吸血鬼伯爵の生贄になったけれど溺愛されました
「ああ、ご覧。吸血鬼伯爵の館に明かりが灯っているよ……くわばらくわばら……」
この村、ビクター村から見える山には吸血鬼伯爵の館がある。伝説によると、なんでも村の娘を生贄に要求してくるとか……。村の娘に求婚してくるのがその証だと、まことしやかに囁かれていた。
伝説は唐突に真実だと明らかになる。村娘のエリスの元に結婚を要求する手紙が届いたのだ!
エリスは村娘である。たいして器量良しではなく、顔のそばかすをコンプレックスに思っている。
なぜそんなエリスにわざわざ求婚を?村人は揃って思った。しかしこれは本当の結婚では無い。生贄の要求なのだ。容姿など関係ないのだろうと村人は結論づけた。
かくして村娘エリスは次の満月の晩、結婚という名の生贄の儀式に、吸血鬼伯爵の館に赴くことになったのだった……。
***
形ばかりの結婚のために用意された婚礼衣装が重い。エリスはビクター村の外れの山を登りながらそう思った。求婚してきたからには迎えってものがあって然るべきなのでは?と思いつつも震える足を踏み出す。
私が行かなければ他の誰かが行くことになる。それこそ妹のリリーが犠牲になるかもしれない。そう思えばこそ恐怖を乗り越えて山道を進むことが出来た。
やがて吸血鬼伯爵の館が見えてくる。
ゴクリと唾を飲む。私はこれから体の血を全部吸われて死ぬのだ。そう思うと震えが止まらない。
それでも残してきた友達のため、リリーのため、私が犠牲になる覚悟を決めたのだ。
玄関の豪奢な扉をノックする。コンコン。
するとひとりでにキィキィと音を立てて開いた。
入れ、ということだろうか。私は勇気を振り絞り足を踏み入れた。
「エリス!!よく来たね!!本当は迎えに行くつもりだったのだけれど、どうしてもこの館を留守に出来なくてね……夜の山を登るのは辛かっただろう?ごめんねエリス……。おや!それは婚礼衣装かい?嬉しいよ!!俺のお嫁に来る気満々という訳だね!!」
まくし立てられて私は呆然とした。これが、吸血鬼伯爵?あまりにもイメージと違う!透き通る白い髪の毛に赤い瞳、そのかんばせは輝かんばかりの美貌をそこに湛えていた。しかし口からチラリと見えるその牙が、彼が吸血鬼であることをまざまざと示してした。
「エリス、疲れただろう?さあ座って、お茶にしよう。いやそれとも婚礼の儀式が先かな?ああ、嬉しすぎてどうしよう!!」
この歓迎ぶりは一体。私は生贄になりに来たのではなったのか。
「あ、あの」
「ん、なんだいエリス」
「聞きたいことは山ほどあるんですけれど、私は生贄、なんですよね?」
すると彼は
「なんてことを言うんだ!!生贄だなんて、そんなはずないじゃないか!俺はエリスと結婚したいんだ!」
「そもそもなぜ私の名前を知っているんですか、あなたは何者なんですか!?」
「ああ、そうか、名乗るのを忘れていたね、俺はノックス。気軽にノックスと呼んでくれ!」
彼はそう名乗って私の手を握り握手した。
「エリスのことは生まれた時から知っていたとも!数百年に一度生まれるかどうかの素晴らしい血の持ち主、それが君だ!」
「私が、素晴らしい血の持ち主……。やっぱり私の血を吸うんですね!?」
「吸うと言っても少しだけ、数年に一度でいい。それ程君の血は魔力に満ちているからね。少しだけわけてくれればいいんだ。それでもダメかい?」
あからさまにしょんぼりされると可哀想になってしまって私は思わず許してしまった。
「少しだけなら……いいですよ」
「やったー!!ありがとうエリス、愛しの我が妻よ!!」
私を持ち上げてくるくると回るノックス。
「妻って言われてもいきなり過ぎて受け入れ難いです!」
回されながら私は必死で訴える。
「そうか、人間とはそういうものなのか……」
またしょんぼりとされてしまい同情してしまう。
「でも帰ったりはしませんから、とりあえずここにいます。」
私が帰ったばっかりに友達たちやリリーに牙が向くのは控えたい。ここは大人しく従っておこう……。
「そうだ、人間は一日三食、朝昼晩と食事をするのだろう?晩御飯にしよう、そうしよう!」
そう言って私をお姫様抱っこにしたノックスは、館の中の食堂に向かっているらしかった。
私はと言うと浮遊感に慣れずに自分で歩けますから!と主張したけれど、聞き入れられることは無かった。
食堂には何も無かったけれど、ノックスがパンと両手をひと叩きすると、豪華な晩餐が現れた。
