再会そして、話をしよう。
「……。」
「着きました、ここです。」
紫乃さんは青い顔のまま、目の前の家を見ている。
辿り着けるか不安だったが、なんとか来れたな。
入口のすぐ前に、車が止まっている事に気付く。
あの車種…。もしかして橘さん居るのか?
そっと車から降りると、家の中から慌ただしい音がした。
玄関が勢いよく開き、誰かが出て来る。
「何の音だ?!」
「こんにちは。俺です。」
焦った様子の表情から一変。俺だと分かると驚きつつ、
呆れた様な複雑そうな表情になった。簡単に分かりやすく言うと、
何やってんだこの馬鹿は。って顔された。
橘さんの後ろから宮丘さんが出て来る様子はない。
遅れて車から降りた紫乃さんは目を大きく見開き、少し震えている様に見える。
橘さんと面識がある様だが、
橘さん自身は紫乃さんに何の反応も示さない。
…目の前に居るのが紫乃さんだと、気付いていないのか?
「お話がしたくて来ました。お邪魔させて下さい。」
「いや、突然過ぎるだろ。それにお前、道覚えてたのか?
あれだけめちゃくちゃな道順で行ったのに。」
やっぱり、そうだろうと思った。 橘さんはあの日、わざと遠回りをしたり
出来るだけ多くの道を使ってここに来た。俺が"裏切る事"を恐れ、警戒していた。
まぁ実際こうして連れて来てしまっているし、反論は出来ないけど。
どうしても紫乃さんと宮丘さんを会わせたくなかったのだろう。
……もう、手遅れだけど。
「俺、道覚えるのは得意なんです。運転は苦手なので苦労しましたが。」
俺の運転苦手発言に紫乃さんの肩がビクッと跳ねる。
これは帰り、車に乗ってもらうのが大変そうだな…。
車を挟んだ先に居る紫乃さんの腕を掴み、
橘さんの目の前まで移動する。
紫乃さんは最初俺が何をするのか分かっていなくて抵抗しなかったが、
家に近付くと察した様で腕を振りほどこうとした。
強く強く、腕を掴んで離さない。だけど少し怖くて、
紫乃さんの顔を見る事は出来なかった。黙って連れて来た、
罪悪感からだろうか。連れて来た事自体に、後悔はしていない。
でも俺は、部外者だから。その事が何処か、無意識に引っ掛かっているのかもしれない。
「…?そいつ、誰だ。」
橘さんの声色に少し、低く静かな怒りが混ざる。
しかしそれはここに第3者を連れて来たことに対してで、
この人物が紫乃さんであると気付いていない様だ。
紫乃さんは、気付いているみたいだけど。
掴んだ腕から伝わってくる緊張感。微かではあるが、震えている。
当時宮丘さんと関係の深い人物だったであろう橘さん。
そんな人目の前にすれば、 嫌でも宮丘さんを思い出す。
「あれ、お会いした事なかったですか?
