家族の傷
「っ馬鹿、何やってんだよ嬢ちゃん!」
仕事の合間を縫ってようやくあかねを訪ねることのできた拓磨を出迎えたのは、短剣を自らの胸に突き立てて、自らの傷から流れ出た血の中に倒れているあかねの姿だった。痛みのせいかそれともずっと眉根を寄せていたのか、眉間には深い皺が刻まれている。短剣が抜けないように注意深くあかねを抱き上げ、その軽さに驚いた。
……とはいえ悠長に驚いている場合ではなく、拓磨はあかねを車へと運び、助手席をリクライニングさせてそこに寝かせた。
運転席に乗り込み発進させながら、拓磨は原田の携帯へと連絡を入れる。2コールで出たのんびりした声に対して、拓磨は怒鳴るように告げた。
「手術室と輸血の準備しとけ! 嬢ちゃんがまたやらかしやがった、しかも心臓だ!」
『―――抜いてないよね? どれくらいかかりそう?』
「20……いや、15分!」
『分かった。事故るなよ』
「おう」
それだけで電話を切り、スピードを限界まで上げて走る。他の車のクラクションなど知ったことか、と5つほど信号無視をかまして、ようやく研究所にたどり着いたときにはぴったり15分が経過していた。焦っているせいか体に絡みつくシートベルトを無理やりすり抜け、助手席のあかねを抱き上げる。
「……原田! 準備は!?」
研究所から出て来た原田に問うと、原田はあかねの容態をちらりと見て4かな、と言った。
「思ってたよりは酷くないから多分助かるよ。こっち」
先に立って走り出した原田を、拓磨も走って追いかけた。
治療は十時間に及んだ。拓磨の携帯は何十回と鳴っていたが、病気だと言ってあるしそもそもこの三日間は休暇だ。なので現在は電源を切ってある。
仕事に行ったところで集中などできるわけがないのだから、いい加減勘弁してほしい。
「……ずっとそこに?」
原田の声にはっと顔を上げる。血の付いた治療衣と、疲れきった原田の表情から、随分難しいものだったのだろうと想像がついた。
「まぁな。……で?」
「……心臓のど真ん中を一突きでね……何とか塞いだけど、胸に傷はずっと残るよ」
「……そっか」
ふぅ、とため息を吐くと、疲れた顔をしていたはずの原田が不意に笑った。
「なんか、お兄ちゃんみたいだね、海藤は」
「……そのつもりだったんだけどな」
「過去形? 何、嫌いって言われたとか?」
「いや。……でも、避けられてる気はしてたよ」
ここ最近は携帯も全く繋がらず、明に前もって聞いていた家の電話にも出ず、聞けば社長の電話にさえ出なかったという。
「俺じゃ、駄目なんだろうな……」
「それはそうだよ」
慰めるでもなく揶揄するでもなく、原田は普通に言う。
「あかねちゃんと明君は本当に……仲が良かった。二人で一人だったからね」
「……“互いに補い合う存在”だっけな。嬢ちゃんが前言ってたよ」
「そう。……この子達はまだ実験体、それもどこまで特化させられるかをテストするために造られた子達だった。どちらかが欠けるなんて想定外だったし、明君の理性を少しだけ引き継いだようではあるんだけど使いこなせてないし。……それに海藤、お前はあかねちゃん側だ」
「……嬢ちゃん側?」
「そう。お前はあかねちゃんと性格が似てる。だからあかねちゃんとお前は仲がいいんだけど……あかねちゃんに必要なのは、同類じゃなくて対になる奴だよ。多分ね」
「……ならお前か、原田?」
茶化すようにニヤリと笑いながら言うと、原田は苦笑して拓磨の頭を小突いた。
「まさか。俺が理性的な人間に見える?」
「……微妙なとこだな」
拓磨がそう言うと原田はただ笑って拓磨に背を向けた。椅子に腰掛けたままそれを見ていると不意に原田は半分だけ振り返り、お前も来いよ、と言った。
「あかねちゃんはまだ目を覚まさないけど、病室の隣に仮眠室があるから起きたらすぐ知らせてもらえるよ。どうせ海藤、そこにずっと眠らないで座ってたんだろ?」
「……そうだな。なら借りるか」
