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1歩先で笑う君を。  作者: 劣
3/30

垣間見えた元同居人の影。


翌日。俺は本社に居た。

紫乃しのさんの所に行くがその前に、

誠治せいじさんに原付をお願いしたい。

本社に寄ってから紫乃しのさんの所に行くつもりなので、

昨日の反省を生かしてスーツではなく、私服の動きやすい服装にした。

大切な会議などの時はスーツ着用が義務付けられるが、

普段の服装に関しては基本的に自由。

あの社長だからってのもあるだろうけど、

会社の基礎がしっかりしているからこそだと思っている。

…まぁ基礎がしっかりしているのは、

誠治せいじさんの頑張りあってこそだけど。

社長は自由奔放にやってるからなぁ。


「あ、誠治せいじさんっ!…って。

その顔もしかして…徹夜しました?」


「おぉ真琴まこと、よく分かったな。三徹目だよ。」


休憩フロアでたばこを吸っていた誠治せいじさんの顔色が、

どっからどう見ても悪い。クマが酷過ぎる。

そういえば今新しい企画案が出ていて、

社内はその事でばたばたしてるって聞いた気がする。

美術展だったりコンテストだったりの事を社内では

一括りに“企画‘と呼んでいる。

”企画班“と言うのは企画が決まったと同時に結成される、

開催まで進行・計画など全てを行うチームの事。


社員メンバーは抽選だったり、推薦・社内応募など方法は色々。

俺は今回その企画班に入ってないが、

企画を任された時はみんな鬼の様に忙しくなる。

過去に1度だけ。企画班で仕事をした事があるが、

終わった後抜け殻の様になった覚えがある。

達成感もあるし良い経験になるのは間違いないが、

あの忙しさは本気で地獄を見る。


誠治せいじさん、今回の企画班に入ってたんですか?」


「いや、入ってなかったよ。急遽参加する事になったんだ。

今回の発案者が照汰郎しょうたろうさんで、

運の悪い事にメンバーの半数が企画初心者な事が分かってな。」


「あ〜…。」


杜巻もりまき 照汰郎しょうたろう、その人こそが例の社長だ。

20歳で起業し、今の会社をここまで大きくした張本人。

仕事に関して言えば、この人の信頼は社内1だと言い切れる。

完璧マンである誠治せいじさんがどうして秘書なのか、

照汰郎しょうたろうさんの本気の仕事っぷりを見れば納得出来る。

…まぁ普段を誠治せいじさんに任せ過ぎだけど。

見える姿が全てじゃないから、何とも言えない。

頭の中宇宙みたいな人だけど、

一応社長なので常にハードなスケジュールをこなしている。


「その照汰郎しょうたろうさんは?」


「俺はすぐに企画に入る様に言われてやってたんだけどさ。

あの人、自分と俺の普段業務をこなした上で企画に合流して、

俺より寝てないのに今も休憩せず仕事してる。

俺はさっき休憩行けって追い出された。」


「あ〜なるほど。じゃあ社長はまだ仕事中ですか?」


「そうそう。あ、奥の会議室で企画班作業してるから、

近寄らない方がいいぞ。下手したら巻き込まれる。」


普段大人でかっこいい誠治せいじさんも、

さすがに疲れ切っている様でベンチに力なく座っている。

前髪を無造作にかきあげている辺り、

本当に余裕がなくて切羽詰まっているんだろう。

ネクタイは邪魔だったのか、先の方が胸ポケットに入っていた。


「そういえば新しい担当の人、どうだった?

上手くやっていけそうか?」


「あ、その事でお願いがあって。

家の周りが田舎過ぎて、交通面で困ってるんです。

道も細いし、原付が欲しいなって…。」


こんだけ疲れている誠治せいじさんの仕事を

さらに増やすのは気が引けたがどうしようもないので話す。

誠治せいじさんは嫌な顔せず、話を聞いてくれた。

話終わるとスマホを取り出して、何か操作を始める。


「ん〜。現地で使えたら良いんだよな?

知り合いに原付譲ってくれそうな奴居るんだけどそれでも良いか?