面識はあると思っていたのですが。」
「…。」
わざと、とぼけてみせる。 紫乃さんは何も言わず俯いてしまった。
橘さんは、それでも分からないらしい。
当時の事を知らないから確定は出来ないが、
時間が空いた事によって紫乃さんが成長したからか。
橘さんと宮丘さんの関係は親しくても、
紫乃さんの顔をはっきり覚えていなくてもおかしくはない。
そこに年単位の時間が空けば、尚更。
「あの、 宮丘さんは?」
「…?!!ちょ、え、」
「あ?どうしてそんな事を聞く。」
俺から出た名前に驚き、こちらを凝視する紫乃さん。
橘さんは機嫌が悪いのか、
嫌そうな顔をするばかりで答えてくれない。このままじゃ話が進まない。
こんな所で言い合ってる場合じゃないんだ。
「すみません、失礼します。」
「あ゛!?おい、!」
俺は橘さんの静止を振り切り、 紫乃さんを連れて家に入る。
紫乃さんは困惑していて、何も言わない。
中に入ってソファがあった方向に向いた時だった。思わず、足を止める。
目の前の光景に、息が止まりそうになる。俺が急に止まったせいで、
俺の背中に鼻をぶつけて小さな声をあげる紫乃さん。
その後ろから来た橘さんを見ると頭を抱えていて、
俺に気付くとほら見ろと言いたげな顔をされた。
初めてこの家に来た時、生活感のない部屋だという印象だった。
本当にここで暮らしているのかと疑う程の、綺麗さ。
よく覚えている。そうなると尚更、驚きが隠せない。
綺麗に並べられていたはずのクッションは生地が破れて、
中から羽が飛び出してあちこちに飛び散っている。
ソファ自体も、刃物の様なもので切り付けた様な傷だらけ。
飾られてたであろう花瓶や置物は床に転がっていて、
割れているものもあるのか破片が散らばっている。
空き巣でも入ったのかと言いたくなる様な散らかり様。
ソファを傷付けたであろうはさみが、机の下に転がっているのが見えた。
「えこれ、どうしたんですか?」
「… 創静、ここ数日情緒不安定になってる。
今日はさっきようやく疲れて寝てくれて、寝室に運んだところ。
寝てるうちに片付けようとしたら、お前らが来た。」
事情を話す橘さんの顔色は良くない。その数日間、
付きっきりだった事が見て分かる。どうして宮丘さんが
こんな行動をするのかは、分からないらしい。少なくとも今まで
こんな事なかったらしく、始まったのは俺と会ってから。
俺はここに来る前にメールをしたのだが、
それどころじゃなかったらしくスマホ自体見ていないとの事。
ため息をつきながら後片付けを始める橘さん。
その後ろ姿は疲労の色をまとっている。横目で紫乃さんを見ると、
紫乃さんも俺を見て困った様な表情をした。
…まずはここをどうにかしないとか。
俺と紫乃さんは無言のまま、近くに落ちているものを拾っていく。
橘さんは少し驚いた顔をしたけど、何も言ってこなかった。
3人で黙々と部屋を片付ける。散らかっている大きなものは拾って、
破片は音で起こしてしまわない様にほうきで丁寧に取り除く。
ぼろぼろになったクッションは俺と橘さんの手で、
それっぽいデザインに縫って誤魔化した。
捨てないのかと疑問に思ったが、すぐに解決した。
「割れたものはもう、どうしようもないけど。
せめてまだ直して使えるものは、そのまま使いたい。
そうじゃないと創静が気にするんだよ。」
それ以上 橘さんは何も言わなかったが、何となく察した。
部屋のものが変わっていたら、さすがに気付くか。しかもその原因が、
原因だったら尚更。何から何まで橘さんの行動は
宮丘さんを思っての事だと気付く。
長年一緒に居るとこうもなるのか…?
「…あの、」
ひと通り片付けが終わって、ソファでひと息ついた時だった。
ずっと黙ったままだった紫乃さんが口を開く。
あぁそうだ。 橘さんにこの人が紫乃さんだって説明もしてなかった。
片付けが終わって、ひと息ついてる場合じゃない。話はここから。
橘さんは無言のまま、飲み物を入れてくれる。
…何というか。この人が入れたとは思えない程、優しい味がする。
俺も紫乃さんも思わず、ほっとひと息ついてしまうくらいに。
「それで?どんな御用があってこんなところまで来た。」
「そ、 創ちゃ…。 創静が居るって本当ですか。」
「…ん?その呼び方、」
