第15話「妖精の踊りと、病の奇跡」☆
奇跡の力でついに巨人の谷を抜けた一行は、とある山間の村を訪れていた。
大陸の南部地方に差し掛かったことで気候はだいぶ暖かくなり、過ごしやすくなってきていた。少しのんびりした気分になった一行は、この村で久しぶりに宿を取ることにしたのだった。
*
「ニャ……?」
村に入ってすぐ、ノエル達は妙な違和感に気付いた。
カノアがくんくんと空気の匂いを嗅ぎ、首を傾げる。
「なんニャ、この匂い……?」
村の中を見渡しても特に変わったところは無い。よく整備された綺麗な用水路が広場を通って村の中央を流れ、女たちが大きな洗い桶を出して黙々と静かに洗濯をしている。空は晴れ、洗濯物も良く乾きそうな日和だ。だが――
「おっ、この村には良い武器屋が揃ってるな! 俺の武器も磨いでもらうか!」
一人だけ違和感に全く気付いていないカッツェが、武器屋を見つけて機嫌良さそうに向かっていった。
「ねぇヴァイス、ここって……」
「……はい、ちょっと後で話を聞いてみましょうか」
ノエルが不安を感じてヴァイスに話しかけると、ヴァイスも心得た様子で周りを見回しながら答えた。
*
村の住人は親切に旅の五人を迎え入れてくれた。宿屋の女将は愛想良く、部屋の設備や注意事項を説明してくれる。
「旅人さんがこの村を訪れるなんて、久方ぶりだねぇ。見ての通り何もない村ですが、どうぞゆっくりしていってくださいな」
しかしそう話す女将の顔には、どこか疲れが滲み出ていた。
宿の説明を聞き終えたヴァイスが話しかける。
「あの、もし差し支えなければなのですが……この村にどなたか病人の方はいらっしゃいませんか? 私は白魔導士です。こちらのカノアは見た目は幼いですが、薬師の勉強もしています。何か私達でお役に立てればと思いまして」
「(えっ、なんでそんなことわかるんだ?)」
「この村の精霊達が何か元気ないんだ。精霊の力が弱い地では土地のエネルギーが不足してしまうから、人間や動物も病気にかかりやすくなるんだ。カノアも何か妙な匂いがするって言ってるし……」
カッツェが小声でノエルに訊ねて来たので、ノエルも小声で説明した。
「白魔導士様に薬師様! なんと……これは神様の思し召しかしら!」
女将が驚嘆の声を上げる。
「そうなのです。今この村には、ある奇病が流行していまして……こちらに来ていただけますか?」
女将が、とある部屋に案内してくれた。
*
部屋では、ベッドに横たわった男が苦しそうに腹部を抱えていた。
「うぅ……痛い……腹が……」
男の体はやせ細り、肌は病的な土気色、額には脂汗が滲んでいる。
「ほら、あんた。旅の白魔導士様があんたを見てくれるってよ。ちょっとしゃんとしなさい」
女将が病人の男の背中を叩いて励ます。しかし、その女将の横顔はどこか悲嘆にくれていた。
「……失礼します」
ヴァイスは掛け布団を慎重にどかすと、男の体に手をかざした。
カノアもちょこちょことヴァイスの周りを動き回り、男の頭の上から足の先まで調べて回る。
「おぉ……痛みが引いてきた! な、治ったのか?!」
ヴァイスが呪文を唱え終わると、すぐに男の表情が和らいだ。
「すみませんが、これは一時的なものです。あと何度か、薬や魔法で治療しなければならないでしょう。それに根本原因を解決しないと……」
治療を終えたヴァイスが複雑な表情をする。
病人を残して一度部屋を出たヴァイスは、女将に尋ねた。
「病の症状は、どんなものですか?」
「この村の男達だけが、数年前からこの奇病にかかるようになったのです。ある日急にお腹が痛いと言い出し、それから半年か一年ほどで……皆、亡くなってしまいます。亡くなった方をお医者様が調べると”腸が腐ってしまっている”と……お医者様がいくら調べても原因がわからないのです」
今まで気丈に振る舞っていた女将が、声を殺して涙を流した。
「お願いです魔導士様、うちの主人を……この村を助けてください!」
深々と頭を下げられ、ヴァイスは神妙な面持ちで頷いた。
「私も助けたいと思っています……できる限りのことはしてみましょう」
*
「でも、腸が腐っていく病気なんて聞いたことないよ。それに、かかるのがこの村の男達だけって……なんでだろう?」
宿泊する部屋に戻り、ノエルはヴァイスに話しかけた。
