第19章 フィリピン近海会戦 04節
雷跡は海上を走り、ミサイルは海面を征く
砲弾の嵐は雨霰として天上より降り注ぎ
幾条ものビームの束は塵芥を焼き尽しながら虚空を進む
狭き海域を硝煙の臭いとイオン臭が満たし
炸裂した砲弾、貫通した装甲板、そして柱と伸びる飛沫の音は
まるで地獄での阿鼻叫喚の如く域内に響き渡る
サイクロプスは牛頭馬頭羅刹か、戦闘機隊は飛縁魔なるか
鉄塊にして肉塊にして、人の御霊を煉獄の黄泉に沈めゆく
火炎に開くは彼岸の花か、赤き血を吸う赤蓮の華か
たすくる者無き河岸を彩り、人は唯独り黄泉に趣くのみなり
「神風級のミサイル攻撃終了。減速し後方に回ります。」
一隻で一度に20発程と大量のミサイルを放てる神風級ではあるが、数連射した後には、再装填の時間も掛かれば実弾故の弾数制限もある。それらの補充中に前面に布陣していれば、他の艦艇の射線を防ぎ邪魔でしかない。砲雷撃戦の最中、巧妙に布陣を切り替えるエン大尉の采配は見事なものである。
「正面映像映します!」
続いてオペレーターのランファ軍曹が示す艦橋のモニターには、敵の前衛が被弾し炎上する様が映し出される。敵のサントス艦隊は凡そ1個軍団規模、一方の幕府軍は3個軍団弱という戦力差である。次々に撃ち合う砲撃の雨は、幕府軍が雷雨とも言える状況に比して、フィリピン軍のそれは幾らか激しい雨に過ぎ無い程度であった。ただいずれにしても狭い海域であるため、通常の海戦に比べればその砲弾の雨の密度はあまりにも濃い。
「ざっと見ても15隻程が炎上していますわね。友軍は4隻が脱落。こちらも損害が増えて来ていますが、このまま全速前進します。衝突や座礁に気をつけなさい。」
セレーナ少佐のそれは、狭い海域で双方の艦艇が脱落する中、その合間を取ってすれ違いながら砲撃戦を続ける指示である。艦艇同士が激突する恐れもあれば、接近するほど双方の被害が増すことは確実だが、それでもこの強引な作戦を実施するのは、敵を確実に仕留めると同時に、右往左往しては左側面からフィリピン軍ガルシア艦隊の攻撃が迫るからである。
「また、サイクロプス隊は2手に分かれなさい。1手は主力軍としてオニワ大尉が指揮。2手は200機程度をカタクラ大尉が指揮し艦隊直掩を。オニワ隊はこの海峡周辺に残り、乱戦に移りなさい。サントス艦隊のサイクロプスを撃破し、ガルシア艦隊から向かってくるサイクロプス隊を迎撃せよ。細かい指揮はオニワ大尉に任せますわ。」
オニワ大尉は有能故に後方の備えに回されやすく目立たないが、攻守に優れた勇将である。若さ故か老練さや老獪さには欠けるが、この戦にはそんなものは必要ない。無難にこの海域を抑え込めば良いだけである。指揮能力については彼の指揮能力を超えるものではあるが、旗下の各部隊長を使いこなせばある程度は処理できるであろうし、副軍団長であるため現状の幕府軍将校の中では上位ではあった。選択の余地がない以上はどうにかしてもらうしかないのである。
「航空機隊はイナホ大尉の部隊は艦隊直掩を維持。それ以外は艦隊がサントス艦隊を突破次第、随時補給の後再出撃を。」
大混戦である。細かい指示は各部隊長や艦長に任せれば良いが、大要とタイミングは司令官たるセレーナ少佐が調整し指示をしなければならない。
「ランファ軍曹、お茶を。足久保の緑茶があるはずです。」
流石に戦闘中のため、ランファ軍曹は衛生兵に内容を転送するが、彼女自身を含めた数人もお茶を頼むのだからだいぶ司令官に毒されているといえよう。衛生兵も衛生兵で、艦橋付近にも被弾する状況の中、落ち着いた所作で緑茶を淹れて配るのである。この間5分も無いのだから慣れたものだ。
