プロジェクト始動。
翌日。 紫乃さんからのメールだ。
寝ぼけた頭でメールを読んだ俺は、ベットから飛び起きる。
…あの紫乃さんが?
メールには簡潔に、自身の展覧会をやりたいと言う文章。
慌てて着替え、急いで本社に向かう。まさか、まさか。
紫乃さんからこんな提案があるなんて。これから忙しくなるのに、
心は踊っている。やりたい、俺もやりたい。
紫乃さんの絵を、もっと多くの人に見て貰いたい。
>> 俺もやりたいです。絶対成功させましょう!!!
興奮気味に返信を打った後、丸1日本社に引きこもりパソコン&書類に向かった。
やらないといけない事は山程ある。
展覧会を開く場合、初めに社長に申請を出す。
この申請が通るか通らないかでは、仕事の量も掛かるコストも全然変わってくる。
許可が下りれば、会社から資金を出して貰える事が1番大きいかもしれない。
申請なしでも展覧会を開く事は出来る。しかし費用は自己負担になるし、
会場を借りようと思っても個人の名前で借りる事はすごく難しい。
名前が売れていないと話すら聞いて貰えないと思った方がいい。
申請が通れば会場探しにも会社の名前を使えるので、
信頼がある分より良い会場を格安で借りる事が出来る。
個人の力ではどうしようもない様々な事が、出来る様になる…!
だからその分申請は厳しいし、社長直々の許可が必要なのも納得だろう。
とにかく急いで、社長に提出する申請書を作る。
展覧会を許可する回数には月単位で制限がある。
早く出したからと言って許可が下りる訳ではないが、
上限を超えてしまうと内容がどうだろうと許可は下りない。
せっかくの機会を、来月までなんて待ってる暇はない。
今までにない程のスピードで書類を作り上げた。
書類の制作やパソコンを始めたのはこの仕事に就いてから。
最初こそ全く出来ず苦労したし、今も得意とは言えない。
最低限自分の事は出来るくらいが精一杯だ。
それでも出来る仕事が少しずつではあるが増えてきた方だと思う。
今も書類作成は苦手だし、出来るならやりたくない仕事の1つ。
さて今日は社長も本社に居るみたいだし、今日中には結果が出るか。
作った書類をすぐに担当の人に渡し、確認してから社長に提出して貰う。
「よし、次は…」
そもそも"何を"展示するのか。ちなみに展覧会の申請の時点では
まだ内容は社長に明確には提示しなくても良い。
なのである程度ぼんやりと内容を考えてから申請を出し、
詳細を記載した資料を後日改めて提出してから許可が下りれば
ようやく展覧会が開く許可が出たと言える。
審査が2回ある、と言った方が分かりやすいか。
紫乃さんから来たメールの詳細を改めて確認すると、
どうやら展示会の助言をしたのは宮丘さんらしかった。
今回の展覧会のイメージは、"未完成"そして"完成"へ。
展覧会は前期と後期に分けて2回、前期に今家にある"未完成"の絵たちを出展。
そして後期までにそれらを"完成"させ、出展するという流れらしい。
メールで見る限りは簡単そうに見えるが、実はとても大変で難しい事を言っている。
前期はまだいい。問題は後期。
前期と後期の間をどれ程空けるかにもよるが、単純に考えて
展覧会を開く程の作品数をその期間内に全て完成させるのだ。
紫乃さんの作品を仕上げる速度って、どのくらいだった?
確かに今までにない、新しい展覧会で話題性はある。
だが間に合うのか、完成度はどうなのか。問題は大きく簡単じゃない。
しかもあくまで紫乃さんのみの単独展覧。
紫乃さん自身が展覧会を開くのは初めて。
それにしては、難易度が高過ぎる。
>> とても良い案で、俺も是非やりたいです。
>> ですが簡単な事ではないと思います。
>> 他に問題解決に繋がる案はありますか?