隣ではカノアが早速、痛み止めと漢方薬の調合を始めている。
「ニャ~、腸の腐敗を止めるっていう薬も聞いたことがないニャ。自己治癒力を高める薬で様子を見るしかないニャ。でもそれなら、今までの患者さんもとっくに治っているはずニャし……」
「村の男達が口にする食べ物に毒がある……もしくは、男達が通った場所に毒気の強い場所がある、という可能性は?」
レイアも長年の森暮らしで野生の毒には詳しい。
「えぇ、その可能性も含めて、もう少し村の周囲を調べてみなければいけないですね……。ノエル様、レイア、手伝っていただけますか?」
ヴァイスを含む三人は、土地の精霊の声を聴くため夕刻の村に散った。
「カッツェは、ここでボクとお留守番ニャ」
「お、おう……なんか、俺だけすまん」
こういう時には一人だけ何もできないカッツェが、恐縮していた。
*
翌朝。
「……こっちだね」
ノエルは村の用水路の水源となっている川の上流を指さした。
「この川の水から良くない気配が出てる。上流に行くほどその気配が強いみたい」
「行ってみましょう」
五人は集まり、川のせせらぎを辿った。
川が流れる森の中は綺麗に手入れがされて整っているが、しんと静まり返っていて鳥のさえずりもほとんど聞こえてこない。
「……なんだか、この森はすごくよそよそしいな」
「うん、ここには精霊が全然いない。どういうことだろ」
森の生活に慣れているレイアが、驚いたように口にした。
ノエルも不安げに辺りを見渡しながら応じる。
通常、これだけの木々が生えた森と山であれば、大地の精霊や木の精霊がそこかしこに漂っているはずだった。しかし、ノエルがどんなに意識を集中してみても、この森と山からは精霊の気配が感じ取れない。綺麗に整備されているにも関わらず、まるで死んでいるような状態だ。ノエルはこんな状態の土地を見たことがなかった。
これではまるで、魂を抜かれた生物のようだ。魂がない肉体は徐々に形が崩れて腐っていく。このまま精霊がいない状態が永く続けば、この森と山も、魂のない屍骸と同じように崩れ去ってしまうかもしれない。
*
川に沿って山を登った五人は、やがて山の上の開けた場所に出た。
「!! ここは……」
岩で覆われた山肌には、木とトタンで組まれた足場や建物が立ち並んでいた。
斜面には深いトンネルが開けられ、トロッコががたがたと出入りしている。つるはしやスコップを持った男たちが、大声で喋りながら行き来していた。どこからかはわからないが、もくもくと黒い煙を上げている場所もある。
「なるほど、鉄鉱石の採掘場か」
カッツェが呟いた。その言葉にノエルは、カッツェが向かった村の武器屋に並ぶ質の良い武器を思い出した。鉱山の近くの村であれば、あの村の名産品が刀や剣であるのも頷けた。
ノエルはしゃがみこんで、辿ってきた川の流れに手を浸してみた。川の精霊の様子を確かめようと思ったのだ。
が、手を入れた瞬間に川に棲む水の精霊が噛み付くかのように怒りの意思を伝えて来た……ように感じた。
「うわ、こりゃ酷いな。なんか、川の精霊が凄く怒ってる……気がする」
「もしかして、鉱山の有害な毒が川の水に含まれて――? おいっ、飲んだら危ないぞ!」
ノエルの言葉を聞いて、カッツェが川に近づくレイアとカノアを止めようとした。
「いや、そういう訳ではないようだ。川の水自体は澄んでいる」
嗅覚と味覚の鋭いレイアとカノアが水の匂いを嗅いだり舐めたりしてみるが、特におかしなところはないと首を傾げる。
「川の精霊の記憶を……聴いてみます」
ヴァイスが、紫水晶色の瞳を静かに閉じた。
*
昼過ぎ頃。ノエル達が村に戻るとすぐに、ヴァイスが宿の女将を見つけて呼び止めた。
「女将殿、少しお話が――」
ヴァイスが真剣な表情で、何事かを女将に話す。
「えっ、あれを――?」
「はい、やってみてもらえませんか」
話を聞いた女将は驚いた顔をするが、ヴァイスはさらに念を押して頼んだ。
「なんだなんだ?」「何ニャ?」
少し離れたところで見ていたカッツェとカノアが不思議がる。
「まぁ、見てて」
だがノエルは、ヴァイスならば大丈夫、と信頼して任せていた。
精霊の言葉や思念を聴き取るのは、ノエルよりもヴァイスの方がずっと得意だ。ヴァイスが精霊から何かのヒントをもらったのならば、それに委ねるのが一番なのだ、ということをノエルは知っていた。
