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第12話 B3・沈んだ井戸

 朝の脈は深く静かだった。

 広場に二台の審査屋台、掲示には屋台手順/外伝②の追記、当番票はB3班:井戸→支流→渦と太字で並ぶ。

 俺は若葉ブラシと導水線の束、渦止め楔、深靴、そして携行枠の審査窓を背負い、祠の階段へ向かった。


「見守り三席、降りる」


 工房章=ライカ、葉印=バルサ、輪印=エリシア。

 フリュネが葉をふるりと震わせ、主語を温める風を下り口へ通す。


『順番、まもる。井戸→支流→渦。逆は息が切れる』


「了解」


 石段を降りるごとに、空気は湿った紙の匂いから、冷たい水の匂いへと変わっていく。

 B3の踊り場に出ると、壁に刻んだ古い水位尺の線が見えた。だが目盛りは黒く塗りつぶされ、上から注釈が貼られている。


「井戸は沈むもの」

「待てば澄む」

「踏むな、触るな、見るな」


 息が詰まる言い回しだ。待てばは誰かの手入れを省く合図でもある。


「言いまわし鏡」


 ライカが携行の小枠を出し、エリシアが薄筆で骨を抜く。

 誰が/何を/いつ/どうやって――骨に通らない言い回しは鏡で反射して落ち、清澄ゼリーが嬉しそうに封印膜で受ける。


「導水線、張る」


 俺は浄滴を落とした若葉繊維を、壁の水位尺に沿って一本渡した。

 線を弾くと、どこからともなく短いピンが返り、水脈が骨だけを露わにする。

 井戸枠の石は少し傾き、枠の南側で沈み、北側で浮き、底には泥のゆりかご――眠り言葉の澱がうごめいている。


『言葉、聞こえる。「底にいるから安心」「誰にも届かないから安全」』


「安心/安全の骨を交換する」


 審査窓を開き、公開手順の小板を横に立てる。

 理由:井戸の沈みと眠り言葉の蓄積。

 段取り:渦止め楔で井戸枠の傾きを止め→導水線で骨水路を通し→浮き灯で上向きの矢印を育てる。

 可視化:水位尺線の再刻/見える窓。

責任:工房ライカ流通バルサ閲覧エリシア

見守り:三席、現地署名。


 三人が名前を記し、窓が緑になる。

 俺は渦止め楔を傾いた石枠の南角に軽く打ち込んだ。金属の芯が骨だけを咥え、石の無駄な鳴りを吸う。

 枠の揺れが止んだ瞬間、底の眠り言葉が泡になって少し浮く。


 エリシアが薄筆で見出し灯を底に落とす。

 灯は下ではなく上を指し、文字でこう描く――「上流は“上”にある」。

 フリュネの風がその文を主語で温め、水がわずかに上向きに息をする。


「浮き灯を作る」


 ライカが滴類と粉類で小さな浮子を拵え、芯に若葉繊維。

 浮子の下に薄膜のカップを下げ、眠り言葉の泡を受け、鈴を小さく付けた。

 泡が入ればチリン、上に逃がせばピン。音で上向きを癖にする。


 俺は深靴を履き、井戸の内壁に導水線を一本ずつ貼りながら降りる。

 線を貼るたび、壁にこびりついた**“待てば澄む”が剥がれ**、代わりに**“今ここで薄く通す”が光る。

 底に手が届くところで、眠り言葉の泡の中から古い札**が顔を出した。


『祈/念/保/存』(文字がばらばら)


