5 【ノト君】
味は土だけどご飯はご飯。僕は目の前に出された木の実のお粥を卑しくも口いっぱいに詰め込んでいた。
「アリー、もう少しゆっくり食べなきゃダメだよ?」
あまりにも品がなくて見かねたのか、勇者様は穏やかに僕を咎めた。
「ご……ごボボボボ」
ごめんなさいと言おうとした僕の口からお粥が逆流した。こんな珍現象は初めての事だった。
「あ~あぁ!? ほらねぇ? 痩せすぎている子が急いで食べるとそうなっちゃうんだ。大丈夫?」
勇者様は手袋を外して直接素手で僕の口のまわりのお粥を拭ってくれた。17歳の恋する乙女だった僕はさすがに大興奮した。初めて嗅いだ彼の手はやっぱり土の香りがした。少しだけ口の開いたお顔はとっても色気があって、僕は心臓をバクバクさせながら彼を見つめることしかできなかった。ふと目が合った瞬間、勇者様は僕に優しく微笑みかけてくれた。
「近くに川があるみたいだから……そこに行こうか?」
川といえば水浴び。水浴びといえば脱衣。脱衣といえば……。勇者様ったら、そんな唐突に男女のまぐわいのお誘いを。僕はお尻の穴に力を入れて口の中に余っていたお粥を飲み込んだ。
「よいしょっ、と」
勇者様は返事も待たずに僕の体を担ぎ上げた。ここに連れてきてくれた時のお姫様担ぎとは違って、今度は火消しの担ぎ方だった。この時の僕は未来の自分が彼に介護される姿を想像して楽しんでいたけれど、まさか僕の方が彼のお尻拭きを楽しむことになるとは夢にも思っていなかった。
「ちょっとここで待っててくれる?」
川までたどり着いた勇者様は再び僕を優しく地面に降ろすと、縫い目ひとつない外套をかけてくれた。彼の温もりの残った魔法の衣はまたしても僕を大興奮させた。
「そんな……こんな上等なもの……」
「あったかいでしょう? あげる。精霊様に祝福された外套なんだぁ」
そんな伝説の装備っぽいものを僕なんかの為に。これはもう、完全に僕のことが好きということでよろしいでしょうか。
「もっと早くあげればよかったね? ごめんよ。女の子の扱い、慣れてなくって」
はああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああい、骨抜き。心も体もくにゃんくにゃんです。ひと目お会いしたその時から骨なんか残ってないけど。女として見られてる。もう好きにして。逆にもう許してほしい。苦しいから。なにこれ。胸が。頭が。手足が。勇者様の事が好きすぎて辛いと全身が悲鳴を上げている。なぜ? なに? どうして? いい、もう。僕は勇者様が好きで仕方ないけど、勇者様は僕のことを好きになってくれなくてもいい。もう性欲のはけ口としてでいい。この身体、貴方様の欲望の限り、好きに使ってくださいまし。しかも、お言葉から察するに、勇者様も初心者の可能性が。そしたら僕が最初の、勇者様の一番搾りをいただける女ということになる。ありがとうございます、いただきます。でも、そういうことを始めようというのに、僕に外套をかけたのはなぜ? なに? どうして?
