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1歩先で笑う君を。  作者: 劣
7/30

懐かしい味に追いかけた夢。


社長と話をしてから数日後。

俺がしていた事と言えば、ただ仕事をこなしただけ。

紫乃しのさん以外にも作家は居るから、

1人にばかり集中して仕事する訳にもいかない。

そんなこんなでばたばたしていたら、

あっという間に時間は過ぎていった。


「はぁ…。」


ひとまずいつも通り仕事を終えて、

普段ご飯を食べている机で1人、力なく座っていた。

相変わらず紫乃しのさんは作業中。

頭の中はあの事でいっぱいだった。

考え過ぎのせいか、ここ数日頭が痛い。

まぁこんなに頭使う様な生活してきてないからなぁ。

…いや仕事中はちゃんと頭使ってるけどさ。


机にだらしなく上半身を預けて、

ぼけっと紫乃しのさんの背中を見ていた。

分からない。相手を思って姿をくらませた宮丘みやおかさんも。

何かを諦めた顔してるくせに、未完成の絵を描き続ける紫乃しのさんも。

俺にはそんな人、居なかったからか。

じんわり身体の底の方から、這い上がってくる黒い影。

未だに少し頭をよぎるだけで吐き気がする。

…。


「…あの、」


「…え?あ紫乃しのさんっ!?」


ぼけっとし過ぎて全然気が付かなかった。

心配そうに俺の顔を覗いている紫乃しのさん。

いつの間に居たんだ…。というか紫乃しのさん、何してんだ。

手には2つのコップ。机に置いたかと思うと、

キッチンに行ってボトルを手に戻って来た。

そのボトルは透明で中には、

カットされたオレンジが入っていてしゅわしゅわいってる。

……え?


紫乃しのさんはその飲み物をコップに注いで、

1つを俺の前に置いた。

ボトルを閉めて、ごくごく飲んでるけど…。

飲めと、言う事だよな?…そんな急に?

目で訴えるも気付いて貰えず、諦めてコップに手を伸ばした。

小さな音でしゅわしゅわいってるコップを覗いてみる。

心なしか薄いオレンジ色の飲み物。

覚悟を決めて、一気に流し込んだ。


「あ、美味しい。」


「…良かった。」


見た事無いくらい優しく笑う紫乃しのさん。

炭酸があまり得意じゃないけど、

見た目によらず炭酸が弱いおかげで全然飲めた。

オレンジの優しい甘さが口に広がる。

こんなものがあるなんて、全然気付かなかった。

何度もキッチンに入ったのになぁ。


「今朝作って、ボウルに氷水と一緒に入れて

棚の上に置いて冷やしてました。」


ぼそっと言うと、またコップに注いでくれた。

さっきは勢いよく飲んでいたのに、

今度は少しずつ味わう様に飲んでいる紫乃しのさん。

棚の上か…。確かに気にして見る様な場所じゃないな。

というかこうして紫乃しのさんから何か

アクションを起こしてくるのって、初めてだよな?

思わず笑みがこぼれる。


「美味しいですね。飲んでるの初めて見ましたけど、

昔から飲んでるものですか?」


「…昔、人に教えてもらって。疲れた時に、」


話の内容よりも、返事をくれた事に驚いてしまった。

本当にどうしたんだ。飲み物くれるし、会話してくれる。

俺今日何かしたか…?特に変わりなく仕事してたと思うんだけど。

何がきっかけでこんなに話してくれるんだ?

疲れた時って言ってるから、疲れてたら話してくれるとか…?

