第三幕 第三場
おれは極度の緊張感から、のどの渇きを感じていた。そのため自然とつばを飲む。それから緊張をほぐそうと、深く息をついた。
ウルフが目の前にいる、そう考えるだけで心臓の鼓動が早鐘を打つ。その音が異様にうるさくてたまらない。とにかく冷静になれ、と自分に言い聞かせてビデオカメラを操作する。だがどこにもウルフらしき人物の姿は見あたらない。
もしやこちらに気づいて隠れたのか?
「佐藤さん」おれは小声で言う。「ウルフはいまどこに?」
だが返事はない。もしくはささやき声だったために、聞き取れなかったのかもしれない。
「佐藤さん!」おれは声を強めた。「やつはどこだ?」
またしても返事はなかった。不審に思ったおれが後ろを振り返ると、そこに佐藤アカネの姿はない。一瞬、何が起きているのかわからなかった。
「……佐藤さん?」
おれはその姿を求めてあたりに視線を走らせる。だがどこにもいない。やがてだまされたと気づき、おれは頭を抱えてしまう。
「やられた……」おれは唇を噛んだ。「逃げられた」
おそらくはおれのことを信じていなかったんだろう。だからウルフがいると嘘をつき、おれがその姿を血眼になって探している隙に逃走したんだ。
この状況はまずい、とおれは思った。いくら拳銃を所持しているとはいえ、自分はいま事故の際に負った怪我のせいで体を痛めている。もしこちら不意をつかれてウルフに襲われたら、太刀打ちできないだろう。だからこそ協力者が必要だったのに……。
おれは佐藤を探すべく歩き出した。どうにかして自分が敵ではないと説得しなければ。だが一度警戒された人間を説得するのはむずかしいだろ。どうすればいい?
そんなことを考えながら進んでいると、行く先に身を屈めてこっそりと移動する人影をとらえた。その姿を確認しようとビデオカメラを操作するも、その人物はすぐ近くにあるトイレへと向かっ行く。そのためトイレの前にある生垣に阻まれて、その姿がよくわからない。だがその人物が女子トイレへと、はいっていくところは確認できた。
たぶん佐藤にちがいない、とおれは思った。すぐさま追いかけるようにしてトイレへと向かう。どうにかして説得しなければいけない。たとえ拳銃を突きつけることになったとしても。
トイレにたどり着くと、その入り口の壁に背を預け、耳を澄ましてみる。女子トイレの奥から人の気配を感じる。ここに人がいるのは、まちがいないようだ。
女子トイレに踏み込む前にビデオカメラを懐にしまい、懐中電灯を手にする。この中なら懐中電灯の明かりをつけても、問題はないだろう。ここのトイレは生垣や木々に囲まれており、たとえ窓から光が漏れたとしても外からわからないはずだ。
おれは女子トイレへとはいるなり、懐中電灯の明かりをつけた。すると奥にたたずむ人物が、そのまぶしさから目をそらすように、体をよじりながら腕で顔を隠す。
「動くな!」おれは拳銃を突きつける。「頼むから逃げずに話を聞いてくれ、佐藤さん」
だがすぐにそれがまちがいだと悟った。佐藤と思われたその人物の体形はぽっちゃりとしており、あきらかに佐藤とは別人だ。それに着ている服もちがう。
「だれだ、顔を見せろ!」
相手はおそるおそる手をどけると、目を細めるようにしてこちらに恐怖のまなざしを眼鏡越しに向ける。相手はこちらが拳銃を手にしていることに気づいたらしく、ゆっくりとその両手をあげた。すると腕で隠されていた、ふくよかな胸の谷間が現れた。その服装はドイツの民族衣装を模したものだ。
「……お願い、撃たないでください」相手は弱々しい声音でそう言った。「なんでもしますから、殺さないでください」
おれはそのおびえる姿をまじまじと見つめる。ビデオカメラで見た映像から、その正体をすぐさま導きだした。
「おまえは……ツアーガイドの小森ミクだな」
「えっ!」小森は驚いた様子だ。「どうしてわたしの名前を知っているの?」そこで自分の記憶を探るかのように間を置いた。「あなたはツアー客の人じゃないみたいですけど、いったいだれなんですか? それにどうして銃を持っているんですか? もしかしてあなたがここで人殺しをしているんだすか?」
誤解されている、とおれは思った。おそらく小森はここで人が殺されているのを知っており、だからこそ隠れるように移動していたんだ。たぶんこのおれを犯人だと思い込んでいる。この誤解は早く解かなければいけない。さもないと佐藤の二の舞だ。
「小森さん、おれは人殺しでもなければ、あなたの敵でもない。きみがいま混乱しているのもわかるよ。だからこそちゃんと説明したい。おれの話をちゃんと聞いてくれ。そうすれば銃はおろす」
小森はおずおずとうなずいた。
おれは拳銃をおろすと、こちらの事情を説明しはじめる。




