第4話 自傷の慰め
桃が家に帰ってくる数時間前──
菜沙が机の引き出しから取り出したのは、一丁のカッターナイフだった。
静かに刃をスライドさせる。わずかに光を帯びた刃先に、曇った瞳を落とす。
じっと見つめながら、ぽつりと呟いた。
「・・・桃ちゃんに、バレないかな・・・?」
刃を手首に当てて切ろうとした時、脳裏に桃との約束を思い出した。
(そういえば・・・辛いときは、話を聞くって約束したっけ)
桃の優しい声が、胸の奥でふわりと広がる。
その記憶に引き寄せられるように、菜沙の手首からカッターナイフがそっと離れた。
けれど───
(・・・だけど)
安心でも、安堵でもない、別の感情が、胸の奥で静かに顔を出した。
(もし・・・傷つけたら、沢山食べて、沢山癒してくれるのかな・・・?)
そんな歪んだ期待が、心の隙間からそっと忍び込む。
食べて欲しい。ただそれだけ。
その事を浮かばせると、菜沙は持っていたカッターナイフを再び手首に当てた。
そして、歪んだ笑みを浮かばせながら、菜沙は手首の脈を切った。
手首から感じる痛みと滴る血。
それらを感じながら、まるで懺悔するかのように言った。
「ごめんね、桃ちゃん・・・こんな私で・・・」
そう言い、菜沙は気が済むまで手首を切りつけた。
そして菜沙は、血のついたカッターナイフを丁寧に洗い流した。
手首の傷が桃に気づくように簡単な手当をしてた。
手当を終えると、何事もなかったかのように台所へ向かう。
冷蔵庫から食材を取り出し、桃の好きな中華料理の下ごしらえを始めた。
ジュウッと油が跳ねる音が、さっきまでの静寂をかき消していく。
まるで、流れた血も、痛みも、すべてが「ふつう」の日常の一部であるかのように。