第12話「砂漠に雨を降らせよ -巨人の谷・1-」
獣人達の村を出た一行は、平野を馬で駆けていた。
ほどなくして、大陸を切り裂くように横たわる巨大な渓谷の元に辿り着く。通称「巨人の谷」と呼ばれる地域である。
見渡す限り草木も生えない赤茶色の大地の中に、深く、広く、遥か地平線まで続くその谷が一行の行く手を阻んでいた。
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「ここが巨人の谷……。ここって巨人がたくさん住んでるんでしょ? カッツェはここを一人で通って来たの?」
ノエルは深い谷底を覗き込み、周囲にオークがいないかビクビクしながらカッツェに訊ねた。
「あぁ……俺はもっと東の海岸近くを一気に抜けて来た。だが、それは一人だからできたことだ」
カッツェが複雑な表情をして頷く。
オーク族はかなり野蛮な種族として知られていた。身長は平均的な人間の三~五倍で、岩のように固い体を持つ。また縄張り意識が強く、よそ者の侵入を嫌う。許可なくオークの縄張りに立ち入って怒りに触れた者は、瞬く間にオーク達に打ち殺されてしまうという噂で恐れられていた。
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巨人の谷は、大陸のちょうど中央部を東西に渡って大きく横断していた。今でこそ一帯は荒涼とした大地に覆われているものの、かつては大きな川が流れていた跡だと言われている。
谷の西端は、大鳥の住む暗き森の険しい山の間から発しており、徐々にその幅と深さを広げながら東側の海まで続いている。
谷の絶壁の高さは西の山側が最も低く、東の海側にいくほどその高さを増している。
ノエルやカッツェが住むこの西大陸の南部地方と北部地方でほとんど人の行き来がないのは、主にこの巨人の谷があるせいだった。
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カッツェは今回、正攻法でこの谷を抜けることを全員に伝えた。
カッツェ一人であればオークの縄張りと縄張りの切れ目を探し出し、体力に任せて一気に谷を昇り降りすることもできる。が、今やパーティーは女子供と、非力な魔導士二人である。
最も安全かつ確実にこの谷を抜けるには、きちんとオーク族に話を通して堂々と領地を通してもらうのが一番だった。つまり……
「これの出番だ」
カッツェが背中に背負った荷物を指さし、ニヤリと笑った。
ノエル達はカノアの獣人村で、名産品であるたくさんの酒や土産物を持たせてもらっていた。
「……お酒で通してもらえるの?」
「大人の社会ではな、こういうのも大事な交渉術なんだぞ」
ノエルは不安だったが、どうやらカッツェは単独で南部地方から北部地方まで縦断する間、数々の関所を「お酒」の力で潜り抜けてきたらしい。つまり関所の衛兵と酒場で仲良くなり、こっそり通行を許可してもらうのだそうだ。
そんな邪道がまかり通るのかとノエルは驚いたが、カッツェは大人の社会のルールも覚えておけ、と胸を反らしていた。
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オークの領地に入り、さっそくカッツェが土産物を差し出して通行の交渉をした。が、なぜかすんなりとは受け入れてもらえなかった。
「通行には 長老の 許可が いる。ついて 来い」
そう言われた一行は、馬を降りてこの谷を統べるオークの長老の元へ連れて行かれることとなった。
どしり、どしり、と歩くオークに先導され、乾いた谷底を歩く。
絶壁の上を見上げると、遥か上空を大鳥が西の空に向かって飛んでいくのが見えた。
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オークの長老に謁見した一行は、まずその巨大さに驚いた。人間の大人の十倍はあるかと思われるほどの大きさである。
低く、地の底から響くようなオークの長老の声が、谷全体を震わせた。
『お前たちを、通してやろう。ただし――』
『そのエルフの女は、置いていけ』
長老が指していたのは、レイアだった。
「なぜだ?! 土産物なら十分なものを用意したはずだ!」
カッツェが長老に負けじと、大きな声で怒鳴る。
『――今年は、既に雨季だと言うのに、この谷に水が流れて来ない。このままでは、この谷は枯れ果ててしまう。女を生贄にして、雨乞いをするのだ。
