第三幕 第八場
「わたしが……シンデレラ?」
男が真剣なまなざしでわたしを見つめてくる。そのせいでわたしは射すくめられ混乱してきた。わたしがシンデレラであるはずない。この男はきっと何か勘ちがいしているはずだ。けどいまのわたしには記憶がない。それがわたしを不安にさせる。
「あなたはいったい何を……言っているの?」
「頼むアカネ、ぼくの質問に答えてくれ」男は言った。「長谷川の孫娘はどこにいるんだ?」
「わたしが知るわけないでしょう!」
不安をかき消すかのように、わたしは思わず声を荒らげてしまう。すると男はとまどった顔つきになった。
「……アカネ、きみは孫娘がどこにいるのか、ほんとうに知らないんだな?」
「長谷川の孫娘の所在なんて知らないわよ」わたしはいつのまにか額に浮き出た汗をぬぐう。「こっちが知りたいぐらいだわ」
「もしかしてきみはシンデレラじゃないのか?」男が質問する。
「どうしてわたしのことをシンデレラだと思ったのよ?」わたしは質問で返した。
「いや、すまない」男がきまり悪そうに視線をそらした。「ただ昔からずっときみのことをシンデレラだと疑っていたから、つい……。どうやらきみはシンデレラじゃないみたいだね……」
「あたりまえよ」わたしは声を強めて言う。「もしわたしがシンデレラなら、どうしてわざわざそれを探すドキュメンタリー映画なんて撮影しないわよ」
「ドキュメンタリー映画?」男は眉をひそめた。
「そうよ。わたしたちミステリー愛好会が撮影しているじゃない」
「ミステリー愛好会?」男は困惑した様子だ。「なんのことだ?」
「わたしたちが所属するサークルのことよ。あなたはそんなことも忘れたの?」まさか記憶喪失だとは言わないでよ。
「わたしたちが所属するだって?」男はますます困惑しているようだ。「きみが何を言っているのか、よくわからないよアカネ?」
「こんなときにふざけているの?」わたしは苛立ちを募らせ、いらだった口調になる。「わたしたちミステリー愛好会はシンデレラ事件のドキュメンタリー映画を撮影するためにここに来たじゃない。そうでしょう、神谷?」
「神谷?」いまや男はあぜんとしている。「……何を言っているんだきみは。ぼくの名前は神谷なんかじゃない。『マコト』だよ」
「マコト?」わたしはその事実に目を丸くする。「あなただれよ」
「きみこそふざけているのかい?」男が顔をしかめた。「たしかにぼくはきみを怒らせたし、二度と近づかないでと言われた。だからってこの状況で、悪ふざけはやめてくれ。いまここで何が起きているのかは、きみも重々承知だろ」
「……ちょっと待って」わたしの混乱はいや増すばかりだ。「わたしとあなたは知り合いだったの?」
「アカネ!」男が声を張りあげた。「ぼくがきみを傷つけたからって、知らないふりはやめてくれよ」そこで苦痛にうめくかのごとく、顔をゆがませる。「あとでちゃんと説明するから。だからぼくのことを知らないふりだけはやめて。それはとても傷つくから……」
いまにも泣き出しそうな男の顔を見て、わたしの胸はうずいた。どうやらわたしの記憶喪失が原因で、この男と行きちがいが生じているらしい。
「あの……ごめんなさい」わたしはすまなさそうに言う。「こんなこと言っても信じてもらえないかもしれないけど、わたし頭を怪我したせいで記憶喪失なの」
「記憶喪失?」男は疑うような顔つきだ。無理もない。
「ええ、そう」わたしはうなずいた。「記憶喪失なの」
「……悪ふざけかい?」
「ちがうわ」わたしは首を横に振る。「こんな状況でそんな嘘をつく理由なんてない」そこで傷口のある右側頭部を指差した。「この怪我を見てよ。ほんとうに頭を打ったんだから」
「じゃあたしかめさせてよ」
男はそう言ってわたしに近づいた。そして傷口をたしかめるようにゆっくりと顔を近づけたかと思いきや、そのままわたしの唇に自身の唇を重ねた。
突然のキスにわたしは思わず男を突き飛ばした。男は懐中電灯を落として尻餅をつく。懐中電灯は床に落ちるとその場で回転し、あたかもディスコの照明のごとく、わたしたちを照らす。
「いきなり何するのよ」わたしは男をにらみつけた。
懐中電灯の回転が止まり、男だけが明るく照らされる。すると男はさみしげに微笑みながら、こちらを見つめていることがわかった。その表情は何やら意味深に思えてしまう。
「ほんとうに記憶喪失なんだね」男はそう言って、懐中電灯を拾うと立ちあがる。「きみの話を信じるよアカネ」
「えっ?」わたしは虚をつかれる。「……信じてくれるの」
「ああ」男はうなずいた。「だから聞かせてくれ。きみの身に何が起きているのか」
こうしてわたしは自分の事情を説明することになった。




