第21章 降服と戦争準備 03節
「この度は降伏を認めて頂き感謝いたします。」
別室にて、改めてそう述べるのはケネス将軍である。前にはイシガヤとシルバーが椅子に腰かけており、護衛としてはクスノキが控えている。ケネス将軍側は閣僚の同席を避け、彼一人が参上していた。ある程度の内談があると考えられたため、フィリピン側は交渉窓口をケネス将軍に統一したのである。
「カレン、カリン殿を連れて入ってこい。」
イシガヤはそういって手元の通信機で指示をする。外で扉から離れる足音がするため、迎えにいくのだろうか。その足音を聞きながら、イシガヤは話を続ける。
「ケネス将軍、貴官は運が良かったな。以前より降伏を申し出ていたことは評価している。」
イシガヤがそう率直に述べる。発言的にはさほど敵意は感じないが、重要なところは『運が良かった』、というところであろう。
「我が国は貴官の理解しているように、フィリピンへの徹底した弾圧を希望していたが、軍事的に見ればそう悠長な事をしているわけにもいかない。無論、我々としては木星から兵を運んでくれば良いだけの話ではあるが、度を過ぎれば国民に困窮するものもでるからな。」
イシガヤはそう豪語するが、それは実際にそうである。幕府の国力は世界的にみても強力であり、地球圏までサイクロプスや資材、兵士を輸送してくることさえ出来れば、戦力的に困ることはないだろう。しかしその道中は必ずしも安全ではなく、遠距離であるため膨大なコストもかかる。これを鑑みて、幕府軍の地球圏領土をすべて排除し、遠征を困難にさせようと画策したのが彼の兄である、亡きナイアス・ハーディサイトであった。その計画は幕府軍の猛攻により失敗したため、イシガヤの言うように輸送自体は問題とはならず、せいぜいコストがどうかという点の問題だけとなっているのである。
「貴国が木星本国から大量の兵を運ばない。それはつまり、我々フィリピンに朝鮮討伐の先鋒を務めよ、と?覚悟はしておりますが、先の通りでよろしいのでしょうか。」
ケネス将軍は恐る恐る質問する。フィリピン軍が侵略戦争の先鋒を務めるのであれば、その被害は甚大なものになり得るためだ。幕府との交戦で兵器にかなりの損耗を受けているため、揚陸戦や侵攻戦で朝鮮軍とぶつかった際に押し負ける事もありうる状況である。
「流石に理解が早い。が、そこまで悲観することもない。機甲部隊の先鋒を務めるのは幕府軍だ。制圧については貴国の歩兵師団を2つ程用意して貰おうと考えている。」
「……少ないですな。僅に2万人程度。侵略の足場の基地を構築されるのでしょうか?」
侵攻戦をするのであれば、10万人やそこらの人員がいてもおかしくはない。幕府陸軍など動員されるとしても、弾避け部隊として2万ではあまりにも少ない数である。
「いや、朝鮮半島全土を攻める。」
一部の橋頭保を作るだけなのかとケネス将軍は尋ねたのだが、イシガヤの回答はそうではない。
「ほぅ……」
「朝鮮全土を焦土にすることが目標だ。流石に直接的には無辜の民を虐殺することはないがな。」
それはつまり、間接的には殺すということである。そしてまた、侵略して統治することなど考えず、ただ焼き払いに行くというだけの内容であろう。恒久的な制圧が必要でないのならば、確かに歩兵はそこまで多くなくとも問題はないと言える。
「だが、一時的な制圧だけでも最低限の歩兵はいる。それについては貴国に任せるつもりだ。」
前衛の肉盾でこそないが、これはそれなりに出血を強いられる任務である。だが、2万の陸軍をもってフィリピンに対する虐殺を防ぐ事が出来るならば、仕方のない犠牲である。下手に抵抗すれば、朝鮮の代わりに虐殺されるのはフィリピンなのである。肯定する以外に選択肢などないのだ。
「まぁ、陸軍を2万投入するのは、貴国にとっても悪い話ではあるまい?」
そう述べるイシガヤの目は冷たい。明け透けな言動とは相反する表情である。
「それは……」
『狂将』あるいは、イシガヤが幼少のときに得ていた『子悪魔』という異名をケネス将軍は思い出し、言葉を詰まらせる。これでいて、損害をものともせずに作戦を実行し、あるいは家臣団を大規模粛清した人物なのである。不用意にそうであるとも、そうでないとも言って良いかは未知数であるのだ。
「表向きは自国の軍を編成し我らと伴に戦うことで、少なくとも国家を維持していることを内外に示すことが出来る。たとえ従属的と思われたとしても、軍を維持していれば主権は認められているのと同じようなものだ。……同時に、国内の抵抗勢力、或いは統治上問題の出やすい陸軍兵力を海外に展開している間に、国内を完全に掌握する。つまり、後継政権にとっても悪いことでもあるまい?」
