第25章 残躯天所赦 01節
「石谷太政大臣、大儀である。」
新二条城の帝座より、今上天皇の声が掛かる。
「主上の御尊顔を拝謁させて頂き、誠に恐悦至極に存じ上げます。幕府は朝鮮国平定を終え、兵をまとめて本邦に帰還いたしました。」
平伏しながらイシガヤはそう口上を述べる。白頭山攻略を終え、既に幕府は全軍を朝鮮半島から撤退完了させている。現地に残るのは朝鮮総督であるケネス将軍の手勢と、与力としてのフィリピン軍部隊のみである。朝鮮軍残党を殲滅したとはいっても、損壊した彼の部隊だけで現地を維持するのは危険であるため、幕府軍からサイクロプス30機あまりが追加で譲渡されたが、兵員はフィリピンから呼んでいるため、幕府の軍人は現地に一人として残っていない。
「今回の作戦は、新地球連邦政府に認められた朝鮮総督府への援軍であろう。先の朝鮮国侵攻においては朕の言葉を聞かずに戦端を開いたこと、今もなお反省を求めるが、今回の件は従来の新地球連邦政府への支援であるため問題はあるまい。」
凪仁天皇がそう述べる。
「良い、顔を上げて席につけ。」
列席するのは、多喜左大臣源一氏、槇田右大臣平宗次の他、天皇の幕僚を務める従四位以上の朝廷貴族達である。イシガヤに続き、幕府の貴族である、蔵運内大臣橘香楠庭南都、伊達大納言藤原銀、聖書中務卿穂積経芽守などが天皇の前で平伏し、挨拶を述べてから同様に席に着くのであった。
「さて、皆の者、今回の朝鮮総督府への支援戦、誠に大儀であった。幕府は前線にて戦ったが、東国鎮守府は北方の抑えを、西国鎮守府は対馬から補給線の維持を行い、いずれも新連邦政府の求めに応じ、充分な働きをしたものと考えよう。」
凪仁天皇はそのように各府にねぎらいの言葉をかける。日本協和国は新地球連邦政府から見れば、外交自主権を持ち独立性の高い国家ではあるのだが、現代においては新地球連邦政府に対し、比較的従順な国家でもある。元々、新地球連邦に反抗して建国された国体ではあるのだが、それ故に、長らく新連邦政府の求めに応じて手伝い戦に参戦し、制裁などへの対策としてきたのである。そういった意味では、今回の戦いについても新地球連邦が定めた総督への軍事支援であるため、充分に意味のある派兵ではあったのである。
「朝鮮国の今後については各幕府鎮守府政府とも話したが、基本的に日本協和国は統治に関与しない、という形で進める。幕府はだいぶ難色を示しておったが、朝鮮国は戦後賠償として、日本協和国に対してその税収の1割を10年間納める、という形で納得させた。」
幕府の総理大臣であるエンドウ首相本人としてはそうでもないのだが、核を撃たれ、犠牲を払って討伐した朝鮮半島に対する利権が何もない、という状況では、国民を納得させるのが難しいからである。国家が崩壊した朝鮮国の税収の1割など、あってないようなものではあるのだが、形式上であっても無いよりはいい、という事であった。
「また、周辺各国首脳とも話したが、朝鮮国に対する統治権を求める国も無い。先に攻撃されている台湾国は統治に関して協力は一切せず、同時に利権も一切求めない、との事。フィリピンも早い段階で総督を出し属下に置くことから撤退したい意向だ。インドネシアもうまみがない、との事で統治を辞退。南京も海を隔てて統治することはかなわないとの事で辞退。ロシアは関係がない、との回答であり、北京からは朕のところにご機嫌伺いの外交使節が遣わされて来たところだ。無論、統治権は求めていないが、どうなるかを探りに来ている感じだな。」
実際、朝鮮半島はほとんどのインフラは消失し、現状では多少残っているインフラすらもどれほど維持できるのか不明な状況にある。餓死者も多く、野盗もそこら中に出るような治安の中、わざわざ統治しようと思えば膨大な費用を必要とするだろう。無論、ただ収奪し続けるだけの統治であれば、現行の税収もしくは収奪の中である程度賄えようが、文明国である先の諸国としては、そのような統治をして国の威信を落とすわけにもいかない、という事情もあるのだろう。