高鳴る気持ちを抑えて、冷静に対応する。これは担当者の役目。
本人たちだけでは気持ちが先に行ってしまう事はよくある。
それにブレーキをかけて、冷静に考えて貰わなければならない。
これは遊びじゃない。多額の金銭や、自身の社会的評価も絡んでくる。
思ったより早くスマホは震えた。
>> 難しい事をやろうとしているのは理解しています。
>> 現状を打破出来る案がある訳でもないです、すみません。
>> ただどうしてもやりたいです。
>> 気持ちばかり先に行ってしまうのはだめだと、分かっています。
>> だから、 真琴さんに協力して欲しい。
>> 大変な事に巻き込むのは分かっていますが、
>> どうか俺に力と知恵を貸して頂けませんか。
>> 世辞の様に聞こえるかもしれませんが俺は真琴さんと
>> 展覧会を成功させたい。
内容は俺が聞きたかった答えではなかった。
案はない、それでもやりたい。なんて自分勝手な人だろう。
…こんな事を言われて、無理だと投げ出す馬鹿がどこに居る。
俺だってまだまだ経験が浅い。それでも俺を必要としてくれる人が居るのなら。
紫乃さんに、言えば仕事上ではあっても大切なパートナーに。
ここまで言わせておいて、断るのはやっぱり馬鹿だ。
翌日から紫乃さんと宮丘さんも本社に来て貰い、
より細かな打ち合わせを行った。
宮丘さんに来て貰ったのは提案者であるからという事もあるが、
この人は国語力か長けている。その力を貸して貰わない手はない。
俺なんかよりずっと広告宣伝の面で力になってくれるはずだ。
橘さんにもこの話を伝えたらしいが連絡は来てないらしい。
まぁあの人は会社勤めだし、力を借りるのは難しいか。
「俺は画家の中でもそこそこ、描くスピードは早いと思います。
そこに描くものが決まっているとすれば…。」
「うーん。そればかりは描いてみないと分からないですからね。
少し長めに見積もっていた方が安心ではあると思います。」
お互いに意見を出し合いながら、話し合いを進めていく。
昨日提出した申請書は、無事に許可が下りて返ってきた。
申請書には付箋がついていて、何やら伝言らしかった。
名前はなかったが申請書の文字と酷似していたので、きっと社長から。
>> 困った事があれば誠治を頼れ。
>> 必ず力になる。
俺に頼れ、じゃない辺りが社長らしいか。
せっかくこうして言ってくれているのだから遠慮なく頼らせて貰おうと思ったが…。
まぁ言われなくとも頼っていただろうな。少し頼りやすくはなったか。
あと紫乃さんの家にある絵だが、全て使える訳ではない。
まずはひと通り、保存状態や描いている内容を見て選出しなければならない。
場合によっては作品数を増やす必要もありそうだ。
「じゃあ後日 紫乃さんのご自宅に…」
「え?何言ってるんです、今から行くんじゃないんですか?」
「…は?」
俺と紫乃さんはお互い驚いたまま固まる。
今からって…。今から行けば着く頃には日が傾き始めるだろう。
宮丘さんは行くつもりだったらしく、俺の反応に首を傾げていた。
「最低でも1時間以上かかるし、今からは…」
「車でなら、そんなにはかからないですよ?」
「え車って…」
__トントンッ
突然響いたノック音に肩が跳ねた。声が聞こえて扉が開くと、
そこに立っていたのはスーツ姿の男性。もちろん、見覚えのある人物。
でもどうして、本社に居るんだ…?
「た、 橘さん…。」
「あ?その様子じゃ話聞いてないのか。
話しとけって創静に言ったんだけどなぁ?」
「あ、あはは。話したつもりでした…。」
橘さんに睨まれて、苦笑いの宮丘さん。
どうやら伝達ミスだった様で、 紫乃さんも驚いていた。
だが橘さんはどうやって本社に入った?
