第二幕 第八場
動画ファイルを再生した。画面には昼間のグリム王国を散策する様子が映し出される。
「どうもクレイジー石原です。とうとうわたしはここグリム王国にやってきました」
石原が自身の近況を報告しながら、グリム王国の敷地を進んでいくと、ほどなくして画面に赤煉瓦造りの建物が立ち並ぶ広場の一画が見えてきた。その広場の真ん中には何やらふたり組の男の大きな銅像がたっており、そこではコスプレをした人々がカメラマンと思われる人物に対してポーズをとっている。
「あれはコスプレをしたレイヤーさんですね」
石原がそう言うと、そこへ向かって画面がズームアップされる。
「たしかレイヤーさんには、撮影場所としてグリム王国が人気だと聞いていましたが、ほんとうのようですね」そこでしばし間を置いた。「あれはなんのキャラクターなんでしょうか。たぶんアニメキャラクターのコスプレなんでしょうが、なにぶんわたしがおっさんすぎて、ちょっとわからないですね」
画面がズームバックする。するとスマートフォンで電話をしている一般客が、こちらにやってくる姿を捉えた。
「あっ、クレイジー石原だ!」一般客が石原の存在に気づいたらしく、こちらに向かって手を振る。
「はい、どうも石原です」
画面端に見切れるようにして、手を振る石原とおぼしき手が映り込むと、その一般客とすれ違う。画面はそのまま進みつづけ、広場をめざしていく。
画面が広場に到着すると、撮影していたカメラマンとレイヤーの人たちは銅像の前から立ち去っていった。
「ちょっとあの銅像が気になりますね。行ってみましょうか」
画面は銅像に向かって進んでいく。するとこちらとは反対方向から銅像へと近づく、ふたり組のコスプレをした女性の姿が画面に映り込んだ。
ふたり組の女性よりも先に、画面は銅像の前にたどり着く。いま画面では台座の上に鎮座するふたりの男の銅像の姿を、見あげるようにして映し出している。ひとりの男は椅子にすわって本を読み、もうひとりは椅子の背に手を置き、その様子を見守っている。
「いったいこのふたりはだれなんでしょうかね?」石原が思案気な口調で言う。「なんかベートーベンみたいな格好と、あの毛先をくるくるした髪型っぽいですから、その時代の人たちなのか——」
「あっ、石原だ!」女性の大声が石原のことばをさえぎる。
画面が動き出し、コスプレをした若い女性ふたり組を映し出す。ひとりは魔女を模した格好をしており、もうひとりは赤ずきんを模した格好をしていた。
「はい、そのとおり」石原がうれしそうに言う。「わたくしお笑い芸人クレイジー石原です」
「うわ、本物だ!」魔女の女が言った。「握手してもらっていいですか?」
「もちろん、いいですよ」
画面端から石原とおぼしき手が現れると、魔女の女と握手を交わす。赤ずきんの女も手を差し出してきたので、こちらとも握手を交わした。
「わたしたち子供のころは石原さんのファンだったんです」赤ずきんの女が言った。「だから会えてうれしいです」
「おい、ちょっと待ちなさいよ!」石原が声を大にする。「そこは子供のころはじゃなくて、いまでもファンと言うべきところだろ」
「そうですよね、ごめんなさい石原さん」赤ずきんの女は笑いながら言う。「わたしたちいまでもあなたのファンです」
「そう、それでよろしい。それにしもてきみたち、非常にわかりやすくていいですね。そのコスプレは魔女と赤ずきんだな」
「はい、そうです」ふたりは声を揃えて、うなずいた。
「ちょっとそのコスプレ衣装を、見せてもらってもいいですかね」
「いいですよ」ふたたび、ふたりは声を揃える。
「それじゃあ、そっちの魔女のかたから見せてもらっていいですか。その場で一回転するような感じでお願いします」
魔女の女が一歩前に進むと、両手をひろげてポーズをとる。フリルのついた黒いワンピース姿を強調すると、その場でまわりはじめた。背中につけた黒いマントがひるがえしながらまわり終えると、つばの広いとんがり帽子をはずしてお辞儀をする。すると長い黒髪が肩から前に滑り落ちた。そして顔をあげると、その顔はコスプレ映えをよくするためにだろうか、濃いメイクがなされているのが見てとれた。
「いやー、かわいらしくて、とてもよく似合っていますよ」石原が言う。「ちなみにあなたのお名前は?」
「わたしは『ユイ』っていいます」魔女の女が名乗った。
「ユイちゃんですか。いい名前ですね」
「ありがとうございます」ユイはそう言うと、帽子をかぶった。
「それではこんどはそちらの赤ずきんのかた、そのコスプレ姿を見せてください」
「わかりました」赤ずきんの女が言った。
赤ずきんの女はユイと入れ替わるようにして一歩前に出ると、赤いスカートの端を指でつまみあげてポーズをとる。そしてその場でまわりはじめると、赤いフードと一体化した長いマントをひるがえしはじめた。それがすむと、頭からフードをはずして、その顔を見せる。するとふたつ結びのおさげが、両肩に流れ落ちた。こちらもユイ同様にコスプレ映えさせるように、濃いメイクをしている。
