第7話 公開返却の朝(リターン・セレモニー)
朝の脈は穏やかだった。
フライホイールは定速で回り、甕の水面に細い螺旋が立つ。広場には昨夜立てた掲示――**『オープン・ハンドブック/第1版』**が朝露を受けて光り、返却の章の見出しが、人々の目を引いていた。
バルサが祠前を掃き清め、ライカが工房の扉を押し開ける。エリシアはB2から上がってきて、薄筆で掲示の小さな誤字を直していく。
俺は当番票の横に、今日の一番上の行を書いた。
『公開返却:第1回/功績の取り違え是正』
対象は二件。
一つ目は――東水路の直送任務の功績表示。昨夜、街の掲示に勇者隊長の単独功と記され、第七分隊・広場当番の名が抜けた。
二つ目は――呪詛フィルターの発案。街役所の張り紙が『役所鍛冶部による新機構』と書き替え、工房章の箒×葉×輪が消された。
いずれも“よくあること”だ。
ただ今日は、返す手順がある。
「ユウ、準備」
ライカが肩で鈴糸を鳴らし、布袋から金色の枠を取り出した。枠には小さな葉印、角には昨夜俺たちで打った爪金。
枠の内側に、浄核粉を薄く練り込んだ鏡膜が張られている。
「記録鏡。広場の仕事、見える」
「助かる。返却秤も頼む」
「ある」
広場の中央に、二つの道具を据える。
一つは記録鏡――当番票・順番石・葉印焼印・鈴糸の振動・索引糸の張力……それら場の記録を束ね、映す鏡。
もう一つは返却秤――片皿に功績の骨、片皿に注釈を置く。骨が立てば功績は持ち主へ落ち着き、注釈が重ければ返却が生じる。
エリシアが鏡の縁を指でなぞり、小さく読み上げる。
「公開返却の段取り――
①理由の公開(何を返すか)
②事実の提示(記録鏡)
③注釈の剥離(若葉ブラシ+索引糸)
④計量と宣言(返却秤)
⑤手入れ(管理者の手入れ手順)」
フリュネは葉をふるりと震わせ、主語を温める声で広場全体に風を送った。
集まる人、人、人。子どもが最前列で背伸びをし、灯り職人が柱に臨時の拍手灯を括り付ける。拍手が起きるべき時に、ふわりと明滅して合図する小灯だ。
「始める」
俺は記録鏡の前に立ち、声を上げた。
「第一件――東水路・小児院直送。昨夜の街掲示では、勇者隊長単独功と記された。返却の理由は何か? 取り違えだ。隊長の仕事は指揮であり、運び手は第七分隊、監査は見守り係、段取りは当番票だ。骨を立て直す」
記録鏡がゆっくりと光り、昨夕の広場の様子が浮かんだ。
公開手順の板、順番石、葉印、見守り腕章。ミリエの封蝋、ロートの見守り、バルサの呼び上げ。
鏡像の端に、小さな黒い脚注が現れる――『指揮=すべての功』『上官の名で統一』『書式簡素化』。
注釈の根は、街の掲示板の古い様式に深く刺さっていた。
「注釈の剥離」
俺は索引糸を鏡像の中の『指揮』『運搬』『監査』『段取り』の境界に渡し、若葉ブラシで根を払う。
刺が浮き、鏡像の文字は骨太になる。
エリシアが薄筆で見出し灯を置き、主語を太らせた――『だれが』。
フリュネの風が、過剰な敬語の粉を吹き払い、言い方を素に戻す。
「計量」
ライカが返却秤に札を置く。
左の皿――『第七分隊』『見守り係』『当番票』『順番石』『葉印』『直送完遂』。
右の皿――『上官の名で統一』『書式簡素化』。
秤は一度わずかに揺れ、左に静かに沈んだ。
「宣言する。功績は現場へ返却。街掲示は追記――『指揮:隊長』『運搬:第七分隊』『監査:見守り係』『段取り:広場当番』。点の配分は返却とする」