 札の四隅に注釈の刺。『触れるな』『動かすな』。

 エリシアが細筆で四分割の骨を描く――祈り/念/保存/配分。

 祈りと念は上へ、保存は別表へ、配分は当番票へ。

 一方通行の矢印で底から上へ引き上げる。


「引き上げ具が要る」


 ライカがうなずき、輪印の小枠に細い爪金を三つ付ける。

 葉×輪の小柄が、泡の間を傷つけずにすり抜け、札だけをつまむ。

 俺は息を合わせ、導水線で札の縁を持ち上げる。

 泡が立ち、鈴がちりんと鳴る。

 札は割れずに水面近くへ――バルサが葉印の皿で受け、審査窓の可視窓に差し込む。


「配分は当番票へ。祈り/念は上で灯に混ぜる。保存は別表へ封じる」


 窓の縁が緑のまま、上向きの矢印が一本増えた。

 底の眠り言葉は泡の五分の三ほどが抜け、泥が薄い粉に崩れる。


『息、通る。もうちょっと』


 残る泡に、別の言い回しが混じっている。


「深いほど尊い」

「重いほど大事」


「尊さ/重さの骨を入れ替える」


 返却秤の片皿に**“重さ”、片皿に“流れの通り”を置く。

 秤はわずかに揺れ、流れに沈む**。

 エリシアが薄筆で短文を置く――『尊いのは、循環に戻ること』。

 フリュネの風がそれを主語で温め、ライカが磨耗逆転ワックスを極薄で井戸枠に引く。

 枠の本来の寸法が少し戻り、上への筋が一段楽になる。


 俺は導水線の最後の一本を、井戸の北角から地上の溝まで通した。

 上向きの矢印が連続になり、浮き灯が一斉にピンと鳴る。

 眠り言葉の泡が列になって上がり、可視窓を通って当番票/別表へ振り分けられていく。


「復帰運転。細流で回す。朝版→夜版へ引き継ぎ」


 審査窓の欄に記し、三席が署名した瞬間――

 井戸の底で、別の音がした。

 鈍い拍動。文字ではない、節。

 古い井戸竜いどりゅう――この層の水記憶が眠りから寝返りを打つ音だ。


『怒ってない……起きる、って合図。名前、呼べる?』


 フリュネが小さく訊く。

 エリシアが薄筆を沈め、竜名の骨(水脈/季節/方角)を三点に打つ。

 ライカが共鳴針を井戸石に当てる。

 ピン――ポン――ポン。

 三音が重なり、底から細い背がのび、透明なひげが水面に触れた。

 井戸竜は、口ではなく水位で意思を示す。


「お願いする。上へ細く、連続で、人の手がある時間に」


 導水線が震え、浮き灯がひとつずつ応える。

 井戸竜は寝息のような波を三度送り、底へ戻った。

 守護は抑圧じゃない。骨を合わせて頼むことだ。


 井戸は沈んだままではなく、浅く息を始めた。

 水位尺の塗りつぶしを剥がし、新しい目盛を刻む。

 “今/次/あとで”――輪番棚の時間の言い方を水位に移したものだ。

 待てば澄むの代わりに、「今は細流」「次に中流」「あとで満流」。


「第一段完了。支流へ移る」


 審査窓を携行枠に戻し、導水線の末端を支流の入口へ結ぶ――そのとき、上から鈴糸が小さく震えた。

 広場の屋台からの短報。二重発行の再発はなし。夜版の矢印旗が子どもに人気。

 点が少し余剰になり、流れ保険の小皿が潤っている。


「上は息できてる。下を続ける」


 迷う支流は、井戸の北へ延びる細い横穴だった。

 壁には矢印が乱れ、注釈が薄く重なる。


「近道」

「早道」

「抜け道」


 近/早/抜の三語が渦の種になるのは、骨を失ったときだ。


「導水線を正規路に一本、仮路に一本。輪番棚をここにも」


 エリシアが見出し灯で正規/仮を太字に分け、バルサが順番石の小片を壁の桟に挟む。

 ライカが渦止め楔を抜け道の角に軽く打つ。

 楔は通せんぼではない。“いったん止まって手順を見る”の癖を作る。


『“近”と“早”が、“短”になって流れを削ってる』


「短は**“薄”**へ置換。薄く通す→回数増やす」


 俺は薄筆で短→薄の小さな変換札を作り、近道/早道の注釈の根に貼った。

 審査灯がチリと鳴り、抜け道の矢印が折れて、薄い矢印が正規路へ合流する。

 支流の迷いは三割ほど消え、人の足が軽くなる。


「第二段完了。残りは眠る渦」


 眠る渦は、支流の先の空洞にいた。

 足を踏み入れると、耳の後ろで誰かの声がささやく。


「今は静かだ」

「触れば起きる」

「いずれ流れる」


 “いずれ”は当番票がない未来に逃げる言い回しだ。

 俺は審査窓を開き、別表:停止手順を横に置いた。


「停止→検証→手入れ→復帰。見守り三席、署名」