「あなたもまたかわいらしい」石原がほめる。「とてもお似合いですよ」
「ありがとうございます」赤ずきんの女は軽く頭をさげた。
「ちなにみあなたのお名前は?」
「わたしは『コハル』といいます」
「コハルちゃんですか。かわいらしい名前ですてきですね」
コハルと名乗った女は、照れくさそうに笑った。
「それにしても、きみたちあれですね」石原は不思議そうな口調で言う。「てっきりコスプレをするレイヤーさんって、カメラマンの人をつれていると思っていたけど、きみたちにはいないんですね」
石原がそう告げた瞬間、ふたりの顔から笑みが消え去り、真顔になる。だがすぐにふたりとも相好を崩して笑顔を見せた。
「まあ、そういう人たちもいますけど」ユイが言う。「わたしたちは撮影が目的じゃないっていうか……」そこでことばを濁す。
「だったら何が目的なんですか?」石原が問いかける。
「あれですよ、あれ!」助け舟を出すかのごとく、コハルが声をあげると指をさす。「わたしたちグリム童話が好きで、だからその世界観に浸れるだけで満足なんです」
コハルが指差す方へと画面が動き出す。そこにあるのは先ほど撮影していたふたり組の銅像だ。
「このおっさんたちが、グリム童話に何か関係あるんですか?」
「ええ、知らないんですか石原さん!」コハルは大げさな口調で言った。「このふたりはグリム童話の産みの親である、グリム兄弟の銅像なんですよ」
「へー、そうだったんですか。これがグリム兄弟」石原は感心したかのように言う。「あれ、グリム兄弟……グリム王国、同じグリムですね。何か関係があるのかな?」
「石原さん、もしかして知らないんですか!」こんどはユイがわざとらしく大げさに叫んだ。「ここはグリム童話の世界観を再現したテーマパークなんです。だから名前もグリム王国なんですよ」
「えっ、そうだったの?」
画面が動きだし、ふたり組のレイヤーをふたたび映し出す。
「そうなんですよ」ユイが大きくうなずいた。「だからグリム童話をモチーフにした建物や銅像が置いてあるんです」
「あっ、なるほど。ガイドの人がブレーメン広場と言っていたのはそのためか。なんでブレーメンなんだろうって、ずっといままで不思議に思ってた。つまりはここはグリム童話の世界なんですね」
「はい、そうなんです」コハルが言った。「だからわたしたちグリム童話のキャラクターのコスプレをして、グリム王国を散策するだけで満足なんですよ」
「そうだったんですか。ちなみにおふたりはどんなグリム童話が好きなんですか?」
「わたしは『千匹皮』がいちばん好きかな」ユイが答えた。
「千匹皮ですか。なんとなくそのタイトルに聞き覚えはあるんですけど、けっこうマイナーなお話ですよね。どんな話なんですか?」
「ある国のお妃が病気で亡くなるんですけど、臨終の際に王さまに、自分のように美しい人でなければ再婚してはいけない、と言い残すんですよ。だからお妃のように美しい人を探すんですけどなかなか見つからず、そんなある日、王さまは自分の娘がお妃のように美しく成長している姿を見て、自分の娘と結婚しようとするんです」
「それはあかんやろ!」石原が思わず関西弁でつっこんだ。
「はい、そのとおり。だからまわりの家臣も反対しますし、娘もその結婚に無理難題な要求を突きつけて、その結婚を阻止しようとするんです。けど王さまはその無理難題を全部こなしてしまったんですよ。そのため王さまと結婚することになった娘は逃げ出します」
「そりゃ、娘も逃げ出しますよ」
「それから娘は千匹の獣の皮で作った千匹皮を身につけて、森の中に隠れていたんですけど、そこにたまたま通りかかった別の国の王さまに見つかり、その王さまのお城で働くことになるんです。そしてある日、そのお城で舞踏会が開かれることになるんですけど、そこから先のお話はシンデレラと酷似していて、その流れはだいたい同じですね。美しいドレスを着て王さまと踊り、そして逃げ出す。最終的にはその正体がばれて、王さまとめでたく結婚するんです」
「なるほどね。どんな話かはだいたいわかりました。さてこんどはコハルちゃん、きみの好きなグリム童話を教えてください」
「わたしが好きなのは白雪姫かな」コハルが答えた。
「そこは赤ずきんちゃうんかい!」石原がつっこむ。「びっくりした。赤ずきんのコスプレしといて、白雪姫っておかしいだろ」
「えっ、だっておもしろいじゃないですか。死んだと思っていた白雪姫と継母との争いは。それに死体フェチの王子様もかっこいい」
「コハルちゃん、きみ着眼点おかしすぎるよ!」
石原がつっこみをいれると、ふたりのレイヤーは笑い声をあげた。
画面では、しばし楽しげに雑談する様子が流れる。やがて石原がそのふたり組のレイヤーと別れると、動画はそこで終了した。




