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第3話 呪詛フィルター

 夜明けは、薄い冷たさで指先を洗う。

 祠の戸を開けると、森の匂いがひと息に流れ込んできた。昨日の素材雨は止み、地面には透明球(滴類)と葉類の名残がまだ幾つか転がっている。

 受け取り所にするつもりの広場から、人の声が小さく上がった。もう並んでいるらしい。早い。


『ユウ。きょう、濾す?』


「ああ。まず、濾す。呪詛フィルターを作って、汚れだけを抜く」


 甕の水を一杯、喉に通す。浄滴をわずかに足した昨日の水は、まだ甘みの気配を持っていた。

 清澄ゼリー(元瘴気スライム)を呼ぶと、ぷるりと形を変えて足元に寄ってくる。表面は薄い膜に変化し、朝の光を柔らかく散らした。


「君の力を借りる。膜を薄く、均一に伸ばせるか?」


 ゼリーは小さく震え、みるみる平らなシートになる。端がたわまない。昨日よりもはっきり、“道具としての形”を保っている。

 俺は祠の床に線で簡易のフレームを描いた。四角い線の四辺に、葉類からクラフトした若葉繊維を撚って綱を張る。

 フレームにゼリー膜をそっとのせると、薄い音を立ててぴたりと密着した。


『のった。こわれない?』


「試す」


 外から持ち込んでおいた呪詛泥を少量、膜の中央に垂らす。村の古井戸の縁から剥ぎ取った黒いヌル。それは粘って、張り付いて、音もなく広が――

 止まった。

 黒いものは膜の表面で動かない。汗のように丸まり、中央で粒になる。一方、泥に混ざっていた透明な水分だけが、膜をすり抜けて下の皿へ。

 皿の水は濁らず、むしろ薄く光る。


「……いける。汚れだけを足止めして、価値は通す」


 膜の中央に集まった黒い粒は、毛細管のように細い注釈の刺を無数に立てていた。読むでもなく読める。『混ぜろ』『急げ』『分けるな』。

 俺は若葉ブラシで刺を払った。刺は音もなく折れ、黒はただの素材へと戻る。

 薄い安堵が胸に広がる。溜め息をついた、その時――


「鍛冶師、来たぞーー!」


 外の通りで誰かが叫んだ。

 祠を出ると、朝靄の向こうから、山猫のようにしなやかな影が近づいてくる。背丈は俺より少し低い。革のエプロン、肩にハンマー、腰に長いしっぽ。獣人の娘だ。

 目は琥珀。耳はぴんと立ち、口元にかすかな犬歯。

 彼女は祠前で立ち止まり、にっと笑って顎を上げた。


「募集札、見た。ライカ。鍛冶。細工、得意」


「ユウ。掃除係……いや、管理者だ。来てくれて助かる」


「見る」


 挨拶より先に、彼女は俺の手からフレームを奪うように受け取り、目を細めた。若葉繊維の撚り、角の負荷、線で描いた枠の強度――触れた指が一度ずつ弾くたび、かすかな音が出る。