「すごい……」
「褒めてくれるのかい?嬉しいな……」
ノックスはいそいそと椅子の背を引き私を座らせようとする。
「さあ我が妻よ、席について存分に食すといい!」
「い、いただきます」
裕福とはとても言えない暮らしをしてきた私にとっては、この晩餐はあまりにも魅力的すぎた。大きな肉、濃厚なスープ、柔らかいパン、砂糖のたくさん使われたデザート、ケーキ……。どれも食べたことの無いくらい美味しくて、あっという間にお腹がいっぱいになった。
「ごちそうさまでした!」
「うんうん、我が妻よ、良い食べっぷりだったよ!用意した側としても嬉しいものだ」
私の食べるさまを横でずっと見ていたノックスにそう言われると急に恥ずかしくなってくる。それに妻という呼ばれ方も慣れない。
「あの、できれば名前で呼んでくれませんか?」
「ああ!もちろんだともエリス!積極的で結構結構!」
「いや、そういうわけじゃ……」
「エリスも俺のことはノックスと呼んでくれよ」
またノックスがパンと手を叩くと空になった皿などは全て消えてしまった。
「ノックス、これは魔法の力なの?」
「そうとも、この館では魔法で全て解決出来る。掃除に洗濯、料理に裁縫も!エリスの手を煩わせることは何も無い!安心してくれて構わないよ!」
「凄いのね……」
「ああ、褒めてくれて嬉しいよ!」
私の言葉にニコニコと上機嫌なノックスを見ているとやっと安心できた。
「そうだ、俺はこれから日が昇るまで起きているがエリスはどうする?人間は日の出ている間活動するものだろう?」
「そうね、今日はちょっと疲れたのもあるし、もう休みたいわ……」
正直に答える。夜の登山は体にに堪えた。
「ではエリスの部屋まで案内しよう!」
またお姫様抱っこにされて館の中を移動する。
「歩くことさえしなくてもいいさ!」
ノックスはそんなことを言ってのけた。
案内された寝室はあからさまに大きなベッドで、夫婦の寝室と言った風情だった。
「あの、まさか一緒に寝るわけじゃ……」
「俺は棺桶で眠るから心配ないよ、エリスはおませさんだなあ!」
からかわれてしまった……!
「何か必要なことがあれば使い魔のコウモリがやってくれるから心配ない。手を叩いて命令すればやってくるからな。ではエリス、おやすみ」
それだけ言い残してノックスは行ってしまった。
とりあえずこの重い婚礼衣装を脱ぎたい……。使い魔……やってみよう。
「寝巻きに着替えさせてちょうだい」
パンと手を叩いて言うやいなや、どこからともなくメイドが現れて着替えさせてくれた。そして気づけばいなくなっていた。……なんて便利なんだろう!
私はベッドに思い切り飛び込んだ。ぼふ!と音を立て体を受け止めてくれるベッドはふかふかで、私は眠りに落ちたのだった……。
朝日が目に眩しくて目を覚ました。
朝だ。まさか生きて今日を迎えられるとは思わなかった。とりあえず顔を洗って着替えたい、えっと。
「顔を洗って着替えさせてちょうだい」
パンと手を叩くとまたコウモリメイドが現れて、顔は清潔になり、体には赤い瀟洒なドレスを着付けてくれた。
「こんなドレス着たことない……」
さらにコウモリメイドは私をどこかへ案内しようとしていた。
「もしかしてだけど朝食があるのかしら」
予想通りに案内されたのは食堂で、パンやスープの朝食が用意されていた。
「いただきます」
朝食を頂きながらノックスの事を考えた。もう日が昇ってるということは、棺桶の中で眠っているのかしら。どこで眠っているかも分からないから確かめようは無いけれど。なんとなく気になって、朝食の後は館を散策しようと決めた。
「ごちそうさまでした。えっと」
昨晩のノックスの真似をしてパンと手を叩くと空の皿は消えてくれた。
「魔法って本当に便利なのね」
この館は三階建てで、食堂は一階にあった。
一階には他に客間があり、中庭があり、広いホールがあった。
「?あれは……?」
ホールにはピアノがあった。ノックスが弾くのだろうか。
二階には図書室のようなところがあったが、生憎私は字が読めない。何が書いてあるのか気になった。二階には私の寝室もあって、他は全て空き部屋のようだった。
ということはノックスの眠る部屋は三階にあるのね。
三階に上ると大きな扉がひとつあるばかりだった。
ここがノックスの部屋なのね。
勝手に入ってもいいだろうか……少し覗くだけ。
ドアノブに手をかけると勝手に開いた。
入ってもいいってこと?
