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1歩先で笑う君を。  作者: 劣
13/30

噂なその人。


翌日。俺は紫乃(しの)さんの家に居た。

紫乃(しの)さんは相変わらず、絵を描いている。

俺はいつも通り、家の事をする。

…ただ今日はそれだけで終わりじゃない。


「あ、あの紫乃(しの)さんっ!」


「…?」


緊張して、声が震えそうになるのを必死に抑える。

紫乃(しの)さんは振り返って、首を傾げた。

きっとこれは大きな進歩。少し前なら無視されてもおかしくない。

ちゃんと、距離は縮められている。

だが今は、ゆっくりもしていられない。

この"問題"には、もう時間をかけている暇はない。

避けてばかりも、いられない。


「あの、大学の展覧会とかって、行った事ありますか。」


「大学…?」


一瞬顔をしかめて、考え込む紫乃(しの)さん。

どうしてそんな事を聞くんだという表情だった。

まずは宮丘みやおかさんの話の裏付けをしなくては。

必ずしも話した事全てが、真実だとは言い切れないから。


「ずっと昔になら、ありますけど。」


「そ、それっていつ頃とか覚えてます…?」


「2、3年くらい前…?だと思いますけど。」


宮丘みやおかさんの言っていた時期と被る。

じゃあ大学の展覧会に行ったのは事実か。

でも俺が思い出す限りでも、作品は数え切れないほどあった。

そんな中で俺なんかの作品を覚えてるなんて偶然、あるのか?

