相手は見つかるはずだ。ケネス殿も親王陛下の教育係の一人になると内示を受けているはずだな?侍従の官位は高くはないが、幕府で市民から成り上がれる官位としてはほぼ最高位である。ケネス殿自身の事もあまり心配は必要あるまい。市民には不満を持つものも居るだろうが、貴殿もそういった妬みや嫉みには慣れているであろうし、親王陛下の臣下に手を出そうという不届き者など、当国にはさほどおるまいよ。とはいえ、最低限の護衛はつけておけ。」

 「……諸事、御骨折りいただきありがとうございます。」

 「妻であるカレンの叔父だからな。……さて、俺は用事で仙台屋敷に戻る。ケネス殿は釧路本邸の迎賓館の部屋を用意しているから、しばらく好きに使っていい。……じゃあな。」

 そう言い残してイシガヤは去る。いまいち目的のはっきりしない訪問ではあったのだが、おそらくは、単に羨ましいと言いたかった、といったところなのだろう。



星海新聞

 宇宙世紀0284年8月26日。新地球連邦政府朝鮮総督にして、当国天皇陛下より百済鎮守将軍の職を賜る、従五位下侍従のケネス・ハーディサイト様は、当月末をもってその朝鮮総督と百済鎮守将軍を辞任すると発表された。その後については。本貫であるフィリピン国との相談の上、日本協和国伊達幕府に移民し木星首都コロニー敷島にて隠棲されるとの事。一連の件は、先の朝鮮統治においてテロリストにサイクロプスを奪われ、支配地の多くを失い新地球連邦政府からの信用を失った事に対し、責任を取る意図であるとも伝えられる。同時に、その信頼を回復し、総督経験という稀有な知見を我が国に活かすため、雪仁親王殿下の顧問役になるよう内示を受け、承諾されたとも発表された。



 各社の新聞一面が、ケネス・ハーディサイトの官職辞任と親王殿下の顧問役就任記事で埋められる中、当の本人は釧路の石谷邸の迎賓館にて、知人との宴会に浸っていた。

 「久しぶりに清々しいものだな。」

 そう述べるケネス侍従の表情は、これまでの陰鬱気味な知将と言った雰囲気からは離れ、表情にはほとんど陰りのない朗らかなものだ。

 「いやしかし、ケネス殿は宜しかったので?」

 カスティーヨ新フィリピン総督がケネスにそう問いかける。カスティーヨ総督はかつて外務大臣を務めていたのだが、伊達幕府への降伏後の選挙で新総督に選ばれたのであった。そして、今回のケネスの辞任と隠棲は彼と示しあわせたものではあったが、しかし一代の英雄とも言えたケネスの状況としては、あまりにも無惨である。短期間でも東南アジア連合の盟主であったことは、つまり世界で指折りの指導者であったわけであるし、長らく兄ナイアスを補佐してフィリピンを安定統治してきた手腕は、フィリピン国民にも広く知られ慕われて来たのである。軍事指揮官としても決して無能ではない。カスティーヨ自身、尊敬してやまない指導者であったのだ。

 「恥ずかしい事だが、フィリピン一国の統治ですら、私には荷が重かったのだ。もともとベトナムに生まれ、兄を補佐している間にこうしてフィリピンに帰化し、妻を得て、娘を得て、フィリピンの皆に受け入れられたのだが、人種的にはベトナム人であったし、外国人とも言えた私がフィリピンの運命を握って采配を振ってきた事は、心苦しい事ではあったのだよ。」

 ケネスはしみじみといった様子でそう漏らす。実際、彼自身が望んで得た立場とも言い難く、兄ナイアスの力に恵まれて、成り行き上なった立場である。彼自身の努力と、フィリピンへの同化できるような行動、国家への忠誠、あらゆる面で並みの人々よりも苦労してきたのではあるが。