「それは、そうですが……」
「ゲリラ戦をしなかったのはつまりそう言うことであろう?」
「……難しい選択でしたな。」
会戦ではなくゲリラ戦をすれば幕府軍に与える被害はもっと増え、或いはわずかでも撃退できた可能性は残るが、敢えて会戦を行った理由である。無論、会戦は会戦で戦力差がそれほどあったわけではないので、選択肢として悪いわけではないのだが、決着はすぐについてしまうものだ。運が良ければ幕府軍に大損害を、運が悪くても兵を減らすことで国内の脅威を取り除き、幕府との交渉に移る方策を探す、というのが、彼の計画であったからである。
「その通りだな。」
それについて、イシガヤは承知した上で同意する。
「いずれにしても我々フィリピン国は無条件降伏をしたのですから、指示を受ければその通りにしなければならないでしょう。内容承ります。」
ケネス将軍はそう結論付ける。実際、なんにせよ彼の立場ではそうするしかないのである。そして一息つこうとした直後……
「カリン様をお連れしました。」
「入れ。」
扉の外から、彼の姪であるカレンの声が聞こえ、イシガヤが入室を許可する。捕虜にされていた娘が生きて連れてこられたのであるから、彼としては安堵せざるを得ない。
「お父様!」
扉が開かれた直後、娘であるカリンが父のケネスに駆け寄ろうとするが、カレンが手を引いて押し留め、与えられた席に促す。カリンの席はケネスの側ではなく、イシガヤ達とは90度の位置であり、カレンはその隣ながらイシガヤ達と同じ側の隅に座る。明確に意図を持った席位置であった。
「イシガヤ王、娘達と話して良いだろうか?」
「構わんぞ。」
ケネス将軍の問いに、イシガヤは快諾する。胸襟を開いて話ができている、とまではいかないにしても、降将として与えられた待遇としては充分すぎるものである。
「カリン、無事で良かった。大事ないか?」
「私は大丈夫だけど、お母様が……」
そういってカリンが涙を流し言葉もつまる。母を失ってつらいところに父と無事対面できたのだから、12歳とまだ幼い彼女がそうなるのも仕方はないだろう。
「フィリピンは敗北し、我々はもはや虜囚の身だ。カリンが生きていただけでも僥倖と言うしかない。戦争をしたのだから、仕方ない。」
ケネス将軍はそう述べる。もちろん、彼としても悲しくないわけではないが、目の前には彼の妻をその手で殺したイシガヤがおり、そして軍司令であるシルバー大佐もいる。非難がましい言葉を述べて良い場所ではないのだ。
「でも…………」
「カレンも無事で良かった。亡き兄上にも顔向けができる。」
ケネス将軍としては可愛い娘を慰めたい気持ちはあるが、彼女の嘆きへの回答を避けるために、姪であるカレンの無事を喜ぶ。
「この度は……」
そのカレンはカレンで、話しかけた言葉をのみ込みイシガヤの方を向く。
「好きに話して構わん。ここは内々の話だ。」
「ありがとうございます。」
カレンはそうイシガヤに感謝を述べる。立場が立場である。いきなり好きなように話していいわけではないし、話していいと言われてもそれなりに考慮した話をしなければならない。
「叔父上、この度は勝手に降伏し虜囚の身になりましたこと、申し訳ありません。同時に、叔父上が無条件降伏されたこと、感謝いたします。」
このため、彼女はとりあえず無難な発言をし、イシガヤの出方などを伺うのである。
「生きていただけで良い。それに、降伏への道筋を作ってくれたことは感謝している。」
ケネス将軍はそう述べるが、実際、カレンの事がなければそうそうに降伏など認められず、フィリピンの被害はもっと甚大になっていただろう。現時点での被害は、戦争に参加した兵士達と、幕府揚陸地点のアパリ市周辺、およびそれ以外に少々といったところである。アパリ市については多くの市民の撤退は完了していた事から、人的被害はそう大きくはない。
「サタケ大尉以下、兵達は皆奮戦してくれましたが、こちらのタカノブ様率いる部隊は強力で、彼らを蹴散らし屋敷に到達されたため、私もやむを得ず降伏した次第です。サタケ大尉もこちらのタカノブ様とマール中尉という方に撃破されてしまいました。また、叔母様はその際にお亡くなりになられました。近衛兵をお預かりしながら、お守り出来ず申し訳ありません。」
「……こればかりは仕方の無いことだ。兵達は?」
ケネス将軍は彼女の言葉に頷きながら、捕まったであろう兵達の事を確認する。