少なくとも俺に、絵の才能はなかった。

だからこうして筆を置いて、今の仕事をしているんだ。

そんな奴の作品なんて…。


「その当時の展覧会で、覚えてる作品とか…」


「どうしてそんな事、聞くんですか。」


遮られてしまい、言葉に詰まった。

確かにいきなり過ぎるし、怪しいよなぁ。

なんて言うか考えてなくて、黙ってしまった。

明らかに怪しくなってしまった。墓穴掘ってる。


「いや、特に理由はないんですっ!ちょっと社内で

似た様な話したから、 紫乃しのさんはどうなのかなって…」


「はぁ。」


眉間にしわを寄せてはいたが、納得してくれた様だ。

紫乃しのさんは作業に戻ってしまった。

とにかく事実だと確認出来ただけでも良しとするか。

これ以上、誤魔化しながら聞き出せる自信がない。

大体その時の展覧会、何の絵を出展したんだっけ。

あの頃はすでに荒れてたはずだから、

何の絵を描いたのかもよく覚えていない。


持ってた絵は全部、処分したからなぁ。

大学時代の知り合いとも連絡とってないし、

今更確認のしようがない。こんなところで困るとは思わなかった。

行き詰まってしまったと、頭を抱えたその時。

ふと、思い出す。…そういえば大学って、

ホームページってあった気がする。


在学中も卒業してからも見る事はなかったが、

今なら何か役立つかもしれない。早速スマホを取り出す。

リンクを開くと、懐かしい講舎の写真が表示された。

授業風景や、行事時の写真が並んでいる。

そこで"展覧会一覧"というタグに目が止まった。


クリックすると現在行われているものから、

今後行う予定の展覧会情報がずらりと出てきた。

下へスクロールすると、過去の展覧会についても残っていた。

何年も前だし、残っているか不安だ。

慎重に見落とさない様にスクロールして、

紫乃(しの)さん達が行ったであろう展覧会を探す。

すると3年前の、展覧会についてのタグを見つけた。


開くと展覧会で出展したであろう、

学生の紹介らしきものが表示される。

何人か、見覚えのある名前が並んでいた。…懐かしい。

その中にはもちろん、俺も居る。

俺の紹介文のところに書かれていたのは、

出展した作品の名前だけ。こんな事してたんだっけ。

全然覚えてない。肝心の作品は載っていなかった。

まぁそれ載せたら、わざわざ見に来る意味ないからな。

他の学生は解説だのごちゃごちゃ書いてあるのに、

俺のところは作品名のみ。少しだけ過去の自分を恨んだ。


…卒業したあの日。2度と戻らないと誓った。

もう関わる事もないだろうと、思ってた。

考えるだけで、頭が痛い気がしてくる。

しかし後日とか先延ばしにすると、

ずるずる理由をつけて行かないのは目に見えている。

行くなら、今日。ため息をつきつつ、

紫乃(しの)さんに声をかけてから家を出る。

足取りは重い。気分も沈んでいる。

俺はあの日の自分の誓いを、破る決意をした。


「…はぁ。」


いざ目の前まで来ると、余計に気が重い。

今ならまだ、何も知らない顔して帰ったっていい。

見慣れた門が、とても懐かしい。短く息を吐いて、1歩踏み出した。

ラフな格好をしているからか、すんなり入る事が出来た。

身体が道を、覚えている。向かうのは在学中の、俺の"居場所"。


通っていた大学は、俺が入学する少し前に改装された。

新講舎がメインとして使われているが、ほんの1部。

旧講舎が残されている。2階建ての小さな建物。

それは新講舎を通り過ぎて、奥に進んだところにある。

俺が絵を、描いていた"居場所"。

新講舎が出来てからも何故か、ここだけ残されている。

見かけはまさに廃講舎そのもので、近寄る人も居ない。


俺にとってはそれが、好都合だった。

俺が使っていた時は俺の数少ない知り合いが覗きに来るくらいで、

他にここで絵を描く奴なんて居なかった。

まぁ新講舎の方が冷暖房効いてるし、

こんな奥まで来ると授業に向かうのもひと苦労だから。

静かな環境で絵を描く事に集中したくて、ここに来た。

…まぁ実りはしなかったんだけど。

学年が上がるにつれ孤立していった俺だから、

卒業する頃には俺以外ここに来る奴はほとんど居なかった。


そっと中に入ってみると、人の気配は感じない。

静まり返った玄関は、変な安心感がある。

俺の使っていた教室は、2階の1番奥。

中に入ると風が吹いた。…窓が開いていたのか。

中はもぬけの殻。それもそうだ。

俺はここを出て行く時、全てを捨てた。

一応何年も世話になった場所だったので、

それなりに綺麗にして出て行ったつもり。


いつも絵を描いていた定位置に立ってみる。

…戻る事はないと思っていた場所。

じっとつま先を見ていたが、ふと気付く。

自分の右手が微かであったが、震えている。

そっと手のひらを見てみるが、何もない。

右手はただ静かに、静かに。震えている。

身体が、この場所を。覚えている。

どれだけ時間が過ぎても、記憶として忘れても。

身体は、身体だけは。


__ガタンッ


不意に後ろの方から音が聞こえた。

静まり返った部屋に響いた音に驚き、振り返る。

たった一瞬だったが、人影が見えた。

人が居る事にはもちろん驚いたが、

何より"人"が居て、逃げた事に動揺した。

こんな所に人が来るなんて。

それにここに居る事を見られてしまった。

俺はそんな焦りから、考えるより先に走り出す。


教室から出ると階段を降りて行く後頭部が見えた。

こんな仕事だけど何かと力仕事があるので、体力には自信がある。

今の方が学生時代より、筋肉がついて体力もある。

普通に追いかけては間に合わないと、階段を飛び降りる様に駆け下りた。

見えた背中に手を伸ばし、力いっぱい引き付けた。

その人はあっさり引き寄せられ、後ろ向きのままこちらに倒れ込んだ。

予想外だったのは、あまりに抵抗なく倒れ込んで来たせいで

勢い余って俺まで倒れてしまった事。


「いったいなぁ!!何なんだよもう!!」


そいつは大声をあげる。少し伸びている髪に、

身体付きは少し細身に感じる。

ようやく見る事の出来た顔には、若さを感じる。

学生、だな。そうなると俺の方が都合が悪い。

何しろ俺は今、なんの許可もなくここに居るから。

卒業生だろうと、無断で敷地内に入るのはまずい。

しかしなら尚更、こいつは俺から逃げた?


