第七幕 第一場
おれが目を覚ますと、そこには見知らぬ天井があった。何やら音が聞こえてくる。耳を澄ましてみると、どうやらテレビの音だということがわかった。
状況がわからず、記憶を探ってみる。たしか自分はグリム王国で小森ミクの最後を見届けたあと、そのまま気を失ったはずだ。そして気がついたら、いまここにいる。どうやらおれはベッドに寝かされていたようだ。もしかしてここは病院か?
「よう、ねぼすけ。ようやく目覚めたか」
男の声が聞こえたかと思うと、寝ていたベッドの背が勝手に自動で起きはじめる。すると目の前にとある人物の姿が現れた。いかつい顔つきをしたスーツ姿の男で、おれがよく知っている人物だ。
「……警部どの」
無能上司……もとい警部が、ベッドの横にある椅子にすわっていた。その手元には何やらリモコンらしきものあがり、それでこのベッドを操作しているようだ。
「ほんとうならおまえをぼこぼこにして病院送りにしたいところだが、すでに入院しているのならしかたがない」警部が嫌みたっぷりにそう言うと、怒鳴りだす。「この馬鹿やろうが! なぜおれがおまえをウルフ事件の担当からはずしたと思う。いつかこんなことになるんじゃないかと、危惧していたからだ。そしてその予感は最悪なことに的中してしまった」
警部はリモコンを置くと、病室に置いてあったテレビへとあごをしゃくる。そのためおれはテレビへと視線を向けた。画面ではグリム王国で起きた大量殺人事件のテロップとともに、そこで起きた事件について、ニュースキャスターがあれこれとしゃべっている。
警部はテレビのリモコンを手にすると音量をあげた。
「今回の事件でグリム王国では十一人の死亡者が確認されています。そのなかには今回の事件の犯人と思われるウルフの死体が見つかったとの情報がありますが、いまところ真偽は確認できておりません。また事件との関係があったと思われる長谷川ヒロユキ氏が自宅で殺害されており、事件との関連が疑われて——」
「今回の事件で十二人死んだ」警部が言った。「おまえも死んでいたら十三人になるところだった。不吉な数字だよ」そこでことばを切ると、スーツの内側から何やら封筒らしき物を取り出し、それをおれに差し出す。「蝶野くん、これをきさまに返すぞ」
差し出された封筒、それはおれが書いた辞表だった。
「けど警部おれは——」
「だまれ!」警部はおれのことばをさえぎる。「さっさと受け取れ。反論は許さない。いまやおまえはヒーローなんだよ」
「ヒーロー?」わけがわからないまま、おれは辞表を受け取る。
「ああ、そうだ」警部はうなずく。「ちょうどいまテレビで、そのことについて話している」
そういうと警部はだまった。そのためテレビの音だけが聞こえる。
「今回の事件においてグリム王国ツアー客のなかでたったひとりの生存者である被害者女性は、たまたま事件を嗅ぎ付けてやってきた刑事である蝶野コウジ巡査部長に命を助けられたと証言しています。グリム王国が停電し、つぎつぎと人が殺されるなか、蝶野巡査部長が彼女を守り、途中ウルフに襲われた際には勇敢にもそれに立ち向かい、彼女を逃がしたそうです。その勇気ある行動に——」
「わかるな」警部は声を強めた。「おまえは私怨にかられ、警察を辞めて一般人として勝手に拳銃を持ち出して犯行現場に向かったのではなく、優秀な刑事として事件を事前に察知し、勇敢にもひとりで残忍なウルフに立ち向かったヒーローということだ」
おれは首を横に振る。「しかしそれは事実に反します」
「それが事実だ」警部はすごみをたたえた視線を突き刺す。「おまえがその辞表を持っているかぎりな。もしほんとうのことを公表すれば警察の威信にかかわる。まったく面倒なことをしてくれたよ蝶野くん。きみはまだ警察の人間だ」
「しかしそれでは規律に——」
「もちろんおまえにはしかるべき処罰をくだす。だがそのまえに警察の人間として、事件の解決に協力するんだ。おまえがもし罪悪感を感じているんだとしたらな。それが責任ってもんだろ?」
おれはしぶしぶうなずいた。「……わかりました」
「さっそく事件について訊きたいところだが、そのまえに大事な質問をさせてくれ」警部はそこで長々と間を置いた。「おまえがウルフを殺したのか?」
「警部、おれは……」そのときのことを思い出し、こぶしを握りしめた。「おれはやつを……ウルフを殺せませんでした。憎いはずの妹のかたきだったのに、拳銃の引き金を引くことができなかった。復讐を果たすことは、おれには無理でした」
くやしさなのか後悔なのかはわからない。言い終えると、いつのまにかおれは涙ぐんでいた。
「……だろうな」警部の表情がいくぶんかやわらいだ。「おまえの拳銃の弾は一発も消費されてなかったよ」
「……おれは半端者です。ウルフを殺すと決めたのに、それを実行できなかった。直前になって迷いが生じてしまいました。はたして復讐することが正しいのかどうか……わからなくなったせいです」
「……そうか。だがおまえはそれでいい。気にするな」
おれは何も言えず、ただ静かに涙をぬぐった。
「さてと蝶野くん、事件についてさっそく話を訊きたいのだがいいかね?」警部が言った。「ツアー客の唯一の生存者である佐藤アカネが記憶喪失のため、未だ事件についてわからないことが多くて、困っていたんだよ」
「……記憶喪失?」
「ああ、そうだよ。頭を打ったせいで気絶、気がつくと自分にかんするすべての記憶を忘れていたそうだ。そんな彼女を見つけて助けたのがおまえだろ。なら知っているはずだが?」
おれは一考する。「……ええ、たしかに彼女は記憶喪失でした。ですが、いまもなお彼女は記憶喪失のままなのですか?」
「ああ、残念ながらな」警部は肩をすくめた。「医者の話によると、いつ記憶がもどるかわからないそうだ。もしかすると一生もどらない可能性もあるという」
「そうですか……」おれは眉をひそめる。「それはかわいそうな話ですね」
「だからおまえが目覚めるのを待ってたんだよ。こうしてつきっきりでな。ほんと勘弁してほしいよ。いつ目覚めるのか、わからないやつを待つのはつらすぎる」そこで警部は相好を崩した。「けどこうして無事に目覚めてほっとしているよ」
「警部……自分はどのくらに眠っていたのでしょうか?」
「丸三日だ」
「そうでしたか……」
「話がそれたな。もとにもどそう」気を取り直すかのように警部は咳払いする。「今回の事件いったい何が起きていたんだ。状況が複雑すぎて、当事者ではないわれわれには、いまいち理解できずにいるんだよ」そこでひと呼吸間を置く。「単刀直入に訊く、今回の事件の真相はなんだ?」
「事件の真相ですか。それは……」おれは言いよどむ。「おれにもわかりません。どうやら自分は利用されて巻き込まれただけのようだったので」そこでことばを切ると、少し困ったような笑みを浮かべる。「それにいま目覚めたばかりですし、事件が事件ですので記憶も混乱しています。少し整理する時間をくれませんか」
「それもそうだな」警部は同意する。「話は後日にしよう。いまはゆっくりと休んでくれ」そう言って警部は立ちあがる。
「警部、ひとつだけ教えてください。佐藤アカネはいまどこに?」
「同じここの病院にいるよ。気になるなら会いに行ったらどうだ。向こうはきみの容態をとても心配していたからな」
警部はそう告げると、病室から出て行った。




