気になる声の主は。
俺はまず赫さんについて調べる事にした。
“赫”という名前は、 宮丘さんのペンネーム。
社長は当てにならないし、他に手がかりもない。
仕事用で使っているパソコンに、
“ 赫 作家”と打ち込んでみる。
すると1番上に俺の読んだあの本が出てきた。
題名は『筆先から望んだ』。軽くあらすじが書いてある。
続く下に出てきたのは赫さんのプロフィール。
「えっと…。作家として活動している赫さん。
代表作である“筆先から望んだ”は大学卒業後に出版された。
シリーズもので、続編が翌年、3冊目がその次の年に出版される。」
大学に在学中、すでにこの本を書いていて、
出版の話が固まったのが大学を卒業してからだったという事らしい。
となると今26歳くらいか…?
若くして本を出版。詳しい訳じゃないがきっと並大抵の事じゃない。
きっとそれだけ、努力してきた結果なんだ。
俺の頭をよぎった、“あの手紙”の内容。
『僕がその続きを書く日は、もう来ないでしょう。』
「…あなたの人生で、本を書く事は。
何よりも、大きな存在だったんじゃないんですか…?」
そんな呟きに返事はない。それでもパソコンに、問いかけた。
赫さん。いや宮丘さんにとって。
人生の大きな、分岐点となる決断。
宮丘さんはどんな気持ちで、あの万年筆を置いたんだ。
考えるだけで、胸がずきずきと痛い。
大好きな事を、簡単に辞められるか?
…いや、違う。簡単じゃなかった。
身体の一部を切り取られる様な感覚。
そのくらい、決意の必要な事だったはず。
俺はさらに記事がないか、スクロールする。
とある記事に目が止まった。
一般の人が疑問に思った事を記事にあげて、
不特定多数の人が答えられる様になっているサイトの記事だった。
『最近“筆先から望んだ”って本を読んでたんだけど、これ続きは?
いくら調べても3冊目以降が全く出てこないんだけど。
これ明らかに続くって感じの終わり方だよね?え?続きは?
3冊目までは1年単位で出てるし、ないって事あるの?
知ってる人教えてほしい。出てないだけ?真剣に困ってます。』
記事が書かれたのは今から半年前程。
文面から伝わってくる、記事を書いた人の焦り。
そうだ、俺もそう思って戸惑った。
すると一件だけ、返信がある事に気付いた。
そっと、クリックしてみる。
『私も同じ経験をし、頭を抱えました。
私は実際に、出版社に問い合わせをしました。
数ヶ月前のことです。出版はいつ頃になるのかと聞くと、
“出版中止になった”と言われました。理由はその社員さんでは
分からず社内中に聞いて回ってくれた様ですが、
結局誰も知らなかったのです。結論を言うと出版中止、です。
それ以上はいくら粘っても分かりませんでした。』
「…そんな、」
出版社が、分からないって。そんな事有り得るか?
誰か誰かしらが、関わっているだろう。
当時の出版に関わった人はどこに?これじゃ何も話が進まない。
俺はその返信の最後に載っていた出版社のURLを押した。
すると出版社のホームページが表示される。
さすがにここを見ただけでは担当者は分からなかった。
えっと住所は…。うん、会社からそんなに遠くない。
俺は出版社の住所をメモして、パソコンを閉じた。
「あれ伊上くん、どっか行くの?」
「はい、少し出てきます。」
オフィスにいた社員さんにそう言い残し、
急いで会社を後にした。
タクシーを捕まえて、住所を伝える。
道はそんなに混んでなくて、10分程で着いた。
降りると大きなビルがそびえ立っている。
一瞬びびってしまったけど、早足でビルに入った。
中に入るとすぐ、受付があった。
「す、すみません。お会いしたい人が居るのですが、
“筆先から望んだ”という本の出版を担当された方って…。」
「はい?えっと、お約束されている方ですよね?
でしたらお名前を…。」
「あ、いえすみません。連絡はしてなくて…」
すごく困った顔をされた。事前に連絡しないのはだめか…。
事前にって言っても、担当者知らないし…。
本の名前を言っても首を傾げるばかりの受付さん。
2人で困っていると隣のもう1人の受付さんがやって来た。
約束はしていない事を告げると、やはり困った顔をされてしまった。
それはそうか…。というかこれ俺変質者に見られてる。
受付の2人は眉間にしわを寄せているし、
何だか周りもざわざわし始めた。
これは出直すべきか…?