外部の人が本社に入る場合、許可証が必要になる。
許可証は名札になっていて、受付に事前に貰う書類を見せると名札が貰える。
紫乃さんは社員だから要らないので、申請したのは宮丘さんの分のみ。
展覧会の準備含め期間中は何度も来る事になるし、長期間を見越して許可証を申請した。
長期間用の許可証は通常の許可証で申請した名札と色が変わる。
たが橘さんの名札はその通常の名札でも、
宮丘さんが付けている名札とも色が違う。
名札を見ていた事に気付いたのか、にやにやしながら名札を振って見せる橘さん。
「これはな、社長直々のお依頼だ。会社から、俺指名で力を貸して
欲しいってお達しが来たんだよ。」
「ど、どういう事…?」
紫乃さんもさすがに驚いたのか思いっきり顔に出ている。
そこまでは知らなかったのか。
俺を見てくるが、そんなの俺の方が知りたい。
すると橘さんの後ろに人影が見えた。
「せ、 誠治さん。」
「社長に面倒見る様頼まれたからね、人員は多い方が良いかと思って。
彼なら前々から会社ぐるみで関係はあったし信頼出来る。
何よりお前らも知ってる人の方が安心だろ?」
根回しをしてくれたのは、誠治さんだったのか。
確かに全くの他人より関わりのある人の方が、今回の仕事はしやすい。
俺はともかく紫乃さんと宮丘さんにとって、
橘さん以上の味方は居ない。 橘さんは雑誌等の宣伝だけでなく、
出展に関する事のアドバイス等もして貰える事になった。
仕事で海外に行く事も多い人だから、きっと違う目線からも意見が貰えるはず。
「とにかく今は絵を見たいんだろ?早く準備しろ、表に車まわしてるから。」
…運転手としても、大活躍して貰う事になりそう。
誠治さんにお礼を言ってから、急いで本社を後にした。
俺と紫乃さんは資料などを持っていたせいもあり、後部座席に雪崩る様に乗り込む。
宮丘さんがシートベルトを付けたのを確認してから、
前進し出す橘さん。…後ろ2人まだ雪崩込んだままの姿勢なんですけど。
そう思ったが車を出して貰っている身だし、何だか文句も言いづらかった。
同じ事を考えていたのか納得してなさそうな紫乃さんと目が合って思わず笑った。
あっという間に目的地到着。
俺が初めて乗せて貰った時と同じ運転者とは思えない様な安全運転だった。
…これも宮丘さん効果か。
「うっわ…。これ全部未完成か?」
作業部屋に入って第一声。 橘さんは嫌そうな顔をしている。
俺はもう見慣れてしまったが、確かにそこそこの量がある。
前期はともかく、後期までに全てを完成まで仕上げなければならない。
ひとまずそれぞれ作品の保存状態を確認し、使えるものを選別する。
床に直置きだったので明らかに痛んでいるものや、
汚れが酷くどうしようもないものは外す。
他に判断に苦しいものに関しては紫乃さんの判断に委ねる。
かと言って全て任せるのではなくて、
俺たちから見て出展不可だと判断した場合は遠慮なく口出しした。
「うーん…。これだと少し足した方がいいな。」
どれもが何年も前のもので、痛みや汚れが酷かった。
結果半分近くは破棄、選ばれたものも手直しが必要と判断。
作品の数に関しては明らかに少ないのでここから何枚か描き足す。
後期にばかり気にかかっていたが…。これは前期も大変だな。
そうだと言うのに当の本人はとても嬉しそうだった。
根っからの絵好き。描くことが楽しくて仕方ない様に見える。
困難に見えた道は、困難ではあっても"道"な事に変わりはない。
紫乃さんの絵に向かう姿が、大丈夫だと俺を鼓舞する。
そんな忙しさを言い訳に、震えるスマホを見て見ぬふりをしていた頃だった。
"あいつがまた"、現れたのは。