 三印が並ぶ。窓は緑。

 ライカが渦止め楔を空洞の縁にそっと打ち、渦の回りすぎを一度止める。

エリシアが言いまわし鏡で**“いずれ”を骨に戻す――『いつ/誰が/どうやって』。

 バルサが行先札で外の屋台と審査窓を八の字の索引糸**で結ぶ。


「逆唱糸、三和音」


 ――見せる/書く/署名する。

 ――測る/封じる/返す。

 ――止める/検証する/復帰する。


 眠る渦が目を開け、目蓋のような泥が一枚はがれる。

 中央にからの芯。

 渦は何も持たないところから回る――ならば、芯に小さな骨を置く。


渦芯輪うずしんりん、打つ」


 ライカが小さな輪を一つ、導水線の交点に据え、磨耗逆転ワックスを薄く塗る。

 輪は回りではなく**“通り”を覚える**。

 渦は**“回り続ける”から“通り道を保つ”へ癖を変え、眠ではない休**に近づく。


『息、とおった』


 空洞の天井から、井戸竜の薄い反響が返る。

 井戸→支流→渦の順で通した息が、一つの輪になった。


「第三段完了。復帰運転――細流→中流」


 審査窓に記し、三席で署名する。

 帰路、水位尺の新しい目盛に小さな葉の刻印を押し、可視窓を開けたまま上へ戻った。


 地上。

 広場は夕暮れの光で薄金色に染まり、屋台の二台は巡回を終えて戻ってきた。

 拍手灯が二度、柔らかに点滅する。

 当番票には、井戸細流→中流、支流合流、渦芯輪の三行が太字で追記される。


「共有する」


 掲示の下に**『B3手順/第1版』を貼る。

 渦止め楔/導水線/浮き灯/水位尺線/変換札(短→薄)/渦芯輪。

 図と短文**、四コマ一枚。

 屋台の桟に小札を挟み、他の井戸でも持ち出し可にする。


 行商の男が小札を見て、耳の後ろをかいた。


「**“待てば澄む”**の札、うちの蔵にも貼ってやがった。薄に換える」


「返却秤がある。待てばで損した分は流れ保険から点で返せる。晒せ」


「へい」


 ライカは審査窓の枠を置き直し、輪の隅に小さな爪金を増やす。


「水の風でたわむ。輪一つ、足す。剛性+」


 エリシアは閲覧室の水の棚に本文を追記した。


『井戸は、今→次→あとでの順で息をする。

“待てば澄む”は別表へ。“今ここで薄く通す”を本文に。』


 フリュネの葉が、満足げにゆっくり揺れる。


『前の管理者の札にも、水位尺が空白で残ってた。……器が埋まった』


 胸の紐が、静かに緩む。

 アステルの空白は、少しずつ器で埋まるのだ。


 そのとき、鈴糸が高く一つ鳴った。

 勇者本隊からの短報――「明晩、街門で“祭”の試し灯。屋台の“歌”を借りたい」。

 手順が儀礼になる。

 祭は流れを学ぶ最良の舞台だ。


「祭の段取り、当番票へ。国章は箒×葉×輪×灯」


「ん。灯、足す」


 ライカが目を細め、槌の柄を軽く指で叩いた。

 拍手灯が小さく点り、子ども当番が矢印旗を振る。

 井戸の浮き灯が、地上の灯と同じ音でピンと鳴った。


本日の清掃ログ


場所:B3水脈層(沈んだ井戸/迷う支流/眠る渦)/広場


詰まり除去:

 ・井戸枠の傾き→渦止め楔+磨耗逆転ワックスで一次補正

 ・“待てば澄む/触るな”注釈→導水線+可視窓+浮き灯で上向きに矯正

・支流の「近・早・抜」→短→薄の変換札/輪番棚の時間目盛で整流

・眠る渦→渦芯輪で“回り続ける”から“通り道を保つ”へ癖替え


成果:井戸細流→中流に復帰/支流合流/渦休へ移行/水位尺線の再刻


連動:屋台二台の昼夜運用安定/流れ保険の点残高+


新規クラフト


浮き灯:泡(眠り言葉)を音で上へ誘う小灯。ピン/チリンで学習効果。


水位尺線(今・次・あとで):輪番棚の時間概念を水位に転写。待てば澄む→今薄く通すへ。


変換札(短→薄):近道・早道の“短”を“薄”へ置換し、回数×薄流で詰まりを回避。


渦芯輪:渦の中心に置く小さな輪。通りの記憶を付与して過回転を抑制。


葉×輪つまみ:祈念札の非破壊引き上げ具。泡だけ逃がし、札は当番票/別表へ。


水位可視窓(携行):井戸壁に臨時開口。見えることで“省略”を抑止。


面白かったらブクマ・★・感想で応援ください!

次回「祭の試しプロト・パレード」――屋台の歌と灯で、手順を儀礼に。国章が初めて夜空に揺れます。

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