第21章 降服と戦争準備 01節
「…………なるほど。それでカレンという娘を手籠めにして捕虜にしたと?」
「その通りだ。」
長い黒髪を銀色に反射させながら、怒気含む声でイシガヤ少佐へ詰問するのは、総司令のシルバー大佐である。時に能面のように表情の薄い彼女は、それゆえに夜叉かと思えるような雰囲気を醸し出しているのだが、一方のイシガヤ少佐は平然とした顔でそう応えているのである。ちなみに、軍務として打合せをしているわけではなく、ただの身内の話し合いである。
「私も激怒していますが、妊娠中のヤオネさんはもっと激怒するのではないかと思いますね。」
彼女が、その茶色いというには赤すぎる瞳を光らせてなお追及する。白い肌に映えるその薄い虹彩は先の様相に加えての事で、まさに鬼姫かくあらんといったところではあるのだが、100歩譲ってもイシガヤが悪いのだから仕方のないことである。
「確かに…………。妻が妊娠中に旦那が浮気したとあっては、殺されても仕方がないほどの激怒があってしかるべきかもしれんな。…………ちなみに実際にはまだ手籠めにはしていない。」
「えぇ……?」
では手籠めにしたとは何だというのか。シルバー大佐は困惑を隠せない表情で彼を呆然と眺める。
「……宜しいでしょうか?」
そのイシガヤとシルバーの夫婦漫才なやり取りに業を煮やし、横合いからセレーナ少佐が口を挟む。
「……宜しい。」
困ったときのセレーナ少佐である。シルバー大佐の認識ではそうなっているのだから、このような場合でも特にその意見を遮ることはないのであった。なんでこんな夫婦喧嘩をしている場面に同席しているのか、そんな些事は彼女にとってはどうでもいいことである。
「つまりイシガヤ少佐は、彼女達を名目にしてフィリピンに降伏勧告を出すように謀っていらっしゃるのですわ。カレン様をご側室に加えれば、ケネス将軍も親族相当です。幕府政府も無条件に殺せとは言えませんわ。」
本質的には王族は法の枠外に存在している。通常はそれでも幕府の法によって処断されるのだが、王族の親族であることを強く主張すれば、それなりに抜け道はあるのだ。イシガヤはこれを使うという事である。
「……フルーレ家の際には殺しましたよ?」
シルバー大佐はそう、先の反乱を起こしたイーグル・フルーレ一党の王族の処罰について意見を述べる。決裁はもちろんしているのだが、彼女自身はそこまで考えて決裁したわけではなく、粛々と判を捺しただけである。
「あれは、国家反逆罪で謀反ですから、元々敵対していた相手とは異なります。それに、ご子息でフルーレ家当主であるバーン少佐も、空気を読んで強引な助命は求めませんでしたので。」
「……なるほど。私も放置しました。」
シルバー大佐の場合には、その亡き叔母がイーグルに嫁いでいたので親族に当たるのだが、政治には無頓着で彼らに興味が無いため、放置した、と言っていい。実際に彼女にとって血のつながりがあるのは、叔母の息子であるバーン少佐とその子女だけである。イーグル本人や、叔母の息子以外のイーグルの子息子女とは直接的なつながりはない。だから興味が無かった、と言えばまだしもいいように取れるかもしれないが、実際は政治に興味が無いだけである。
「……さようですわね。しかしながら、イシガヤ少佐は敢えて介入する、ということでしょう。当然ながら、それなりの代償が求められるでしょうが、おそらくは莫大な金品を納めるのでは?イシガヤ少佐の不労所得はいくらCPGの単独議決権を失ったとはいえ大きく、一年やそこら全額納めても並の国の軍費並みにはありますからね。」
「その通りだ。」
イシガヤ少佐が謎に自慢げにそう相槌を打つが、セレーナ少佐は無視して続ける。
「それで、ご家庭の事情はさておくとすれば、彼女達を人質として、身内からの呼びかけとして降伏勧告を行えば、国会からの追求もある程度緩和できるのでは?と、言うのが方針では?それに、国会の意にはそぐわなくても、降伏させたという軍功があれば、カレン様の方もそれなりに評価せざるを得ません。」
「流石セレーナ少佐だ。我が意を得たりといったところだ。」
「イシガヤさんはとぼけていらっしゃいますが、敢えてわたくしに説明させましたわね?」
「…………。」
イシガヤ少佐がこの場面にセレーナ少佐を引き入れていたのは、つまりそういった理由なのである。男の彼がこんな事情を説明して言い訳するよりも、妻であるシルバー大佐が信頼を寄せる女性であるセレーナ少佐から説明させれば、比較的説得も容易であろう、という思惑なのである。特に、セレーナ少佐は幕府の中でも軍政に優れた名将として信任されているため、彼女の軍略が示されることは重大であった。
「いずれにしても、シルバー様のお考えの通り、フィリピンは早めに討伐を終えて、次の目標に向かわなければならないでしょう。その一助にはなるかと思いますわ。」
「なるほど。セレーナ、ありがとう。タカノブは後で懲らしめますが、軍事的にはメリットがありますね。今ほどの話の通り駒を進めましょう。」
