第7話「カッツェと炎の精霊」☆
カッツェ・ノエル・ヴァイス・レイアの一行は、暗き森の中を徒歩で南下していた。
「……もうすぐ日が落ちる。少し進んだところに洞窟があるはずだ。今日はそこで休もう」
前を歩いていたレイアが斜め前方の道を指し示した。
レイアは元々暗き森の住人であり、この森の地理を隅々まで熟知していた。レイアが仲間に加わってから、ノエル達は一気に旅のペースを上げることができていた。
戦士であるカッツェと森の民であるレイアは、野営に慣れていてどんな場所でも寝ることができる。だが二人は、温室育ちであまり旅慣れていないノエルとヴァイスのためになるべく安全・快適な場所を選んで寝床を決めてくれていた。
戦士二人のサバイバル知識は、必要最小限の荷物しか携えていないノエルとヴァイスにとって非常に有り難いものだった。
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レイアが案内してくれた洞窟は、綺麗な小川が流れ出る場所だった。
「うん、ここはいい場所だね! 精霊の気配がすごく澄んでる」
「そうなのか? まぁ水もあるし、安全そうではあるな」
ノエルは周囲の様子に満足してお墨付きを出した。
カッツェは飲用可能な水源か確認したり、周囲の地形を確かめながらノエルの言葉に応じている。
カッツェ曰く、洞窟の背後は切り立った崖になっているから、頭上から敵に襲われる心配はない。目の前は南に向かって開けていて、視界は良好、日当たりも良さそうだ。
ノエルには「野営に適した場所」の違いなどよくわからないのだが、カッツェとレイアの言葉に従っていれば間違いはなかった。
本来は熟練した戦士と言えど、野宿初心者達を二人も連れて安全な旅を続けるのは骨の折れる仕事のはずだ。だが、文句も言わずに二人はその役を担ってくれていた。
徐々にそれに気付いてきたノエルは、多少疲れてもわがままを言って困らせるのは控えるようになった。いくら体力のない子供と言っても、ノエルだけが三人の大人に甘えていては情けない。
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今日の野営のため、早速カッツェが薪集めを始めた。ノエルもそれを手伝う。薪集めは危険もなく疲れないし、キャンプファイアーをするようで少し楽しい。ノエルは快適な夜を過ごすためのこの準備の時間が好きだった。
レイアとヴァイスは周囲の確認も兼ねて、それぞれ逆方向に食料となりそうな木の実や茸を探しに行った。エルフ族の耳と嗅覚で、周囲に危険な動物の縄張りや痕跡がないかを確認してくれているのだ。
「ふふ、カッツェの精霊も、ここが気に入ったみたいだね」
乾いた木の枝を選んで拾いながら、ノエルは何気なくカッツェに話しかけた。
「俺の精霊……? 俺には、姿も形も見えんが」
「えっ、もしかしてカッツェは精霊の声、聴こえないの? じゃあ、どうやって魔法が使えるようになったの?」
困惑した表情をするカッツェに、ノエルはもっと驚いた。
「魔法って、生まれつき使えるか使えないか決まってるんじゃないのか? 俺の場合は成人してから気付いたが。ある魔法使いの爺さんに”この呪文を唱えてみろ”と言われて、唱えてみたら使えた……というのが最初だな」
「生まれつき魔法が使える人は精霊の姿も見えるはずだし、大人になってから初めて使えるなんて聞いたことないなぁ……」
カッツェの話を聞いて、ノエルは首を傾げた。
ノエルは生まれてすぐ、北の村に住む老師に育てられながら魔導の指導を受けた。確かに魔法が使えるか否かの才能は生まれつき決まっているものなのだが、魔法が使えるということはすなわち精霊を使役できるということだ。精霊が視えないにも関わらず魔法が使えるなどという話は、これまで聞いたこともなかった。
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実際、カッツェの肩の辺りには常に炎の精霊――ノエルの目からは紅く輝く光の珠に見えるのだが――がずっと浮かんで付き従っている。ノエルは、カッツェが正式に炎の精霊と契約を結んでいるものだとばかり思っていた。が、カッツェの話を聞くとどうやら違うようだ。
精霊と契約を結ぶには、術者の真名を精霊に打ち明け、精霊と術者の間で互いの魔力エネルギーを交換して契りを結ぶ必要がある。精霊の声が聞こえず視えない者には、精霊と契約することはできない。
ノエルは混乱したが、カッツェはもっと訳が分からないという顔をしている。カッツェにこれ以上訊ねても仕方がなさそうなので、ノエルはカッツェの精霊に直接話を聴いてみることにした。