「あんた、ここの学生か。ここで何してる。」


「ひぃ!!お、お、俺はただ絵を描きに…!」


「絵を…?わざわざこんな場所でか。」


俺はこの場所のせいか、強い口調になってしまっている。

こんな口調で話すのはいつぶりだろう。

こいつにとって、得体の知れない俺。

完全に怯えているのが見て分かる。


「どうしてここで絵を描く必要がある?」


「ど、どうしてって言われても…」


明らかに、目が泳いだ。理由なく何となくで、

ここに来たのかもしれないと思ったが…。

こいつは違う。直感した。俺は立ち上がり、

座ったままのそいつの胸ぐらを掴む。

すると情けない声をあげ、震え出した。


「良いか、真実だけを話せ。

嘘なんてつくものなら…。」


「わ、わ、分かった!!分かったから!!!

い、命、命だけはっ!助けてくれ!!」


両手をあげて悲願する。いや、俺だって何も

暴力をしようとは思っていない。脅す様な口調だったけどさ。

…いやほら、胸ぐら掴んじゃったけどギリセーフの範囲だろ。

俺は黙ったまま、そいつから手を離した。

力なく座り込む姿から、腰が抜けている様だった。


「お、俺は2年の…」


「お前の自己紹介なんて聞いてない。

いつからこの場所で絵を描いている。」


「ひっ…い、1年の頃に大学内で聞いた"凄腕の先輩"が、

ここ、で絵を描いてたって聞いて憧れて…」


「先輩?」


こいつさっき自身は2年だと言った。

そして1年前に噂されていた学生が居た。

俺やこいつ以外にもまだ、ここを使ってた奴が居たのか。

俺は聞いた事ないし、俺が卒業した後に使い始めたのだろう。


「その使ってた奴の名前、分かるか。

いつ頃使っていたとかは?」


「い、いや俺は噂で聞いたくらいで詳しくは…。

凄い絵をここでって聞いたから、ご利益あるかなって…。」


「…。」


「あ、で、でもっ!その噂って結構前からあったみたいでした。」


俺の顔を見て怯えていたそいつは、思い出した様に話し始める。

こいつが噂を聞いたのは今から約1年前の事だが、

噂自体はもっと前からあった。噂を知ったこいつは

サークルでその話をして、たまたま居合わせたOBが

1年の頃によく話した噂だった事を知ったらしい。

そのOBが何歳なのかにもよるが、

これで俺が居た時期の可能性も出てきてしまった。

全然知らなかった…。まぁ途中から周りとも距離を置いて居たから。

知らなくても不思議じゃないか。


「あ、あと!近頃またその噂を広めてる人が居るって…!」


「何?」


今使っているのはこいつだ。

それをわざわざ昔の事を広める必要性が何処にある?

こいつの口調から、多分噂の対象は昔ここで絵を描いていた人物。

…俺か、目の前のこいつではない別の誰か。


「どういう噂だ。詳しく話せ。」


「ええっと、確か…。”昔この旧校舎で絵を描く生きた異彩が居た“って。」


「異彩…?」


「人並み以上の画力と才能だったから、

芸術とかけてそう呼ばれてたみたいです…」


「…そう、か。もういい、行け。」


静かにそう言うと、悲鳴を上げながら逃げて行った。

異彩…ね。よくそんな妙な呼び名を付けれる。

しかし俺はその“呼び名”に、何か引っかかった。

俺はじっと自分の手のひらを見つめる。

もし、もしも。その噂が俺の事だったとしたら。

その噂は、嘘だ。


「少なくとも俺に…。絵の才能はなかったんだから。」


静寂を好む旧講舎は何も答えてはくれない。

ぐっと喉の奥に力を込めた。

まずはこの大学に俺の作品が残っていないか確認する必要がある。

俺が在学中の頃も何度かOBの作品を倉庫などで見かけた記憶がある。

俺のが残っていても、おかしくない。

噂を広めているというOBも気になる。

…あの“呼び名”、果たして偶然なのだろうか。


とにかく、こんなところでぼけっとしている暇はない。

ひとまず事務室にでも寄って、名札を貰おう。

大学内に入る許可が下りると、名札を貰えるのだ。

それがあると構内を歩くのも随分楽になる。

俺は早足で旧講舎を後にした。


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