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1歩先で笑う君を。  作者: 劣
11/30

僕が奪ったもの。


1番初めは、まだお互いが小学生の頃。

紫乃しのは学校帰り、ランドセルを背負ったままやって来る。

身体の弱い僕はいつも家で本を読んだり勉強したりして時間を潰し、

紫乃(しの)が来るのを待っていた。1人きりの静かな部屋。

外から漏れる光は、僕には眩しかった。


そうちゃーんっ!来たよっ!』


温かい光に包まれて、うたた寝していた頃。

太陽の様に眩しい声がする。窓からの光は明るくて眩しい。

けどこの子の声、表情、全ては。眩しくて明るいのに、

太陽に温められた海みたいに心地良かった。

安心する、聞き慣れた好きな声。


『おかえり。』


『ただいまっ!』


にっこりと笑うその顔が、僕にとっての太陽だった。

紫乃しのは背負っていた大きなランドセルを下ろすと、

中からいつものスケッチブックを取り出す。

表紙にはお互いでお互いを描いた、似顔絵がある。

新しいスケッチブックになる時必ず、

表紙にお互いの似顔絵を描くのがいつの間にかの決まり事だった。


『今日はね〜!昼休みに見つけた、新しい花を描いた!』


スケッチブックに描かれた花は、

前に描かれたものと色くらいしか見分けがつかない。

きっと紫乃しのの中ではよく描けたんだろうけど、

僕にはこの花の名前がさっぱり分からなかった。

時間だけは誰よりもあったから、

図鑑なんかは覚えるまで読み漁った。

もう少し紫乃しのに絵心があったら、分かるんだけどなぁ。

なんて言うと落ち込んじゃうから言わないけど。


『上手に描けたね。どこに咲いてたの?』


『学校のグラウンドにある、大きな木の根っこのとこ!

