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第2話 空から素材が降る日

 石段を三つ降りたところで、雨の音が強くなった。

 けれど濡れない。肩や髪に触れるのは、冷水ではなく、指先で溶ける薄い欠片だ。掌で受け止めると、欠片はそれぞれ形を変える。透明な繊維は糸に、緑の薄片は葉の鱗に、金の粉は微細な歯車に――どれも、世界樹がどこかで使っていた部品らしい。


『もともとは、森や川や人の暮らしの、こまごましたところに入ってた。詰まって出られなくて、泣いてたの』


「泣き止ませるのが、掃除の仕事だ」


 俺は拾った素材を布袋にまとめ、踊り場の隅に仕分け箱を描いた。

 箱はただの線だが、線の中に入れたものは混ざらない。掃除用の簡易区画整理――拠点でいつもやっていた小技だ。


 階下の空気は、さっきより軽くなっている。清澄ゼリー(元瘴気スライム)は、俺の後ろをてとてとと追い、磨いた筋をなぞるように通路の壁に身体を擦り付けた。彼(彼女?)の通った跡はぴかりと筋を引き、その筋に沿って、さらに目に見えない埃が剥がれていく。


『ユウ。外、動いてる』


 フリュネの声が少し跳ねた。

 祠の戸口から、ひとの気配がした。怒鳴り声ではない。驚き混じりのざわめき。

 俺は雑巾を絞って腰に挟み、石段を駆け上がった。


 夕闇の森に、音が生まれている。

 ぽつ、ぽつ。ぱらら。

 木々の合間を落ちる素材の雨は、葉を打っては裂け、地面に落ちて実になった。透明な果実のような球、金属の種のような粒。森の下草の間で、子どもが隠れん坊でもしているみたいにコロコロと転がる。

 祠の前の坂道の下から、粗末な車輪の軋む音がした。


「おい、見ろ! また降ってきたぞ!」

「祠さまが目ェ覚めたってのは本当だったんだ……!」


 数人の村人が、藁帽子を片手で押さえながら坂を登ってくる。背中に籠、腰に縄網。目は輝き、顔は半分こわばっていた。

 先頭の男が俺を見ると、ぺこりと頭を下げた。四十前後、顎に短い髭。袖口は仕事の汚れで黒ずみ、指は太く節くれている。


「祠の掃除人かい? 素材雨を、集めてもいいか」


「足を滑らせるな。角と段は磨いたが、苔はまだ残る。拾ったら――祠の中で仕分けしてくれ。混ぜると価値が落ちる」


「仕分け?」


 俺は踊り場の仕分け箱を見せた。線だけの箱が、村人の目には不思議に映るらしい。恐る恐る透明球をひとつ入れると、球は箱の中で静かに光り、隣の線の箱へは決して転がらない。


「こりゃ……すげえな。手当てが行き届いてる」


 男は感心したように息を漏らした。

 彼は名をバルサと名乗った。下の村の臨時まとめ役で、三日前から森に妙な霧が出て家畜が咳をするようになり、今日、空からこれが降って村じゅうが騒ぎ出したのだという。


 素材を拾い集めるあいだに、子どもらが祠の前で列をなす。泣いている子の鼻が通り、老婆の咳が止まった。降り落ちる葉の鱗が掌に触れた瞬間、それぞれの身体のどこかの詰まりが、ほんの少し解けるのだろう。

 俺は甕の水を外へ出し、列に並んだ者に一杯ずつ配った。浄滴を薄めた水は甘くはないが、飲んだ途端に肩の力が抜けると皆が言った。


「祠さま、ありがてえ……いや、管理者さまだ」


 誰かがそう言って、俺はむず痒くなった。

 俺は管理者か? 掃除をしているだけだ。けれど、フリュネが嬉しそうに葉を震わせるのを見ると、否定するのも違う気がした。


『ユウ。対価、決める?』


 女神の声は現実的だ。世界を回すには、回す仕組みがいる。

 俺はバルサに向き直った。


「村の広場を借りたい。明日から、ここで流れ出る素材の受け取り所を作る。持ち込んだものは、重さと種類で点にする。点は水と灯り、それから簡単な手入れと交換できるようにする」


