第三幕 第五場
「……つまりあなたは刑事で、ウルフの事件を追っている最中に車で事故を起こしてしまい、それで助けを求めてこのグリム王国に迷い込んだ、ということですか?」
小森ミクがたしかめるように訊いてくる。
「ああ、そういうことだ」おれは何度もうなずいた。「理解が早くて助かるよ」
小森は半信半疑といった様子で、おれを値踏みするかのように見つめてくる。そのため居心地が悪い。
「……あの小森さん」おれは言った。「おれの話を信じてもらえたかな?」
小森はしばし黙考すると、その口を開いた。「信じます。もしあなたが殺人鬼なら、こうしてわたしに長々と話をするはずがありませんもの。たぶんあなたの話はほんとうなんだと思います」
「よかった」おれは胸を撫でおろした。「ありがとう信じてくれて。だったら携帯かスマホを貸してくれ。外に助けを求めたい」
「そんなことは、とっくの昔にわたしがやりました」
「ほんとうか!」おれは歓喜の声をあげる。「それで助けはいつごろ到着するんだ?」
小森は表情を曇らせて、首を横に振る。「助けは来ませんよ」
「えっ!」おれは眉間にしわを作る。「どうしてだ?」
「電話がつながらないんです。どうしてだか圏外になっているみたいで、何度か場所を変えながら試したんですけど、結局はだめでした。だから助けは呼べてません」
「……電話がつながない?」眉間にさらに深いしわを刻む。「それはおかしい。だって昼間は電話がつうじてたじゃないか」
クレイジー石原のビデオカメラには、電話をしながら歩いていた一般人が映っていた。だからここが圏外だなんてありえない。
「たしかにそうなんですが、なぜか夜になってからは圏外になってしまっているんです。もしかするとこの付近の携帯電話の基地局になんらかのトラブルが起きているのかもしれません」
「こんな日に、このタイミングでか?」
「ええ、残念ながらそうみたいです」
あきらかにおかしい、とおれは思った。これではウルフにとってあまりにも都合がよすぎる。これを偶然と断じるほど、おれはばかじゃない。
「おそらくこの圏外の状況は、意図的に作り出されている」おれは言い切る。「それはまちがいないはずだ」
「そんなことができるんですか?」小森が訊いた。
「ああ」おれはうなずいた。「小森さんひとつ聞かせてくれ。このグリム王国は案内板の地図からざっと計算するに、おそらくは東京ドーム十個分ほどの大きさぐらいのはずだ。もしおれの考えが正しければ、グリム王国はテーマパークとしては中規模程度の大きさで、敷地もそこまでは広くないのでは?」
「はい」小森はうなずいた。「蝶野さんの計算でだいたいあってますよ」
「だとすればGPSジャマーやそれに準ずる電波妨害装置を使えば可能だ。おそらくは外国製の強力なやつをいくつかそろえて、ここに設置したんだろう。もしくは携帯電話の基地局になんらなかの妨害措置を施せば、ここを圏外にできる」おれはそこでことばを切ると、渋い顔になる。「つまりは通信手段を用いて助けを求めるのは、いまのところ不可能だ。運良く電波妨害装置を見つけて止めることができればいいが、もしも携帯電話の基地局側に仕掛けがあるとすれば、この状況はもはやお手上げだ……」
あらためて自分の置かれた状況を理解し、深く絶望する。助けを求めることも、逃げることもできない。何かこの状況を打破できる突破口はないのか?
そう考えたとき、あることに気づいておれは、はっとする。
「そうだ小森さん。帰りのバスはいつ到着するんだ?」
小森は残念そうに首を横に振る。「わたしから連絡をするまではバスは迎えにきません。こちらからの連絡がいっこうになくて、向こうがおかしいと気づいてくれるかもしれませんが、それがいつになるのかは、わたしには検討がつきません」
「なんてこったい」おれはため息を漏らした。「つまりこの窮地を脱するには、だれにも見つからない場所に隠れる必要があるな」
「でも蝶野さん、このグリム王国で隠れることのできる建物や施設は限られていますし、いずれ見つかりますよ。ほかは施錠されているし、窓やドアを破壊して侵入すれば、外から丸わかりです」
「ああ、わかってる。けどここのトイレよりはましだろ。時間を稼げればいい、とにかく移動しよう」おれは懐中電灯をしまうと、ビデオカメラを取り出した。「小森さん、ここから先はウルフにばれないようカメラの暗視機能を利用して移動する。うしろからついて……じゃなくて肩を貸してくれないか。怪我で移動が大変なんだ」
肩を貸してもらえれば、佐藤のように逃げられる心配はない。
「わかりました」そう言って小森は快く肩を貸してくれる。
おれたちふたりは時間を稼ぐべく、隠れ場所を探すためにトイレをあとにした。