――西の地に芽吹く大樹の根元に女を埋めれば、雨が降るという言い伝えがある。エルフならば、なお良い供物となるだろう』
ゆっくりと話す長老の声が地鳴りのように轟き、大地を揺るがしてこだました。
「そんな……、なんと残酷なことを考えるのですか!」
普段は冷静で温厚なヴァイスが、同じエルフとして怒りの声を上げる。
「生贄になんかしても雨は降らないよ! 雨乞いなら僕たちがする!」
ノエルもぞっとして叫んだ。
生贄などというのは何の根拠もなく、ただの気休めのまじないに過ぎない。生贄を捧げても雨など降るはずがないのだ。いくら愚かで残忍なオークといえど、そんなくだらない理由で他人の命を奪って良いことにはならない。
根拠のない雨乞いに頼るくらいならば、ノエルとヴァイスが協力して精霊に呼び掛け、この地に雨を降らせるほうがよほど現実的だ。
『ほう……お前達は魔導士か。ならばその力、見せてみよ。本当に雨を降らせることができれば、この谷を通してやろう』
オークの長老はノエルとヴァイスを見下ろしながら、試すように語った。
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ノエルとヴァイスは静かに目を瞑り、巨人の谷に棲む大地の精霊の声を聴き始めた。
「……西の山に、大鳥達の巣がある。数年前からガルーアが繁殖しすぎたせいで、山の緑が失われた。それが原因となってこの谷に水が流れて来ない」
それがノエルとヴァイスの得た答えだった。
二人の魔導士が協力して大気と水と大地の精霊の力を集めれば、一時的に谷に雨を降らせることはできる。しかし、この乾いた大地で雨を降らせてもすぐに蒸発してしまい、効果がないことは明らかだった。この地に棲む精霊達も、水が流れて来ないことで大地が荒れ果てているのを嘆いているようだった。
「困ったな……」
最強術師の名を誇るノエルだが、腕を組んで困り果ててしまった。この問題は思ったより厄介だ。
『この谷に水を引くことができないのであれば、お前たちを通すことはできぬ。やはり、その女を置いていけ』
「そんなことしても意味ないってば! 分からず屋だなぁ!!」
「おい、あまりオークを怒らせるな。奴らは短気なんだぞ」
ノエルが憤慨して怒鳴り返すと、カッツェが心配そうに小声で耳打ちした。
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「僕たちが西の山までガルーアを退治しに行く? でも、それだとかなり時間がかかるよ。ガルーアは火に弱いけど、炎魔法を使うと森ごと燃えちゃう可能性があるしなぁ……」
五人は固まって、何か対策は無いかと話し合う。
「オークの言う通り、私を置いてお前達が先に行け。私なら、隙を見て逃げ出せるだろう。もし逃げられなかったとしても……その時は、その時だ」
レイアが覚悟を決めた静かな口調で語った。
「絶対ダメ!!」「ニャ!」「です」「うむ」
全員が一斉に反対した。
レイアが言っているのは、自分自身の死を覚悟しているという意味だ。こんな場所でオークのためなどに軽々しく彼女の命を賭けさせる訳にはいかない。全員がその意図を汲み取っていた。
「お前が無事に逃げ出せたとしても、怒ったオークが追って来たらどうする。オークは、かかされた恥は一生忘れずに復讐すると言うぞ」
カッツェがレイアを諭す。
本当か嘘かはわからないが、レイアを押し留めるための言葉だ。
「……ひらめいたニャ!」
それまで考え込んでいたカノアが、突然ぽんと両手を叩いた。
「師匠に教えてもらった、ガルーアの嫌いな匂いの秘薬があるニャ! それを大量に作って空から撒くニャ! そうすればガルーアはその場所に巣を作らなくなるニャ!」
「そ、空から撒くってどういうこと?」
ノエルは驚いたが、カノアは完璧な作戦とばかりに自身満々で胸を張る。
「ボクが行くニャ。ボク達ケットシーは動物を乗りこなすのが得意ニャ。ガルーアに乗って撒いてくるニャ!」
「そんなの危ないよ! もし落ちたり、ガルーアに襲われでもしたら……」
「大丈夫、動物の言うことを聞かせる薬もあるニャ。それをボクが全身に被っておけば、襲われることはまずないニャ。平和的に解決するには、これしか方法はないニャ!」
カノアが見た目とは裏腹に、意外と知的な様子で語った。カノアはノエルより幼いにも関わらず、ノエルが感心するほど様々な知識を持っている。
「……問題は、どうやって最初のガルーアに乗るかだニャ」