見惚れ殺しの桜と死にたがりな侍
お題は変身、ヒロインは人外。
その桜は、仏山の中腹からぽっと出た崖の先っちょに生えていた。この崖は天狗さまのお鼻みたいな形をしていたから、天狗鼻の崖と呼ばれていたそうな。先っちょに咲く桜は八重咲きの、それはそれは見事なボタン桜で、紅く染まった花弁は、この世のモンとは思えないくらいの美しさ。そりゃそうだ、みとれて近づいたものは、皆崖下の池へまっ逆さま。ついたあだ名は、見惚れ殺しの崖桜。
暖かい春の陽気、桜の枝で鳥が楽しそうにさえずっている。
しかしこの桜、見惚れた者を虜にして、池へ落とす……そんな噂がある。
(落とすわけないでしょ)
今日も今日とてさくらは一人ごちる。聴くのは鳥だけ。(勝手に落ちるんだよねー)
(咲いてるだけなのにね)
鳥たちが賛同する。さくらは悪くないと。
(そう、落ちるの。落ちてほしくないのに、落ちるの)
毎年毎年、さくらの横に立って絶壁から見る光景に目を奪われ、足を踏み外す。誰一人、さくらを見ずに落ちる。誰一人、さくらに見惚れていない。本当に見惚れているのは、眼下に広がった景色だというのに。
(しかも!下の池の女神様が助けてて、誰一人命まで落としていないわ!)
(そーだ、そーだー)
(そ〜だ〜、そ〜だ〜)
そして、足を踏み外し池にまっ逆さまになった者は、皆例外なく池に落ちて、池の女神様に助けられている。
(ほんと、損ばっか!)
さくらは、ただ一本で咲いている桜なだけなのに。ただ咲いているだけなのに、なんで。
(なんで、こんなのが来るの〜!)
(なにぃ、あれ〜!)
(おさむらいー?)
さくらの咲かせた花が三分咲きのある朝、ぼろい格好のおさむらいがとぼとぼと、見るからに暗そうな影を背負ってやってきた。身につけている着物や袴は薄汚れどころではない汚さ、あちこちほつれて破れて見るにたえない状態。月代だってぼうぼうで、髷も崩れて耳の横でへなへなっとしていた。顔もこけ落ち、無精髭が可愛くなるくらいの熊さん髭。
(くさい!なんかくさい!からだ洗ってないの?そんな体でさくらに近づかないでー!)
悪臭と汚臭を撒き散らしながら、おさむらいは裸足でこちらへやってくる。
(ちょっとー)
(ようすがへん〜?)
鳥たちが枝から降りておさむらいのまわりを飛び回り始めた。
(このひと〜)
(くらーい)
(え、まさか!?)
おさむらいは、自ら崖の向こうへいこうとしていた。
(やめて!やめて!さくらの前で、血を自ら流す行為はやめて!自ら命を捨てないで!)
そうなったらと、さくらは焦った。焦ったあまりに――
「とまれこのばかー!」
人の姿に変身して、今にも落ちようとしていたおさむらいの首もとを引っ張って、地面へ引き倒してしまった。
(あちゃー)
(あちゃ〜)
変身……変化してしまったさくらは、しまったと青ざめた。
さくらは、桜。
何百年もの間、毎日毎夜と太陽と月の光を浴び続け、桜の精となり意識を持つようになった桜の古木。
一年かけて花を咲かせ、また一年かけて花を咲かす力を蓄える。だから、それ以外に力を使えば……。
「さくら、もう満開になれないじゃない!」
満開になるまでに、力を使った。もう、今年は咲けない!
「人に喜んでもらえない!見てもらえない!そんなの、桜の意味がないわ!」
桜は、咲いてなんぼ。桜は、咲いて喜ばれてこそ存在意義がある。
「ああ……」
さくらはうなだれた。せっかく、ここ(三分)まで無事に咲けたのに。これからだったのに!
「おい、娘」
さくらが一人うなだれていれば、いつの間にか体を起こしたおさむらいが口を開いたようだ。
「わしの邪魔をするな」
上から目線な発言だった。さくらは、プツンと切れた。
「あなたが勝手にさくらの隣で落ちて自害しようとしたからでしょー!だから止めたの!さくら悪くないもんっ!」
(そーだー)
(そうだぁ〜)
頬を膨らませぷんぷんと怒るさくら。鳥たちも賛同してさえずる。
「何をいってる。ここは名所だろう、わしみたいな奴の」
本気で、おさむらいはそう思っているらしい。さくらはさらに腹が立った。
「ちがーうっ!」
「何が違うのだ」
おさむらいは顔をしかめた。さくらは叫ぶ、訂正するために。
「ここは、桜の名所!お花見の、名所なのー!!名所違いなのっ!だいたい、誰も命を落としに来てないし、落としてもいないもん!」
「……なんだと?」
おさむらいの片方のげじげじ伸び放題な眉がはね上がった。
「変な噂を流されてるけどっ、みーんな、さくらの横に立って景色を眺めて、足を踏み外すの!それで誤って落ちて、下の池の女神様に助けてもらってるんだから!事故なの。噂はただの噂なの、ほんとーは違うのーっ」
さくらはぜぇはあと苦しげに息を吐いた。
(人の体って疲れるー!)
でも、さくらの既に咲かせてしまった花が散るまで、さくらはずっとこのままだ。力は“咲く”為だけに使うつもりだったから、一度使えばあとはだだ漏れなだけ。止める方法があるならば、人に化けるなんてことに使わずに、すぐに花へまわす。けれど止め方がわからないから、花が散る=力を使いきるまでずっとこのまま。
「……娘、おまえ、人じゃないのか?」
(おさむらいがガン飛ばしてきたー!)
