第二幕 第一場
わたしはビデオカメラに残された映像を見終え、呆然としていた。未だに自分の身に何が起きているのか、よく理解できていない。
「佐藤さん、だいじょうかい?」
わたしはその声ではっとすると、となりにすわる男に視線を向ける。その顔を見て一瞬名前が出てこなかったが、すぐにその名前を思い出した。たしか蝶野コウジと名乗っていたはずだ。
「……ええ、だいじょうぶです」わたしは動揺しながらも、なんとかうなずく。「蝶野さん」
「どうかな、これを観て何か思い出せたかい?」蝶野が訊いた。
「ごめんなさい」わたしはすまなさそうに首を横に振る。「まだ何も思い出せないの」
「そっか……」蝶野の表情が失望したかのように曇った。だがすぐに相好を崩し明るく振る舞う。「でも気にしないで。そのうちかならず記憶はもどるはずさ」
その優しい気づかいに胸がうずく。「すみません……」
「とりあえず、話をまとめてみよう」蝶野は提案する。「きみは自由が丘大学の生徒で、そこにあるミステリー愛好会という名のサークルのメンバーであり、その名前は佐藤アカネ。それでまちがいないよね?」
わたしは弱々しくうなずく。「たぶんまちがいないと思います」
「きみたちミステリー愛好会は、未解決事件であるシンデレラ事件に興味を持ち、そのドキュメンタリー映画を制作することを決めた。そして久保田と神谷というふたりの仲間とともに、きみはドキュメンタリー映画を撮影するために、見学ツアーに参加し、いまここにいるグリム王国へとやってきた。そうだね?」
「映像を見る限り、それであっていると思います」
「きみたちは見学会ツアーの夜の部に参加。だがその途中で停電というアクシデントが発生してしまう。するときみは様子を見てくると言い、ビデオカメラの暗視撮影モードを利用し、暗闇の中で走り出した」蝶野はそこで眉根を寄せる。「どうしてきみは走り出したりなんかしたんだい、しかもこんな暗闇のなかで。危険だと思わなかったのかい?」
わたしは首をかしげる。「どうしてなのか、思い出せません」
蝶野がいぶかしげな視線を投げる。「……まあ、何か急がなければいけない、特別な理由があったのかもしれない。でもそのせいできみは転倒し、頭をぶつけて記憶喪失になってしまった」
「わたしが転倒?」
「ああ、そうだ。見てごらん」
蝶野は痛めたであろう、その体をかばいながら立ちあがると、懐中電灯の光をミニトレインの駅舎から外へと向けた。そしてわたしが倒れていた場所にある連なったミニトレインを照らす。
「きみはおそらくレールに足をとられ転倒。そのさいにすぐそばにあったミニトレインに頭からぶつかって気絶したんだろうな。あそこは芝が伸びているせいで足下に設置されたレールが見えづらく、おれも転びかけた。しかもこんな暗闇の中で走っていれば、なおさらだよ」そう言うと蝶野はわたしに顔を向ける。「傷のほうはどうだい佐藤さん。血はもう止まった?」
わたしはハンカチで押さえていた手を離すと、その傷口を指でたしかめる。「だいじょうぶみたいです。出血ありましたが、そんなに傷口は深くないみたいですし、それに血はもう止まっているみたいなので」
「そうか、そいつはよかった。さてと」蝶野はそこで息をつくと、困り顔を見せる。「これからどうするかな……」
その顔を見て、わたしは罪悪感に苛まれた。「すみません。わたしが記憶を思い出してれば、すぐにでも助けの電話がかけられるのに」
「こればかりは仕方のないことだ。それに気にする必要ないって言っただろ」蝶野は笑みを繕う。「きみの持っていたビデオカメラのおかげで、ここにきみ以外にも人がいることがわかっているんだ。そいつらを探すことにしよう」
そのことばでわたしは少し気が楽になる。「……そうですね。ほかの人に助けを求めればいいんですよね」
「そういうこと」蝶野はうなずいた。「となると、こんな不人気スポットにいつまでいても無駄だ。場所を移動しよう」
「どこへ行くんですか?」
「えっと、そうだな……」蝶野は思案気な表情になると、うなり声を漏らす。「とりあえず、駐車場にもどろう。あそこならかならずだれかがもどってくるはずだ。入り口はあれだけだからな」
「そうですね」わたしは同意する。「わたしもそれがいちばんだと思います」
「それじゃあ佐藤さん、さっそく向かおうか」
足を引きずりながら歩きはじめた蝶野の痛々しい姿を見るなり、わたしは自然とそのとなりに並んだ。
「長野さん、肩を貸しますよ」わたしは自分の肩を差し出す。
「ありがとう」蝶野がわたしの肩に腕をまわした。
こうしてわたしたちふたりは、グリム王国の南側入り口をめざして歩き出す。そしてそこへたどり着いたとき、わたしたちは信じられない光景を目にすることになった。




