その声で俺を呼ぶから。
「あなたは、 創静に会いたいですか?」
頭に、上手く情報が入ってこない。
そんな俺を置いて、 橘さんは話を続けている。
まさか、連絡を取っていたなんて。
宮丘さんはある日突然、姿を消した。
1番近くに、一緒に居た紫乃さんに何も告げず。
なのに橘さんはあっさり連絡が取れる事を明かした。
この人たちは本当に、何がしたいんだ。
「…証拠は、ありますか。」
「あれ、疑うんですね。」
意外そうという顔をする橘さん。
そりゃそうだろう。
鵜呑みにして嘘だった時、馬鹿を見るのは俺だ。
冷静に、ならなければ。
橘さんが俺に嘘をつく理由はないが、
素直に真実を話してくれる義理もない事を忘れてはいけない。
橘さんはスマホを取り出し、何やら操作をしている。
かと思うと俺にスマホを差し出した。
「どうぞ。」
「…?」
にっこり笑う橘さんからスマホを受け取る。
スマホの画面を見る前に、
向こうから声が聞こえて咄嗟に耳に当てた。
しかし耳に当てたと当時に相手は言い終えてしまった様で、
スマホからは何も聞こえなかった。
しばらく黙ったまま耳に当てていたが相手は何も話さない。
「も、もしもし…。」
「はい。」
恐る恐る尋ねてみると、返事があった。
その声は優しい男性の声の様だった。
俺はなんて言えばいいのか分からずそれ以上話せなかった。
…そもそも誰なんだ、電話の相手は。
そう思った時、さっきまでの話の流れを思い出す。
待てよ…?まさか。
「あ、あの…」
「 文仁じゃないですね。
はじめましてどちら様でしょう。」
相手は名乗りもせず、俺の名前を聞いてきた。
文仁って橘さんの事だよな…?
つんとした態度に少しむっとしたが、
橘さんのスマホからの電話に違う人が出たらそりゃ変に思うか。
それにここで色々先に名乗れだ何だって言ってたら話が進まないし。
短く息を吐いて、冷静を保つ。
「はじめまして。 伊上 真琴と申します。」
「 伊上 真琴さん…。
僕は宮丘 創静です。」
俺の名前を繰り返した後、名乗った相手。
名前を聞いて、息を呑んだ。
今話しているのが、 宮丘 創静…!!
探していた相手とこんなすぐに話せるなんて思ってもなかった。
すでに亡くなって…。そんな事も考えていたのに。
スマホ越しではあるが、探していた人が居る。
手を当てなくても、心臓の音が聞こえる。
言いたい事があるのに、声が出ない。
頭の中は冷静なのに、身体は震えていた。
「 伊上 真琴さんって、
確か紫乃の今の担当者さんでしたよね?」
「…え?」
宮丘さんの言葉に、
身体の震えは止まった。
なんで、この人は。そんな事知ってるんだ。
紫乃さんは俺が担当になってから、
まだ作品を出品していない。
それにもし出品していたとしても、
担当者が誰かなんて関係ないし、知る方法もない。
じゃあなぜ、この人に。そんな情報が漏れてるんだ。
よぎったのは、社長の顔。
「いつも紫乃がお世話になっています。
あ、僕の本も読んで頂けた様で!嬉しいです。」
想像していたよりずっと明るく話す宮丘さん。
俺はただただ、絶句した。
それと同時に紫乃さんの辛そうな顔を思い出す。
どうしてこの人は、 宮丘さんは。
こんなに明るく話して居られるんだ。
あんなに辛そうで、苦しく悩んでる人が居るのに。
心の奥の方から何かが沸々と上がってくる感覚。
「…どうして」
「はい?」
「…どうして、そんなに笑ってられるんですか。」
トーンが変わった事に気付き、黙る宮丘さん。
正面で座っている橘さんは何も言わない。
…きっと何かしらの事情があって。
こんな手段を取ったんだと思うし、分かっている。
でもこれは、あまりに酷いじゃないか。
紫乃さんはあんなに苦しいのに、
どうして宮丘さんはこんなに平然としてるんだ。
俺は全ての事情を知っている訳じゃないし、
怒ったり出来る立場じゃないのも理解してる。
…それでも、 紫乃さんのあの顔がちらついて。
許せなかった。へらへら笑う宮丘さんも。
事情を知っているだろうに、知らないふりをする橘さんにも。
当時その場に居なかった、無力な俺にも。
「詳しい事情も、当時何があったのかも俺は知りません。
ですが俺は今、へらへら笑っているあなたが許せない。」
「…おい。」
「 文仁、いいから。」
俺の言葉に反応して立ち上がった橘さんを
制止する宮丘さん。
橘さんは、不満そうな顔をしつつも黙って座った。
俺に今、言葉を選ぶ余裕はない。
スマホの向こうから聞こえた、短い息を吐く音。
少しの沈黙の後、声が聞こえた。
「すみません。そんなつもりはなかったんですが、
不快な気持ちにさせてしまった。…改めて伊上 真琴さん。
日付と時刻はお任せします。…直接お会い出来ませんか。」
「…は?」
予想外の申し出に、思わず声が出る。
会う…? 宮丘さんと?