海藤は微かに笑ってみせると、ゆっくりと原田の横に並んで歩き出した。
「……う……」
見慣れた病室。鈍い痛み。窓にかかるカーテンの隙間に覗く空は、灰色に濁った暗い夜の空だ。
「……ちっ」
また駄目だったか、とその空の暗さにあの日を思い出してあかねは大きく舌打ちした。
「……014……起きたのですか?」
部屋の入り口に立っていたらしい研究員が、舌打ちを聞きつけて顔を覗かせる。あかねは答える代わりに思い切り研究員を睨み付けた。
「ひっ……は、原田さん!」
隣の部屋に駆け込む音、そして隣から派手な音が二度ほど続き、原田と海藤が部屋に駆け込んでくる。
「嬢ちゃん!」「あかねちゃん!?」
あかねはちらりとそちらを見ただけで、窓の外へと視線を移した。視界の端に痛そうに顔をしかめる海藤の姿が写ったが見ない振りをする。
「……あかねちゃん、気分は?」
気を取り直したらしい原田がそう声を掛けてくるが、それも聞こえない振りをする。
―――不意に舌打ちが聞こえて、あかねは思い切り胸倉を掴まれベッドから引きずり上げられた。
「ふざけんのも大概にしろよ! こんな嬢ちゃん見て、あの坊主が喜ぶと思うのか!?」
「……死者は何も語らないよ、お兄さん」
「だから俺がこうやって言ってるんだろう! 嬢ちゃん、お前どうして死に急ぐ!? 元の寿命だって……」
「明の居ない十年なんて、永遠に等しいんだよ! そんな風にオレを造ったのはあんたらだろう!」
「……っ!」
原田も海藤も大きく息を呑み、あかね自身も出て来た自分の言葉に目を見開いた。
―――原田も海藤も、あかねが造られた原因とは何の関係もないのに。
「……海藤、そろそろあかねちゃんを離せ。傷に障る」
「……畜生」
間近で吐き捨てられた海藤の暗い声に、心臓ではない胸のどこかがツキリと痛む。海藤があかねを解放し、そのまま壁に背中を持たせ掛けずるずると座り込むのを、目を逸らせずに見た。
「……確かに君が造られたのは俺達“人間”の身勝手だ。でもだからって俺達は君を特別扱いはしたくない。……君が、“人造人間”として特別扱いを望むなら別だけど」
冷静な、突き放すような原田の台詞に、あかねはゆらりと視線を原田に据える。原田の瞳に映るあかねの眼光は、原田だけでなく自分自身をも突き刺した。
「……君のそれは、もう見過ごせない。これが限界だ。もしまた君が自分を傷つけるっていうなら、今度はないよ。ここに監禁する。―――人間扱いは保証しない」
「っおい! それは……」
「……やるならやりなよ。オレを捕らえられると思うなら」
「……馬鹿にするのもそれくらいにして欲しいな。馬鹿な振りはやめなよ、あかねちゃん」
「振り? はっ、そっちこそその買いかぶりをいい加減にしたらどうだ。息が詰まって仕方ないんだよ。ほっといてくれ」
「……あかね、さん……?」
消え入りそうな少年の声に、三人の視線は入り口に集中した。
「―――あぁ、理央君。ごめんね、出迎えも……」
「帰れ」
我ながら冷徹な声が出た。
「話すことなんか無いはずだろ、帰れ」
「……随分なご挨拶やな」
唇を噛み俯いてしまった理央の後ろから、関西研究所の所長、早蕨千代が姿を現した。その影に隠れるようにして那由多も居る。
「……原田君、傷は?」
「心臓を一突きですよ。なので無理はさせないでください。―――海藤、ひとまず出るよ」
「……俺もか?」
「理央君と那由多ちゃんもおいで。向こうに簡単なゲームがあるからそれでもしとこう」
「あぁ、原田君、海藤君はここでええわ。理央と那由多を連れてってやって」
「―――っ嫌や、母さん、俺も」
「あんたはあかんわ、理央。原田君と那由多と待っとき」
視線をあかねから少しも逸らさずに早蕨は言って、その意図を量りかねてあかねは微かに眉を寄せた。
こちらを気にするように何度も何度も振り返りながら理央と那由多が部屋を出て廊下を歩いていき、その足音が聞こえなくなったところでふっと早蕨は閉じていた目を開けてあかねを見据えた。