「やはり緑茶は落ち着きますわね。」
砲弾が降りしきる中、緑茶を選択したのは鎮静作用があるからである。そして、司令官たるセレーナ少佐が、大混戦の中でも落ち着いてお茶を飲んでいるというのは、兵達からすれば心強いものなのだ。
「さて、敵サントス艦隊を突破次第、ダルピリ島を時計回りに進軍。そのままガルシア艦隊に向かいます。各艦用意なさい。また、カリスト艦隊にも合流を呼びかけよ。先鋒を務めてガルシア艦隊に砲撃を加えなさい。艦隊は戦域に入り次第速度を落とし本陣到着まで砲撃戦を支えよ。敵の攻撃が激しい場合には、北東カラヤン島方面に抜けることを許可します。サイクロプス隊も先行し、オニワ隊の疲弊した部隊と交代。本陣直掩のカタクラ隊及びイナホ隊もそれに続かせます。」
海域には多数の艦艇が沈み、サイクロプスが撃墜されていくが、それも気にせずセレーナ少佐が次の指示を下す。艦艇数では圧勝している以上、どれほどの損害を受けてもサントス艦隊を突破できるのは確実であろう。そうなれば続く戦闘で一先ずの勝利を目指し、この場の収拾や救助は後でやるのが妥当だからだ。そのタイムラグによって負傷者によっては命を落とすこともあろうが、先ずは敵を倒さなければより多くの味方に被害が出る。
「カリスト艦隊の戦域突入まで約8分です。こちらは凡そ16分で戦域に再度突入します。」
カリスト艦隊の方が位置が近いこともあるが、何より高速艦で構成されているため速度が速い。先に引き続き、数が少ない中での牽制砲撃的な役回りであるが、将兵の休息がある程度出来ているだろうことに加えて、カリスト大尉の損切判断が速いため、寡兵で大軍にぶつかっても致命傷を受ける可能性が比較的少ないと想定される故の起用である。
「旋回中にある程度の被害報告を。」
セレーナ少佐が告げる。
「現時点で、エン大尉、ワキサカ大尉、および当艦隊の合計で、霧島級6隻、神風級1隻、古潭級1隻、音羽級2隻が轟沈。」
敵艦隊を蹴散らして突破した割には損害数は少ない。横合いからの敵ガルシア艦隊の攻撃をほとんど受けないまま、敵サントス艦隊と衝突したため、三倍に近い戦力差での戦闘であったこともあるだろう。
「想定内ですわね。では、このままの編成で突入しましょう。」
「しかし、有利とはいえ、敵ケネス艦隊への対処は?」
ランファ軍曹が問う。先に遊軍にしたケネス艦隊であるが、動きによっては途中で突入してくる可能性もある。
「そうですわね。合流してきたとしてもこちらの有利です。このまま蹂躙しましょう。」
とはいえ、セレーナ少佐はケネス少将が捨て身で突入してくるとは考えていない。これまでの経緯からいえば彼は停戦を目標としており、彼がここで戦死してしまえばその目標は頓挫しうるからである。もっとも、やけになって死にに来るという考えも無くはないのだが、それほど無責任な指揮官ではないだろう。
「ケネス将軍、どうなさいますか?」
そう問われるケネス少将は、顔にやや焦燥を表す。
「ダルピリ島とカラヤン島の間を抜けてくる幕府軍を、衡軛陣の丁字で受けつつ我々は東方面に抜ける。衡軛陣の西側はガルシア艦隊、東側を当艦隊が務める。」
ハブヤン諸島内の南西周辺地域で現在両軍のサイクロプス戦が行われているが、そちらもフィリピン軍は押されている状況である。統率能力の差はそれほど感じないが、やはり新鋭機でそろえて数で勝る幕府軍には抗う方法がない。
「サイクロプス隊は漸次後退させ、中央海域での決戦とする。各艦各隊奮戦せよ!」