「点?」


「掃除当番点だ。当番票も作る。期限を切って割り振る。人は当番が見えると動く。動けば、詰まりは起きにくい」


 バルサはぽかんとした顔で俺を見て、やがて破顔した。


「……面白え。やってみよう。村の職人衆にも声をかける。鍛冶屋も呼んでやる。素材ってやつは、そのままより形にしたほうが値打ちが出るだろ?」


「助かる。角の部品がいくつか要る。柄の付け根の継ぎとか、細い金具とか」


 鍛冶。そこで、胸の紐がわずかに引いた。

 火花の匂い、槌の音。

 誰かが、この匂いに似合う。名も姿もまだ知らない獣人鍛冶師の影――世界樹のどこかで、彼女(彼)はもう、素材雨の音を聞いている気がした。


 夜気が降りる。祠の周りの空は、星明かりよりも素材の淡光で明るかった。

 人の列は途切れず、甕の水は減っては増え、仕分け箱は線だらけになった。

 合間を見て、俺は祠の床をもう一度拭いた。外からの土が靴で持ち込まれ、角に泥がたまる。詰まりはいつだって入口から始まる。


『ユウ。情報の汚れ、来てる』


 フリュネが囁いた。

 祠の外に、場違いな影が一つ。旅装に羽根飾り、口のうまそうな目。行商だ。

 彼は笑顔で近寄り、俺の肩越しに仕分け箱を覗いた。


「こりゃ珍妙な箱だ。祠の管理人さん、私にも一口、商売をさせちゃもらえませんかね。街に持っていけば、そりゃあ良い値が付きますぜ」


 言葉の最後に、薄い影が挟まっていた。

 注釈――小さな脚注のような黒い刺。『今のうちに安く手放せ』『規格は無用』『混ぜても同じ』……雑な流通が、世界樹の詰まりを再生させることを、俺はもう知っている。

 俺は笑って、首を振った。


「規格を決める。受け取り所の印を押した素材だけ、流す。混ぜ物は買わない。形は三種――透明球(滴類)、薄片(葉類)、粉(粉類)。重さはこの基準器で量る」


 俺は線で秤を描き、受け皿に透明球を三つ、薄片を五枚、粉をひとすくい乗せた。描いた線の秤は揺れ、ぴたりと止まる。

 行商は目を見開き、やがて肩をすくめた。


「……商人は規格が嫌いじゃありませんぜ。値段がつけやすいからね。じゃ、明日また来ます。印のついたやつを、ちょいとだけ見本にお譲りを」


「少量なら。転売先も選ぶこと。詰まりを作る所には流さない」


「へえ。祠の管理人殿は、流れをご存じだ」


 男は意味ありげに笑い、夜の坂を降りていった。

 フリュネは葉を震わせ、少しだけ不安そうに言う。


『だいじょうぶ? 外のひと、注釈をつけてた』


「見えてる。注釈ははがせる。はがした跡は、ワックスで埋めればいい。滑りがよくなって、汚れが付かない」


『ワックス……あした、つくる?』


「材料が足りない。濾すものがいる。汚れから汚れだけを抜くフィルター。まずそれだ」


 祠の奥から、清澄ゼリーがぷるりと震えた。

 まるで「自分を使え」と言っているようだ。

 俺は笑って頷き、ゼリーの表面を指でそっと撫でる。触れたところがひとしずく伸びて、極薄の膜になった。


「……いける。明日は、呪詛フィルターを作る」


 祠の前で、村人たちが拍手をした。意味はわからなかったろう。でも、空気に混ざった軽さは、皆の肌でわかる。

 素材の雨はやがて細くなり、夜は深くなる。

 仕分け箱の端に、俺は当番票を貼った。受け取り所の開設、秤の監視、甕の水の補充。初日の当番は、バルサの隣家の娘と、薬草採りの老婆、そして俺。


 片付け終わり、最後の雑巾をすすぐ。甕の水面に、星の代わりに小さな葉脈が揺れた。

 フリュネの葉が、そっと俺の額に触れる。温かい。


『きょう、よく働いた。世界、息ができる』


「明日も、磨くさ」


 遠いどこかで、また井戸が光る音がした。

 俺は箒を肩にかけ、祠の扉を半分閉める。夜風がやさしく中を撫で、床に残った湿り気を連れ去っていく。


 追放の夜は、もう冷たくない。

 ここは、戻るべき流れの起点だ。

 俺は膝を折り、当番票の空欄に小さく書き足す――


 「備考:鍛冶師募集 箒継ぎ金具・細工得意な方」


本日の清掃ログ


場所:祠外周~一層踊り場


詰まり除去:入口角の泥詰まり/外床表面の再汚染(一次対応)


獲得:滴類×21/葉類×37/粉類×少量(規格試作)


改善値:素材再循環率+24%/村内呼吸苦軽減(体感報告多数)


制度:受け取り所・掃除当番点(試行)/規格三種制定


新規クラフト


仕分け線箱:線で描く簡易区画。混入・転がり防止。


基準秤(線):描画式の等量器。規格化の基礎に。


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次回「呪詛フィルター」――汚れだけを濾して、価値を残す。村の経済が回り始めます。

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