第19話「眠りの前に、思い出す」
遥か南の海の『竜の巣』と呼ばれる魔物の巣窟を、船で目指す一行。
カッツェの見立てでは、『竜の巣』の手前、『バベルの塔』に到達するまで船で一週間ほどかかるということだった。
今までずっと大陸の上をトナカイや馬を乗り継いで移動してきた一行だが、船上では移動の必要がなくなったため、逆にのんびりとできていた。
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「長旅の疲れも癒えぬところいきなり出発してしまったが、大丈夫か?」
港町で合流して一緒に船に乗り込んだ戦士の一人が、ノエル達の身を案じてくれた。
ノエル達は大陸をはるばる縦断してきたあと、ほとんど間を空けることもなく船に乗り込んだからだ。
「うーん、そういえばあんまり疲れとか感じたことないよ」
ノエルは何気なくそう答えた。
ノエル達がほとんど疲れを感じることもなく、約一ヶ月にも渡って大陸を駆け抜けて来れたのは、白魔導士のヴァイスが毎朝毎晩きっちり身体強化と回復の魔法を皆にかけてくれたおかげだった。
ノエルはそれに気づき、二年前からずっと一緒にいてくれるこの長身の白魔導士に改めて感謝した。
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「さて、お前はそろそろ寝ろ。あとは俺たちが」
「はーい」
日も沈んで上弦の月が夜空を薄く照らし始める時刻となり、カッツェがノエルに声をかけた。
ノエル以外の四人、カッツェ・ヴァイス・レイア・カノアは、他の戦士とともに交代で船の見張りにあたることになった。
ノエルは自分だけが休むことを申し訳なく感じたが、自分は戦士としても見張りとしてもほとんど役に立たないので仕方のないことだった。
カッツェは、戦士としてずっと一人で旅を続けてきた経験からどんな場所でも寝られるうえ、短時間の睡眠でも体力を回復できる術を身に付けていた。危機察知能力も人一倍高く、見張りには適任だった。
白 エルフのヴァイスと黒 エルフのレイアは、太陽の光や月光の光を糧としているので、人族のような睡眠をあまり必要としないらしい。
エルフの聴覚は人族の五倍とも言われていて、精霊のざわめきを聴き危険を察知する力もカッツェ以上に優れていた。
獣人猫族のカノアはもともと夜行性なので、むしろ夜の方が元気であまり寝たがらない。獣族特有の聴覚と嗅覚、それに野生の勘で、ヴァイスやレイアと同じくらいの危機察知能力を持っていた。
五人の中でただ一人、ノエルだけは身体能力に関して普通の人族レベルしかないので、昼間の体力を温存するためにも夜は他の四人に見張りを任せてしっかり寝させてもらっていた。
「ふわぁ……。みんな、いつもありがとう。じゃあ僕はお先に失礼するね」
ヴァイスが睡眠の魔法を掛けてくれ、急激に眠気が襲ってくる。
ノエルはみんなに挨拶し、眠い目をこすりつつ船内の寝室へと向かった。
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船内の仮眠室には、一つの部屋にいくつもの簡易な二段ベッドが並んでいる。
誰がどのベッドかは決まっていない。戦士達は交代でそのベッドを使って休んでいた。
ノエルもベッドの一つに潜り込み、体を休めようと目を瞑った。
船は波に揺られているが、ヴァイスのかけてくれた魔法のお陰で船酔いはしない。暗い森の中や冷たい洞窟で野宿するのに比べれば、充分に快適な寝床だった。
ベッドの中で、ノエルはこの一ヶ月余りの旅のことを思い出していた。
北の荒野でカッツェと出会ったのが全ての始まりだった。聖杯の伝説と南の地の魔物について聞き、ノエルとヴァイスは魔物討伐への協力を決意した。
北の村を出発し、暗き森でレイアと出会った。最初に出会った時のレイアは怖かったな――と思い出して、思わずノエルの口元に笑みが零れる。
レイアが本当は優しい心を持つ女性だというのは、その後ノエルにもよくわかった。それはカノアが現れてから特に顕著になった。
暗き森でカノアを助け、獣人の村に向かった。カノアは結局ノエル達と一緒に旅をすることを望み、そこからずっと五人で旅をしてきた。
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ノエルは、巨人の谷での出来事を思い出した。
巨人の谷を通り抜けようとしたノエル達は、レイアを人質に取ると言われ、半ば強制的に巨人達に協力することになった。そしてカノアが大鳥に乗ることを申し出た。
カノアは大鳥を乗りこなして大鳥達を撃退し、ノエル達はそれを各自の力でサポートした。
カノアが大鳥から落ちた時、レイアは自分の危険を顧みず全力でカノアを救った。その想いの強さに、レイアの封じられていた魔力が解放された。
そしてレイアとヴァイスが力を合わせ、まるで奇跡のように山の緑を復活させて巨人の谷を救った――。
巨人の谷では、五人のうち誰が欠けても奇跡には辿り着けなかった。
ノエルとヴァイスとカッツェだけではそもそも巨人の谷を通してもらえなかっただろうし、ノエルとヴァイスがいなければ精霊の声を聴くことはできなかった。
カッツェがいなければカノアを大鳥に乗せることはできなかったし、カノアがいなければ大鳥を追い払えなかった。
そしてレイアとヴァイスがいなければ山は蘇らなかった――。
きっと、全てのことには意味があるのだ。
ノエルとヴァイスがカッツェと出会い、南の地へ向けて旅を始めたことにも、ノエル達がレイアと出会い、カノアと出会ったことにも。その裏にはノエル達の思いもよらないような真理が隠されているのだ――「運命」という名の真理が。
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ふと、ノエルは最初にレイアが語っていた言葉を思い出した。
レイアは、エルフの老人から「正しく清らかな聖杯の力を見つけることができれば、お前の印は消える」と言われていたのではなかったか?
だが、ノエル達はまだ聖杯を見つけていない。レイアは聖杯を見つける前に、自らの印の呪いを解くことができた。
あのとき巨人の谷で、ヴァイスはレイアに何と言っていただろうか?
「あなたがカノアを想い、助けたその心。それこそが、あなたの能力の封印を解き、真の力を甦らせたのです」
そう考えると、結局、聖杯の力は無くてもレイアの望みは叶った。ノエルはそこに、重大な意味が隠されているような気がした……だが、眠気に頭がぼんやりしてそれが何なのかははっきりと突き止められなかった。
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ぼんやりとしたまま、ノエルの思考はレイアとカノアのことに移った。
レイアの封印が解け、紋様が消えて本来の力を取り戻すことができた今、本来ならレイアはこの旅に同行しなくても良いはずだ。レイアの目的は既に叶ったのだから。
でもレイアはノエル達と一緒に来てくれた。「自分の力が戻ったのは、カノアやみんなのお陰だ」と言って、この旅の最後まで同行すると言ってくれた。
カノアもそうだ。カノアは薬師の修行中であり、本来ならこんな危険な旅に同行する必要はない。だが、カノアも自分が一緒に行くと言って譲らなかった。
この船に乗っている者達は皆、命の危険を覚悟している。
南の地に近付くほど魔物は強大さを増してきており、その根源たる「竜の巣」にはさらに恐ろしい魔物がいることは想像できた。
だが、逃げ出す者は一人もいない。全員が使命感をもって、その役割を果たそうとしている。
例え命を賭けてでも、誰かがやらなければならないことがある。
ノエルは自分の持てる全ての力を以って、この使命にあたるつもりだった。
ノエルは徐々に曖昧になる意識の中で、ここに至るまでの様々なことを思い出しながら、深い眠りに落ちていった――。