とにかく今はせっかくの機会を逃すまいと、

会話を続ける事に必死になった。


「教えてもらった時の事を、聞いても良いですか?」


「…俺が絵を描く事に追われて。切羽詰まってた時。

その人に強く、当たってしまった時があって。」


ゆっくり、ゆっくり。

飲み物を含みながら、優しい声で話してくれる。

俺はじっと見つめながら、前のめりになっていた。

目線は少し下がり気味で、微笑んでいる様にも見える。

目線の先で、当時の光景が映し出されているのだろうか。


「俺を責める訳でもなく、目の前に置かれたのがこれでした。

飲んだら、すごく優しい味で。

…強く当たってしまった事を、泣いて謝りました。」


「なんだか、素敵な話ですね。」


「…。」


俺の言葉に、きょとんとしていた。

おかしな事を言ったかと思ったがその後、

小さく笑って頷いてくれた。

今までにないくらい、穏やかな時間が流れている。

この貴重な時間を崩したくはないが…。

聞くなら、今かもしれない。

そう意識した途端、唇が震えた。

すると紫乃しのさんは真剣な表情になって、

コップを置いて立ち上がった。


「…少し。待って、ください。」


それだけ言うと、何処かに行ってしまった。

な、なんだ…?変な汗が額から溢れる。

そして紫乃しのさんが持って来たものは、

“予想外過ぎるもの”だった。

“それ‘が机に置かれた途端、心臓が止まったかと思った。


「…見覚え、ありますね。」


「いや、これは…!」


そこまで言って、間違いに気付く、

見覚えなんてないと、言ってしまえば良かったのに。

俺は変に反応してしまった。

これでは見覚えがあると言ってる様なものだ。

だがもう遅い。気付いたのは言った後だった。

だってまさか、持って来られるとは。


机の上に並らべたれたのは、あの”万年筆“。

他に原稿用紙と使いかけのインクも。

背中に今までにないぐらいの冷たい汗。

どうして突然俺の前に持って来たのか。

わざわざ引き出しを開けるなと言ったんだ。

俺に、他人に。見られたくないものだったはず。

焦ってばかりで、何も考えられない。


「この前、あなたが引き出しを開けているところを。

…見てました。」


「!!す、すみませんっ。お、俺、その…」


だめだ、頭が回らない。

なんて言えばいいのかも分からない。

気になったので開けましたとでも言うつもりか?

そんな事言ったところで何になる。

言い訳するよりはましかもしれないが、ましなだけだ。

焦って言葉が上手く声にのらない。


「…これを見て、どう。思いましたか。」


「…え?」


紫乃しのさんの口から出たのは、またも”予想外“。

どう、思った?この万年筆を見て。

どうってなんだよ。どうって…。

目の前に置かれた万年筆を見る。

光に照られてた万年筆は静かに輝いていた。


「き、綺麗だと。」


「他には?」


「…大切な、ものなんだって。思いました。」


紫乃しのさんは俯いていて、顔が見えない。

また俺は無神経な事を言ったか?

しかしすでに無許可で引き出し開けてるとこ見られていて、

気にするのも今更な気がするけど。

不意に俯いていた顔をあげて、真っ直ぐ俺を見た。

あれ、 紫乃しのさんって結構色素薄かったんだ…。

そこで初めて、はっきり紫乃しのさんの顔を見た事に気付く。

確かに、背中を見る事の方が多かったかもしれない。


見とれていると、また何処かへ行ってしまった。

今度はさっきより少し戻って来るのが遅い。

戻って来たかと思えば、束になっている原稿用紙を持っていた。

机の上にそれを置くと、年季が入っているのが分かる。

横に置いてある新品の原稿用紙と比べると、少し色褪せていた。

色褪せた原稿用紙の束は3つあって、

どれも1枚目には中央に少し文字が書いてあるだけだった。

俺は中央の文字を読んで、“これ”が何なのか気付く。


「…これは、すでに出版されたものの原稿、です。

……… そうちゃんが実際に、書いたやつ。」


必死に。言葉を繋ぐ紫乃しのさん。

話す事が苦手でも、少しずつでも。話をしてくれる。

さっきまで名前を伏せていたが一生懸命に話すあまり

名前の、しかも呼び名で言っている事に気付いてなかった。

紫乃しのさんはゆっくり原稿を開いた。

中にはびっしりと紫色の文章が綴られていて、

所々黒い文字で訂正してあるのが分かる。

黒い文字の癖や形を見て、

きっと宮丘みやおかさん本人が訂正したものだろう。

…これはあの3冊の本の原稿だ。

よ見覚えのある内容だ、間違いない。


「あ、あなたは、これ読みましたか。」


「えっと、硝子戸の本棚の本を読ませて頂きました…」


「どうでしたか。」


「え?」


すごく深刻そうな顔で聞いてくる。

どうって言われてもなぁと思って、気付いた。

そうだ、あの手紙の事は知らないんだよな?

言うべき…なのか?

