第8話「魔熊を撃退せよ!」
野営を終えて出発した一行は、今日も暗き森の道なき道を歩んでいた。
二人の戦士カッツェとレイアが交互に先頭を務め、木の枝や絡まる蔦を取り除きながら進む。
ノエルは少年らしい身軽さで、ヴァイスはエルフらしい軽やかな身のこなしを活かして、前の二人に遅れを取らないよう後を追っていた。
*
ざしっ、と軽快な音を立てて、襲ってきた野生の狼をカッツェとレイアが撃退した。
きゅうんと尻尾を巻いた仲間の狼達が、敵わない相手と見て足を引きずりながら退散していく。
「最近、僕の出番、全然ないな~」
「良いことではないですか」
ノエルがつまらなそうに声をあげると、ヴァイスが応じた。
「ヴァイスはバリアと治療で毎回役に立ってるけど、僕なんか最近、野営の火起こしくらいしかしてないよ。しかも、火ならカッツェにも起こせるし……」
ヴァイスに慰められても、ノエルはまだ不満だった。実際に今もヴァイスは、カッツェとレイアに治癒魔法と障壁の呪文を掛け直している。
ノエルも治癒と障壁の白魔法は一応使えるのだが、属性の相性が悪く、どうしても魔力消費の燃費が悪くなってしまう。そのため通常の戦闘では回復魔法はほとんどヴァイスが対応していた。
逆に白魔導士のヴァイスも攻撃系の魔法は一応使えるのだが、威力が弱いため戦闘で使うことはあまりない。
ヴァイス曰くノエル達四人のパーティーは、戦士二人と攻撃魔法のノエル、防御と回復魔法のヴァイス、という組み合わせでかなりバランスが取れているようだ。
だがそれにしても、前線を守る二人の戦士カッツェとレイアが優秀すぎて、魔導士二人の出番はほとんどなかった。
圧倒的力をもつカッツェが斧を振り回し、驚異的な素早さを持つレイアが双刀で敵を切り刻む。ノエルやヴァイスが魔法を唱える間もなく、二人だけであっという間に獣を撃退してしまうのだ。
ノエルはここ数日、攻撃魔法を全く使っていなかった。ただでさえ体力がなく歩みが遅いノエルは、自分がお荷物なのではないかとすら思えてきていた。
「適材適所ということで……。ノエル様は、いざという時のために魔力を温存しておいてください」
ヴァイスがまぁまぁといつもの調子でノエルを宥めた。
*
幸か不幸か、ノエルが待ちわびた出番はすぐにやってきた。
ヴァイスとレイアが、次にカッツェが、不穏な気配に気付いて警戒を高めた。
「……嫌な感じがしますね」
「真っすぐこちらに向かってくる……避けられそうにないな」
「ノエル良かったな、お前の出番だぞ」
「えっ?」
カッツェ達の言葉に、訳も分からずノエルが問い返すと、ヴァイスが緊迫した面持ちで続けた。
「気を付けてください、敵は――」
ヴァイスの言葉が終わらないうちに、ノエルの耳にもがさがさと揺れる木々の音が間近に迫っているのが聞こえて来た。敵は恐ろしいスピードで近付いて来ている。
がさっ!という音とともに、茂みの奥から巨大な熊が現れた。
真っ黒な体はおびただしい量の瘴気で纏われ、金色の眼が狂気で鋭く光っている。通常の熊ではない、これは――
「――魔獣化しています」
ヴァイスの言葉と同時に、カッツェとレイアが臨戦態勢に入った。
魔獣――それは通常の獣が何らかの形で魔力を帯び、巨大化・凶暴化した怪物として知られている。普通の獣とは違い、その破壊力は凄まじく危険だ。
魔獣化した熊の口元と前脚からは獣の血の匂いが漂い、つい今しがたまで別の獣を襲っていたことが伺えた。この魔熊の次の獲物は……もちろんノエル達だ。
*
「グォオオオオオオオ!!」
雄叫びとともに、魔熊が先頭のカッツェに向かって突進した。
「ぐっ……!」
カッツェが咄嗟に魔熊を斧で切り付け、右に身を躱した。左側に躱すと、魔熊がノエル達の方に向かってしまうからだ。
ノエル達は緩く傾斜した谷底のような場所にいて、魔熊は斜面の上から襲ってきている。カッツェは魔熊を躱した反動で、斜面を数歩分ほど滑り落ちた。
通常の獣ならば、今のカッツェの一撃だけでも致命傷を負うはずだ。カッツェにはヴァイスの身体強化と障壁の魔法が掛かっている。にも関わらず、魔熊はびくともしていない。やはり魔獣化した生き物は一筋縄ではいかない相手であるということがノエルにもわかった。
今ノエル達がいる位置は窪地のため、地理的にも攻撃が避けずらくかなり不利な状況だった。
「ノエル、下がれ!」
カッツェがノエルに背を向けたまま、一瞬だけ振り返って叫んだ。その緊迫した声から、かなり手強い相手と対峙していることが伝わってくる。