今度教えてあげるね!』


『…うん、ありがとう。』


紫乃しのはいつもこうして描いたものを、

今度教えるからと言ってくれる。だけど僕は、分かってた。

多分それを直接、この目で見る事はない。

僕は身体が弱いから。この家から出られない。

昔は逃げ出そうとした事もあったけど、

今はもうそんな事しない。

だって。無駄な事なんだって、分かるから。


『…あれ紫乃しの?』


少し考え込んでいたら、静かな事に気付いた。

返事もない。そっと顔にかかった前髪をよけると目を閉じていた。

どうやら椅子に座ったまま、ベットに顔を乗せて寝てしまったらしい。

朝から学校に行って、勉強してここに来てるんだ。

いつも息を切らしてやって来る。

きっと急いで、走って来てくれてる。

紫乃しのの寝顔を見ながら、頭を撫でているとノック音が響いた。

扉から顔を覗かせたのは、母だった。


『あら、寝ちゃった?』


『うん、疲れてたみたい。…ねぇお母さん。』


僕は“いつも”の質問をする。母は首を横に振った。

いつもの質問。『 紫乃しのは誰かと一緒だった?』って。

母の首が縦に振られた事は、今のところ1度もない。

前に1度、 紫乃しのが傷だらけで帰って来た日があった。

…いじめられていた。相手は僕の同級生。

偶然僕の家に行く途中で会ったらしい。

紫乃しの自身は、上級生の事なんか知らない。

同級生の子ですら名前も顔もを覚えていないくらいだったから、

上級生は尚更だった。でも、相手は違った。


僕は学校どころかクラスにも行けておらず、

学年ではある意味有名だった。

そんな僕と関わりがあると知って、気になったのだろう。

僕は入学当初から同級生のお見舞いは断っていた。

気を遣われるのが嫌だったし、申し訳なかったから。

だが紫乃(しの)という下級生が出入りしている事を知ってしまった。

いい気持ちは、しなかったはずだ。

自分たちは来るなと言われたのに、なぜあいつは行けるんだ。

きっと、そう思ったに違いない。

僕の配慮が足らず、申し訳ないという気遣いが裏目に出てしまった。


傷だらけで帰って来た紫乃(しの)にどうしたのか聞くと、

紫乃(しの)はいつもの笑顔でスケッチブックを取り出した。

周りで慌てる僕やお母さんに対して、首を傾げる始末。

ひとまず母に頼んで傷口を消毒してもらった。

紫乃しのは昔から、こういうところがある。

紫乃しのの家は母子家庭で、当の母親は家に帰らない人だった。

小学校入学する以前は紫乃しのの身体に、

“あざ”を見る事がしばしばあった。

もちろん僕も母もすぐに気付いた。理由も、なんとなく察した。


『これは俺が悪かったんだ。大丈夫だから。』


どうしたのか聞くと決まってそう答えられた。

本人が大丈夫だからと言っても、放っておける様な話ではない。

見兼ねた母は直接、 紫乃しののお母さんを訪ねた。

それ以来あざはなくなったものの、

家に帰る頻度がさらに少なくなってしまった。

しかし紫乃しのは19:00になると必ず家に帰ってしまう。

誰もいない、自分の家に。僕も母も夕飯を一緒にどうかと誘うが、

誘いに紫乃しのが乗る日はなかった。

…その日、までは。


紫乃しののお母さんは、失踪した。

紫乃しのが小学校3年生の時だった。

失踪というのが正解なのかも分からないが、

とにかく紫乃しのを置いてどこかに行ってしまった。

どれだけ家に帰らなくとも、手を上げられ様とも。

紫乃しのが自身の母を責める事はなかった。

だから僕と母はその時、すごく不安だった。心配だった。

居なくなってしまったお母さんに、

落ち込んで深く傷付いただろうと。

しかし紫乃しのは、変わらなかった。


紫乃しのは大人たちの話し合いの結果、

施設に入る事になった。

それから紫乃しのはいつも通り学校に行って、

いつも通りの笑顔で家に来た。

変化のない紫乃しのに僕も母も戸惑ったが、

周りが動揺してはいけないと平然を装った。

“本当の”変化に、気付くまでは。


『あれ紫乃しの、今日は絵描いてないの?』


『…それが、』


まさかそんな言葉が紫乃しのから発されるなんて。

僕は、絶句した。目の前の居るのは本当に紫乃しのなのかと思う程。

差し出されたのは、真っ白なページのスケッチブック。

紫乃しのは顔色1つ変えず、笑った。

いつもの、笑顔で。


『俺、絵辞める。』


『ど、どうして…?』


やっとの事で絞り出した声。

…いつもと変わらぬ様子で笑うから。

一瞬、何を言っているのか分からなかった。

あんなに楽しそうに、絵を描いて見せてくれたのに。

僕の心臓が、大きく鳴っているのが分かる。

初めて目の前にいる幼馴染に、“恐怖”した。


『お母さんがね、居なくなる前。よく言ってた。

お前の絵を見ると吐き気がするって。気持ち悪いって。

俺、ただ見て欲しかっただけなのに。不機嫌にさせちゃった。』


『…。』


『きっと絵を描くから、お母さんは嫌になって

居なくなったんだ。それで、考えたんだ。』


スケッチブックから、僕に視線を向けた紫乃しの

きっと今まで、見た事がない。眩しい、笑顔。


『これ以上絵を描いたら、 そうちゃんまで

居なくなっちゃうって。だから、辞める。俺ね?