拍手灯がふわりと明滅し、広場に拍手が波のように広がった。
ロートが一歩前に出て、黙って敬礼し、列の端に戻る。外套の男――昨夜の短髪は、帽子を取って頭を下げた。
「……ありがとう。見えるのは、いい」
鏡の片隅に、隊長の影があった。線の外、腕を組み、無言で鏡像と秤を見つめている。
目が合った。彼は何も言わない。言わない代わりに、視線だけで次を促した。
「第二件――呪詛フィルターの発案。街役所の掲示では『役所鍛冶部による新機構』とある。返却の理由は、発案の骨の取り違えだ。鍛冶は役所の職能。だが発案と試作、規格と運用はここだ。箒×葉×輪の工房章を――返す」
記録鏡は、祠工房での朝を映した。
清澄ゼリーの膜、若葉繊維の枠、ライカの蝶番・爪金、俺の薄ワックス、フリュネの風。
鏡像の外縁に、街役所の掲示板から伸びる太い黒脚注――『公権の傘の下に』『名義は統一』『場末の工房は後付け』。
胸の紐がぴんと張る。
俺は索引糸を二重に渡し、『だれが/いつ/どこで』を太字にした。
ライカは鏡膜の端を工具で軽く叩き、寸法を合わせる。
エリシアが薄筆で『試作記録』『規格票』の角に番号を書き入れ、参照を通す。
黒脚注の根が浮く。
広場の空気が、彼女の槌に合わせて息をした。
「計量」
返却秤の左へ――『発案:祠工房』『試作:ライカ』『規格:広場当番』『運用:受け取り所』。
右へ――『名義統一』『傘の下に』。
秤は左へ落ち、止まる。
「宣言する。発案の功績は祠工房へ返す。街掲示は追記――『発案:祠工房(箒×葉×輪)』『製作協力:役所鍛冶部』。
名義は骨に従う。名の骨が立つほど、場の骨も立つ」
拍手灯がまた明滅し、広場に二度目の拍手が起きる。
ライカは耳を赤くし、しっぽを小さく振った。
清澄ゼリーがぷるぷる喜び、膜が朝日にきらめく。
「……反論、ある人」
俺はあえて問うた。公開は、反論の場だ。
広場の後方に、刺繍の多い衣を着た街役所の書記がいた。彼は躊躇して一歩出ると、掲示板の古い書式を持ち出した。
「例例例に照らせば、『発案』は公の場で承認されてはじめて発案と見なす――」
「例の主語は?」
エリシアが薄筆をくるりと回した。
書記は口を閉じ、古い書式の角を指で探る。
フリュネが主語を温める。
「『だれが発案か』は、承認の前に存在する。承認は可視化し、参照に入れる――本文はそこではない」
記録鏡に、『管理者の手入れ手順』の行が薄緑で浮いた。
俺は掲示に小さく赤で暫定朱を入れる。「(暫)協議:街役所/広場」。
書記はしばらく沈黙し、やがて首を垂れた。
「……骨を、見失っていました。返却を認めます」
拍手灯は点かなかった。代わりに、広場の空気がほっと緩んだ。
返却は勝ち負けではない。手入れだ。
俺は記録鏡を一度、静かに伏せ、返却秤の上に小さな葉片を置いた。
「管理者の手入れ。ここで俺の手順も公開する。
『俺が循環を乱したとき、まず自らを手入れする。次に、当番票に従い、公開で理由と手順を示し、見守りを受けて修正する』――昨夜、閲覧室で本文を見つけた。
以後、俺の判断が注釈に寄ったら、この板で俺を返却させてくれ」
沈黙。
次いで、ぽつり、ぽつりと手が鳴り、拍手灯が柔らかく明滅する。
ライカの横で、ミリエが小声で祈り、ロートが腕を組んだまま、薄く笑った。
――そのとき、線の外からゆっくり歩いてきた影がある。