現状でケネス将軍の艦隊も旋回を終えており、カミギン島西方に布陣している。これに併せてガルシア艦隊がケネス艦隊のやや西南方向に合流していた。この布陣で交戦しながら、カミギン島北部を抜ける方針である。どちらかが壊滅するまで戦闘するという考えも無くはないが、今後の事を考えればここで彼自身が戦死するのは和平交渉を考える上で得策ではなく、伊達幕府軍に痛打させ得る展開をしつつも、身の安全は考える必要があった。
「敵先鋒は先のカリスト艦隊だ。慌てずに攻撃すれば良い。」
「はっ!」
「カリスト大尉、敵艦隊が射程に入ります。」
それはつまり敵の射程にも突入するという事である。フィリピン軍はビーム砲が主体であり、幕府軍はそれに対してビーム攪乱幕を展開しての戦闘になるが、敵数の方が圧倒的に多い状況であるから安心できる要素はない。加えて、先のケネス艦隊が備えており、他にもミサイルを用意した艦艇や、あるいは魚雷が来ないとも限らないのである。アンチレーダー下では誘導性に問題はあるが、単純に撒き散らせばそれはそれで有効である。当たれば沈むのだ。
「敵が構えているから、流石に突っ込むのは違うと思うので、敵有効射程ギリギリを航行します。遠距離で魚雷やミサイル攻撃を受けても、大半は撃ち落とせます。」
総数でいえば幕府軍は有利であるが、まだ後方のセレーナ本隊が旋回中である。いずれにしても戦闘しないといけないとはいえ、敵の逃げ場所は限られることから、そうあわてる必要はないのである。
「オニワ大尉のサイクロプス隊が到着しても、とりあえずは艦隊周辺の防衛をお願いしてください。敵次第ですが、セレーナ本隊が来てから本腰を入れます。」
「了解。」
浮舟は やまない雨に 揺れるとも 風のまにまに 波をこそ越ゆ
「カリスト艦隊の距離の取り方が絶妙だな。先ほどとは大違いだ。」
ケネス将軍がそう嘆息するのも無理はない。彼は先のように突っ込んでくることを期待していたわけではあるが、カリスト艦隊は有効射程ギリギリの距離を維持し、サイクロプス隊も抑えている状況である。フィリピン艦隊のビーム砲撃も届かなくはないのだが、空気や撹乱幕で減衰され着弾しても効果的な被害を与えられる状況にはなかった。魚雷などの攻撃もしていないわけではないが、高速艦相手であり、かつ回避指揮に優れたカリスト艦隊に対して、有効打を与えられていない。
「寄せますか?」
「いや。このままの進路を取る。」
艦数の少ないカリスト艦隊につられて敵のいる方面に艦隊を寄せれば、カリスト艦隊は一蹴できても、その後に続くセレーナ艦隊と対峙した際に退避が円滑にできなくなる。旋回には時間がかかるし、突貫には政局的によろしくはないのだ。
「こちらの有効射程ギリギリまではサイクロプス隊を前面に押し出し、敵と交戦せよ。絶対数で敵に劣るが、しかし此処である程度敵を痛打する必要はある。敵に釣込まれず、敵を釣込めれば最善だ。」
両陣営サイクロプス1000機以上、総兵数にして2000機以上ものサイクロプスが、ハブヤン諸島の狭い海域でにらみ合う。お互いに乱戦を避けているため陣形をほぼ維持したままの砲撃戦に始終するが、その砲撃は非常に激しいものとなっている。幕府軍は引き続き偃月陣の部隊を横に並べた横陣を維持しており、一方のフィリピン軍は方陣を横に並べた横陣で応戦する。ハブヤン島とカミギン島の50㎞程度の海峡に20m程度のサイクロプスが双方布陣し、お互いに一斉射すれば2000以上の砲弾やビームが飛び交う。人間の縮尺にすれば50mの距離に1人が布陣する程度であり、しかも高さに自由度があるので、密度でいえば大したことはないともいえるが、今世紀においても稀にみる整然とした大会戦であるには違いない。部隊の射撃命中精度からいえばフィリピン軍がやや有利ではあるが、数で劣るフィリピン軍は次第に押され始める。劣勢の中でたとえ常に同数の敵を撃墜できたとしても、戦力数差は次第に開いていくのだから仕方がない状況であった。
