第18話「バベルの塔と言葉たち」
一ヶ月に及ぶ旅の末、ついに南の港町に到着した一行。
魔物の襲撃が頻発化している南方諸国は、小さな島々が集まった諸島である。大陸から南方諸国の島へ渡るには、ここ大陸南端の港町から船に乗る必要があった。
港町の酒場には、カッツェが各地で招集した戦士達も既に集まっていた。
彼らはカッツェの戻りを待ちながら、南の海から襲ってくる魔物達をこの街で食い止めてくれていたのだ。先に南方諸国に渡って魔物達を戦ってくれている戦士もいる。
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酒場に入ったノエル達は、どよめきとともに迎え入れられた。
「カッツェ! 待ちわびていたぞ!」
「おぉ、ついに北国の術師を連れて来ることができたのだな!」
戦士達が口々にそう話しながら、カッツェのもとに駆け寄る。
ノエルは「北国最強の術師」として、期待の目で見られていた。大勢の大人に囲まれて、ノエルは少し緊張する。
「それと……べっぴんさんまで一緒じゃないか!」
「ん? まさかこっちの子供も、連れて行くのか?」
そう言われたカッツェは、少し困った目でカノアをちらりと振り返った。
べっぴんさんと言われたのはレイアのことで、子供と言われたのはノエルではなくカノアのことだ。……実際は、ノエルも子供であることには変わりがないのだが。
「……もちろんここまで来たら、ボクも一緒に行くニャン!」
カッツェの真似(?)のつもりか、どん、と胸を叩いてカノアが背筋を伸ばした。
ヴァイスが長身を少しかがめて、小柄なカノアの背中に触れる。
「この子は……意外としっかりしているんです。私と一緒に病人や怪我人の手当てもできますし」
確かにカノアはこの旅でなかなかに役立っていた。戦闘にはほとんど混ざれないものの、もうすっかりパーティーの一員であり、今更置いていく気には誰もなれない。
「それに、みんなボクのことを子供子供って言うけど、獣人猫族はニンゲンの半分くらいの寿命しかない代わりに、成長も早いニャ。ボクは人間で言うと、十四~十六歳くらいニャン」
「えっ?! カノアって、僕より年上だったの?」
カノアの言葉に、最年少だと思っていたノエルはショックを受けた。
「人間で言うとそれくらい、って事ニャ。ノエルよりもずっと早く大人になるニャン♪」
カノアがさらに胸を張った。
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「……ところで、南方諸国の様子はどうだ」
カッツェは故郷の地を案じ、はやる気持ちを抑えていた。
「魔物族からの防衛に手一杯で、『竜の巣』に近づくことすらできぬらしい。しかし先に渡った戦士たちが魔物を食い止めてくれていなければ、今頃この港町も魔物に壊滅させられていただろう。お前が動いた判断は、正しかった」
大人達は難しい顔をして、情報交換と作戦会議を始めた。
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一夜明け――。
港には、カッツェが各地で呼び掛け集めた戦士達が勢揃いしていた。先に南方諸国に渡った戦士達とも合流すれば、その数は三十~四十名ほどになる。
今朝の南の海は波も比較的穏やかで天候も悪くない。雲一つない青空に太陽が明るく輝いていた。ただし、遥か南の空には不気味な暗雲が立ち込めている。
終結した戦士一行を乗せた大きな船は、魔物に襲われることもなく南方諸国に向かって快調に滑り出した。
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「ニャニャっ?!」
船のデッキでぼんやりと遠くを眺めていたカノアが、何かを見つけて大声を出した。
「向こうに、すごく大きな建物が見えるニャ!」
「あれって……」
「ジッグ・ラート……バベルの塔、ですね」
ヴァイスも近寄って来て、遠く涅色の雲の下に見える巨大な塔を眺めた。
「バベルの塔、とは何だ?」
レイアが訊ね、ヴァイスがエルフに伝わる伝承を話し始めた。
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太古の昔、創世主がお創りになった種族達は、ヒトから動物、精霊に至るまで、姿形は違えど、一つの同じ言語を話していたそうです。
でもある時、知恵を持った人族が自らの力を試そうと考え、他の種族も伴って天にも届く塔を造り、神に挑戦しようとしました。
統治者である創世主は、天より降りてその様子をご覧になると、
「塔の出来は、天晴である。
しかし”神を超えたい”というその考えは、傲りである」と仰い、
生き物達の言葉と住処をバラバラにしてしまったのです。
意思疎通ができなくなった種族達の間では、たちまち争いが起こり、塔を完成できなくなってしまいました。
そして塔は完成されることなく、あの姿のまま何千年も残っているのです。地上に生きる生き物への、戒めの証として――。
*
「ちなみに今、私たちが呪文を詠唱するときに使っている言葉は、古代から伝わる旧いエルフ語なのですが……唯一、精霊達が聴きとれる『響き』に近いのだと言われています。
最も現在は、各地に散らばった人族によって再び世界共通言語が制定されていますが。
今ではエルフ族や獣人の中でも、種族本来の言葉を使っている者はほとんどいません」
「ニャっそういえば、ボクも動物と話すとき自然と獣族の言葉を使っていたニャ。ニンゲン達がどうしても獣達の言葉を聴きとれないのは、昔、言葉を分けられたんニャね。ずっと不思議だったニャ」
「えっ、呪文を唱えるときの言葉って、古代エルフ語だったのか。知らずに丸暗記してたぜ……どうりで発音しずらいと思った」
「そっかぁ、昔は精霊も僕達と同じ言葉を話していたなんて、なんだか不思議だなぁ……」
驚くカノアとカッツェのあとに、ノエルは感慨深く呟いた。
「ふふ……そうですね。さぁ、もう南方諸国の島々が見えてきましたよ。たくさん島がありますが、どの島に降りるんですか?」
「うむ、このまま南方諸国の戦士達と合流したら、一気に最南端の島まで進もうと思う。あのバベルの塔の手前だ。……噂ではその塔の向こうに、ぽっかりと空いた巨大な空洞――『竜の巣』があるらしい。そこから魔物達が次々と生まれ出ていると」
「あの、黒い雲が立ち込めているところ? ……うぅ、なんか怖いな」
普段は滅多に臆することのないノエルだが、恐ろしい予感に珍しく身震いした。
重く広がる黒い雲からは禍々しい氣が感じられ、とてつもなく嫌な予感がしていた。
「あそこに行くために、はるばる旅して来たんだ。今さら怯えても、戻れんぞ」
「わかってるよ! ……大丈夫。どんな強い魔物が出てきたって、絶対に倒してみせるよ」
ノエルは決意を新たにして呟いた。
その言葉は、自分自身を奮い立たせる意味も込められていた。
「おう、頼もしいな。……安心しろ。お前のことは、俺たちが守る」
カッツェが、どん、と励ますようにノエルの背中を叩いた。
一行を乗せた船は遥か南を目指し、蒼く透き通る海の上を進んで行くのだった。