「それについては私が答えよう。生存者は兵士も含めて軟禁している。追々捕虜の解放について政府と相談させて貰うつもりた。しかし、サタケとクルマは元々は我が国の謀反人である。容易には解放できんぞ。」
問いに対しては、イシガヤが横から口を挟む。このあたりの事は流石にカレンが預かり知らぬことであるので、致し方のない部分であった。
「……しかしながら、彼らも私の命令に従っていたフィリピンの兵士ですので、ある程度のご配慮を頂ければ幸いです。無理は申せませんが……。」
ケネス将軍が、ここでわざわざサタケ達を庇うのは、それが将としての務めだからである。一般的な心象を考えれば、敵国の謀反人であった彼らの事など庇わず、あるいは首を差し出して見せるくらいの方が良いのかもしれないが、それでは人はついてこない。彼の命令に従って戦ったサタケ達は、間違いなくケネス将軍の部下なのである。幾らか心象を悪くしようとも、国を預かる将としては、それをしないわけにはいかないのであった。
「……そうだな。話を聞く限りでは、我が国の要人であったサタケ元少佐は既に死んで居るようだし、せいぜい師団長か旅団長に過ぎないサタケ元大尉レベルの官職の者が生きていたところで、軍がさほど困ることはない。」
イシガヤが言うように、幕府軍の軍制における大尉は、師団長から旅団長といったクラスに当たり、一般的な階級にすれば大佐から中佐である。一部の副軍団長格は代将相当としてカウントされるが、これらは、幕府の最高階級が建国時の歴史的な都合と新地球連邦政府への配慮で大佐と規定されており、『将軍』という言葉もまた最高位が『征東将軍』であることから、使用が一般に制限を受けているためである。つまり、せいぜい大佐クラスでしかなかったサタケ元大尉では、政治的にも軍事的にもさほど脅威にはなりえない、という事であった。
「貴国が責任を持つなら考慮はしよう。クルマは老齢故、奴に責任を取らせてフィリピンに隠居軟禁させ、サタケは前線送りにしても良いかも知れんがな。いずれにしても後日沙汰を下そう。国会に話を通さない限りは、こちらでも確約は出来ん。」
「承知しました。」
実際この辺りは微妙な話であるので、ここで結論が出るわけではないのだ。
「タカノブ、それはそれとして、人質の件をお願いします。」
話が少し切れたところで、イシガヤの隣に座っていただけのシルバー大佐が口を挟む。
「そうだな。……ケネス将軍、今の話だが、貴官の娘であるカリン嬢及び、貴国の要人の子女の一部を、我が国に遊学させてもらいたい。」
遊学とは言うが、シルバー大佐が言ったように実態は人質である。
「……なるほど。人選はどのように?」
「貴国の要人の内、我々に好意的な人物の子女を求める。また、これとは別に教員なども併せて随行してもらいたい。」
「好意的な?」
ケネス将軍が問い返す。普通は、敵対的な人物の子女を人質にとることで、いざというときにこれを殺すなどの脅迫に用いるために使うものである。好意的な人物の人質を取ったところで、敵対勢力に対する牽制にはならないのだ。
「そうだ。敵対勢力となり反抗するような者など、一族皆殺しにするから人質など必要ない。友好的な者たちの子女については、我が国で庇護していれば安心して働けよう。敵対勢力が手を出すことは不可能だからな。」
「…………。」
イシガヤの考え方はあまりにも傲慢であるが、実に効率的ではある。同時に、『反抗したらどうなるかわかっているだろうな?』という意味を込めた脅迫であった。しかも、場合によっては敢えて増長させ反抗させることで、敵対勢力を一掃することにすら含みをもたせているものだ。
「……承知いたしました。人選はこちらで決めさせていただきます。」
「釧路の我が敷地内にある迎賓館及び宿舎を開放する。現状で有事になり得ることはないとは思うが、何かあれば我が家の者と一緒に脱出できるし、貴国側で何かあっても、我々に敵対しない限りは生活や将来は我が石谷家が保証しよう。」
「……ご厚意、感謝いたします。」
「また、こちらの処理が終わり次第、私は釧路に帰還する。軍務は引き続き征東将軍のギンが行うので、貴官らはよく相談して対応いただきたい。私が釧路に帰還する際には、側室のカレンと、カリン嬢は先行して引き連れていく。それまでは自由に面会して構わないし、状況が落ち着けば貴官も釧路に遊びに来てくれて構わない。」
「併せて承知いたしました。」
こうして会談は恙無く終わったものの、晩年にケネス・ハーディサイトが記した手記には、この日の会談は顔面蒼白になるほど恐怖に満ちたものであった、と記載されている。