「セレーナ少佐、敵艦隊を捕えます。」
「よろしい。このまま戦艦の速度に合わせて、各艦全速前進。空母及び輸送艦は必要最低数の護衛艦とサイクロプス、戦闘機で護衛し、この海域をゆっくりと航行します。先行する戦闘艦で敵艦隊を存分に砲撃しなさい。特に、敵の後続艦隊を集中して狙い、戦闘力を削ぎなさい。撃沈まではしなくてもよろしい。先行するエン大尉、指揮は任せます。ワキサカ大尉は先行する艦をエン艦隊に預けなさい。」
「承知!」
追撃戦は、侵攻速度に加えて慎重さも求められる。偽装撤退に合わせて伏兵を仕掛けるなどは古来の常道である。その点では、エン大尉は勇猛ながらも慎重な采配も得意としているため、先鋒に加えてこういった追撃戦でもその力量を発揮する勇将である。慎重に敵の艦隊速度に併せて進軍し、被弾により脱落した艦や、速度を落とした艦を無力化していく。無理にでも押し込めばもう少し削れるのではあろうが、これはセレーナ少佐の意を汲んだ敢えての事である。
「えぇい、これまでか。後退する!カミギン島を旋回し、残存艦はベーラー湾に向かう。損傷艦はアパリ市を目指し、自沈。サイクロプス隊の大半は護衛に回し、アパリ市に上陸させ敵の揚陸戦に対して防御を。」
フィリピン軍のケネス将軍がそう指示を下す。既にセレーナ艦隊も敵に合流している状態で、サイクロプス戦でも彼の軍勢が押され気味で壊乱している部隊も多くなっている。サイクロプス隊は、敵のオニワ大尉率いる軍勢が数を優位に戦線を維持し、フィリピン軍に対して押し勝っている。幕府軍のパイロットは決して練度が高いわけではないが、100機前後で偃月陣を編成し横列に並べたような布陣であり、偃月陣の先頭部分には練度が高いパイロットを、両翼には練度の低いパイロットが配されて、先頭部分の動きに合わせて行動をする、という事が徹底されていた。この両翼に練度が高めのクスノキ中尉とマール中尉の率いる部隊が控え、フィリピン軍が横から回って乱戦に持ち込むことを防ぎ、上空からの迂回はカタクラ大尉の部隊と航空機体がガードしている。フィリピン軍は決して練度が低いわけではないが、安易に乱戦に持ち込むことはこのように防がれ、かといってケネス将軍の指示は完全なる突撃戦でもないことから強引な特攻は行えず、単純に数負けする状態に持ち込まれていた。命中精度ではややフィリピン軍が上であるが、この状態では如何ともしがたい誤差である。無論、強引に特攻したからと言ってどうなるものでも無いのかもしれないが。
「ガルシア将軍が殿軍を務めるとのことです!」
「…………任せる、と、伝えよ。」
ケネス艦隊の西方に陣するガルシア艦隊は、幕府軍からの攻撃を受けて半数近くが無力化されている状況にあり、殿軍を務めるという事は相当の危険が伴うことは明らかであった。ただ、幕府軍の主要な攻撃が着弾後に炸裂する徹甲榴弾に切り替えられており、甲板その他の構造物が破壊されて戦闘力を失った艦が多く、爆沈まで到った艦はそこまで多くはないことが幸いではあった。これは人命を考慮したというよりは、効率良く数の多いフィリピン軍艦隊を無力化するため主砲その他の構造物の破壊を優先した、というだけではあるのだが。一方で、アパリ市までは航行できそうな艦が多く、それら無力化された艦を港湾で自沈させれば、揚陸戦での障害物には出来るのではあった。