 「しかし、亡きナイアス公もケネス殿も、市民に慕われる良い為政者であったではないですか。」

 カスティーヨ新総督が言うように、戦争に負けてなおケネスの信望は厚い。もちろん、戦死した軍人の家族や流れ弾で被害を受けた者たちなど、彼に対して反感を持つものもいるが、絶対数で見ればそれほど多くはないのだ。もしケネスが選挙に出ることが可能であったら、なお彼が当選したであろう。

 「……ありがたいことにな。勿論、我らも全力でフィリピンの利益のために働いてきた。それは事実だ。……とはいえ、兄であればともかく、私の才覚では総督は苦しい。自身がトップであるから他に頼るべきも無く、自身の決断一つで国民の運命が決まっていくのだ。それに恐怖を覚えないのは余程の狂人ばかりであろう。間違えれば多くの民が死に絶えるのだからな。」

 「……今まさに私がその事で震えているところですが。」

 国家のトップになるというのは、一部の狂人でもなければそのプレッシャーに耐えること自体が苦しいものだ。カスティーヨも自身が信任された喜びもあったが、実際に実務を取ってすぐにそのプレッシャーに押しつぶされそうな気持になっているのであった。

 「まぁそうだろう。なかなかプレッシャーに耐えるのは苦しいものだ。耐えてもらうしかないがな。」

 ケネスは幾らかカスティーヨ新総督をからかうような口調でそう述べるのであった。

 「それで、木星では?」

 それが彼の本題である。ケネスの存在は、今もなおフィリピンにおいて大きな影響力を持つのだ。彼の行動によって、日本協和国とフィリピンの外交に影響が出ることは充分ありうる。

 「報道の通り、天皇陛下より雪仁親王殿下の教育をするようにお言葉を賜った。国家の統治と富国強兵について教えよとの事だ。元の仇敵にこのような話が来るとは驚きだが、面白いではないか。」

 ケネスはそういって愉快そうに笑う。

 「確かに、私は興国の苦労も、亡国の悲哀も弁えているし、統治者としての立場も知ってはいる。日本の将校も多く死んでいるため、木星にはそれ程の将軍も多くはないようだ。それ故に選ばれたようだが、次代の君主に統治のなんたるか、平和のなんたるか、戦争のなんたるか、を、教える機会を得られるなら、私のこの状況も決して無駄ではあるまい。フィリピンにとってもな。」

 その人事を聞いて、カスティーヨ新総督はほっと胸をなでおろす。隠棲とは言っても、今上天皇の長子である雪仁親王の教育係としてなら、その立場はそれ相応に高い。加えて、フィリピンを統治していたケネスを教育係に置くというのならば、心象の面もあってフィリピンへ強く当たることはないだろう。

 「馬上少年過 世平白髪多 残躯天所赦 不楽是如何 伊達政宗というシルバー大佐の先祖の武将の漢詩というが、実際、そう言う事であろうな。」

 しみじみとした様子で、彼はその漢詩を何度となく口にする。

 「……しかし皮肉なものだな。当の伊達幕府の王族方こそ、この一時の平和ですら楽しむことが出来ないとはな…………」



 時に、宇宙世紀0284年晩夏。先のフィリピン総督ナイアス・ハーディサイトの日本協和国侵攻を発端とした戦争は終結する。多くの犠牲の上に訪れた束の間の平和ではあるのかもしれないが、アジア圏においてはその国境は旧世紀に基づいて制定され、互いの文化圏や人種に基づいて国家はなされたのである。その在り方が果たして、亡きナイアスの目的に叶ったものかは判断できないところではあるが、それでも、彼の血族にはいったんの平穏が訪れ、その国民だった者達にも、一時の安寧がもたらされたのである。見方によっては、その目的を達成し得たナイアスは勝者であり、多くの民や国財を失った幕府は敗者であろう。勝者は敗者であり、敗者は勝者であり、表裏は一体にして同事なのであった。

区切りが良いので、いったんここで本編を完結させました。お読みいただき、誠にありがとうございました。

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