「……さて。あかねちゃんさっき言うたな、話すことなんか無いって。そやから死のうとしたんか?」
「別にそれだけが目的じゃ無いけど、目的の一つではあったと思う。それが?」
「あの子らがあんたをどれだけ信頼して慕ってるか、分からんとは言わせんで。あんただけやない、あの子らやって明君の死には相当動揺しとったわ。その上あんたまで死んでしもうたら、あの子らはどうなる?」
「……あの子達にはあなたって家族が居る。でもオレは」
「海藤君はあんたの家族やないの」
言葉を遮られた上に予想外な台詞で、あかねは瞠目したまま固まった。目だけを動かして海藤を見ると、こちらは何故か痛そうに目を伏せている。
「……お兄さんが、家族……?」
「少なくともあんたはそのつもりやったんやろ、海藤君。ちゃうか?」
「……俺は、な」
は、を強調する海藤の伏せられた瞳に、あかねははっと口を押さえた。
「……あかねちゃん、あんたは馬鹿やない。そやからあんたはこれ以上……何もできへんはずや。じゃあ海藤君、あたしは席を外すさかい、しっかり話いよ?」
「……え?」
「え、やないわ。あんたはこの子のお兄さんやろ? あたしかてあかねちゃんは大事やけど、あたしの家族とちゃうからな。もしかしたら意見の相違とかあるかもしれへんし、それはこの局面では致命傷やわ」
母は強し、とはよく言ったもので、海藤はあっさりと言いくるめられて困ったように笑った。
―――しかし、早蕨が去った後の気まずさはどうしようもない。海藤は既に立ち上がっていたが、あかねは視線を自分の手に落としたまま顔を上げられなかった。
「……なぁ嬢ちゃん。俺と嬢ちゃんが初めて会ったときのこと、覚えてないか?」
突然、穏やかな声でそう問われて、あかねは少しだけ―――海藤の胸の辺りまで視線を上げる。
「俺、あの時は本当に落ち込んでてさ……都会の空気に耐えきれなくなってて、ここに逃げてきたんだ。……そしたら嬢ちゃんが公園でうずくまってて、気分でも悪いかと思って声掛けたら小鳥を手に乗せて、布持ってない? って」
「……そうだったかもな」
「俺、元々ガキって苦手でな。正直嬢ちゃんに話しかけんのすごく緊張して、でも嬢ちゃんはなんでもないふうに笑って、お兄さんはすごいよ、って言ってくれてさ……十にもなってねぇガキに、そのとき本気で救われたんだ」
海藤の言葉に嘘は見えない。だから本当にそう思ってくれているのだろう。―――でも。
「それはそのときの“羽狐あかね”で“私”だろ。今のオレとは違う」
「だからほっとけって? 無理だよ、嬢ちゃん。俺はまだ恩を返してない」
意外な台詞にあかねは視線を上げて―――真摯な海藤の瞳とかち合った。
「嬢ちゃんが納得できないなら別に俺を家族だなんて思わなくて良いよ。でも少なくとも俺は、嬢ちゃんが好きだし大切だと思うし、何より恩を返さないとだし。……だから、嬢ちゃんには生きててもらわないと困る」
「……“困る”? お兄さんが?」
理性の大半を失って、制御しきれない感情に誰もが手を焼き終いには匙を投げるのに。
「当たり前だろ? 嬢ちゃんがそうやって苦しんでるときに、俺だけ笑ってたって面白くねぇ。あの坊主にも顔向けできねぇしな」
「……」
黙り込んだあかねをどう思ったのか、海藤は歩み寄ってきてくしゃりとあかねの頭を撫でた。
「坊主がいなくなって嬢ちゃんが苦しいのは分かるけど、俺はそれと同じくらい嬢ちゃんが居なくなんのは嫌だからさ。もう少し生きてみようぜ、嬢ちゃん。……まだ、笑えなくて良いんだから」
視線を海藤と合わせる。さっきまで苦しげに眇められていた眉はやや情けなく下がり、瞳に宿る光は穏やかにあかねを見ている。
それをすぐに受け入れることは難しいけれど。
「……“羽狐あかね”じゃなくていいなら、考えてやるよ」
「上等」
互いにニヤリと笑み、拳をこつりとぶつけ合った。