紫乃さんが口にした呼び名に反応する橘さん。
どんどん、険しくなっていく表情。きっともう、気付いた。
持っていたカップを机に置き、前のめりになる。
俺と紫乃さんの間に、緊張が走る。
「…おい伊上。返答によっては、分かってるだろうなァ?」
冷たい声と、刺さる様な視線。ぐっと、息を呑む。
大丈夫、分かっていた事だろう。覚悟もしてきた。
それだけの事を、俺はするのだと。握りしめた両手はうっすら汗ばんでいる。
全身に力を込めて、 橘さんの目を見た。
「彼は、 紗浦 紫乃で…」
「ま、真琴さ!?」
言い切る前に、目の前が真っ暗になった。
聞こえた紫乃さんの声と、顔面に強い痛み。
気付いた時にはソファを飛び越え、後ろに吹き飛んでいた。
鼻血が出ていない事が不思議なくらい、顔の感覚が分からない。
橘さんは立ち上がっていて、鬼の形相でこちらを見ていた。
俺を殴ったであろう拳は、強く震えている。
「…帰れ。」
「っ、嫌です。」
「お前、自分が何をしてるのか分かって…」
「分かってます。その上で、会って欲し…」
「ふざけるな。」
怒りに震えるその身体と、強い眼光。
俺は、思ったよりも冷静に要られた。先程の緊張は、もうない。
橘さんの気持ちだって、分からない訳じゃない。
だけど俺にも、譲れない気持ちがある。
「間違っている、とは言いません。俺は部外者だから。
詳しい事情も知らずに口出し出来る立場ではないです。でもそれは、
橘さんも同じはずです。例え俺より事情を知っていても、
部外者である事に変わりはありません。」
「…あ゛ァ?」
「これは紫乃さんと宮丘さんの問題です。
俺も、あなたも。部外者で…」
「言わせておけば、ごちゃごちゃと。」
頭に血の上った橘さんがソファを乗り越え、俺の胸ぐらを掴む。
紫乃さんが慌てて引き離そうとするが、
橘さんとの圧倒的な力の差にはどうしようもない。
無抵抗のまま胸ぐらを掴まれているので、少し苦しい。
「怒っているのは、図星だからですか。」
「ほぉ、言うじゃねぇかァ。」
青筋が見えそうな程、眼孔が開いている橘さん。
多分これ以上俺が何を言っても怒らせるだけ。かと言ってこのまま
胸ぐら掴まれ続けるのも地味にきつい。どうしたものかと思っていると、
“誰か”が橘さんの腕を掴んだ。紫乃さんかと思ったが、
紫乃さんは初めからずっと掴んでたしその手は紫乃さんと
逆側から伸びてきている。そこまで考えて、はっとした。
橘さんもその手を凝視したまま、固まっている。
「やめて、あげて。」
「な、… 創、 静いつから、」
「何か話し声が聞こえるなって思って、降りて来たらこの状況だった。
とにかく離してあげて、苦しそうだ。」
橘さんは掴んでいた胸ぐらを離してくれる。
思ったより苦しかったのか、咳が出た。心配して駆け寄ってくれた
紫乃さんは、怯えた表情で宮丘さんを見ていた。
俺の肩を掴んで、震えている。 橘さんはすぐに俺たちから、
宮丘さんを庇う様にして後ろへ距離をとった。
「どうして降りて来た、早く部屋に戻れっ!」
「大丈夫、大丈夫だから。 文仁落ち着いて。」
焦った様子の橘さんは急いで宮丘さんを
部屋に戻そうと階段の方へ押して行く。
宮丘さんは困った顔で、それを止めているが聞こえていない。
妙に落ち着いている宮丘さんと、焦っている橘さん。
紫乃さんは緊張している様だし、今冷静なのは俺と宮丘さんだけ。
さっきの部屋の様子を思い出すと、落ち着いている宮丘さんに違和感を感じる。
あれだけ暴れた人が、寝ただけでこんなに落ち着くものなのか。
すると橘さんを説得する事を諦めたのか、
宮丘さんは俺たちの方を向いた。
「困らせてごめんね。…久しぶり、 紫乃。」
「っ!……、 創ちゃ、」
我慢して言いたい事を飲み込んで、ようやく読んだ名前。
顔なんて見なくても、声だけで充分だ。泣きそうな声、震えている手。
出来るなら今すぐにでも、飛びつきたいだろうに。
感情を押し込んで、我慢しているのが伝わってくる。
俺は何とも言えない気持ちになる。感動や、達成感に似たそれ。
…やっと、再会、した。苦しい様な、泣きたくなる様な。
それでいて胸がいっぱいな気持ち。
さて。ようやく、本題に入れる。
「話をしよう、 紫乃。」
そう呼ぶ宮丘さんの表情は今までで1番、優しい顔だった。