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第二幕 第九場

 つぎの動画ファイルを再生した。画面にはクレイジー石原の顔が大きく映し出された。小刻みに揺れ動く画面とその背景から、どうやらバスの車内で撮影しているようだ。


「こんにちは、クレイジー石原です。きょうわたしは、とある見学ツアーに参加するためバスに乗っております。その行き先は幻の秘境と呼ばれていた」そこで視聴者の興味を引くかのように、長々と間をとる。「グリム王国です!」


 石原は満面の笑みを浮かべた。


「かつては知る人ぞ知る幻の秘境、なんて呼ばれていたりしたんですが、ここ最近になってファエリーリゾート社がグリム王国の見学ツアーを開始。これが口コミで人気になるや、わたしのブログやツイッターなどに体験レポートをしてきてほしい、というたくさんの要望をいただきました。ですので、いまこうしてわたしはグリム王国に向かっています」


 石原がこちらに向かって手を振ると、画面が大きく揺れ動いた。そして揺れがおさまると、画面には面食らった様子の石原の顔が映し出される。


「……あぶないですね、結構揺れましたよ。これはちゃんとしっかり持たないと」


 画面がまわるようにして動き出した。すると画面は前の座席の後ろ姿を映し出している。やがてふたたび動き出すと、石原のとなりの席にすわる男の姿が現れた。五十代ぐらいと思われるその中年の男は、腕を組んで窓のそとに顔を向けていた。男は白い長ズボンにチノクロスのジャケットを羽織り、高級そうな腕時計をしていた。その少綺麗な格好から、落ち着いた大人の雰囲気が感じられる。


「どうもこんにちは」石原が言った。「差し支えなければ、少しお話よろしいでしょうか?」


 男がこちらに顔を向けた。その男はあごの引き締まった、いかめしい顔つきをしており、短くきれいに整えられた髪には白いものが混じっている。その目つきは鋭く、こちらに射抜くような視線を向けている。そのため近寄りがたい印象を受けた。


「なんでしょうか?」男の声が低く響いた。


「わたしはお笑い芸人のクレイ——」


「知ってますよ」男が機先を制した。「クレイジー石原さんでしょう。おれあんたのファンなんだ。だからこうしてとなりにすわることができて光栄だよ」


「そうだったんですか。それなら声をかけてくれればいいのに」


「こういうプライペートなときに、芸能人に声をかけるのは失礼かなと思いまして、それで黙っていたんですよ。石原さん」


「あー、たしかにそういう人はいますけど、わたしの場合はだいじょうぶですよ。むしろ声をかけられたい人間なので」


「そうだったんですか。そいつは失礼しました。いらぬ気づかいでしたね」男は口元に笑みを漂わす。「それでこのおれになんのようでしょうか?」


「グリム王国に着くまでのあいだ、少しお話をうかがいたいと思うんですが、よろしいでしょうか?」


「もちろん、かまいませんよ」


「ありがとうございます。では、まず最初にお名前を聞かせてもらってもいいですか」


「『坂本』という者です」


「坂本さんですか。きょうはおひとりですか?」


「ええ、そうなんです」坂本と名乗った男はうなずいた。「独身貴族の特権で、おのれの気の向くままにひとり旅しているんですよ。こういう気楽な旅が趣味でしてね、だからきょうもふとグリム王国に行こうと思って、それを行動に移したんです」


「そうなんですか。わたしも独身なんで、その気持ちよくわかります。家庭を持つと、気軽にひとり旅なんてできませんからね。でも独身だと、ふとした瞬間にさみしさを感じたりしませんか? わたしはたまにあるんですよね」


「おれは犬を飼っているから、さみしさを感じることはないな」


「ペットを飼っていらっしゃるんですか?」


「ペットではない」坂本は否定する。「仕事仲間として犬を飼っている」


「犬が仕事仲間ですか?」石原はそこで間を置く。「失礼ですが、坂本さんのお仕事を教えてもらってもいいですかね?」


「猟師だ」


「ああ、漁師さん。船に乗ってお魚を捕るんですね。でも漁師に犬なんて必要なんですか?」


「その漁師じゃない」坂本がくすくすと笑う。「山で狩りをするほうの猟師だ」


「猟師さんですか!」石原は声を大にする。「すみません、勘ちがいしてしまいました。なるほどそれで犬を飼ってらっしゃるんですね。猟犬ということですか」


「ああ、そうだ。犬を何匹か飼っているが、そのなかでも優秀なメス犬とオス犬がいるんだよ。オス犬のほうは夜目が効いてね、夜の狩りでは重宝するんだぜ」


「そうなんですか。それは優秀な仕事仲間ですね」


「おれはそいつらを駆使して、獲物を狩るんだよ。だけど用心しないといけないのは、獲物にこちらの存在を気づかせないことだ。けっしてこちらが追跡していることを悟らせない。そのためにはいかに自然にまぎれるかが重要になる」


「そうなんですか」石原は相づちを打つ。


「そうやって獲物をじわりじわり、罠へと追いつめるんだよ。そして獲物を捕まえたら、そののどを切り裂きしとめる」坂本はそこで不適な笑みを作る。「その瞬間が最高にたまらないんだよ」


「……そうなんですか」石原は気圧されたような口調だ。「でもそれはちょっと残酷じゃないでしょうか」


「残酷?」坂本は眉を吊りあげる。「どうしてそう思うんだ」


「だって生き物を殺すのはちょっとかわいそう——」


「軟弱な現代っ子だな石原さん」坂本は石原のことばをさえぎると、不機嫌な口調になる。「あんたはベジタリアンなのか?」


「いえ、ちがいますけど……」


「だったら牛や豚の肉を食うはずだ。そのためには動物を殺さなければならない。当然のことだよな石原さん」


「ええ、たしかにそうですね……」


「生き物が生き物を殺すなんて、あたりまえのことなんだよ。それなのに現代社会はそれを残酷な行為だとみなす。自分たちがほかの生き物の犠牲の上で生きているというのに、その事実から目をそらす。おれから言わせれば、いびつにゆがんでいるね」


「わたしたちは……ゆがんでいるのでしょうか?」


「ああ、ゆがみすぎている。暴力や殺人を否定しておきながら、映画などの娯楽ではそれをふんだんに駆使する。グロテスクであればあるほど、人は熱狂する。それはなぜか」坂本はそこで声の調子を落とした。「もともとこの世界は弱肉強食、他者を蹂躙しなければ生き残れない。だから人は本質的に残虐なんだよ。だがこの現代社会、それを理性という名の檻に押し込んでいる。けどその檻の鍵がはずれれば、その欲望を満たすために人は平気で残虐になれるんだよ。スナッフビデオがいい証拠だ。あんな物、需要がなければ出回らない。それだけ人は残虐な行為を求めているんだよ」


 石原は臆しているようで、相づちを打たない。


「みなさま大変お待たせしました」ツアーガイドである小森ミクの声が聞こえてくる。「もうまもなくでグリム王国に到着となります。忘れ物のないよう——」


「ど、どうやらもうすぐで到着するみたいですね」石原が慌てた口調で言う。「坂本さん、興味深いお話ありがとうございました」


 石原がそう告げると、動画はそこで終了した。

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