入るとそこは書斎のようになっていて、本棚や執務机がおいてある、一番奥に棺桶があった。
あの中にノックスが眠っている……。私は棺桶に近づいていった。
「誰だ!」
「きゃあっ!」
急に棺桶の蓋が開き、手首を掴まれる。すごい力で痛みを覚えた。
「なんだ、エリスか……。ああっごめんよエリス!強く掴んでしまって……跡になっては大変だ」
ノックスが手首に手をかざすと、跡はみるみると消えていった。
「勝手に入ってごめんなさい」
「いいんだよエリス、ここはもう君の家でもあるのだから!それよりごめんね、もう痛くないかい」
「痛くないわ、ありがとう」
ノックスは時計を見て言った。
「まだ朝だね、ごめんよエリス、俺は日暮れまでは眠っていないと……」
「ええ、起こしてごめんなさい。おやすみなさい、またあとで」
「おやすみエリス、またあとで」
ノックスは棺桶の蓋を閉じて再び眠りに入った。
日没まで、ひとり……。話し相手もなく、本も読めない。もちろんピアノも弾けない。
暇つぶしに掃除でもと思ったが、コウモリのメイドたちによって既にピカピカになった壁や床をみるとその必要もなさそうだった。
―――暇だなあ。
今までノックスは夜を1人でどのように過ごしていたのだろう。本を読む?ピアノを弾く?起きてきたら聞いてみよう……。私は客間のソファに座ってぼーっとして過ごしていた。
日没。やっとノックスが起きてくる!話し相手に飢えていた私は心待ちにしていた。
「やあ、おはようエリス!!こんばんはの方がいいかな?元気にしていたかい?」
「ノックス!暇で仕方なかったわ……。あなたはこの館で一人なのでしょう?どうやって今まで過ごしていたの?館から離れられないと言っていたし……」
「そうだなあ……本を読んだり、ピアノを弾いたり……。あとはエリスの様子を見ていたよ!」
「私の様子を?どうやって?」
「魔法でね、遠く映し出す方法があるのさ。ずっと君を見てきた。一緒に暮らせる日を夢見てね。だから今が夢のように素敵だよ!」
この館にずっと一人で、私と暮らす日を夢見ていたなんて、なんて、孤独な日々だろう。
「……あなた、孤独だったのね。私今日一日だけで気が狂いそうなほど暇で、孤独だったわ」
「……孤独?そう思ったことは無かったな」
「だって誰とも喋れないなんて、孤独よ」
「そういうものなのかい」
ノックスがしゅんとする。急にこの吸血鬼伯爵が頼りげない子供のように見えてきた。
「私たち、友達になりましょう!」
「友達……確かに俺には友達はいない……。友達ってなにをするんだい?」
「そうね……一緒におしゃべりしたり、花を摘んで遊んだり、かしら」
「それは楽しそうだ!エリスは俺のお嫁さんだけど、友達にもなろう!」
そうだった、一応結婚したことになっているんだった……。
それから私は生活リズムをノックスに合わせた。やはり吸血鬼のノックスは太陽が苦手らしい。ならこちらが合わせるしかない。
日の出と共に眠り、日没と共に目覚める。
最初は慣れなかったけれど、ずっと一人でいるよりマシだった。
「おはようエリス!」
ノックスがおはようのキスをしてこようとするけれど、友達はそんな事しないと説得した。
三食を共にし、空いた時間にはお喋りをする。
時にはノックスのピアノの音に耳を傾けたり、私が歌った歌を、ノックスが弾いてみたり。
図書室の本は魔法の本が多いと言っていた。私が字が読めないと知ると、ノックスは教えようと言ってくれた。
たまには中庭に出て、花を見て過ごした、月明かりとコウモリが持ってくれるランタンを頼りにノックスに花の名前を教えたり、花冠を編んでお互いの頭に乗せてみたり。
こうして私たちは『友達』としての仲を深めていった。
ある夜、ノックスは「星を見よう」と言った。
三階のテラスに出て、二人で星を眺める。
「あれはオリオン座ね」
「オリオン座?」
「知らない?星と星を繋げて星座を作るのよ」
「知らなかったな」
ここまでの交流でわかった事だが、ノックスは意外と世間知らずだった。歌もあまり知らなかったし、花の名前も知らなかった。
「俺は何も知らなかった。知らないことすら分からなかった。全部エリスが教えてくれた」
「わたしもただの村娘だったから知らないことは沢山あるわ、字も読めなかったし」
「最近は随分読めるようになった」
「書けるようにもね!」
私は胸を張った。
「エリス、俺が孤独だと言っていたな」
「?そうね」
そういえばそうだったと思い返した。
「確かに俺は孤独だった……。幼い頃から」
ノックスの幼い頃の話なんて聞いたことがなかったから、興味が湧いた。
「俺はこの山に捨てられていたんだ」
私は目を見開く。