「今からお湯沸かすから、ちょっと時間かかっちゃうけど待っててね? お湯じゃないと、お粥の汚れがよく落ちないから」
優しいは苦しい。勇者様は僕専用の必殺技、生殺しをこの時から平然と使う残酷な男でもあった。
川辺で新しい火を焚いた勇者様は、その火を使って沸かしたお湯で僕の顔を綺麗にしてくれた。そのまま体も拭いてくれるのかと思ったけど、それは自分でやるように仰られた。言いつけ通りにした僕は今更だけど、自分の体がなかなかの悪臭を放っていたことに気がついた。それでも勇者様は嫌な顔ひとつせず僕と普通に接してくれていた。この広い世界で不潔な女をものともしない心優しい男と巡り会う。なんとロマンティックな運命なんだろうと僕は改めて胸をときめかせ、彼という精霊様よりも尊い存在に感謝もした。
「ありがとうございます、勇者様」
「綺麗になったなぁ。腹減ってねぇか?」
勇者様は僕が無駄にしたお粥の代わりに今度は野草鍋をこしらえながら魚採りの罠を作っていた。その繊細な指の動きを見ながら、僕は彼の体から滲み出る教養のオーラに感動していた。
「アリー?」
勇者様はボーっと眺めてるだけの僕を心配そうに見た。
「あ、す、すいません……はい、減ってます」
「魚は明日になっちゃうけど、鍋はもうすぐ出来るから。楽にしてな?」
そんなこと言われても好きな人と一緒にいる限りそれは無理だ。僕は気を回して、目の前にいる惚れた男をより深く知るために口を動かした。
「勇者様はその……おいくつなんですか?」
「ん~? 19、今年で20になるね」
20歳。僕より3つ上というのはちょうどいい。3歳年下の嫁がこの世で一番いいとされている年齢差なんだから。僕が今考えた定説だけど。
「勇者様は旅をされて長いんですか?」
「そうだねぇ……村を出て、もう……2年経っちゃったのか。旅は17の時に始めたんだ」
17の僕は鉈おじさんの家から食べ物を盗んでいるというのに、僕と同じ年の頃にこの人はもう勇者としての重責を背負っていた。どうしよう。神様とネズミの糞くらい存在価値に差がある。これは苦しいか。いや、でも格差があればあるほど愛は燃え上がるから。大事なのはこれからどう生きるかだから。差別対象の盗人の泣き言なんて誰も聞いてくれやしない。だから僕は鬱陶しいほど前向きに生きていく。
「アリー?」
「はいっ!! なんでしょう!?」
生きる意欲を取り戻した僕は背筋を正して勇者様のお声がけにしっかりと反応をした。
「これからボクのことは勇者様って呼ばないでほしい。おっきい町なんかは入れないんだけど、立ち寄る村全部が教会に守られてるとも限らないから」
「わかりましたっ!!」
当時の情勢は酷いものだった。魔王ヴァダリがもたらした瘴気は動植物だけじゃなく、人々にも悪い影響を与えていた。人間の場合は全員が全員その影響を受けるわけではなく、標的にされたのは心や体の弱った人たちで、人がたくさん集まる大きな町ほどその被害は大きかった。町では精霊様の教えを説く教会が瘴気に冒された人たちによって焼かれ、治安は崩壊。さらには町に巣食うネズミや虫たちが瘴気で魔物化し、町に住む人々に襲い掛かって怪我と病気を蔓延させ、弱った人々がまた瘴気に冒されてゆく。まさに生き地獄のような悪循環が都会では広がっていた。
簡単に説明したけど、僕はこの旅の中で大きな町には一度も入っていない。というか、そんな状態の町に入れるわけもなく、町らしい町に寄ったのは……寄った、というか勇者様に置いていかれそうになったなぁ。あの時の事、まだ許してませんからね? 修道女なんかになれるわけないんですよ!! 僕みたいなもんが!! ……それで町に寄ったのはただ一か所だけで、ほとんどは里山にあるような小さな集落を中心に訪問させてもらった。騎士団にも守られていないような辺境にある集落は、瘴気の影響がほとんどなくて、教会も無事で、僕たちの旅の助けとしてすごくありがたい存在となってくれた。
「それで……勇者様のお名前は?」
「ボクの名前はノトです。これからよろしくね?」
「ノト、君?」
「はい」
そこから僕は勇者様のことをノト君と呼ぶようになった。最初は恥ずかしすぎて倒れそうになったけど、呼んでいるうちに恥ずかしすぎて真っ赤になるくらいには慣れることができた。そこからさらに慣れて、今は性欲と気持ちを高めるものとして重宝させてもらっている。