そうちゃんが居なくなったらきっと、泣いちゃうから。』


『し、 紫乃しの…』


唯一の肉親のお母さんが居なくなってもなお、

こうして笑っている紫乃しのが。

僕が居なくなる事を、1番、恐れていると知った。

泣くと、言った。僕はそこで重大な“過ち”に気付いた。

ようやく、気付けた。でも遅い、遅過ぎた。一緒に、居過ぎた。

僕は震える腕で、精一杯の力で紫乃しのを抱き締める。


この子の時間を、自分はどれ程独占していただろう。

大好きな絵を描く事を辞めてしまえる程、

僕はこの子の中で“育ち過ぎていた”。

僕のせいでこの子が、好きな事を失ってしまう。

気付いたら僕の方が、泣いていた。

僕が泣いている事に気付いた紫乃しのは、

頭を優しく撫でてくれた。


だめだ、絶対にだめ。

こんなに優しい子の、未来を、“僕なんか”が潰してはいけない。

僕は真剣に、ちゃんと伝わる様に。

絵を辞める事はしなくていいと、説得した。

思ったよりあっさり紫乃しのは頷いてくれた。

安堵とともに心に残ったのは、罪悪感。

僕は、なんて事をしたんだ。


その次は、大学生の頃。

僕がひとり暮らしを始める時、すごく大変だった。

身体の弱い僕が実家から遠く離れた場所で、

ひとり暮らしをすると聞いた紫乃しのは大騒ぎ。

僕は中学に上がった頃くらいから体調が良くなり、

中学高校は他の人と変わらず学校に行く事が出来た。

小学校は全く行けなかったのに、高校では皆勤賞も取れた。

きっと成長して、身体が出来てきたからだろうとお医者さんに言われた。


せっかく身体の調子も良くなってきたし、

良い経験になると両親は快諾してくれた。

出来る事が増えるのは嬉しいし、何より楽しい。

僕は大学進学とひとり暮らしが決まってから、

母に協力してもらい家事の練習を始めた。

掃除や洗濯は苦手だったが、料理が楽しかった。

夕飯を作らせてもらった時、美味しいと言ってもらえる事が嬉しかった。

こうして僕は、実家を出た。

紫乃しのは最後まで反対して、当日は家に来なかった。


『あ、あの…。』


『あら、あなたそうちゃんね?』


どうしても気になった僕は当日、引っ越し先に行く前に

初めて1人で紫乃しのが暮らしている施設を訪ねた。

ここに来るのはその日が初めてで、

前に連れて行ってとお願いした時はやんわり断られた。

恐る恐る中に入ると、すぐ気付いてもらえた。

どうやら僕を知っているらしいその人は、

紫乃しののところまで案内してくれた。

案内された部屋は4人部屋で、1番奥のベットに紫乃しのを見つけた。

同室であろう子たちは仲良く話しをしているのに

紫乃しのは1人でこちらに背を向け、ベットに横になっていた。


『…あの紫乃しのは、いつもあんな感じですか?』


『そうねぇ、大体あんな感じかな。以前あなたと紫乃しのちゃんが

話しているところを見かけてね。すぐに噂のそうちゃんだって

分かったわ。あんな顔して話をする紫乃しのちゃん、見た事ないもの。』


苦笑いをこぼしたその人は、 紫乃しのを呼んだ。

しかし紫乃しのは背を向けたまま、動く気配はない。

僕はその人にお礼を言って、部屋に入った。

そっと近付くと、 紫乃しのがゆっくり振り返った。

不機嫌そうな顔で、目元は少し赤くなっていた。

まさか僕だと思わなかったのか、目を丸くして固まってしまった。

僕がベットのすぐ横に座ると、飛び起きた。


『…な、んで』


『そっちこそ。僕今日引っ越すんだけど。』


気まずそうに俯いて黙ってしまった紫乃しの

体操座りで小さくなった紫乃しのの頭をそっと撫でる。

一瞬身体が跳ねたが、動かないので撫で続ける。

するとゆっくり顔を上げた。瞳が大きく揺れ、今にも泣きそうな顔で。

僕は紫乃しのに弱い。自分でそう思う。

紫乃しのが大学進学する時に

一緒に住む事を約束した事で仲直り?した。


一緒に暮らし出してからは言った通り。

お互いで出来る事は協力して生活していた。

大変だったけど、それ以上に楽しかった。

僕は高校くらいから小説を書き始めて、

少しずつではあったが読んだ人から良い反応を貰える様になった。

紫乃しのは昔とは比べものにならない程画力が上がり、

美大で日々絵を描いて頑張っていた。

そんな中、気になる点が1つ。


『ねぇ僕ばっかりな気がするんだけど。』


美大で課題が出る度、確かに相談に乗っていた。

課題で人を描く時、決まって紫乃しのは僕に似た人物を描く。

初めはただの偶然か、気のせいだと思っていた。

だがあまりに続くので聞いてみるとやっぱり。

たまにちょっとアレンジを加えてるみたいだけど、

モデルは僕で間違いない。


『僕以外にも人はいっぱい居るでしょ。

せっかくだし大学の人描いたら?話すきっかけにも…』


『いらない。』


紫乃(しの)は高校に入ったくらいから、口数が減った。

僕にはまだ良い方で学校では声も出さないと、

知り合いに聞いて知った。僕は学校に行けば友人も出来たし、

環境も恵まれた。だからと言って紫乃(しの)の周りの人や、

環境が悪い様には思わない。 紫乃(しの)が、関わる気がないのだ。

誰に聞いても、僕や僕の両親以外に口を開いた所を見た事がないと言う。

思春期だし難しい時期なのかとも思ったが、

さすがにもう大学生。そうも言ってられない。


『広い交友関係を築けとか誰にでもにこにこしろとか

言ってるんじゃないんだよ?1人か2人でいいから、

学校で友達って呼べる人居た方が…』


『だから、いらないんだって。』


『もーそんなつんつんしてなくたって…』


『俺には(そう)ちゃんが居てくれたらいいよ。』


あまりに真っ直ぐな目でそう言うから。

僕はそれ以上、言葉が出なかった。

紫乃(しの)は顔色ひとつ変えず、そう言い切った。

そこで僕は、また気付く。

思い出す。


自らが犯した、事の重大さを。


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