「何、どうしたの?」
「あ! 橘さん!」
声がした途端さっきまで険しい顔をしていた受付さんの
表情が一気に明るくなった。
何だか周りの空気も軽くなった気がする。
声のする方に振り返ると、
綺麗なスーツを着こなした男性が立っていた。
爽やかなその人は俺と目が合うとにっこりと笑った。
「我が社に何か御用でしょうか?」
「あ、実は“筆先から望んだ”という本の
担当者さんにお会いしたいのですが…」
「そんな本、聞いた事ないですよねぇ〜?」
甘ったるい声に少し嫌な気分になったが、
それよりも爽やかイケメンの表情に引っかかった。
本の名前を言った途端、明らかに表情が崩れた。
分かりやすいくらいに、険しい表情になった。
しかしすぐに笑顔に戻って、受付さんの方を向く。
「お客様は私が対応します。
どこか空いている部屋、探して貰えますか?」
「はいっ、分かりました。」
語尾にハートでも付いていそうな返事をして、
パソコンに向かう受付さん。
ちらりと横目で爽やかイケメンを盗み見る。
まぁ確かにイケメンだし、仕事出来るんだろうなぁ。
すぐ見つかったらしく、エレベーターに乗せられた。
部屋に向かうまで終始無言で、部屋に入った。
部屋に入った途端、鍵をかける爽やかイケメン。
「え、鍵必要…」
「どうぞお掛けください。」
にっこりと笑うその目の奥は、笑っていない。
有無を言わせぬ態度に驚いたが、大人しく椅子に座った。
俺が座ったのを確認して、爽やかイケメンは正面に座った。
かと思うと一気に表情が崩れ、真剣な顔つきになった。
部屋の空気が、変わった。
重い沈黙の中、口を開いたのは爽やかイケメンだった。
「自己紹介が、まだでしたね。
“俺”の名前は橘 文仁です。」
「あ、えっと伊上 真琴です。」
名刺を差し出され、俺も滅多に使わない名刺を渡した。
橘さんは俺の名刺をじっと見ている。
俺も貰った名刺を見て、驚いた。
え、なんか難しい役職名書かれてるんだけど。
この人もしかしなくても、結構社内で上の方じゃ…。
ごくりと、息を呑む。
ちらりと目線をあげると、ちょうど読み終わった様子だった。
急に緊張してきて、背筋を伸ばしてみる。
「それで、美術関係の方が我が社にどんな御用でしょうか。」
「は、はい。先程も少しお話しさせて頂きましたが、
”筆先から望んだ“という本の出版を担当された方に
お会いしたくて来ました。確かにそちらの会社から
出版されたもののはずなのですが…」
さっきの受付さんの顔が頭によぎって、不安になる。
でも橘さんは本の名前を聞いて明らかな反応を示した。
…知らないなんて、そんな事はないはず。
全く表情を動かさない橘さん。
少し間をあけて、話し始めた。
「質問に質問で返すのは申し訳ないのですが、
その本はどこでお見かけしたのかお聞きしてよろしいですか?」
「仕事である方の家に行った時に、初めて拝見しました。
実際に読ませて頂いて、出版社がこちらだと知りました。
…どうしてもこの本を書いた作家さんに、お会いしたいんです。」
「どうしてです?」
「そ、それは…。大切な人を、知るための、
今唯一の手がかりなんです。その人は今、苦しんでるっていうか。
悩んでるというか。と、とにかく!どうしてもお会いしたいです。」
これは紫乃さんのプライベートな部分だし、
馬鹿正直に話すのは良くないと、何とかぼかして話す。
必死な俺に対し、 橘さんは冷静だった。
俺の下手な説明に何も言わず、ただ黙って頷くだけ。
目線が少し下がっていて、何か考えている様だった。
俺は何と言えばいいのか分からなくて、
橘さんの次の言葉を待った。
…これが出世する人との差なのかな。ふと思って勝手に落ち込んだ。
「…その人の名前を、聞いてはいけませんか?」
「え?」
橘さんの口から出たのは、意外な言葉だった。
名前、言っちゃだめだよな…?さすがに。
返事に困って、黙ってしまった。
しかし予想していたのか、 橘さんは表情を変えなかった。
「でしたら…。“ 紗浦 紫乃”を、ご存知ですか。」
「な、何で紫乃さんの事…」
「やっぱり、美術関係と聞いてそんな気がしたんです。」
そんな橘さんの言葉を聞いて、まずい事に気付く。
知らなければそれで話は終わるし、
変に反応するんじゃなかった…!
またやらかした事がショックで、頭を抱えた。
俺は何度失敗したら気が済むんだ…。
「 伊上さん、あなたはどこまで
創静の事を知ってます?」
「えっと創静さんって… 宮丘(宮丘)さんですよね?
