眠る
夢の国に僕は生まれ、育ってきた。
しかし今、この夢の国に「コチョウ病」という原因不明の病が発生し、流行り始めた。
このコウゲン病という病に罹ってしまうと深い眠りについてしまい、再び目が覚める見込みはないらしい。
そして今日もまた、この国で何十人とコチョウ病に罹り、眠りへと誘われていく。
認めたくないことが起きてしまった。
コチョウ病が僕の妻にまで襲いかかってきたのだ。
彼女は日に日に起きている時間が少なくなってゆき、今では一日に一回、数分、目を開ける程度にまでなってしまった。
「……ねぇ」
気怠げな声で彼女が僕に話しかけてくる。
「なに?」
彼女の様子に悲しみがこみ上げてくるものの、何とか表情に出さないように我慢して、僕は出来るだけ笑顔で彼女の呼びかけに応える。
「たぶん、私が起きていられるの、最後だと思うの」
「…………そうなんだ」
彼女が病気に罹り、何時かはその日が来ると覚悟はしていた。
「そんな、泣きそうな顔しないで」
「してないよ。笑ってるだろ?」
「……うん、そうだね」
そう言って彼女は笑った。何度も魅せてくれた、温かい笑顔だ。
「それにね。分かったことがあるの」
「分かったこと?」
「うん。恐らくね、これは眠るんじゃなくて、覚めるの」
――だから大丈夫。先に向こうで待ってるね。
最後に気になる言葉を残し、彼女は目を閉じてしまった。
そして翌日。僕もコチョウ病に罹った。
どんどん、どんどん、僕はナニカに誘われるように、引き寄せられるように眠る時間が延びていく。
この夢の国から旅立つ準備が整ってくる。
……あ、彼女が言っていたのはそういうことだったのか。
僕はこの感覚に身を任せ、静かに目を閉じた。
◇ ◇ ◇ ◇
目が覚めた。
視界に移るのは真っ白な天井。
横を見る。向こうを遮るようにカーテンが閉められている。
「あ……」
僕では無い、誰かが呟いた。
その声をする方を向く。
「起きたのね」
そう言って、僕のことを慈しむように見つめるのは――、
「おかあ、さん?」
「ええ、そうよ」
母の目には涙が溜まり、堤防が決壊したように零れ始める。
「お母さん、どうして泣いてるの?」
どうして泣いているのか分からなかったので、僕は尋ねることにした。
「貴方はね、胡蝶病に罹ったのよ」
「胡蝶病?」
その言葉にナニカが引っかかる。
「最近現れた病気で、いつ起きるのかも分からず、ずっと眠り続けてしまう病気だって、先生は言っていたわ」
ずっと眠り続ける……ねぇ。
「そして、この胡蝶病の特徴なんだけど……。研究によると、胡蝶病患者は「夢」を見てる状態で眠り続けるんだって」
貴方はどんな夢をみていたの? そう母に訊かれる。
「えっと……」
僕は思い出す。思いだそうとするけど……。
何だっけ?
思い出せない。そもそも夢の内容を思い出そうとするのは、非常に困難なことだ。
「ごめん、覚えてないや」
「……そう。でも、いい夢なら良いわね」
「うん」
夢の内容を思い出せないのは残念だけど、今は病気から回復することが出来たことを喜ぼう。
でも何でだろう、心にモヤモヤというか、シコリが残っている。
胡蝶病から覚めた僕は、リハビリとして病院の中を歩いていた。長期間眠り続けていたので、筋肉がこれでもかというくらいに衰えてしまっていた為である。
始めは全く思ったように動かない体に、本当にこれは自分の体なのだろうかと疑問と怒りを覚えたくらいだ。
「あっ……」
廊下の曲がり角でぶつかった感触。
ぶつかったナニカは思わずといった感じの声を漏らし、ドンと床に倒れ込む。
「すいません。大丈夫ですか?」
僕は倒してしまった女性に手を差し伸べる。
「あ、はい。私の方こそボーッとしてて……」
そう言って向こうは僕の手を取り、立ち上がる。
そして互いに顔を見合わせ――、
「「あっ…………」」
僕は……この人を知っている。
「ねぇ」
彼女が僕に話しかける。
「えっと、何ですか?」
僕の答えに彼女は「何で敬語なの?」とクスクスっと笑う。
その笑顔に僕の鼓動がドクンと跳ね上がる。
そうだ、僕は向こうで何度もこの笑顔を見てきた。
「ねぇ、だから言ったでしょ――」
彼女は何時も僕に魅せてくれた、あの温かい笑顔でこう言った。
「向こうで待ってるねって」