向こうに原付届く様にしとくから受け取ってくれ。」


「え、もう手配出来たんですか!?」


「ん?すぐないと困るんだろ?」


そりゃ早い方が良いけど、こんなに早いとは思わなかった。

どうやら紫乃しのさんの家からそう遠くない様で、

すぐにでも届けてくれるらしい。

誠治せいじさんだって忙しいのに、嫌な顔1つせず手配してくれた。

やっぱり誠治せいじさんには、頭が上がらない。


「忙しいのにすみません…。ありがとうございます。」


「良いんだよ、頑張ってくれてるみたいだしな。

そろそろ仕事に戻るから、また困った事あったら何でも言って。」


たばこの火を消してから、

俺の肩をぽんぽんと叩いて戻って行った。

かっこいい後ろ姿には、滲み出る疲労感があった。

社内もバタバタ忙しいんだ。俺も頑張らないと。

原付をこんなに早く手配して貰えるとは思ってなかったから、

本当に有難い。忙しい中手配してくれたんだ。

お礼として明日にでも企画班に何か差し入れを持って行こう。

そんな事を考えながら会社を後にした。


また1時間半ほどかけて無事到着。

毎回毎回こんなに時間をかけて行くのも疲れるよなぁ。

こればかりは仕方のない事だけど。

家の前まで行くとトラックが居る事に気付いた。

扉の前できょろきょろしている。

あ、もしかして?!


「あの、すみません!」


「あ、この家の方ですか?お荷物をお届けしに来たのですが…」


やはり原付だった。いや、届くの早過ぎじゃ?

