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第4話 鍛冶師ライカ、聖具を打つ

 朝の冷気が、炉の口で波打つ。

 祠の前に据えた携帯炉は、一晩で“工房”の体裁を帯び始めていた。石を積んだ作業台、線で描かれた工具棚、そして葉印を刻んだ素材箱。

 ライカは耳をぴんと立て、炭床に資源水Sを霧のように吹きかける。ぱきん、と火の色が変わった。深い青が芯に走る。


「熱、ならす。粉類、三。滴類、ひと。浄核じょうかく、ごく少量」


「浄核を使うのか?」


「磨耗、逆に巻き戻すには、流れの記憶が要る。核は形の履歴を覚えてる」


 彼女は杓で粉をすくい、滴を落とし、浄核を爪先ほど砕いて混ぜた。

 香りが変わる。鉄の匂いに、樹皮の甘さが溶け、遠い雨の気配が混じる。

 鍛造台に置かれたのは、前の時代の古い機構から外してきた歯車。欠け、磨り減り、芯がわずかに楕円になっている。


「これを蘇らせる?」


「蘇らせる、というより――元の寸法に戻す」


 ライカは混合物を薄布に含ませ、歯車の歯一本ずつにすっと塗る。

 うっすらと光る膜が張り、歯の欠けに沿って、霧が逆流するみたいに金属組織が寄り戻る。

 耳を澄ますと、微かな逆音が聞こえた。磨り減った年月が、一本の糸になって巻き取られていく音。


「……磨耗逆転ワックス」


「名前、つけるのはユウの役目」


 彼女は照れ隠しみたいに小さく笑い、槌でそっと芯を打つ。

 芯の楕円は丸に戻り、歯車はわずかに自ら回って噛み合いを確かめた。

 俺は息を呑み、祠の奥――石床に眠っていた**古代のフライホイール**を指した。


「これを戻せれば、祠の循環機構がひとつ生きる。風と水、両方の脈が安定する」


「やる」


 ライカと俺、そして清澄ゼリーが三人(?)一組で動く。

 俺は若葉ブラシで輪の座面の注釈汚れを剥がし、清澄ゼリーが座面の“微細な欠け”を満たす。ライカはワックスを薄く塗り、寸法が合うたびに軽く槌で合図する。

 輪が軸に戻り、静かに息をついた。

 次の瞬間――祠の内部を、低い鼓動が満たした。

 地下のどこかで、風が一段深く息をし、甕の水面に規則が生まれる。

 フリュネの葉が、気持ちよさそうに震えた。


『脈、そろった。祠の息、ながくなる』


「循環の効率が上がっている。資源水の抽出力も上がるはずだ」


 ちょうどそのとき、広場から小走りにやってきたのは薬師の二人だ。昨日から資源水Sと薬草の浸剤を試している彼らは、目を輝かせて報告した。


「Sで抽出した白樺皮の浸剤、咳に効きました。Aでも効くが、Sは……倍早い」

「灯りの燃えも、昨日より滑らかだ。芯の焼け方が違う。何かやりましたね?」


「機構を一つ、戻した」


 俺は簡単に答え、規格表の隅に一行加えた。“Sの抽出効率+”。

 書き足した瞬間、当番票の列がわずかに動く。人は見える差に従う。


 午前の仕事がひと段落すると、ライカは炉の火を落とし、額の汗を手の甲で拭った。

 指は黒く、爪には粉類の金色が残る。

 彼女はふと真顔になり、小声で言った。


「ユウ。外、ざわざわ。勇者隊、増えた」


 視線を向けると、広場の外縁、監視線のさらに外に、昨日より多い外套姿が点々と立っていた。

 ロートとミリエの影も見える。彼らは列の最後尾で静かに待ち、規格に従い、樽に葉印を受けている。

 だが、外縁の数人――見知らぬ顔――は、場を測るような目で列と線を眺め、ささやき合っていた。


「注釈が付く前に、剥がす」


 俺は若葉ブラシを握り直し、受け取り所に立つ。

 バルサが声を張る。「葉印のない樽は不可! 混ぜは不可! 規格はここ!」

 線看板の前に、昨夜描いた流れ図を増補する。材料の入口、濾過、規格、保管、出荷――五つの矢印。

 見せる。理由を省かない。省く癖が詰まりを生む。


 しばらくして、外套の一人が線の外から声を上げた。


「管理者殿。魔王軍の汚泥が街路に広がり、浄水が一斉に詰まった。あなた方の資源水を大量に所望する。直送してもらえないか」