 ライカは顎を引き、短く言った。


「継ぎ手が要る。金具。角と角でねじれを逃がす。膜、張り替え楽にするために爪も」


「できるか?」


「できる。素材ある?」


 受け取り所に山と積まれた滴類・葉類・粉類。バルサが腕組みをして待っている。朝なのに既に広場は列だ。

 俺は滴類を三つ、粉類をひとつ、葉類を数枚、ライカに渡した。

 彼女は祠の前に携帯炉を据え、粉類を碗に落として、滴類を数滴垂らす。

 粉が泡立ち、金属の匂いが甘く変わった。

 ライカは耳を揺らし、鼻先で香りを嗅ぐと、にやりと笑った。


「いい素材。熱の乗り、均一。ほら」


 あっという間に、小さな蝶番が生まれた。葉類を挟み込んで作った細い爪金と組み合わせ、線のフレームに固定する。

 膜を張ると、ピンと澄んだ音がし、張力がフレーム全体に均等に行き渡った。


『つよい。割れにくい』


 フリュネの声が少し弾む。

 俺は頷き、受け取り所の前に簡易の濾過台を並べた。

 バルサら村人が運んできた古井戸の汚泥を、ひしゃくで掬ってフィルターに乗せる。泥の中の黒が、膜の上に集まっていく。台の下の桶には、濁りのない資源水が溜まる。

 並んだ人々の顔に、昼間のような明るさが灯った。


「これ、売れるか?」


 バルサが、資源水をひと匙舐めて目を丸くする。

 俺は頷いた。資源水は、水路の手入れ、灯り、薬草の抽出、鍛冶の焼き入れ――使い道が多い。

 同時に、膜の上に残る黒い粒――呪詛滓は、逆に価値の高い封印材になる。適切に固めてしまえば、再汚染を防ぐ蓋になるのだ。


「規格を増やす。資源水A(濾し一回)、資源水S(三回濾し)、呪詛滓(封印済)。値段と点を付ける」


「点、ってのは、掃除当番点か?」


「そう。持ち込み(素材)でも、作業でも、点が貯まる。点は水・灯り・手入れに交換できる。不公平が出ないよう、当番票を見える場所に貼る」


 俺は板――いや、板の代わりの線看板を広場の石壁に描いた。

 そこへ、当番票、規格一覧、交換表。簡単な図。文字が読めない者も形でわかるように。

 人の流れは、線を引くと流れる。

 並ぶ列が、互いに邪魔をしないように、足元にも薄い線を敷いた。

 祠の入口――詰まりが起きやすい角には、小さな砂受けを置いて泥の流入を抑える。


 仕事は午前のうちに回り始めた。

 ライカは濾過台を二つ、三つと増やし、蝶番と爪金を量産する。粉類と葉類で即席の耐水紙を作り、資源水の規格札を刷ってくれた。

 バルサは声の大きい若者を呼び上げ役にし、秤の監視は年配の夫婦に任せた。

 清澄ゼリーは、濾過膜の洗浄に回すと喜んでぷるぷるした。汚れを食べて、透きとおる。


 昼過ぎ。

 行商の男が、昨日の笑顔を連れて戻ってきた。荷車には空の樽がいくつも積まれている。

 彼は掲示された規格表を目で追い、感心したように口笛を鳴らす。


「こりゃあ見事だ。AとSね。印もある。……で、いかほど?」


「Aは点五、Sは点二。呪詛滓は点一。金貨換算はまだ試行。今日は点↔資源の範囲で回す」


「なるほど。じゃあ見本にSを小樽で三、Aを大樽で二。印はここに」


 彼は規格札に押された葉印を指した。

 ライカが素早く樽の栓金を打ち、葉印の焼印を押す。印の周囲に注釈の刺が浮かびかけたが、俺は若葉ブラシで即座に払ってワックスを薄く塗った。刺は残らない。


『はがすの、うまい。注釈は、つきやすい。ついたら、すぐはがす』


「当番票に“注釈はがし係”を追加する」


 広場の活気の中で、俺はふと、冷たい視線を感じた。

 森の陰に、男が一人。革鎧に勇者隊の外套。フードの下の目は鋭い。声は出さない。ただ、受け取り所の流れをじっと見ている。

 胸の紐が少しだけ震えた。

 彼が何者でも、今は流れを乱させないことが先だ。


「バルサ、監視線を描く。ここからここまで、許可札がない者は入れない。揉め事は注釈汚れになる」


「わかった。若いのを二人つけよう」


 線で示すと、人は止まる。男は線の外で立ち、やがて森の奥に消えた。

 胸の紐の震えが弱まる。

 深呼吸。磨くべき場所を優先する。雑音に引かれて、詰まりを見失わない。


 午後――。

 祠に戻り、ゼリー膜を丁寧に洗浄して張り替える。

 ライカが隣にしゃがみ込み、無言で工具を差し出す。作業の呼吸は合った。

 ふと、彼女が横目でこちらを見る。


「ユウ。鍛冶炉、置いていい?」


「もちろん。ここは工房になる。掃除の工房。道具は世界の道具だ」


「……変なヒト。でも、好き」