“筆先から望んだ”を書いた…。
実は紫乃さんの家にあった本でこんなものを見つけて…。」
もう色々吹っ切れて、あの手紙を見せた。
橘さんは紫乃さんの事も
宮丘さんの事も知っている。
そしてこの会社に勤めていて、この本を知っていた。
今更隠してもどうせ失敗するんだし、
何だったら知りたい事全部聞き出して帰ってやる。
半分やけくそではあったが、俺はそう決意した。
橘さんは手紙を見た途端、
頭を抱えてしまった。何やら考えているみたい。
そして手紙を手に取り、一通り読んだ。
読み終えてまた頭を抱え、ため息をついている。
頭が痛いらしく、こめかみを押さえ始めた。
…何なんだ?
ジャケットの内ポケットから取り出したのはスマホだった。
突然目の前で、電話をかけ始めた。
「え、あの…」
「もしもし。俺だ。」
俺が声を掛けるより前に、相手が出てしまった。
電話を一旦止めて欲しい気持ちと、邪魔しちゃいけない気持ちで
後者の方が勝ってしまった俺はそれ以上何も言えなかった。
橘さんは会った時と打って変わって、
しかめっ面で爽やかさがなくなっていた。
「例のあれ、見つけたみたいだぞ。
あぁ?俺がか?…っち。これは貸しだからな。」
それだけ言うと早々に電話を切った橘さん。
イライラしているのか、髪を無造作にかきあげる。
イケメンだからか、その姿もサマになっていた。
俺が黙って見ていると、まずいという顔をした橘さん。
多分苛つくあまり素の部分が出てたんだろう。
少し考えていたが、猫かぶるのを諦めたみたいだ。
「待たせてすみません。まず質問に答えます。
“筆先から望んで”って本の当時の担当者、俺です。」
「へぇ〜そうなんですね……え?俺です?」
驚きのあまり、ノリツッコミみたいな反応をしてしまった。
俺ですって俺だって事?ん?混乱する脳内。
…え、当時の担当者って橘さん!??
そりゃ当本人なら本の名前も覚えてるか…。
さっきから目の前に居た人物が探していた人物だと分かると、
どんな反応をしていいのか分からない。
驚き過ぎてちょっと頭がついていけてない。
でも真剣な表情で話す橘さんが、
まぁ嘘を言っている様には見えない。
それに嘘をつく必要が、 橘さんにはない。
さっき電話をしていた相手が気になったが納得は出来た。
そこでネットで見た記事を思い出す。
じゃあ担当者は今も会社に居るにも関わらず、
問い合わせても分からないままだったのか。
「ネットの記事で見かけたのですが、
問い合わせても分からないと言われたと書いてありました。
それはどうしてですか?」
「ネット記事…?その記事がいつ頃書かれたのか知りませんが、
俺最近では海外によく出張で出てるので、
もしかしたらその時に問い合わせがあったのかもしれないですね。」
「あぁなるほど…。」
「まぁ問い合わせた当時そこに居ても、
答えるつもりはありませんでしたけど。」
さらっと何言ってるんだこの人。
つまり居ても居なくても、答えるつもりはなかったと。
橘さんは顔色ひとつ変えず、涼しい顔をしている。
俺の手はうっすらと汗ばんでいた。
「じゃあどうして俺の質問には答えてくれたんですか?」
「それはもちろん、あなたが関係者だから。」
待ってましたと言わんばかりの笑顔で答える橘さん。
俺が、関係者…?何の話だ。
でも待てよ?質問に答える前の事を思い出してみる。
橘さんは紫乃さんの事を聞いてきた。
そして俺が知っている事が分かると、
宮丘さんの事を聞いてきて…電話をした。
「俺が… 紫乃さんの関係者って、事ですか。」
「まぁそうですね。」
さらっと答える橘さん。
…なんか、気持ち悪いな。
大体受付に居た時点では俺が紫乃さんと
接点があるのかなんて分からない。
少なくとも名刺を交換するまでは、
ネット記事の人の様に電話してくる様な一般客と同じ。
なんで橘さんは俺の話を聞く気になった…?
変な胸騒ぎというか…。
行動が“誰か“に、”読まれている”気がしてならないのは。
「ははっ。何だか考え込んでるみたいですけど、
あなたが“探し求めた先”は俺じゃないですよ。」
「…?どう言う意味です。」
「さぁ何でしょうね?」
誤魔化して笑う橘さん。
…ちょっといらっとするな。
だめだ、ここで冷静さを失ってはいけない。
突然立ち上がる橘さん。
机に手をついて前のめりになって、俺の顔を見た。
俺の顔に、 橘さんの影が伸びる。
そこで橘さんは、不気味に笑った。
「俺がさっき、電話をした相手。
… 宮丘創静だと言ったらどうします?」
「…は?」