シルバー大佐は知略には優れているが、政治判断力では些か鈍い。ただ、夫のイシガヤが比較的老獪であり、またこのようにセレーナ少佐などの信頼できる将校を抱えていることは、このように丸め込まれる事がたびたびあるとしても指揮官である彼女にとっては幸いなことであった。
「ギン、これらがハーディサイト家のカレンと、ケネス将軍の娘のカリンだ。二人とも取り敢えず挨拶せよ。」
イシガヤの私室にて、シルバー大佐は二人を引見する。彼女の補佐に付くのは引き続きセレーナ少佐であるが、これは万が一の時にはシルバー大佐を宥めてくれというイシガヤからの懇願のせいであった。大変面倒臭い役割ではあるが、シルバー大佐にずけずけとした物言いが出来る者も少ないためやむを得ない状況である。
「お初にお目に掛かります。私はナイアス・ハーディサイトの1人娘、カレン・ハーディサイトです。今は17歳ですが、当年で18歳となります。母は病没しており兄弟もいない事から、現在のフィリピン総督ケネス・ハーディサイトの庇護下にありましたが、この度近衛兵を預けられたものの貴軍に敗北し、虜囚となりました。」
一応用意されていた簡易ドレスに着替えていた彼女は、裾を持ち上げて優雅に礼をとる。年齢の割にはしっかりとして物怖じしない態度でもあり、流石は禿鷹将軍と名を馳せたナイアス・ハーディサイトの娘と言ったところだ。それに続いて従妹のカレンが挨拶を始める。
「は、はじめまして、カリンです。私のお父様はケネス・ハーディサイトと言って、フィリピンの総督をしています。12歳です。お母様はこの前の戦闘で死んでしまいました……」
カリンの方は流石に幼い事もあり、従姉カレンの挨拶を必死に真似たのだろうがやや拙い内容である。また、先の戦闘ではイシガヤの牽制射撃で建物が崩れ、その母を亡くしたばかりであるという影響もあるだろう。捕虜として捕まっていることに加えて、父はまだ彼らと戦闘中でもある。心理的負担は相当なもののはずだ。
「カリン様は私の指揮下にありまして、問題ありましたら私が代わりにお答え致します。」
一瞬だけ眉を寄せたシルバーの表情を見て、カレンがそうフォローする。シルバー大佐のそれは、単に幼いな、という印象から可哀想に思っての事であったが、カレンの方は何か気に障ったのではないかと判断したのだろう。敵地であるため、その対応は慎重さを求められるので当然の事ではある。
「お二人とも、挨拶をありがとう。私は、日本協和国征東将軍伊達幕府頭領の伊達大納言銀です。一般にはシルバー・スターの通称が知られていますが。」
この通称は、元々宇宙移民となった彼女の先祖が改名し名字をスターにした事と、その後一族の伊達家の家督を譲られたことから2つの名前を使っているのだが、グローバル化された世界では、英名となるシルバー・スターの呼称の方が好まれているだけである。どちらも正式に通用するのだが、官位を称する場合には、氏族名を表せる伊達銀の方を公称としていた。
「この会談は、私の夫であるタカノブがカレンさんを側室に加えることに関して、そしてフィリピン軍に降伏勧告を出すことに関しての内容となります。よろしいですね?」
シルバー大佐がそう告げる。正室であるシルバー大佐が『側室に加える』と述べることは、ある意味一つのマウント取りではあるのだが、政治的にも戦略的にもその意味は大きい。先ずその一点がクリアされない内は、降伏勧告をする意味は無いのである。国会の含みは、フィリピンの徹底的な討伐なのだから。
「はい。御方様にあられましては、御寛恕下さいますと幸いです。」
カレンはそれを理解した上で、そう述べる。つまり、イシガヤが彼女を側室にするといっても、正室であるシルバー大佐の許諾が必要であることを把握したためである。軍事的な指揮官でもあるため、事実上、彼女の進退はシルバー大佐に握られているのである。実際に正式に側室になっていたり、あるいはせめて本当に手籠めになっていればまだしも、全く何もされていない現状での口約束は、空手形と言われても仕方がないものであった。
「さて、まず最初に聴いておきますが、カレンさんはタカノブの側室になることを許容出来るのですか?タカノブは貴女の父上を殺した男であり、貴女の父上はタカノブの妻であり私の妹のヤマブキを殺した男です。」
シルバー大佐がそう問う。彼女にとって幸いだったのは、正室であるシルバー大佐が、頭から拒否したわけではなく、側室になることを前提とした内容を聞いてきたことにある。つまり、この時点でよほど下手な回答をしない限りは、身の安全は保障されている、という事であった。それに気が付いたカレンは、粛々として問いに答える余裕をもてたのである。
「シルバー様、ご無礼を承知で申し上げますが、戦の事は戦の事です。政治的に私がご側室にして頂けることでフィリピンの民が戦禍を免れ得るならば、それは元フィリピン国の国主の一族として本望です。」
「なるほど。」
その言葉にシルバー大佐はもっともらしく頷く。