トラックから下ろされた原付は、

譲って貰ったと言っていたがとても綺麗な状態だった。

少しではあるが、ガソリンも入れてくれているらしい。


「すみません、お待たせして…」


「いえいえ、ではこれで。」


仕事の早いその人は、颯爽と去って行った。

あ、そうだ。ここで使う原付なのだから、

紫乃しのさんに頼んで置き場所を確保しないと。

ひとまず原付を玄関の端に置いて、ノックをした。

多分さっきのトラックの人もそうしたはずだが、

出て来なかったのだろう。…だって今も出て来ないし。

仕方なく俺はまた、柵を開けて裏にまわった。

今回は見惚れたりせずすぐに、

紫乃しのさんに声をかけて玄関を開けて貰った。


「すみません。色々不便で原付を用意したんですけど、

良かったらここに置かせて欲しくて…。」


「…どうぞ。」


一瞬驚いた表情をしたが、それだけ言って中に入ってしまった。

許可は貰ったし、先に家の前に置いている原付を移動させよう。

もう1度家の外に出て、原付を柵の内側に置かせて貰った。

端に置いたし邪魔にはならないだろう。…多分。

家の中に入って作業部屋に行くと、絵を描いている紫乃しのさん。

ふと昨日は机の上になかったはずの鍵があった。


「あの紫乃しのさん、この鍵は…」


「家の鍵です。使ってください。」


紫乃しのさんは作業の手を止めず、背を向けたまま言う。

確かに毎回裏にまわって呼んで開けてもらうのも大変だからな。

鍵があるのは便利だ。


「あ、ありがとうございます!」


俺の声には特に反応せず、黙々と作業をしている。

原付に、鍵。仕事の環境が整ってきた。

今のところ根をあげる程の事もないし、

上手くやっていけそうな気がしてきた。

初めはどうなる事かと不安しかなかったけど。

昨日の今日だったので掃除は特に必要なく、

とりあえず洗濯物を片付ける。


冷蔵庫を覗いてみるが、俺が入れたもの以外特に入っていない。

変化があったとすれば、入っていた水が減っていたくらいだ。

食べてくれるか分からないけど、

作り置きでも作っておいた方が良いかな。

昨日帰ってから少し会社に寄ったのだが、偶然俺が来る前まで

紫乃しのさんを担当していた社員さんに会った。

話を聞くと水はなくなると担当の人が補充するか、

紫乃しのさん本人が通販などで購入していたらしい。

それとこっちがご飯を用意しないと、

食べる事も忘れて作業していた事があったと言う。


元担当の人は酷く俺の事を心配してくれたが、

俺は笑って大丈夫だと言った。

それより話を聞いて気になったのは、 紫乃しのさんの体調だ。

いつ倒れてもおかしくない。俺が居なくても食べて貰う為には、

作り置きくらいしか思い付かなかった。

俺は早速貰った鍵を持って、家を出た。


「…はぁ暑い。」


愚痴をこぼしながら、原付の鍵と家の鍵を繋げた。

ここで使うんだし、ひとまとまりにしておいた方が良いだろ。

さっき停めた原付を引っ張り出して、

小さなスーパーに向かった。

何通りかレシピを考えながら、かごに食材を入れていく。

目にとまったのは昨日スーパーの人から貰ったゼリー。

これ美味しかったんだよな〜。 紫乃しのさんも食べてたし。

2つ取ってかごに入れた。レジまで行くと、昨日とは違う店員さんだった。

会話もなく無言のままスーパーから出た。

結構大荷物になってしまったが、何とか原付に詰め込んだ。

うーん、気を付けて帰らなきゃ。


「ふー…ただいま戻りました〜。」


もちろん返事はない。キッチンまで荷物を運んで、

どんどん冷蔵庫に放り込んでいく。

水を沢山買ったから、荷物が重かったんだよな〜。

全部入れると場所を取るので、

2〜3本入れて後は場所の空いていた棚に置いた。

この家には食器もそんなにないので、

作り置き用に蓋付用の保存容器を買ってみた。

ちらりと紫乃しのさんの様子を伺うと、

何やら立ち上がって絵を眺めている。

かと思うと筆を動かして、また眺めてを繰り返していた。


「よし、じゃあ作るかっ!」


1人でそう意気込んで、料理を始めた。

元からこうして料理が出来ていた訳ではない。

むしろ苦手な方だった。

しかしバイトをやっていた頃はそんな事言ってる訳にもいかず、

何度も怒られて失敗しながら練習した。

それが今こうして役立っているのだから、頑張って良かった。

大学時代は色んなバイトを掛け持ちしていた。

バイト先が潰れてまた新しいバイト先探したりとあって、

本当に色々なバイトを経験した。

そのおかげか気付けば色んな事が出来る様になっていた。

手先は器用だったし、練習すれば何だって吸収できた。

それなのに。就職活動はどうも、上手く行かなかった。


「うーん、こんなもんか?」


「…。」


「あ、 紫乃しのさん!お昼ご飯にしましょっ!」


ちょうど水を取りに来た紫乃しのさんを、お昼ご飯に誘った。

何も言わなかったが、昨日と同じ位置に座ってくれた。

先に食べていいと言ったのに、

俺が料理を運んで並べ終わるまで待ってくれていた。

少しずつではあるが、紫乃しのさんの新しい一面を見てる気がする。


「それじゃあっ、頂きます!」


「…。」