「……ちょっと、カッツェの精霊さんとお話しさせてね」
ノエルはカッツェの肩越しの空間を見つめ、カッツェの精霊に意識を集中した。
特定の精霊に話しかけるというのは、意外と難しいものだ。精霊は気まぐれで、人間の問いかけなど聴いてはくれない。だがノエルはカッツェとしばらく旅をともにしてきたから、きっとカッツェの精霊もノエルのことを受け入れてくれるだろう。
「……なるほど」
しばらくして応えてくれた炎の精霊の回答に、ノエルは納得しながら集中を解いた。
「カッツェの精霊が、僕に色々と教えてくれたよ」
ノエルは精霊が送って来てくれたイメージをカッツェに伝えてあげた。
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それは何年も前のこと。
溶岩の煮えたぎる火山口に、一人の若い戦士がやってきた。その戦士は、己の鍛錬のために熱い火山口で修行をしにきたようだった。
そこでたまたま、登山客が魔物に襲われているところに遭遇した。若い戦士は咄嗟に魔物と登山客の間に入ると、登山客を逃がし一人で魔物と相対した。
若い戦士は、強大な魔物を相手に果敢にも一人で戦った。
だが魔物は思いの外強く、しかも溶岩の中からは次々と魔物の仲間が飛び出してきて若い戦士を追い詰めた。
戦士は最後まで力を振り絞り全力で魔物と戦ったが、ついに魔物の一撃にやられ地面に倒れてしまった。
若い戦士は意識が朦朧としているにも関わらず、必死に武器を掴み立ち上がって戦おうとしていた。
ずしり、ずしりと足音を立て、魔物は戦士の息の根を止めようと無常にも迫った――。
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火山にいた炎の精霊は、一部始終を見ていてその若い戦士を憐れんだ。そしてついに若者を助ける決断をした。
炎の精霊は紅蓮の炎で魔物を追い払い、ほとんど意識を失いかけている戦士の体に自らの魂を半ば強引に憑依させた。
意識のないまま半分精霊が乗り移った戦士は、体を引きずりながらどうにか火山口の外に出た。
炎の精霊は二つの禁忌を侵した。
第一に、精霊は超自然的な存在であって本来は魔物にも人間にも味方をしてはいけない。精霊自身の身や領域を守る目的以外で、命令もなくその力を行使することはない。だが精霊は戦士に味方し、魔物を追い払ってしまった。
もう一つは戦士に自らの魂を憑依させたことだ。
本来なら、契約もしていない生き物に精霊が勝手に憑依することなどあり得ない。それは憑依された生き物の生命も精霊の生命も同時に縮める危険な術だからだ。炎の精霊は自ら戦士に憑依したことで不完全に契約した状態となり、その力の大半を失ったうえ、戦士の体から離れることもできなくなってしまった。
それ以来、炎の精霊はその戦士とともに在ることになったのだ。
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「カッツェが火山口で倒れたとき、火山にいた炎の精霊が可哀想に思って、カッツェを魔物から守ってくれたんだって」
「そうなのか! 全く知らなかった……」
ノエルが全てを話し終えると、カッツェは驚愕の表情を浮かべた。
ノエル自身も、炎の精霊の話はにわかには信じられないものだった。精霊自身が意思をもち、自ら憑依して人間を助けるなど聞いたこともなかった。きっとカッツェの正しい心に精霊が反応して助けてくれたのだろう。
「カッツェを守ってくれている精霊さんは、カッツェに良く似てるよ。なんか、曲がったことが大嫌いで頑固なおじさん、って感じかな」
「……お前は、俺のことをそんな風に見ていたのか」
ノエルが笑顔で付け足すと、カッツェは今度は釈然としない表情をした。
「まぁまぁ。精霊にも相性ってあるんだよ。カッツェの精霊は、カッツェのことが気に入ってずっと一緒にいてくれるみたい。普通は自分の魔力と引き換えに、ちゃんと契約を交わすんだけどね」
ノエルはカッツェの精霊とカッツェを見比べた。炎の精霊はカッツェの傍で明るく輝いており、その居心地が悪くはないと言っているようだ。
なんとなく、カッツェの魂も同じように紅く真っすぐに輝いているのだろうな、とノエルは思った。
「そうか、俺はそんなことも知らずに今までずっと精霊の力を借りていたのか……感謝しなければいけないな」
「カッツェの精霊は『気にするな、相棒』って言ってるよ」
「まぁ、俺がもし長年の相棒に突然感謝なんかされたら、同じことを言うかもしれんな」
「うん、やっぱり二人(?)は似たもの同士だね!」
カッツェの精霊の謎が解けてスッキリしたノエルは、いつもの明るい調子で笑った。