第5話 不死身
窓から差し込む朝の光が、静かに菜沙の頬を照らす。
まぶしさに眉をひそめながら、彼女はうっすらと目を開けた。
ぼんやりとした視界のまま身を起こし、眠たげな目を擦る。
部屋の中を見回したが、桃の姿はどこにもなかった。
代わりに視界に映ったのは───白いワンピースとシーツに滲む、暗く乾いた血の跡。
「・・・ダルいな。血、流しすぎたかも」
呟く声は乾いていて、まるで他人事のようだった。
無造作に手首へ視線を落とし、そっと指先でなぞる。
そこにあったはずの傷は、どこにもなかった。
手首だけじゃない。
桃に「食べられた」はずの場所は、全部、綺麗に治っていた。
肌は滑らかで、噛み跡ひとつ残っていない───まるで最初から、何もなかったかのように。
菜沙は桃と同じで生まれつきではない。
菜沙が中学生の頃、突然体に傷がついても元に戻る、再生の能力を付与された。
傷どころか骨折すら瞬時に治るようになっていた。
菜沙の両親はこのことを誰にも言わないと菜沙と約束をしているが、桃と出会い、桃には自身の能力について話している。
菜沙は重たい身体を動かしながらリビングに向かった。
菜沙の能力は、身体の再生と共に血液も再生されるが、何故か血液に関しては一定の量を超えると貧血を起こしてしまう。
そんな貧血の状態で菜沙は、壁に伝りながら歩いた。
リビングに近づくと、扉の隙間から漂ってきたのは、香ばしく肉の焼ける匂いと、どこか懐かしい鼻歌だった。
菜沙はしばし立ち止まり、鼻先をくすぐる香りにぼんやりと意識を絡め取られる。
静かに扉を開けると、そこにはエプロン姿の桃がいた。
フライパンを片手に、台所でせわしなく動きながら、ふわりと笑顔を向けてくる。
「おはよう、菜沙ちゃん。よく眠れた?」
桃の声は、何もかもが“いつも通り”かのように穏やかだった。
菜沙は一瞬だけ無言でその顔を見つめ、それからゆるく微笑んで答えた。
「おはよう。うん、おかげさまでね」
菜沙がかすかに微笑むと、桃は「よし」と小さく呟き、お盆を手にキッチンから戻ってきた。
湯気の立つ器を、手際よくテーブルに並べていく。
「菜沙ちゃん、ご飯できたよ」
その声にうながされ、菜沙はふらつく足取りで椅子に腰を下ろした。
目の前には、炊きたての白米、湯気を立てる味噌汁、そして色鮮やかなレバニラ炒め。
思わず、少しだけ眉をひそめる。
「朝からレバニラ炒めか。胃もたれしそうだよ・・・でもありがとうね。いただきます」
手を合わせ、口元に笑みを浮かべながら、ひと口、ふた口と運んでいく。
濃い味付けが舌に広がるたびに、昨夜の痛みも、血の感触も、少しずつ遠のいていくようだった。