 耳がぴくりと揺れ、彼女は照れ隠しのように槌の柄で地面を突いた。

 俺は笑い、膜の端を張って指で弾く。澄んだ音。

 祠の薄闇に、フリュネの葉影が揺れ、嬉しげな気配が満ちた。


『ユウ、図。下層の詰まり、見えた』


 芽の裏――女神の小さな影が、石床に薄い地図を投影した。迷路のような通路、その角々に黒いしみが点る。

 俺は若葉ブラシで点をこすり、注釈の刺をはがしていく。刺が取れると、点の形が変わる。

 ただの汚れではない。記録の堆積――『誰かが急いだ』『誰かが省いた』『誰かが諦めた』。

 それらが詰まりになり、流れを止めた。


「……人の癖が、詰まりになる」


『うん。だから、当番がいる。みんなで、少しずつ』


「少しずつ、だ」


 地図の上の黒い点が三つ、消えた。

 夕方までに、資源水Sが十樽、Aが二十樽、呪詛滓が十塊。掃除当番点は、配水・灯り・手入れと交換され、広場の夜は昨日より明るい。

 行商は見本を積んで去り、代わりに薬師が二人やってきた。資源水の抽出力を見て、薬草の浸剤の相談を始める。

 流れは太く、でも澱まない。


 西の空が赤くなるころ、祠の前に、昼の革鎧とは別の影が現れた。

 勇者パーティの外套。だが、さっきの偵察ではない。

 フードの下から覗いたのは、見覚えのある顔――剣士ロートだった。追放される前、何度も俺の雑巾袋を蹴り飛ばした男だ。

 彼は線の外に立ち、しばらく迷ってから、ゆっくりと頭を下げた。


「……ユウ。水を、売ってくれ」


 広場のざわめきが、すっと薄くなる。

 ロートの腕には包帯。肩は少し落ち、目の下に疲れ。

 その背後に、もう一つの影――僧侶ミリエ。彼女の白衣は血で汚れている。


「魔王軍の罠にかかった。教会の浄水は、もう濁りが抜けない。……助けてくれ」


 胸の紐が強く引かれた。

 俺は息を一つ吐き、規格表を指さした。


「規格に従う。点がないなら、仕事で払っていけ。当番票は見える場所にある。順番を守れ。混ぜるな。注釈がついたら、はがす責任は君らにある」


 ロートはうなずき、目を伏せた。

 ミリエが、震える手で祠の甕の前に膝をつき、たぶん初めて見る当番票を真剣に読み――小さく、微笑んだ。


「……当番票、いいですね。人の癖が薄くなる」


 祠の中の空気が、すこし柔らかくなった。

 バルサがロートの肩を叩き、列の最後尾を指す。ライカが、彼らの樽に葉印を押した。

 俺は膜の張り具合をもう一度確かめ、若葉ブラシをポーチに戻した。


 ――ざまぁは、今じゃない。

 流れを作る。詰まりを抜く。順番を守らせる。

 それが、今日の仕事だ。


 夜。

 広場の石に灯りがともり、子どもの笑いが遅くまで続いた。

 祠に戻り、ライカと二人で最後の片付けをする。膜を外し、爪金を拭き、蝶番に薄い油を差す。

 フリュネの葉が、俺たちの頭上でゆっくり揺れた。眠そうな声。


『きょう、世界、息した。ユウ、ありがと。ライカも』


「ん」


 ライカは短く頷くと、携帯炉の火を落として伸びをした。しっぽがふわりと揺れる。

 彼女は少し考え、ぽつりと言った。


「ねえ、ユウ。国章、いる」


「国……まだ村だぞ」


「でも、そのうち国になる。箒と葉。それ、かっこいい」


 笑うしかない。だが、悪くない。

 俺は線で小さく、箒×葉の紋を描いた。ライカがそれを見て、目を細める。


「いい」


 祠の奥で、微かな風。

 遠いどこかの井戸が、また光る音を立てた。


本日の清掃ログ


場所:受け取り所/祠工房/一層地図修正


詰まり除去:古井戸の呪詛泥(濾過)/入口砂詰まり(砂受け設置)/監視線導入で人流詰まり軽減


獲得:資源水S×10樽/資源水A×20樽/呪詛滓×10塊(封印済)


改善値:村内再循環効率+31%/夜間灯り持続時間+42%/揉め事発生率-60%(線効果)


新規クラフト


呪詛フィルター:清澄ゼリー膜+若葉繊維枠+蝶番・爪金。汚れのみ捕捉、価値を通す。


線看板:規格・当番を可視化。非識字者にも形で伝わる。


砂受け:入口の再汚染防止。角に設置して泥の流入を止める。


葉印焼印:流通管理の基準印。注釈はがし+ワックス必須。


面白かったらブクマ・★・感想で応援ください!

次回「鍛冶師ライカ、聖具を打つ」――“磨耗逆転ワックス”で、古い機構が蘇る。元仲間との距離も、静かに動き出します。

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