「従って、朝鮮国は無主の国となるが、しかしそれでは困る。幕府とも相談したが、最終的には新地球連邦政府と相談し、同国は新地球連邦政府の直轄国として存続することになった。追って新総督が選出されるだろうが、必要に応じて援軍の要請はする、との事だった。良いな?」
「御意。」
凪仁天皇の問いに、イシガヤが代表して応える。新地球連邦政府への手伝い戦は従来からの事であり、負担こそあれ致し方のない義務である。幕府政府としても、現状、新地球連邦政府から独立する意思があるわけではなく、むしろその護持を行っている状況なので、これについては応諾するしか選択肢はないのである。一方、朝鮮国を新地球連邦政府が直轄する意味は大きい。周辺国も大なり小なり新地球連邦政府からの離脱はしていないことから、この急所となる土地を中立地とすることが出来れば、紛争の種が減るのである。幕府としても願ったりかなったり、という所だが、それだけ、連邦政府の懐事情が厳しい、という事でもある。僅かな税収しか得られないであろう荒廃した土地でも、直轄したいというのだから。ただ、権威も失墜している新地球連邦としては、たとえそういった旨味のない土地であったとしても、支配地が広がる、という事自体をメリットとしているのかもしれない。周辺諸国にとってはどの国としてもいらない土地ではあるのだが、かとって仮想敵国に獲られても困る、そういった状況であったため、いずれにしても新地球連邦政府の申し出はありがたいものであった。
「それで陛下、北京はどのような?」
どちらかと言えば、朝鮮半島よりも大陸の動きの方が重要である。北京は従来日本とは敵対的で、長らく南京と内戦を繰り広げている。一方の南京は日本とは比較的友好関係にあることから、今回の件は政治的な情勢が動いた、と言えるのだ。
「北京は、南京と講和して中国を連邦制にしても良い、と言ってきている。出来れば台湾も加えたい、との事だったが、台湾は長らく独立国として国家を維持しており、朱籍殿が中国との連邦制を認めることはあり得ないから、日本としても却下し、台湾総督の朱籍殿を支持する、とだけ伝えておる。」
「左様でございますか……」
これは大きいことだ。別に日本としてはわざわざ北京と敵対する理由がないので、関係を改善したいという意図からの案であれば構わない面はあるのだが、北東アジアの情勢が今回大きく動いたことが原因であろう。既に日本協和国とロシアは不戦条約を締結しており、互いに警戒しながらも足元で干戈を交える状態にはない。また、中国南西部を有する南京政府と日本は比較的友好関係にあり、台湾と日本は緊密な同盟国、そして今回幕府が東南亜細亜連合を打ち破り、その盟主であったフィリピンを下したため、周辺諸国も日本に靡いている。パプアニューギニアも先の侵攻はフィリピンに命じられて拒否できなかったためだと申し開きをしており、ベトナムも同様に親善使節を送ってきている。タイやインドとは元々友好的であることから、この地域は日本を中心としてみれば、国家間の戦争がほぼ収まった状態になった、と言えるだろう。こういった中で、北京が1国で日本と敵対していても勝ち目は全く無く、そうであるならば勢力を保っている内に一定の所で妥協したい、という考えもわかるのであった。
「北京が矛を収めれば、このアジア周辺は比較的平和になるだろう。新地球連邦政府を議長として地域外交を語る組織が必要になってくるだろうが、朕としてはこの議長国を日本協和国とするつもりはない。幕府としては不満もあるかもしれんがな。」
「何故でございましょうや?」
イシガヤは天皇に問う。もっとも、彼自身としても盟主や議長国など務めたくはないから、代役が居るのであればその方が助かる面はある。日本がしなければならないなら、天皇を代役にたてるか、或いは多喜左大臣や槇田右大臣でもいいのかもしれない。ただ、少なくとも天皇については国家の元首ではあるが、歴史的に見てあまり権力をもたせていいものではない。権力を持てば問題が起きた時にその玉体が傷つけられる可能性が高い。これを逃れるためには、権力をもたせない方が良いのである。だが、そうはいっても幕府ではいけない理由と、そうであれば誰を推薦するかは重要なことである。