(目細めてにらんできた〜!)
「見てわかるでしょー……?じゃないと誰が落ちるのを止めれたのー」
おさむらいは、いきなりさくらが現れたことのおかしさに気付いていなかったようだ。おさむらいなのに。
(そりゃー、今のさくらは見た目振り袖のうるわし乙女だよ〜。人のおなごだよ)
でも、おさむらいはあやかし退治とかもするという。ならば、気付きそうなのに。なぜ気付かないのか。
「おまえ、なんでわしを止めた?」
それどころか、興味津々といった表情で問うてきた。人でないさくらに驚いていないようだ。
「さくらは、桜の精なのっ!咲くためには、お日さまとお月さまの光を浴びて力を蓄えるの。その横で血不浄なんてされたり、命を自らたたれたら、黒い気に侵されるもんっ。黒い気は、さくらの本体を病気にして、咲かせなくするの!下手したら、吸いたくもない血を吸ってあやかしに堕ちちゃうんだからっ!」
それが、さくらがおさむらいを必死になって止めた理由。自分の今年の存在意義まで捨てて、止めた理由。
「だから、止めたの!さくらが病気になったり悪くなったりしたら、さくらの咲かせた花を毎年楽しみにしてくれてる池の女神様や、鳥たち、麓の村の人間たちが悲しむもの!」
桜は咲いてなんぼ。
桜は、咲いてから、見る人に喜ばれてこそ存在意義がある。
「何があったかは知らないけど!」
さくらはおさむらいをにらみつける。
おさむらいは、不機嫌を隠さずに怖い顔をする。でも、さくらは人ではないから関係ない。怖くはない。
「おまえには関係がないな」
「ないもん!ないけど!」 さくらは拳を握りしめる。慣れない動作に体がしんどい。でも、かまうもんか。
「あなたには、権利ないでしょ?!さくらの花を楽しみにしてくれてる人の邪魔をする権利、ないでしょ!楽しみにしてくれてる人の邪魔をしないでっ!」
さくらは、ついに涙を流した。こういうとき、人の体は楽だと思う。簡単に感情を表現できる。簡単に思い考えることを伝えることができる。
「先ほどのわしと同じことをいわれるとはな」
おさむらいは笑いだした。さくらは一生懸命なのに、なんで笑うのかさくらにはわからない。人間って、ほんとうにわからないとさくらは思う。楽しいとき以外に笑うなんて。
「なんで、人間は悲しいのに無理して笑うの。悲しいなら泣けばいいじゃない!」
さくらはいらいらした。なんで人間ってひねた方法で感情を表すんだろう。真っ正直に表した方が疲れずにすむのに。わからない。
「人間はいろいろあるんだよ」
おさむらいは影のある笑い方をした。まただ。笑いたくないのに笑って誤魔化している。なんで辛いのに笑うのだろう。辛いなら辛い顔をすればいい。辛いっていえばスッキリするというのに。
「あなたは影をしょってる……人間はまわりくどいから、しょっちゃうのよ。だからこんなこと、しにくるのよ!命を粗末にしにくるのよ!」
「なんで、わしのために泣く?」
おさむらいは首をかしげた。さくらはさらに頭に来た。なんでおさむらいがわからないのかが、わからない。理解できない。
「悲しいから!」
さくらはおさむらい向かって、びしいっと指をさした。
「辛いから!痛いから!苦しいから!これ、ぜーんぶ、あなたの気持ちなのっ!なんでわからないの?あなた、みーんな顔に出てるんだよ。ぜーんぶ、顔に出てるんだよ。助けてって……!」
これだから人間は!とさくらは続けて、鼻息を荒くした。それを見たおさむらいは、しばらく呆然としてから、すぐに腹を抱えて笑いだした。
「おまえ、おもしろいな!気に入った!!」
「?花はまだ満開じゃないよ」
「花じゃない、おまえ自身だ、さくら。さくらという心だ」
ふと真面目に返したおさむらいに、さくらはきょとんとする。
「まあいい。時間はまだまだある!これから口説くとしよう!」
「??」
疑問だらけのさくらの頭をポンポンとなで、おさむらいはまたな!といって去っていった。残されたさくらは人間よくわかんない〜と思い、首をかしげていた。
(こいのよかん!)
(こいのよかん〜!)
ただわかっていたのは鳥たちだけ。
それから一年後、崖桜の満開の時期になると、あらたに麓の住民となったおさむらい様の姿が見られるようになったとか。まだ若く凛々しいおさむらい様は、お仕えする主に諫言を呈したところ、お怒りにあってくびになったのだそうだ。そして桜のもとへいけば、桜の精がうるわしの乙女の姿を借りて現れ、おさむらい様を叱咤激励したのだとか。だから、おさむらい様は桜の古木に永久の愛と忠誠を誓ったんだそうな。桜の古木はどう考えているかはわからないけれど。
後の世に、仏山の崖桜は、男女の仲を取り持つと言い伝えられている。うるわしの乙女の姿をした桜の精と、おさむらい様の姿をした夫君が仲を取り持つのだそうな。また、なかなか鈍感な相手に振り向いてもらえない恋事なら、なおさら夫君の加護を受けるとか……それは、夫君が細君である桜の精を口説くのに時間がかかったからだとかないとか。それは、また別のお話。
ともあれ。
なかなか進展しない恋のお相手に振り向いてもらうなら、仏山の崖桜がおすすめである。
(わしが味方をしてやるからな)
さあ、恋にお悩みの皆さま方。ここはひとつ、訪れてみてはいかが?
人外ヒロインの変身ものでした。
感想おまちしてます〜。
さくらは書いてて楽しかった〜。