仈月蟬
Wenn Sie ein Opfer darzubringen, dann geben Sie bitte Glück aller Menschen.
Wenn du überlebst, lass es mich überleben.
「右手にはコイン、左手にはサイコロが入っています。どちらかをお選びください」
帰り道。薄暗い、ビル街の裏路地で、その男は話しかけてきた。まだ秋だというのに、男はフードつきの黒いコート、顔にはサングラス。口元はマフラーだろうか、灰色の布で覆われている。
ただ、突き出された両手が、とてもゴツゴツしているのが分かる。
「何かの宗教の勧誘ですか?」
その横を通り抜けようとすると、
「右手にはサイコロ、左手にはカードが入っています。どちらかをお選びください」
再び、黒いコートの男が目の前に現れた。驚いて振り返ると、男はまだそこで両手を突き出して立っている。同じ服装の男が二人。声までそっくりだ。
さすがに怖くなって、走り出そうとした。だが、再び。
「右手にはカード、左手にはナイフが入っています。どちらかをお選びください」
何が起こっているのだ?首筋から背中まで、冷たい汗が流れ落ちた。いつの間にか周りはすっかり暗くなっている。いや、ビルの隙間の向こうは、まだ明るい。この裏路地だけが外から切り離されたように暗い。空気が重みのあるドロッとしたものに変わり、肌にまとわりついてくる。時間がやけにゆっくり流れていくのを感じる。
そして、目の前に立つ黒い影。自分を取り囲む3つの影は、ただ静かに立っている。引き留めようとはしない。突き飛ばせば多分逃げられるに違いない。
だが、彼らの発する何かが、足をすくませてしまう。
そう思っているうちに、また。
「右手にはナイフ、左手には鉄の棒が入っています。どちらかをお選びください」
「右手には鉄の棒、左手には毒薬が入っています。どちらかをお選びください」
「右手には毒薬、左手には拳銃が入っています。どちらかをお選びください」
視界の端に次々と現れる男たち。幾重にも重なり、両手を突き出して問いかけてくる。裏路地が、影で染まる。真っ黒に、染まっていく。
足が震える。いや、腕も、体も、頭も震える。視界がぐらぐら揺れて、思わず吐き気がこみあげてくる。
そんな時。
「こらぁ!君たち、何をやっているんだ!」
「親父狩りか?逮捕するぞ!」
表からの、頼もしい声。自転車に乗った警官の姿が見えた。
と、同時に、霧が晴れていくように、影が薄くなっていく。最後に少しだけ嗤う表情をすると、完全に消滅した。そして、いつの間にか空気は元に戻り、夕日が差しこんできていた。表の喧騒が聞こえてきた。
「お怪我はありませんか?」
二人の警官が自転車を降りてやって来た。
「最近多いんですよねぇ…。気を付けてください」
そういって、手帳を取り出した。ほっと息をついた。
「そうそう、こんなことがあったんで、少し質問があるのですが…。よろしいでしょうか?」
ええ、まあと答える。警官は言った。
「鬼と悪魔、どちらがお好きですか?」
二人の、赤い目が光った。
少年は暗い空を見上げた。
深い雲の向こうに、未だ月は見えない。
少年は暗い闇を見つめた。
向こうに続く道には、人影はない。
そんな時、
右手を包む暖かい手が、
少年を明るく照らしたとさ。