「日本、つまり幕府が議長国になれば、周辺諸国はその武威を恐れて従属するしかないと考える事もあろう。それではこれまでの東南亜細亜連合と変わらぬ。もっと平和裏に話ができる方が良いと思ってな。このため朕としては、議長国として台湾国朱籍総督を推薦したいと思う。彼は軍政に優れた傑物であるし、台湾という小国の総督であるから、他国がその侵略に怯えることも無い。我々とも同盟関係にあり、しかし従属関係にはない、という、ちょうどいい塩梅ではないか。」
「朱籍殿から、仕事を押し付けるなと小言を言われそうですな。」
「その場合は、そこの槇田右大臣が朕の代わりに聞くであろうよ。」
「えぇ……」
凪仁天皇に押し付けられたマキタが嫌そうな声を上げるが、かといって現状で朝廷取り次ぎは彼の役目であるのだから致し方の無いことだ。もっとも、現状においては彼を除いて他に適任も居ない、という状況でもあるのだが。
「私としても特に異論はありませんが、幕府としての見解は別途内閣を通してご回答いたします。」
「良い。期待しておるぞ。」
「はっ。」
流石に、イシガヤが代表して決めて良い事でもない。国家における重要事であり、軍事的に急ぎの話でもないため、幕府内閣に伝えた上、国会での検討を経由する必要があったのである。そして、この話の後は丁度重要な貴族が集まっていることから、まとめて溜まっていた諸議題をこなしていくのであった。
「さて、総ての議題が終わったな。後は各大臣と伊達大納言のみ残り、退席してよい。」
天皇のその言葉に合わせ、諸卿は退席を始める。居残るのは、石谷太政大臣、多喜左大臣、槇田右大臣、蔵運内大臣、伊達大納言のみである。退席してよいというのは、実際には退席しろという命令であるからだ。
「やれ、疲れるな。朕が兵を率いれば、アジアなど総て制圧して見せよう程に。」
人払いの後、うって変わってそう放言するのは、先に幕府による侵攻を牽制するような発言をした、凪仁天皇その人である。
「陛下、御戯れにもほどがございます。」
そう釘をさすのはクラウン中佐である。実際のところ天皇がそのように思っているのは事実なのだが、現実としてはそんなことは出来ぬ以上、放言したところで問題が起きるだけである。
「身内しかおらぬのだ、別に良かろう。しかし、当国にもなかなか人が足りぬ。」
凪仁天皇がため息を漏らしながらそう述べる。
「大臣達も大納言も、決して他国の将軍達と並べ見て能力に劣ることはあるまい。だが、天下を我が身に侍らせようというのであれば、明らかに力量不足だ。」
凪仁天皇がそう嘆くのも無理からぬ話ではある。天下に名だたる英雄として考えれば、並み以上の将軍というだけでは天下を取ることなど不可能だからである。能力に加えて、高い志や強欲、信仰、あるいは哲学など、そういった目に見えない人を動かすだけの意思が必要になるのだから。だが、残念なことに日本協和国の統治者には、そういったモノを持つものは居ないのである。
「まぁ、天下を得たところで持て余すであろうから、朕らの思惑のように、各国が従来の国境線を守り、新地球連邦政府を盛り立てていく方針でよかろうよ。しかしだ……、槇田右大臣、今の問題を述べよ。」
「御意。」
天皇はそう言ってマキタ少将に話を振る。力量を試すためというよりは、単に説明が面倒になったからであろう。
「やはり、欧州連合がネックになってきております。新地球連邦政府欧州連合は、英国王アーサーの指導の下に、国家連合を形成し軍を編成しております。しかしながら皆ご存じの通り、実態としては英国が周辺各国を侵略し平定し、名目だけの国家形態を維持したまま、従属国としているに過ぎません。この時節、たとえそうであっても安定的な統治による、民の安寧、というものは必要かもしれませぬが、我々の考えとは相容れぬ思想、と言えましょうな。」
これは、旧世紀にドイツに率いられた欧州連合のEUと同じような思想ではあるが、当時はドイツの従属下にあったともいえるヨーロッパ諸国が、今世紀では英国の従属下にあるような状態であるともいえるだろう。もっとも、戦時である今世紀のそれは、より強固な統制と従属が求められる内容であり、国家の独立は実質的には保たれているとは言えない情勢にあった。