「セレーナ少佐!敵艦隊撤退していくように見えます!」
ランファ軍曹がレーダー情報を見ながらそう伝える。もっとも、諸島中央周辺でケネス艦隊とぶつかった時点で、既に撤退気味ではあったのだが。
「日も暮れてきますし、追撃はほどほどに抑えます。航空隊など足の速い部隊での追撃に留めなさい。艦隊はサイクロプス隊を護衛に、ゆっくりと敵を追いかけ、カミギン島東方海域で停止。シルバー様の後方部隊を待ちます。」
追撃戦を行ってもいいのだが、セレーナ少佐は敢えてこれを抑える。一つには狭い海域での鍔迫り合いの戦闘で、友軍の疲労がピークに達していた事や、脱出者の救助活動といった作業が残っていることもあるのだが、敢えて敵艦隊司令官を生かしておく、という点を重視したのである。軍功としては既に1個軍団半程度は戦闘不能に持ち込んだことは確認できており、戦果は充分とみて良いこともあったが、敵のケネス将軍が非常に理知的で手堅い艦隊指揮を行い、それ以前の行動や艦隊配備から見ても冷静で慎重な性格を読み取ったからである。幕府国会の意図としてはフィリピン国の徹底攻撃が示唆されてはいたが、これらは公的な命令や指示でもなく、戦略的に見た場合は降伏勧告を行った方が軍事的に都合が良いためであった。とはいえ、これらをセレーナ少佐の権限で行えるわけでもなく、シルバー大佐にしてもある程度国会の意図は尊重せざるを得ないことから、状況変化に期待してこのような微妙な立ち回りをしたのである。
「敵味方問わず、救助活動を行うよう護衛艦を展開しなさい。わたくしも疲れたので、アールグレイあたりの風味のいい適当な紅茶の用意をお願いしますわ。甘いものもお願いしますわね。バターたっぷりのクッキーがあれば、それを。」
傍若無人にして鉄壁にも思える彼女であっても、さすがの乱戦では疲労するものだ。まるで血のように華やかな色の紅茶を飲みながら、イチゴジャムを添えたクッキーを可愛らしい小さな口で優雅に咀嚼する。
「良く食べられますね……。しかもそんな赤いもの…………」
ティータイムを始めたセレーナと、それに相伴するランファ軍曹を見た新人の兵の一人が問う。艦隊旗艦であるため戦場にいたといっても危険度は他の艦やサイクロプス隊ほどではないが、それでも命の取り合いをしたばかりであるし、前線ではまだ戦っている最中である。そんな中で血を連想し得る色のものを飲食しているのだから、戦場に不慣れな兵にとっては正気の沙汰には見えないのかもしれない。
「……む。」
セレーナ少佐はしゃべりだそうとして口の中のものを飲み込むが、口元を手で隠すその所作もゆるりとしており、戦場とは思えない優雅さである。
「わたくしのお仕事は、24時間常に頭を働かせて、より多くの敵を倒し、より多くの味方の命を守る事ですわ。糖分をとりカフェインで意識を覚醒させておくことは、役割として重要なことなのですわ。この後もいつご飯が食べられるかわかりませんから、食べられる時にはちゃんとカロリーを補給しておかないとなりませんしね。」
セレーナ少佐は真面目に理由を答える。
「いえ、そういうことではなく……」
「そんなこと言っても無駄ですよ~。セレーナ少佐は初陣で本営に爆撃を受けて死屍累々の時に、平然とお茶飲んでた人ですからね!」
困惑気味の新兵に、ランファ軍曹が気楽に答える。彼女もまた歴戦の兵士である。
「えぇ…………」
「そういうこともありましたわね。」
