第8話 “雑務”の返却(公開ざまぁ①)
朝の空気は張りつめていた。
広場の中央に記録鏡、脇に返却秤、そして今日はその手前に新設の証言台。
証言台から鏡へは、昨夜ライカと撚った証言糸が一本、ぴんと張られている。糸は骨を通す音だけを運び、注釈は絡みつきにくい。
掲示板には大きく――
『公開返却:第2回/“雑務”の返却』
対象:魔王城前哨・清掃功(街古掲示第14号)
付け替え先:上官個人功
段取り:理由→事実→証言→計量→手入れ
バルサが境界の監視線を引き直し、灯り職人が拍手灯に油を足して回る。
ライカは工房章のメダルを胸に留め、返却秤の針を微調整した。
フリュネは葉をふるりと震わせ、広場全体の主語を温める風を送る。
エリシアは薄筆を携え、掲示の小さな綴りを整えつつ、必要な見出し灯を配置した。
やがて、線の外に外套の列が現れた。
先頭は――勇者隊長。
続いて剣士ロート、僧侶ミリエ。そして、俺の雑巾袋を笑った、短弓手トラヴィスと魔導師カルド。
隊長は線の前で止まり、俺と鏡、秤、証言糸を順に見てから、静かに言う。
「……晒す。五手順だ。理由を出す」
「聞こう」
俺は公開手順板の「①理由」を指さす。
隊長は古掲示の写しを掲げ、抑えた声で読み上げた。
「古掲示第14号――魔王城前哨における安全確保。功績者:上官***(伏)。内容:砦通路の危険部位を事前に察知し、部隊損耗を抑制。……これが復活した。取り違えの可能性がある。返却の手順を求める」
「理由の公開、完了。次は事実だ」
記録鏡が光り、あの夜の広間が浮かぶ。
石畳。湿った足跡。粗末な灯り。
鏡像の端に、若い俺が床を磨く姿――おどおどした手つきで、だが角→蝶番→継ぎ目と詰まりの骨に沿って拭っていく。
磨き筋の一本が通路の隅を走り、矢印のように扉の下へ潜る。
矢印の先に……発火罠の注釈。『湿気で不発』『明朝点検』という言い訳の脚注が、薄く、しかし深く、棘を伸ばしていた。
『見える。注釈が湿気に寄りかかってる』
フリュネの囁きに合わせ、エリシアが薄筆で主語を太らせる。
『誰が』『どこを』『どう拭いた』。
鏡の中の俺は、蝶番を外からでなく内側から撫で、隙間の煤核を浮かせ、水路を描くように拭き取っている。
浮いた煤核に細い火素が絡み、十分な酸素が通れば暴発していた――注釈の根が、それを**「湿気」に丸投げ**していたのだ。
「事実の提示、完了。次は証言」
俺は証言台に立った。証言糸を指先でつまみ、骨を意識してたわませる。
言葉は、主語→動詞→結果で短く通す。
「俺が、『砦通路の蝶番下の煤核』を浮かせ、『水路を描いて流し』た。結果、火素が溜まれず、暴発条件が消えた。――俺の清掃が安全確保の骨だ」
糸が澄んだピンを鳴らし、鏡の像に矢印が一本重なる。
黒い脚注が、居場所を失ってぱらぱらと剥がれ、ゼリーの封印膜に吸われる。
続いて、剣士ロートが一歩出る。彼は帽子を取り、目を伏せ、糸に指を添える。
「俺が、その夜、雑務と言ってユウの袋を蹴った。俺の言葉が隊の癖に乗って、清掃を功績から外す注釈になった。結果、古掲示は上官単独功になった。――取り違えは俺たちの癖だ」
糸が低く響き、鏡の右下に反省の欄が開く。
僧侶ミリエが続く。白衣に新しい葉印の小さなブローチ。
「私が、あの朝、喉の通りがよくなって驚いた。床が軽かった。清掃で巡礼者の咳が減った。――功績は雑務の中に埋もれていた」
最後に、街役所書記が線の外から手を挙げ、証言台へ進む。
昨日の彼だ。古書式を抱えたまま、今度は糸を正面から握る。
「私が、古掲示の書式を復活させた。承認者名欄が上にあり、『雑務』欄は下に小さく、添え書きに落ちる。書式が骨を曲げた。――街の癖を返す」
糸が三度鳴り、記録鏡の中で見出し灯が一斉に明るくなる。
主語が太い。順番が見える。理由が立つ。
俺はうなずき、返却秤の皿に骨と注釈を置く。
左の皿(骨):
・清掃:蝶番下煤核の除去、水路描画、酸素遮断→暴発条件消滅
・巡礼動線の軽量化→咳減少→士気維持
・当番票なし/見える化なし(当時)
右の皿(注釈):
・承認者名欄の優先表示
・「雑務」の添え書き化
・「湿気で不発」という後付け説明
針は一瞬揺れ、そして左に静かに沈んだ。
「宣言する。“雑務”の功績を清掃へ返却。