勇者隊長だ。
彼は監視線の前で足を止め、記録鏡と返却秤を順に見てから、短く言った。
「返す手順は、覚えた」
隊長は懐から街掲示の訂正板を出すと、俺に差し出した。
訂正は過不足なく、主語が太い。
彼は線を跨がない。外で、当番票に署名をし、見守り欄に自分の名を一つ加えた。
「次も直送がいる。晒す。五手順に従う」
「――了解」
短い会話ののち、隊長は踵を返した。
広場のざわめきは熱を帯び、返却で増えた点が当番票に黒々と記入されていく。
バルサが肩を叩く。「見えるって、いいな」
「見えることは、混ざらないことだ」
俺は頷き、記録鏡を工房へ運び入れようとした――その瞬間、鏡膜の奥でざらりと音がした。
薄い影、紙やすりのような摩擦。
鏡像の最奥で、黒い脚注霊がひとつ、笑った。
『まだ、返ってない』
声は細く、遠い。
エリシアが眉を寄せ、薄筆で鏡面の角に**小さな×**をつける。
「元パーティの功績――“魔王城前哨での功”の掲示。あなたが追放された夜、清掃の功は『雑務』に括られ、誰かの個人功に付け替えられている。街の古掲示が、昨日、復活した」
胸の紐が、強く引かれた。
鏡面の隅に、見慣れた広間。石畳。最後に床を磨いとけという笑い声――。
鏡の上に、返却の章の見出しがひとりでに浮かぶ。
「予告にしたざまぁを――本文でやる時だ」
俺は掲示板の**『公開ざまぁ/返却の章』**を指で弾き、当番票の最上段に書き増した。
**『公開返却:第2回(予告)/“雑務”の返却』
日:明日/場:広場
対象:魔王城前哨・清掃功/付け替え先:街掲示第14号
段取り:記録鏡・索引糸・返却秤・証言糸(新規)』
ライカが工具袋を締め、耳を立てる。「証言糸、打てる」
「頼む。骨を迷わせないための糸電話だ」
広場にもう一度、拍手灯が明滅する。
人々は“ざまぁ”の意味を知り始めていた。
それは嘲る言葉じゃない。返すための儀礼だ。
夕方。
工房で証言糸の試作を始める。浄滴に薄い音素粉を混ぜ、若葉繊維で細く撚る。片端を記録鏡へ、もう片端を証言台へ。
糸を弾くと、言葉は骨を通って、注釈に絡まれにくくなる。
「明日は、“雑務”が骨に戻る」
フリュネの葉が、静かに頷くように揺れた。
遠くで、井戸が光る音。
当番票は黒く埋まり、返却の矢印が、村から街へ、街からまたここへと循環する。
本日の清掃ログ
場所:広場/祠工房
返却:
・東水路直送=指揮:隊長/運搬:第七分隊/監査:見守り係/段取り:広場当番 に訂正・返却
・呪詛フィルター=発案:祠工房(箒×葉×輪)/製作協力:役所鍛冶部 に訂正・返却
改善値:掲示誤記率-82%/対外トラブル再発率-55%/“見える化”満足度↑(感想口頭報告多数)
検知:古掲示第14号の付け替え復活(要返却)
新規クラフト
記録鏡:当番票・順番石・葉印・鈴糸・索引糸の“場ログ”を統合可視化。注釈付着を検出。
返却秤:功績の骨と注釈を計量。沈んだ側へ功績を返す。
拍手灯:正しい返却時に柔らかく点滅し、場の同調・安心度を上げる。
証言糸(試作):発話を骨に沿って伝え、注釈の絡みを抑える糸電話。明日運用予定。
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次回「“雑務”の返却(公開ざまぁ①)」――あの日の床磨きで救われたものを、皆の前で持ち主に返す。元パーティと真正面で向き合います。