「勿論、ご側室とさせて頂きました後は、フィリピンと貴国の繋がりを盤石にするなど、貴国に対してメリットがあるように働き、そして、旦那様に忠誠を誓う次第です。」
此処まで謝罪の言葉を述べないのは、彼女なりの気概であり、そして国主の一族としての誇りがあるからであろう。謝罪をして命乞いをすることは簡単だが、それは彼女の国の決断を蔑ろにする事と同じである。シルバー大佐が嫉妬深いわけでもなく陰謀家でもなく、幕府の高官らしい潔い人物と判断出来た以上は、堂々として応えればいいことであった。
「左様ですか。しかし、降伏は無条件降伏を求めざるを得ません。」
その答えに満足したのか、シルバー大佐は政治的な話に内容を移す。つまり、側室の問題は既にほぼ決着がついたという事だ。
「ご内容にもよるかと思いますが、これまでの経緯から察するに、幕府の方はフィリピンの混乱は避けたいと考えていらっしゃるのでは?そう考えれば無条件降伏だとしても、法外な要求はされないと考えられますので、無条件降伏の要求でよろしいかと存じます。」
「なぜそう思うか?」
「……もし、フィリピンの混乱を許容されるなら、私やカリン様を公開処刑にされれば良いと考えた次第です。総督であるケネス将軍の命まではわかりませんが、カリン様はご容赦頂けると幸いです。また、フィリピン国民にも御寛恕頂けることを望む次第です。」
まだ幼さを残すものの、カレンはそう堂々と答える。一国の代表を相手にしての答弁であるから、なかなかの度胸である。
「では聞くが、何故ケネス将軍は無条件降伏を受けなかったのか。」
「私も詳細は分かりかねますが、条件付き降伏の交渉は何度も却下されたと聞いております。国民の安全と、ある程度の身の回りの者達の安全保障を求めたものと思いますが、何処かがお気に触ったのでしょうか?しかしながら、この状況においては、ケネス将軍も即時無条件降伏を受け入れるものと考え得ます。」
「なるほど。」
シルバーがもっともらしく頷く。実際にカレンはそれなりに知性深く能力的には問題ないだろう、と、判断したためである。少なくとも、シルバー大佐本人よりは、政治的判断力はある。
「カレンさんの言うことであれば、ケネス将軍は無条件降伏を認める、と。」
「カリン様をお救い頂けるのであれば、説得は簡単です。」
カレンは無条件とは言いつつも、そう言って条件をねじ込む。シルバー大佐はともかく、同席しているイシガヤとセレーナも気が付いてはいるが、特に問題はないのでそこはスルーするのであった。
「ではもし降伏を受け入れない場合、貴女達を旗頭にしてフィリピンの制圧と支配を行いますが、それも受け入れますね?」
「カリン様と、私を旗頭に、ですね?」
「そうです。」
「受け入れます。その場合には、カリン様を旗頭として、フィリピンの制圧に全力でご協力いたします。」
つまり、この話し合いは完全にカレンの勝利であったと言えるだろう。彼女は捕虜にこそなったものの、カリンを含めて多くの手勢の安全を確保したと言っても過言ではない。充分な戦果である。
「タカノブに聴きますが、カレンさんを側室にするとして、その立場は?」
シルバーが問うのは、妻としての立場の事である。ここは最初に定めておかなければ、後で問題になりがちな要素であるからだ。多くの戦国大名家も、こういった正室や側室の争い、その子供達での相続争いで、その勢力を落としたところは数知れない。
「末席として、子供が出来てもイシガヤ家の継承は認めない。最上位の正室はダテ家のギンであり、イシガヤ家としてはヤオネとなる。無論、公的な場に同席する場合には、いかなる場合もギンが優先される。イシガヤ家として見た場合は、ヤオネを優先とし、ギン、クオン、ヤマブキ、ソラネと続け、カレンはこの末席としてソラネの家臣としても組み入れる。この場合ギンを一格下げるのはダテ家の相続人であるからであり、ヤマブキは戦死して既に亡いが絶対に外さない。カレンの従妹であるカリンの方は、何処か適当に力のない貴族を見繕って嫁にいかせればよかろう。」
イシガヤはそう答える。今までと特に変わりのない内容であり、当たり障りのない答えである。
「セレーナは何かありますか?」
「特には?カレン様もなかなか賢く慎重な方のようですので、問題はそう起きないと思われますわ。フィリピンの制圧も順調に進むものと考えます。」
問われたセレーナ少佐は、当たり障りのないような意見を述べる。実際に賢いことが果たして良いのか悪いのかは何とも言えないところではあるが、少なくとも足元の作戦においては有用であるし、それ以上はもうイシガヤ家の家庭の問題である。
「わかりました。では、不本意ですが、カレンさんが側室になることを認めます。その代わり、フィリピン軍の説得と国会対策はタカノブに任せますからね。」
「ギン、無理を言ってすまないな。助かる。政治の方は任せておけ。セレーナも感謝する。」
こうして、重要な承認を得られたことにより、カレンはイシガヤ家の側室候補として正式に認められ、作戦に従事することになったのである。