「しかしながら、欧州連合と我々の思想、どちらが新地球連邦政府に合っているかと言えば、前者でありましょう。元々国家を解体して1つの連合国家として形成しようとしたのが連邦政府であり、これに反抗して独立を得たのが我々日本協和国となりますからな。その後、各国でも戦乱が起きて独立状態となり、その主権を追認していった結果、新地球連邦政府の仕事はそれらの国々の調整を取るものになりましたが、本来のあり方とは違ったものなのです。」
マキタ少将はそのように原則論を踏まえて述べる。
「それでは、もし欧州連合と我々が戦争になったら、新地球連邦は欧州に味方するのか?」
話を飛ばしてそう質問するのはタキ中将である。些か思慮が浅いところがあり動きも鈍重ではあるが、幸い部下に恵まれていることと、不用意に兵を動かすことが無いことから、東国鎮守府の統治者としては充分な資質は示している。とはいえ、ぶっきらぼうな問い方をするのは、手元に部下がいない状態のため致し方のない事であろう。
「タキ中将のご質問ですが、それは難しい判断になりますな。新地球連邦の理想からすれば、強い連合国家を形成することが正しいあり方です。しかし、現状のそれは、欧州連合のアーサー王の主導の下に存在するのであって、既存の新地球連邦政府が主導権を握っているわけではありません。無論、欧州連合も新地球連邦政府には所属していますが、あくまでも便宜上のものであり、租税等が納められているだけに過ぎません。一方、我々の場合も各国が独立した統治を主張しており、元々の新地球連邦政府の理想には合わない、という点があります。ただ、我々の場合には『連合国家』としては現行の新地球連邦政府が主導権を握っており、お伺いを立てて総督の任を得るなど、租税を納める以外でもその権威を尊重している状況です。」
「……なるほど?そう考えた場合、英国アーサー王に主導権を奪われる可能性を考慮すれば、既存利権を有する新地球連邦政府がその利権を侵さない我々を支持する可能性が高そうだな。」
うんうん、といった感じで、タキ中将は一人納得する。
「御二方には物申したいのですが、欧州連合と戦う気で?」
そう、マキタとタキに問い返すのは、クラウンである。
「クラウン殿、何を言ってるのだ。我らが戦争などするはずがない。しかし、そこのダテ殿が戦争をしないわけが無いではないか。」
「左様ですな……」
タキの物言いに、マキタもまた同意する。
「あまりな仰りよう……。私は別に戦争を求めてはいませんが…………」
心外だ、と言いたげに、それまで黙っていたシルバーは言い返すが、
「では伊達大納言に聞くが、同盟国が敵性国家に攻められたときに、援軍を頼まれたらどうするのだ?」
面白そうな顔で凪仁天皇がシルバーに問い、
「迅速に敵軍を撃破します。」
シルバーは当たり前でしょう、と言いたいような顔でそう即答するのである。
「それみよ、戦争狂にも程がある。」
その回答をもって、笑いながらタキ中将はそう述べるのだ。イシガヤやクラウンは頭を抱えているため、分かっていないのは本人ばかりである。本来であれば、まずは外交交渉などからするはずなのだ。
「ダテ殿は戦は無双だが、戦争ばかりではなく、政治で片を付けることも考えよ。せっかくの智謀なのだからな。」
「はて……」
何の事だろう?とでも言いたげなその顔は、戦場においては稀有の智謀と采配を見せる知将とは思えぬものである。
「そうだな、伊達大納言。政治とは婚姻政策もまた一つの在り方だ。欧州とはいずれ戦争になるかもしれないが、今しばらくはそんなことも無いだろう。そなたは先ず和子を拵えて育てることに力を入れよ。後継者に難儀するようでは、幕府の政治が不安定になるからな。」
分かっていなさそうなシルバーに対して、天皇はそう述べるのだ。
「分かりました。私も赤ちゃんが欲しいと思っていたので、そのように努めたいと思います。」
「石谷太政大臣、良く努め、良く補佐してやれ。」
「……御意。」
政治には疎いシルバーの回答に、困ったような顔をしつつも、夫であるイシガヤもまたそう応えるのであった。