「この見た目が疎まれて、この山に捨てられた。物心つくかつかないかの頃だった。そこに現れたのが先代の吸血鬼伯爵だった」
ノックスは滔々と語り出す。
「先代は俺を跡継ぎにしたかったのだろう。俺の血をほとんど吸って、吸血鬼に変えてしまった。そしてこの館から離れられなくなる呪いを俺に押付けた」
ノックスがこの館から出られないのは呪いのせいだったのか。私は腑に落ちた。
「それから俺はずっと一人でこの館にいたんだ、何百年も誰とも喋らず、一人で」
何百年……その途方もなさに私は同情するしか無かった。
「でもエリス、そこに君が生まれた!この館に入れるのはその特別な血があるからこそだ。だから俺はエリスを将来のお嫁さんにしようと思って、ずっと見守って来た。それは救いだった」
「ノックス……」
「でもそれは違うよな、いきなり一方的に結婚しようなんて、エリスが困惑していたのも今ならわかる」
ノックスは私との交流のなかで私の気持ちを察してくれていた。
「エリス、友達に触れたいと思うのはおかしいか?」
「どこに触れたいかによるわ……」
「手に触れたい」
「……手ならいいわ」
ノックスが私の手を取った。形をなぞるように触れられてゾクゾクした。
「その触り方はダメ」
「『友達』ではダメなのか。何なら許される?」
「『恋人』じゃないとダメ」
私は震える声で答えた。
「どうやったら『恋人』になれる?」
「お互いに好きだと確かめ合えたら、恋人になれるわ」
私たちは『友達』時間つぶしのために遊んでいただけ、そのはずなのに。
「俺はエリスが好きだ。ただ一方的な気持ちじゃない。この数ヶ月間、『友達』として過ごしていく中で惹かれていった!……エリスは俺が好きではないのか?」
「私は……私は……」
ノックスの奏でるピアノが好き。ノックスが文字を教えてくれるその声が好き。ノックスと花を摘んで髪に掛け合うのも好き。ノックスと星空を見るのが好き。
「……私は、ノックスが好き」
とうとう言ってしまった。ここからはもう戻れない。
「じゃあ俺たちは『恋人』だね」
「ええ、『恋人』よ」
ノックスの手が頬に振れる。
「『恋人』だから触れてもいい?」
「いい!もう聞かなくてもいい!いちいち恥ずかしいわ……」
私はそう答えて瞳を閉じて、全てを許した。
唇が触れ合う感触に私達は溺れていった……。
初めて二人で迎える日没。ノックスが提案してきた。
「俺たち『恋人』になったからさ、改めてちゃんと結婚しよう」
そういえば初めてここに来た日も婚礼の儀式は行っていなかった。
「そうね、こういうのはきちんとしましょう」
ノックスがパンと手を叩く。
「フォーマルな格好に」
するとコウモリメイドが現れて二人分のスーツとドレスを着付けてくれた。
ノックスは私の前に跪く。
「どうか俺と結婚して下さい」
いつの間に用意したのか手には指輪を入れる箱が。その中には赤い宝石の付いた指輪が収められていた。
「この指輪、庭の赤い花、薔薇って言うんだろ?その花から魔法で作ったんだ。受け取ってくれる?」
「……っもちろん!」
私は指輪を受け取って左手の薬指に嵌めた。
「あっはは!やったあ!!!これでやっと、俺のお嫁さんだあ!!」
ノックスが私を持ち上げてくるくる回る。
「まだ!まだよ!!結婚式をしてない!!」
私は必死に抵抗する。
「そっか、それもあったね」
「私はあの星空に結婚を誓いたいわ」
「いいね、あのテラスに行こう」
ノックスが私をお姫様抱っこでテラスまで連れて行ってくれる。
最初の頃に比べると、随分優しいお姫様抱っこになった。私は嬉しくなって胸元に顔を寄せた。
「さあ、テラスについたぞ!結婚式の始まりだ!皆集まれ〜」
手を叩くとコウモリメイドたちが集まって参列者になってくれる。
私はパンと手を叩いて言った。
「婚礼衣装を着させて」
それはあの日山を超えてきた婚礼衣装。
「懐かしいね、エリス」
「ええ、まさか貴方とこうなるとは思いもしなかった」
「ええっ!ひどいなあ」
「いいじゃない、結婚式するんだから」
「ええっと、どうすれば」
全く、何も知らないんだから、これからも私が教えてあげないと。
「誓いの言葉を言うのよ」
「誓いの言葉?」
「真似して? 私、エリスはノックスを病める時も健やかなる時も愛することを誓います」
必死な顔で聞いていたノックスも誓いの言葉を述べる。
「私、ノックスはエリスを病める時も健やかなる時も愛することを誓います」
「そう、あとは誓いのキスを」
「やった!キスできるんだね!」
「……もう!」
私は目を閉じて、ノックスのキスを受け入れるのだった。
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