訳あって姿を消したはずの人と、こんな簡単に会えるのか?
いや、簡単っていうと少し語弊がある。
ここに辿り着くまで、確かに悩んだし考えた。
だとしてもあまりにあっさりとした展開に驚いた。
「もちろん紫乃には内密にお願いします。
伊上さんがもし、僕の事を紫乃に話してしまったら。
2度とこうして話せなくなると思ってください。
これは脅しではなく、“警告”です。」
「…。」
「 伊上さんもそんな事、望んでいないでしょう。
どうですか、お互いにとって不利益はないはずです。」
脅しではなく、警告。胸に重くのしかかる言葉だった。
あれだけ会いたがっている紫乃さんより先に、
宮丘さんに会うのは気が引ける。
…仕方ないのか。背に腹は変えられない。
せっかく掴んだ“真実”までの切符。
そう容易く手放す訳にはいかない。
出来るだけ、聞き出せる情報全て。引き出させなければ。
どうも俺は頭を使うのが、あまり得意じゃない。
だが、真っ向勝負の何が悪い?
どうせ会えるのなら、一気に真実まで辿り着いてやる。
…覚悟を決めた。
「分かりました。 紫乃さんには言いません。」
「ご理解頂き、感謝します。後もう2つ程。
1つは会う際の事ですが、僕と伊上さん。
そして文仁を同席させます。
2つ目は会う時の場所ですが、こちらで指定させて頂きたい。」
「…了解しました。では日付と時刻はこちらで決めさせて頂きます。」
俺はかばんから手帳を取り出す。
仕事柄手帳は必須で、常に持ち歩いている。
開いて日程の確認をする。
ここ数日仕事が立て込んでいて、
早くても時間を取れるのが2日後しかなかった。
その事を告げると、 宮丘さんは快諾。
2日後、指定の駅まで橘さんが迎えに来てくれる事になった。
「それでは2日後、お会い出来るのを楽しみにしています。」
そう言って、電話は切れた。 橘さんにスマホを返す。
その後は特に話す事もなく、部屋を後にした。
橘さんは部屋を出る時、
崩していた髪型やスーツを綺麗に整える。
あっという間に爽やかイケメンの見た目に元通り。
まぁさっきの素の部分を見てしまってからは、
爽やかイケメンの方が違和感があったけど。
ロビーまで降りて、一礼をして外に出た。
暑い日差しが容赦なく俺に突き刺さる。
別に他に用があった訳ではなかった俺は、
その足で駅に向かった。
何を考える訳でもなく、もう買い慣れてしまった切符を買う。
そのまま約1時間半後。
「…え」
家に入りいつもの作業部屋兼リビングに行くと、
水の入ったペットボトルを持ってキャンバスに
戻ろうとしていた紫乃さんと目があった。驚いた顔をしている。
無理もない。俺はそもそも今日、来ないと連絡していたから。
…気付いたら足が向かっていたんだ。 紫乃さんの居るこの家に。
紫乃さんの顔を見た途端、泣きたくなった。
全部、今あった事全部。言ってしまいたい。
どれだけ楽だろう、全てを話したら。
もしかしたら、信じてもらえないかもしれない。
来ないと言っていたのに突然家に来て、
何を言い出すんだと思われるかもしれない。でも、もうそれでもいい。
それでいいから、言ってしまいたかった。
「し、 紫乃さ…」
「… 真琴、さん?」
「っ!!」
後一歩のところで、言うのをやめた。
だめだ、今言ってしまったら。
本当にどうしようも出来なくなる。
名前を呼ばれて、はっとした。
俺に弱音を吐いている暇はない。
俺がどうにかするんだ。このおかしな状況を。
短く息を吐いて、切り替える。
「すみません、何でもないです。
部屋のどっかでペン落としちゃったみたいで。
来ないって言ったんですけど様子見も兼ねて探しに来ました。」
笑って、誤魔化す。
すると首をかしげていた紫乃さんは力ない返事をして、
キャンバスに戻って行った。
俺は適当に探して見つけたふりをした。
声をかけて家を後にした。
「…何してんだ俺。」
少し傾き始めた太陽を見上げ、
顔を抑えながら呟く。
まだ道のりは長い。こんなところでへばってはいられない。
覚悟を、決めたんだ。俺がやらないで、誰がやる?
無言で、自分に言い聞かせる。
まずは、2日後。直接会って話を吐かせる。
弱音を吐いてしまう自分を追い出す様に、
両頬を強めに叩いた。…ちょっと強過ぎた、痛い。
俺はさっき来た道を、しっかりとした足取りで進んだ。