*
夕刻。村の広場には女性達が集まっていた。
女将も村の民族衣装を着て混ざっている。
若い娘たちがひらひらと風にひらめく美しい布を身にまとって、中央に円を描いてひざまずく。
仕事を終えた村の男たちも広場の周りに集まって来ていた。
西の山々に緋色の太陽が沈みかけ、東の藍紫色の空で星が瞬き始めたとき、ヴァイスが女将に合図を出した。
「……お願いします」
静かにひざまずいていた娘たちが、ふわっと布を靡かせて舞い始める。
女たちが山々に響き渡る美しい声で歌い始めた。
「……おぉ」
カッツェが称賛の声を上げた。
よく揃った女達の声が宙に拡がり、美しいハーモニーを奏でた。
「この村の、伝統的な歌と踊りだそうです」
ヴァイスも目を細め、音色に耳を委ねながら語った。
「……あ、精霊たちが」
「えぇ、戻って来てくれたようですね」
歌の余韻が村から山へと響き拡がるにつれ、村の外、流れる用水路、街中の気配が変わったことをノエルは感じた。精霊達が戻ってきたくれたのだ。ヴァイスもほっと安堵の表情を見せた。
やがて歌が明るい調子に転じた。笛や鳴り物が入り、輪舞曲へと転調する。
男達にも笑顔が戻り、輪に交ざって踊り始めた。
「楽しそう! 僕達も行こうよ!」「ニャっ♪」
楽しそうな様子にノエルもうずうずとして、カノアを誘い輪に混ざった。
運動音痴のノエルは上手く周りの踊りに合わせられずギクシャクした動きになってしまったが、それでも十分楽しかった。
カノアは運動神経は良いものの、リズム感が無いようだ。ノエルの周りをぴょこぴょこと跳ねまわっているだけだが、その様子は猫がじゃれているようで微笑ましかった。
「ははっ」
その様子を見ていた大人達からも、笑みが零れた。
*
「なるほど、あの唄で精霊を呼び戻したってことか?」
一夜明け、カッツェが昨日の不思議をヴァイスに尋ねた。
「えぇ。この村と山を守る精霊達は、もともと歌と踊りが大好きでした。
この村では昔から、娘達が毎朝元気に歌いながら川で洗濯をするのが日常だったそうですよ。
しかし、数年前に男達が鉱山で忙しく働き始めるようになってから、この村の伝統的な歌と踊りの機会がめっきり減ってしまったようです。
精霊達は拗ねてこの村を去り、村に病人が増え出した。
悲しみに暮れた村の女達は、さらに歌を自粛するようになってしまったのです。
そして精霊がどんどんとこの村から離れ、ついにはあのような状態に……」
「女性に病がかからなかったのは、また歌を歌ってほしかったからかもね」
「それは言ってもらわなきゃ、わからんだろう……」
「精霊も自分達の声を何とか伝えようと、頑張ってるんだよ。人間も精霊も、悪気があった訳じゃないんだよね」
村人と同じく精霊の声が聞こえないカッツェは、村人に同情的だ。
だが精霊の気持ちもわかるノエルは、肩を竦めながら答えた。
そう、ノエル達魔導士は精霊の姿を「視て」、声を「聴く」ことができるが、それは例えば、風の音を聴いて明日の天気を予想したり、波の動きを見て嵐の到来を予想するように、ひどく曖昧で言葉や五感では表しずらいものなのだ。人と精霊は、はっきりとした意思疎通の手段を持たない。
そのもどかしさは精霊達にとっても同じことだった。精霊はノエル達「視える者」に対してイメージを送って来てくれることがあるが、魔導の特性がない「視えない者」には精霊の言葉を受け取ることができない。
だから精霊が「こうしてほしい」と願っても、人間達には伝わらないのだ。そして悲しいすれ違いが生まれてしまう。
精霊は本来、悪意を持って人や自然に悪さをするようなものではない。だが、たった一つのボタンの掛け違いからこんなにも悲しい病を引き起こしてしまった。
たまたまヴァイスが気付いて原因を解明しなかったら、もっと悲惨なことになっていただろう。ノエルは思いがけずこの小さな村に通りかかったことで、失わなくても良いいくつもの命を救えたことにほっとしていた。
「何はともあれ……。私は医者ではないですが、原因がわかって良かったです。もう少しこの村に留まって病床の方を治療したら、先に進みましょう」
すっかり名医(?)として村人から崇め奉られるようになったヴァイスは、カノアとともに村人の診療に廻りに向かうのだった。