 短い沈黙。

 大量直送――規格を通さぬ流れは、詰まりを再生させる。

 俺は首を横に振る。


「直送は不可。規格を通す。隊として使うなら、当番票で割り当てを見えるようにする。君らの中でも線を引け」


 外套の男の眉がわずかに動いた。ロートはその背に一歩出て、低く囁いた。


「こいつ(管理者)のやり方に従え。……俺たちは一度、詰まらせた」


 空気が少し軽くなった。

 フリュネの葉が、むにゃりと揺れる。眠気半分、安心半分。


『ユウ。下の図、黒い脚注がちょっとへった』


「上(外)で順番を守ると、下の詰まりも薄くなる。癖は上下で繋がる」


 午後――。

 ライカは磨耗逆転ワックスを小瓶に分注し、葉印と使用上の流れ(塗る→待つ→拭う→馴染ませる)を絵で描いた札を添える。

薬師は資源水Sで“喉の通り薬”の浸剤を仕込み、子どもと老人の列に配る。

 清澄ゼリーは膜洗浄の合間に、広場の角に薄膜を張って、砂受けの微細な漏れを受け止める。


「ユウ」


 ライカが袖を引いた。彼女の指先は、さっきより少しだけ震えている。

 目線の先――工房の片隅、古い箒の柄。昨日までガタついていた継ぎ目が、ワックスで戻り、新しい金具が噛み合っている。


「箒。……国章の片割れ」


「戻ったか」


「戻った。あたし、打った。国章、ほんとに作っていい?」


 俺は笑う。

 線で描いた箒×葉の紋に、今日、**フライホイール**の円をもうひとつ足す。

 箒×葉×輪。

 清澄ゼリーがぷるりと震え、輪の内側を透明に満たした。


「いい。これは工房の紋だ。国になるかは――流れ次第」


「流れ、作る」


 ライカは照れくさそうに頷き、炉に火を足した。

 そのとき、広場の隅で笑い声が弾ける。

 ミリエが子どもに当番票の読み方を教え、ロートが樽運びの列に加わっている。

 “ざまぁ”を言うのは簡単だ。けれど、流れが回り始めたときの静かな熱は、もっと強い。


 夕暮れ。

 祠の輪は定速で回り、甕の水面に細い螺旋が生まれている。

 外套の影は減り、代わりに遠くの村から灯り職人が来た。資源水Sに粉類を足して、揺れに強い灯芯を作れないかと相談していく。

 俺は当番票の余白に小さく書いた。“明日:灯り試作/下層B2の黒脚注はがし”。


 片付けの最後、ライカが打った小さなメダルを渡してきた。箒×葉×輪の紋。裏には、薄い線で当番票。

 彼女は目を逸らして言う。


「工房章。ユウの肩に」


「ありがとう。……でも、これは皆の章だ」


 メダルを掲げると、フリュネの葉がそっと触れ、薄く光の粉を落とした。

 遠く、また井戸が光る音がする。

 明日は下層。黒い脚注を剥がし、情報の汚れに正面から手を入れる。


「ライカ、今日はよくやった。息の合う相棒だ」


「ん。好き」


 短い返事に、炉の火がほのかに増した。


本日の清掃ログ


場所:祠工房/循環機構座面/広場受け取り所


詰まり除去:輪座面の注釈汚れ/流通ラインの“省く癖”可視化(五矢印)/外縁の直送要求(線で阻止)


獲得:資源水S抽出効率+17%/灯り燃焼安定+21%/勇者隊対外トラブル率-40%


機構:古代フライホイール復帰→祠の脈安定


新規クラフト


磨耗逆転ワックス:資源水S+粉類+浄核微量。金属・木の“元寸法”を一時的に回復。塗布→待機→拭き上げ→馴染ませの四工程。


工房章(箒×葉×輪):工房識別と流通印。注釈付着時は若葉ブラシ+薄ワックスで即時剥離。


五矢印流れ図:入口→濾過→規格→保管→出荷の可視化ボード。省略癖の抑制に効く。


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次回「図書館の黒い脚注」――“情報の汚れ”にブラシを入れる。言葉が詰まりを生むなら、言葉で直す。

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