第10話 例外申請の夜
地上に戻ると、もう夕闇が広場の端に溜まっていた。
審査窓の小さな開口は、祠と掲示板のあいだで薄白に光り、上(街役所)からの文言が赤点滅のまま揺れている。
――見守り席なしで停止を強行したい。理由:始源汚れの拡大。期限:至急。
「器はできた。席を埋めれば通る」
俺は板の空白に三つの印を描き直す。
工房章(箒×葉×輪)/葉印(流通)/輪印(閲覧)――見守り席は三席。
ライカが工房章のメダルを握り、バルサが葉印の札を胸に挟み、エリシアが輪印の薄筆を掲げる。
「席、揃った」
『風、通す』
フリュネが葉を震わせ、審査窓に呼吸を落とす。赤点滅が黄に落ち着き、文面が質問形にほどけた。
理由→段取り→可視化→責任→見守りの五欄が、ゆっくりと埋まっていく――見守り:未指定だけが空白のまま。
「夜間だ。場を持ち出す」
俺は広場の公開手順を携行に畳み直す。
ライカが携帯炉の脇から細長い筒を三本取り出し、爪金で口を留めた。
「携行封印筒。資源水S+ゼリー膜。停止→検証の“止血”用。注射器みたいに瘴気の脈を止める」
「もう一つ――巡回審査灯を」
エリシアが滴類と粉類で小さな審査灯を拵え、芯に若葉繊維を通す。
灯は近くの言葉を骨と注釈に自動で分け、注釈に触れれば鈴を鳴らす。
バルサは行先札(四コマ)の夜間版――夜矢印を刷り、順番石の夜刻を追加した。
「いくの?」ライカがしっぽを揺らす。
「上の“例外”をここで通すには、現場と窓を同骨に揃えるしかない。審査窓の出張だ」
鈴糸が高く鳴った。勇者本隊の使者が、広場の線の外に走り込む。
目は焦りで乾き、声は短い。
「北側水路門で汚れの噴き返し! 停止が間に合わない。例外を――!」
俺は首を振る。「例外は器で通す。席を連れていく。五手順を屋台に載せて」
広場の真ん中に、線で大きな屋台を描く。
公開手順板/返却秤/審査窓/記録鏡/巡回審査灯を固定し、夜矢印を四隅に走らせる。
ライカが車輪を打ち、バルサが押し棒を肩に担ぎ、エリシアが索引糸の束を帯に差す。
「見守り三席、出る」
祠の前でフリュネが一陣の風を送り、拍手灯が出発の合図で点滅した。
俺たちは夜の街へ、審査屋台を押して走る。
北側水路門は、川霧の底で鈍く唸っていた。
始源汚れは泥ではない。言い回しだ。
「今だけ」「ここだけ」「あとで直す」――その三語が冷たい泡になって水路から噴き、石壁に黒い膜を編んでいく。
本隊の兵が布を当て、火で炙り、札で押さえる。けれど、言い回しは増殖が早い。
「屋台をここに。窓、開く」
審査窓が白く開き、五手順の欄が夜風に震える。
理由:北水路門の噴き返し。
段取り:携行封印筒で一次止血→検証→手入れ→復帰。
可視化:巡回審査灯と記録鏡で骨/注釈を分離、夜矢印で動線を示す。
責任:本隊副長/広場当番/工房/閲覧。
見守り:三席(工房章・葉印・輪印)現地。
窓の縁が緑に変わる。器が立った。
俺は携行封印筒を一本抜き、黒膜の脈を探る。
鼓動がある。「あとで直す」が中心で増殖している。
「ここ――止血」
封印筒の嘴を黒膜の根に当て、ゼリー膜を薄く注ぐ。
黒が鈍り、脈が一拍遅れる。
すかさずライカが爪金で縁を軽く押さえ、バルサが夜矢印で人の流れを回避へ誘う。
エリシアは言いまわし鏡で骨だけを抜き、別表の停止手順を読み上げる。
「停止→検証→手入れ→復帰。見守り席、記名」
本隊副長が迷いなく署名した。
審査灯が高く鳴り、注釈の泡が二つ破裂する。
「今だけ」が「いま、ここで」に、「ここだけ」が「この範囲」に言い換えられ、時制と範囲が骨に戻る。
俺は二本目の封印筒で**「あとで直す」の芯に薄膜を挿し、索引糸を当番票**の欄まで引く。
「“あとで”は当番票に落とす。期日と担当を書く。空白不可」
欄が埋まる。
黒膜の脈がさらに落ち、川霧の中に風穴が開いた。
フリュネの風がそこを通り、水が一筋澄む。
「検証――記録鏡」
鏡が今日の広場と今の水路門を重ね、矢印は同じ向きに揃う。
責任の皿に名が乗り、見守りの席に印が押される。
返却秤は揺れない。沈黙――適正だ。
『……息、できる。もういちど』
フリュネの声に合わせ、最後の封印筒で縁の漏れを止める。
ゼリー膜は永遠ではない。朝までもたせればいい。
手入れは、明日の当番に返す。
「復帰。夜の水路は細流で運転。朝、広場の当番票へ引き継ぎ」
本隊の兵たちの肩から、一斉に力が抜けた。
本隊副長が審査窓の返送札に、簡素に書く。
『例外申請→器で運用。停止:完了/検証:記録鏡参照/手入れ:暁、広場当番へ』
審査灯が低く鳴り、夜風がやわらいだ。