カッツェはノエルを少しでも遠ざけ、魔熊の攻撃範囲に入らないようにしようとしていた。
だがノエルも、ここで退くつもりはなかった。
「僕は大丈夫っ! 『石塊』!」
詠唱を省略して、土属性の魔法を発動させる。幸いノエルの足元にはたくさんの石や岩が転がっている。土の精霊に意思を送り、それらの石を空中に浮かせる。
*
魔熊がカッツェに襲い掛かろうと後脚で立ち上がった。その体長はカッツェの身長を遥かに超えている。鋭い牙と真っ黒な爪が、目の前の大きな獲物を喰い千切らんと狙いを定める――
「カッツェ、伏せて!」
ノエルは言葉を発すると同時に、浮かせていた岩石を魔熊目がけて凄まじい速度でぶつけた。
どがっ! ばきっ! と音を立て、大小の岩石がカッツェを通り越して魔熊の頭や体に襲い掛かる。魔熊は不意を突かれてよろめいた。
ノエルの魔法攻撃で魔熊が怯んだのを見て、すかさずレイアがカッツェの脇から魔熊に飛びかかった。両手の刀で素早く魔熊の脚と胸に切り付ける。
魔熊はレイアの攻撃で体から血と瘴気を噴き出させ、地面に足を下ろすと苦しそうに数度頭を振るった。だが振り返ったその眼にはまだ闘志と殺気がありありと浮かんでいる。
普通の獣ならば、これだけの手負いを受ければ闘志を失って逃げ帰るはずだ。だが魔獣化した獣は自らの生存本能すら忘れ去り、周りを破壊し尽すまで暴れ回るのだ。
だから魔物と魔獣と対峙したら相手を逃がしてはならない。必ず最後まで留めを刺さなければいけない……逃してしまえば、さらに強力な力と復讐心を持って人を襲うようになるからだ。
『雷電!!』
意外と魔熊がしぶといことが分かったので、今度はノエルも手加減せずもう少し強めの火力で雷魔法を放った。
ずどぉおおおおん!! という音とともに、魔熊の腹を雷の刃が貫く。勢い余って雷が後ろの木々にも当たり、数本ほど木をなぎ倒してしまった。
「グォオオオオオオ!」
断末魔の叫び声を上げ、魔熊はついに事切れた。
魔熊の体から瘴気が抜けていき、同時に体もしぼんでいく。後にはごく普通の、大きな黒い雌熊の屍骸だけが残っていた。
*
「相変わらず、お前の魔法は次元がおかしいな……」
「??」
カッツェが熊の屍骸を処理しながら、やれやれと溜息を付いた。
どうやらノエルがほぼ無詠唱で連続して魔法を操ったことに驚いているらしい。
詠唱省略は高度な技術だと言われていて、ノエルが使うと皆驚くのだが、ノエルにしてみれば詠唱省略自体はそれほど難しいものではない。コツさえつかめば、上級の術者でなくとも誰にでもできるのだ。
*
カッツェの場合は例外だが、ふつう術者は自分の真名を打ち明けて精霊と契約を結んでる。
契約された精霊は常に術者の近くにいて、行動を共にするようになる。ノエルの周りにもヴァイスの周りにも、それぞれ契約した各属性の精霊達が飛んでいる。
精霊とはある意味、忠実なペットのようなものだ……と以前誰かが言っていた。
よく訓練された猟犬が主人の命令に忠実に従うように、精霊も術者の命令を忠実に実行する。魔法の場合は術者自身の魔力エネルギーを介して精霊を操るのだが、呪文や魔法陣はその「命令」を言語化しているに過ぎない。
優れた猟犬は主人の言動を学習して、次第に主人が言わずとも適切な行動を取れるようになる。
魔法の場合も同じように、術者が精霊に明確な思念を伝えることさえできれば、呪文を自分の言いやすいようにアレンジしたり、最終的には全く唱えなくとも発動できるようになるのだ。
ただし呪文を省略すると、精霊が頑張る分だけ代償として通常より多くの魔力を持って行かれてしまう。
ノエルの場合は、難易度が高く魔力が足りなくなりそうな魔法ならばきちんと呪文を省略せずに唱えるし、そうではない簡単な魔法や緊急の場合には省略することもある。その程度の区別だった。
精霊は純粋なエネルギー体なので、術者の思念がダイレクトに伝わる……とノエルの師匠である老師は繰り返し教えてくれた。
術者が雑念を無くし、強くストレートに念じれば念じるほど、精霊は術者の意図を理解しやすくなり、結果的に魔法の威力は高まるのだ。
ノエルは生まれつき精霊達に意思を伝えるのが得意だった。
それ以外にも、ノエルが人より強い魔法を使えるのには少しだけ秘密があるのだが――それはいずれ話すべきときが来たらカッツェにも話そうと思っていた。
「今度、カッツェにも魔法のコツ教えてあげるね!」
ノエルは久しぶりに自分の魔法が役に立ち、無事に魔熊を退治できたことに満足して声を弾ませた。