俺が大きな声でそう言うと、無言のまま手を合わせる紫乃しのさん。

がつがつ食べる俺と違って、

ひとくちが小さく少しずつ食べる紫乃しのさん。

俺の体格は良いと言っていいのかわからないが、

平均して見れば健康体だと思う。筋肉量もそこそこ。

紫乃しのさんは誰がどう見ても細過ぎ。

生活能力は多分俺の方がある。…うん、あると思う。

よく喋る俺と無口な紫乃しのさん。

それと事前資料で知ってはいたが、

俺は24歳で紫乃しのさんは23歳の1つ違いだ。

そして決定的違いは、絵が描ける紫乃しのさんと、…。

何もかもが正反対だ。…正反対だから、俺は絵が。


「…?」


「…あ、いえ!片付けますね!」


ぼーっとしている俺を見て首をかしげる紫乃しのさん。

いけない、考え過ぎてマイナス思考になってしまった。

こんな事考えたって仕方ないのに。

ふとした時に、どうしても考えてしまう癖がある。

マイナス思考を食器を洗う水と一緒に洗い流した。

紫乃しのさんはまた、キャンバスの前に戻っていた。

作業部屋には、キャンバスが乱雑に置かれている。

昨日は掃除が大変でこの部屋まで出来てなかったからなぁ。

とりあえず使ったキャンバスと未使用のキャンバスを分けよう。

隣で掃除を始めた俺を横目で見たが、何も言ってこなかった。


まとめてみると意外とキャンバスの数はなくて、

キャンバスで埋まっていた床に結構広いスペースが出来た。

後何か出来る事はないかと部屋を見渡すが、

ひと通りする事はした気がする。

俺は何となく、あの本の部屋に向かった。

相変わらず山積みになっている本たち。

本が日焼けするからか、カーテンが閉められていた。

俺がした覚えがないから、 紫乃しのさんが閉めたんだろう。

紫乃しのさんは本を読まないと言っていた。

しかしこの部屋への気遣いを感じる。

この部屋の持ち主である同居人の方は今、どうしているんだろう。

どうしてこの部屋はその当時のままにしてあるんだろう。


「…君らの持ち主は、どこに行ったんだろう。」


目の前に積まれた本に手を伸ばし、誰に言うでもなく呟いた。

疑問に思う事は沢山ある。

だがまだ直接聞ける程の信頼関係が、俺と紫乃しのさんにはない。

渋々だったけど…。頑張りたいと思う様になっていた。

そっと本を撫でる。何故こう思う様になったかは分からない。

ただ、黙々と絵を描く紫乃しのさんの背中が。


「寂しそう、な気がしたんだよなぁ。」


我ながらお人好しかよって思った。

でもあの背中がどこか、昔の俺に似てる気がしたのは。

きっと今マイナス思考になっちゃってるせいだと、思いたい。

息を吐いて、無理やりマイナス思考を切り替える。

こんな事を考えない様にこの部屋に来たのに、

これじゃ意味がないから。俺がこの部屋に来たのは、

“あの本”を読む為。山積みの本に触れない様に奥に進むと、

机の横にある硝子戸のついたあの本棚。

そっと扉に手をかけてゆっくり開く。

本棚の中には表紙がしっかりした大きな本と、

ノベル小説ほどの大きさの本の2種類が入っている。

俺は大きな本の中で1番左にあったやつを手に取った。


「えっと、 かくさんって人の本が並んでたのか。」


こんなに大事に収納されているんだ、きっと理由があるはず。

この部屋の持ち主が、ただこの作者さんが好きなだけかもしれない。

だとしても読んでみる価値は、充分にあると思った。

俺はその本棚の横で、床に座り込んだ。

小説は好き好んで読む方じゃない。

慣れない活字の本だし、出来るだけ楽な態勢で読もう。

読み続けられるかと思ったが、そんな心配は全然必要なかった。

読み始め1秒で、その世界へ一気に引き込まれた。


小説のあらすじはこうだ。

舞台は魔法のある世界での話。

主人公の少年は文字を操る魔法が使えた。

しかしそれを主人公はよく思っていなかった。

他のみんなは杖を振ったり、手から火や水を出せるのに、

自分はノートに文字を書いてそれを唱えるだけ。

圧倒的に地味で、主人公は自分の魔法が嫌いだった。

周りからも落ちこぼれ呼ばわりされ、

主人公は人前で魔法を使うのを辞めてしまった。


しかしある日主人公は気分転換に行った公園で、

大きな虎をを操る少年に出会う。

その大きさと迫力に主人公は言葉を失う。

その少年は主人公が魔法を使う時に使うノートと

酷似のものを持っていて、そこから虎が飛び出ていた。

その少年は、絵を操る魔法を使う者だったのだ。

じっと見ていた主人公に気付いた少年は、

主人公の前に小さな花を出して見せた。

それが2人の出会いだった。


そんな2人が様々な困難を超えていく、といった話らしい。

俺はすっかり引き込まれてしまい、

あっという間に1冊を読み終えてしまった。

集中していたせいか、読み終えてから一気に疲労感に襲われた。

すぐに次を読みたかったが、結構時間が経っていた事に気付く。

うーん、2冊目は次の日だな。

渋々立ち上がり、読んでいた本を戻した。

家を出る前一応声をかけたが、

やっぱり紫乃しのさんは反応しなかった。


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