その時、川面の向こうからさざめき。
言葉ではない。ささやき――「省け」「繋げずに飛べ」。
始源汚れの囁きが遠くから寄せ、審査窓の縁に薄い刺を立てた。
「来るぞ。**逆唱**で黙らせる」
俺は証言糸を三本、三和音に張る。
俺→ライカ→エリシア。
主語→動詞→結果の短句を輪唱ではなく逆唱で重ねる。
「見せる/書く/署名する」。
「測る/封じる/返す」。
「止める/検証する/復帰する」。
三本の糸が同時にピンと鳴り、審査窓の縁の刺が砂になって落ちた。
囁きは遠くへ退く。
器は、歌でも戦える。
「夜は持つ。戻ろう」
本隊副長が深く頭を下げる。「例外の器――忘れない」
審査屋台を押し直し、広場へ戻る道で、ライカが小さく笑った。
「ユウ。屋台、ほんとに国の屋台骨になってる」
「骨は見えるほど強い。明日の当番が触れるから、弱りにくい」
エリシアが頷き、薄筆で審査窓の端に小さく記す。
『夜間運用試験:合格/改良:窓枠の耐風性』
祠が見え始めたとき、鈴糸が別の調子で震えた。
閲覧室――別表:停止手順の片隅で、古い葉印が一枚ふわりと浮く。
葉×輪――アステルの微かな返答。
器があれば、前例は省略ではなく参照になる。
広場に戻ると、当番票の夜刻は空白が少し残っているだけだった。
バルサが点の出入りを読み上げ、ミリエが見守り欄に夜勤の名を追記する。
ロートは夜の掃除を黙って引き受け、砂受けをさらう。
「公開手順・夜版、できたな」
俺は掲示の下に小さく追記する。
『夜版:屋台手順』
・審査屋台(移動式公開手順)
・見守り三席(現地署名)
・携行封印筒(止血)
・巡回審査灯(骨/注釈検知)
・逆唱糸(囁き対策)
拍手灯が一度だけ点滅し、広場は静かな呼吸に戻った。
フリュネがそっと囁く。
『ユウ。上で、例外の書式が書き換わった。見守り欄、空白不可になった』
「器が、言い回しを変える。いい流れだ」
屋台を片付けながら、ライカが金具の箱を指した。
「改良、明日やる。審査窓、風でたわむ。輪をもう一つ足して、剛性を上げる」
「お願いする。……それと、祭りの仕込みも少しずつ始めよう。国章を見せる日が近づいてる」
「ん。箒と葉と輪。灯も足す」
夜が深まる。
祠の輪は静かに回り、閲覧室の別表は一方通行の矢印で固定されている。
遠くで、井戸が光る音。
例外は器で通り、省略は封印に落ちた。
――その時、広場の端、行商の男が帽子を脱いで近づいた。
彼は照れたように笑い、小さな桟を差し出す。屋台の縁にはめる補助部材だ。
「混みのとき、ここに小札を挟むと順番石が落ちませんぜ。夜は手がかじかむ」
俺は受け取り、桟を試しにはめる。確かに落ちない。
男は続ける。
「理由が晒せない商売はやらねえ。だが、見本を運ぶ理由は晒せる。……屋台が街角に増えたら、商いも詰まりにくくなる」
「屋台章、作るか」
ライカが耳をぴくりと立て、にやりと笑う。
箒×葉×輪の横に、小さな**屋台(台車)の刻印。
エリシアが薄筆で『屋台手順:外伝』**と余白にメモする。
「今夜はここまで。当番票は朝版に渡す」
掲示を結び紐で固定し、拍手灯の芯を抜く。
広場の灯が落ち、祠の前だけが薄緑に残る。
「器は戦える。歌でも、札でも、屋台でも」
俺はメダルを指で弾き、祠に一礼した。
明日は改良と共有――屋台を二台目に増やし、灯り職人に審査灯の作り方を教える。
そして、B3の水脈層に降りる準備を始める。
“省略”は水の底にも住むから。
本日の清掃ログ
場所:北水路門/広場
詰まり除去:
・“見守りなしの停止”例外申請→審査窓+見守り三席で運用
・始源囁き(「今だけ/ここだけ/あとで直す」)→携行封印筒+夜矢印で一次止血、当番票へ転記
・現場/広場の骨ずれ→記録鏡で同骨化
成果:夜間停止→検証→手入れ→復帰の夜版手順確立/本隊書式の見守り欄=空白不可に改稿
改善値:夜間トラブル再燃率-63%/“例外先行”発話率-78%/水路澄明度+19%
新規クラフト
携行封印筒:資源水S+ゼリー薄膜の止血筒。瘴気・注釈の“脈”を一時停止。
巡回審査灯:言葉を骨/注釈に分けて警告する小灯。
夜矢印(行先札・夜版):動線の迷いによる詰まりを低減。
逆唱糸:主語→動詞→結果の短句を三和音で重ね、囁きの輪唱を打ち消す。
屋台手順(移動式公開手順):公開手順・審査窓・記録鏡・返却秤を一台に統合。夜間運用可。
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次回「屋台が走る街角」――審査屋台を二台体制に。灯り職人と商人、そして子ども当番が加わり、街が自分で手入れを始めます。