セレーナ少佐は何をそんな当たり前のことをとでも言いたげに、普通に間食を続け、それどころかおかわりを自分で用意し始めるが、
「戦場経験が少ない間は、無理に食べなくても構いません。ただ、本営に居る限りはいかなる時も脳みそを働かせることが仕事ですわ。また、前線に居ればおなかがすいて戦えないなどあってはなりません。生き残りたければ、それなりに覚悟して鍛えておきなさいな。」
その準備の合間に、まるでつまらないことかのように新兵にそう述べるのであった。
宇宙世紀0282年6月7日。先の会戦に勝利したセレーナ少佐の艦隊は周辺海域での救護活動を行いつつ、フィリピン軍の反撃に備えていたが、特筆した攻撃はなく、この日後続のシルバー大佐率いる後方の揚陸部隊と合流した。単独での揚陸戦をする戦力も無いではなかったが、敵の残数や根拠地であることを踏まえてそれなりに長期化するものと見込んでおり、特に命令も無かったため性急な進軍を避けたのである。フィリピン軍に準備の時間を与えることにも繋がるのだが、攻城や揚陸というものはそう慌てても良い結果をもたらすとは限らないのだ。
「約3個軍団の同数の艦隊と激突して、1.5個軍団程度の敵を撃破し、損害は3個師団程度ですか。それほど目立つ奇計奇策はなかった割には、その戦功は比類無きものですね。」
セレーナ少佐にそう述べるのは、総司令のシルバー大佐である。決して少なくはない損害ではあるが、撃破数に比べてはだいぶ少ないのだから充分な結果である。
「各将兵達の奮戦の賜物ですわ。」
「優れた将とは、まるで当然かのように勝つ者を言うのです。戦報を見ましたが、ケネス少将の布陣も決しておかしくはなく、普通に攻め掛かればいくらこちらの将兵が敵に勝る武装をしていようとも、この程度の損害では済まなかったことでしょう。彼の知名度は低いですが、我が軍においても軍団長は務まる程に軍才は有しているのですから。」
シルバー大佐は敵将のケネス少将の兵の運用もほめつつ、セレーナ少佐を称賛する。実際彼女自身が指揮を執ったところで、セレーナ少佐より優れた結果を出せたかと言えば微妙なところであり、他の軍団長を充てれば負けていたかもしれない戦いである。彼の採用した包囲陣形自体は、幕府軍の侵攻路を確実に読み切った上での布陣であり、またその配備も十分に精査準備されたものである。この布陣で敗北した理由は、単に幕府軍がより精強であったことと、セレーナ少佐の侵攻速度が速く、包囲が機能する前に突破しきったことであろう。少しでも動揺して速度を落としていたら、被害はもっと拡大したはずであった。セレーナ少佐と同じような指揮を執れるのは、幕府軍では海軍軍団長のクキ少佐をおいて他にはいないであろう。
「揚陸戦はバーン少佐の陸軍が前衛を務めます。セレーナ少佐は主要艦隊をワキサカ大尉に預けて後方に下がり、本営でしばらく私の補助をお願いします。フィリピンの次でも指揮官を任せたいので、しばらく休息しなさい。」
「…………なるほど。承知いたしましたわ。」
その含んだ内容にセレーナ少佐はただ頷く。
「本作戦ではケネス・ハーディサイトを生かしておいたことは特に評価します。しかし、次回はそうもいかないでしょうから、覚悟をしておいてください。」
「…………承りました。」
星海新聞 号外 幕府軍、フィリピン主力艦隊撃破せり!
宇宙世紀0282年6月7日、フィリピン軍の主力艦隊を撃破したセレーナ少佐と、我らが征東将軍シルバー大佐の後続艦隊が合流。近日フィリピンへの揚陸戦が始まると伝えられ、地獄の番犬バーン・フルーレ少佐がその先頭に立つと伝えらえた。