行方不明の理由を今も知らないままだとしたら、

あの手紙を読むと混乱させてしまうだろうし。

なんて返せばいいのか分からなくてなって、

苦笑いをするしかなかった。


「…その時まで、短編を本にして貰える事はたまにあった。

それで、ようやく、大きな本で、シリーズで出版出来るって、

…2人ですごく、すごく、喜びました。」


紫乃しのさんの顔は今にも泣きそうで。

身体は震えている様に見えた。

絵を描く紫乃しのさんと、本を書く宮丘みやおかさん。

“モノ”は違えど、“かく”という共通点のある夢を持った2人。

2人がどうして一緒に暮らしていたのか、分かった気がした。

…綺麗な、夢。


「2冊目、3冊目も、2人で大喜びして。俺は、自分の事みたいに、

嬉しかった。だって、だってそうちゃんが、頑張っていたのを、

誰よりも近くで、見てたから…!」


「…。」


ついには涙がこぼれ落ち、机を濡らした。

俺なんかがかける言葉なんて、1つだってない。

その痛みは、俺には分からないから。

だたじっと、涙をこぼす紫乃しのさんを見ていた。

強く目をこすって、涙を拭っている紫乃しのさん。

そんなにこすったら赤くなるのになと思ったが、

そう言う前にこするのをやめて俺を見た。


そうちゃんが居なくなってしばらくは絵も描けなくて。

そしたら、色んな人が来た。忘れろって何度も何度も。

探す事さえ、許されなかった…!!

大切な人が、居なくなったのに、俺は…!!何も出来ないっ!!」


必死に、必死に。俺に訴えかけてくる。

当時どんな対応がされたのか分からないが。

きっと宮丘みやおかさんの失踪には裏があって、

探されると不都合な事があったんだ。

…どれだけ、辛かったか。

1人で、誰も取り合ってくれず、大切な人が居なくなって。

そんな紫乃しのさんの悲痛な思いの逃げ道はきっと。

絵しか、なかった。絵だけだった。


「それなのに会社だ担当だって知らぬ間に話が進んでて。

…どいつも邪魔で、煩くて。必死に、追い返して。

俺は、俺はもう、全部どうでもよくて。」


そこである疑問が浮かんだ。

自暴自棄になっていた紫乃しのさんが、

会社に入る気力があっただろうか。…絵だって描けなかったのに。

…社長は“頼まれた”と言っていた。

もしかして、 宮丘みやおかさん、なのか?

そもそも宮丘みやおかさんはどうして姿を消した?

そこが明らかにならないと、全てが霧の中の様な気がした。


“煩い”というのはきっと、“自分以外”に対して敏感になっていたんだ。

何を描いても上手くいかなくて、

周りの音や、環境の変化に敏感になって。

人の話し声され、雑音に聞こえて苛ついて、強く当たる。

きっと周りから見れば、何だこいつって、なったんだろうけど。

それだけ、追い詰められていた。

その“痛み”なら、嫌という程。共感出来る。


「なのに…」


「なのに時間が経てば納得出来なくとも冷静にはなるし、

絵も描ける様になる。…時間が経てば経つ程。

嫌でも、悲しくても、辛くても。」


「…。」


気付けば紫乃しのさんの声を遮って話していた。

無意識に、出た言葉だった。

全て言ってから、まずいと気付いた。

紫乃しのさんはきょとんとした顔で俺を見ている。


「あ〜、えっと。そう、なのかなぁって…。」


全然上手く誤魔化せず、笑うしかなかった。

結局俺は、手紙の事も聞きたかった事も言えなかった。

初めて聞いた、 紫乃しのさんの“本音”。

きっとまだ、ほんの一部に過ぎない。

…本当に、後に引けなくなった。


「どうして突然、話してくれたんですか?」


「…そ、それは、」


疑問に思って聞いただけなのだが、困らせてしまった。

俯いてしまった紫乃しのさんに笑って、

気しないでください、と声をかけた。

ここまで感情を露わにした紫乃しのさんは今日が初めて。

それは初めて会ったあの日から確かに、

距離を縮められている証拠だと思う。


今はまだ、ここまでしか聞けない距離なんだ。

だから、いつか全て。

全てを話せる距離になるまで、頑張るだけ。

そして宮丘みやおかさんの事も、暴いてみせる。

1人で勝手に、決意する。


お節介でいい。

今の俺が出来る事を。

紫乃しのさんに。


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