古掲示第14号は訂正――『安全確保:清掃(管理者ユウ)/指揮:上官/補助:隊員一同』。
上官の個人功からは清掃分を返す。返却は非難ではない。骨を立てる手入れだ」
拍手灯が大きく二度明滅し、広場の拍手が波になって押し寄せた。
子どもが指を折って数え、老人が目を細め、職人が口笛を鳴らす。
ロートは深く頭を下げ、ミリエは短く祈り、書記は古書式の角を自ら折り、新しい欄を描き足す――『清掃・手入れ』。
……だが、鏡膜の奥に、まだしぶとい影が残った。
短弓手トラヴィスが鼻で笑い、腕を組む。
彼は証言台に近づかず、線の外から小声で放る。
「功績だの返却だの……掃除に魔王は倒せねえ」
注釈の刺が、空気に薄く立つ。
エリシアが薄筆を回し、見出し灯を“反論”の棚に置く。
俺は若葉ブラシを軽く振り、索引糸を“倒す/救う/回復する”の境界に渡した。
「倒すだけが功績じゃない。救うも、回復するも、運ぶも、守るも功績だ。骨を分解する。それが規格だ」
ライカが一歩出る。耳がぴんと立ち、声は低い。
「倒すには打つがいる。打つには火が要る。火は資源水で揺れずに燃える。資源水は清掃が通す。――倒すの骨の下層に、清掃がある」
証言糸が澄んだ音で三和音を作り、鏡の中の矢印が階層に重なる。
トラヴィスの目がわずかに細くなる。
ミリエが彼の袖を引き、短く囁く。「順番を、見て」
彼は一度だけ舌打ちし、やがて帽子を脱いだ。
「……認める。骨の下の骨がある。返却に、異議なし」
鏡膜の奥の黒がようやく溶け、清澄ゼリーがそれを封じ、吐く。
返却秤の針が真ん中で止まり、拍手灯が小さく点いた。
ざまぁは、嘲笑ではない。位置を返す儀礼だ。
「最後に――管理者の手入れ」
俺は管理者の手入れ手順を掲げ、自分の過去の怠慢を公開する。
『俺が当時、当番票も規格も作れなかった』『見える化を怠り、清掃を言い訳に守らなかった』――二行、赤で。
返却秤に自分の注釈を置き、当番欄に「清掃・手入れの可視化推進」を自分の仕事として書き込む。
フリュネの葉がそっと触れ、薄緑の朱を落とした。
『息、そろった』
広場の空気が軽くなる。
拍手のあとに、小さな笑い声、安堵の息、金具の触れ合う工房の音。
返却は、場に呼吸を戻す。
――そのとき、祠の鈴糸が高く鳴った。
エリシアが顔を上げ、薄筆を握り直す。
「閲覧室から通知。『管理者の手入れ手順』の第二層で、黒い脚注が増殖を始めました。**“始源”**の影――」
胸の紐が強く引かれる。
鏡膜の端に、灰黒の波紋。“管理者抹消”の古い言い回しが、新しい書式の皮をかぶって戻ろうとしている。
「……下(B2)へ。広場は当番票で回せる。骨の戦いは言葉の底でやる」
バルサが頷き、ライカが工具袋を背負い、ミリエが見守り腕章を締める。
ロートは「今度は俺が雑務をやる」と言って、掃除当番点の表に自分の名を一番下から書き足す。
隊長は線の外で短く言う。「二手で動く。晒す。手順を守る」
「了解」
俺は若葉ブラシ、索引糸、証言糸の束、薄ワックス、浄滴をまとめ、祠へ向かう。
フリュネの葉が頭上で揺れ、主語を温める風が、地下へと道を示す。
返却の朝は終わり、次は本文の午後――言葉の底の詰まりを抜きに行く。
階段を降りる踊り場で、遠くの井戸が光る音がひときわ大きく響いた。
本日の清掃ログ
場所:広場/祠入口
返却:古掲示第14号の功績を『清掃(管理者ユウ)』へ訂正・返却/街書式に『清掃・手入れ欄』を新設
詰まり除去:
・「指揮=すべての功」の注釈→索引糸+見出し灯で分解
・「湿気で不発」の後付け→記録鏡で条件可視化
・「掃除は倒せない」偏見→階層矢印で骨の下層を提示
改善値:掲示整合率+93%/場の納得度↑(拍手灯発火回数:大2・小1)/“雑務”蔑視発話率-68%
警戒:B2『管理者の手入れ手順』第二層に黒脚注増殖(始源影)
新規クラフト
証言台×証言糸:主語→動詞→結果の骨を通す糸電話。注釈の絡み低減。
記録鏡拡張(階層矢印):倒す/救う/回復/運ぶ/守る――功績の層を可視化。
清掃・手入れ欄(書式改稿):街掲示の規格。雑務の骨を独立可視化。
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次回「管理者の手入れ手順・第二層」――“抹消”の言い回しを本文に戻す。言葉そのものとの戦いへ。